若合春侑の仕事・身邊雜記
2002年下半期


東京新聞(中日新聞・北陸中日新聞)夕刊一面
連載コラム【放射線】で月曜日の担当になりました。
第一回は2003年1月6日です。
各新聞の購読者のみなさま、
半年間どうぞよろしく!
『河北新報』は連載の掛け持ちを禁じているとのことで、
月曜担当は他の人になりましたので、
残念ながら『河北新報』には掲載されません。

『群像』【Review Films】で
映画のレヴューに挑戦することになりました。
第一回目は2月発売『3月号』で三回連続です。
たいへんだぁ・・・!でも、楽しみ!
このところコラム&エッセイばかり書いているので
「小説が書きたくてしかたないです」と訴えているにも拘らず
聞き入れてくれない担当Y氏、な〜んて書くと
「HPにへんなことを書かないでよ、ひとでなしみたいじゃないの」
と言われちゃうかな(笑)

年末〜1月は『蜉蝣』に集中します!
もう時間がないので、本気で焦らないと・・・。
「のんびりとHPの模様替えをやっている場合じゃないっ!」と、
これまた叱られそうなんだけど、
忙しければ忙しいほど、
こういう作業に手を伸ばしてしまうのは、性(さが)?

2003/01/06(月)
 『東京新聞・夕刊』コラム【放射線】『覚悟の新年』掲載
 『料理王国2月号』【味な人】インタビュー掲載


12/31(火)『河北新報・朝刊』【文化】《微風旋風》随筆『よいお年を』掲載

12/29(日)夜、角川K女史&O氏、魚を食べに来てくれた。

12/28(土)15:00飛鳥新社のKさんと『メトロポリタン美術館展』(Bunkamuraザ・ミュージアム)→カフェ・ドゥ・マゴで食事→映画『愛の最終章』

今年のクリスマスは20数年ぶりにひとり
来春から神道を学ぶのだからキリスト教は関係ないでしょ、
と思われるでしょうが、キリスト教のお祝いも好きです。
日本の神々+キリスト教の神=8000001

12/23(月)『日経新聞・朝刊』コラム【交遊録】『女子校育ち』掲載

 秋田の友人が『讀賣新聞・12/11』【文化】『2002回顧』で川村湊先生が『海馬の助走』を「小説ベスト3」に選んでくださった記事をファックスで送ってくれた。うれしい・・・。ほんとうに作家になれたんだなあ。

12/22(日)『東京新聞』(『中日新聞』)アンケート『2002年刊行ベスト3』掲載

12/20(金)『小説現代・新年号』発売:コラム【ミュージック・オン・マイ・マインド】『麗しのテレーザ』掲載

12/17(火)野間文芸新人賞授賞式+祝賀会(たくさんの方々から祝福を戴き、幸福なひとときを経験させて戴きました。しかし、極度の緊張でからだの震えが止まらず、遅刻寸前で会場入り。この日は幾らお酒を飲んで顔面が蒼白になるばかりで全く酔わなかったのでした)ほんの少しだけ、画像をアップします。

『野間文芸新人賞授賞式+祝賀会』

12/14(土)19:00『彼岸百貨店ばあたあ’s』調理部門応援参加。早稲田文学の市川氏からの電話で「島田せんせからのお達し」だとか。ま、いいか、近所だし→翌2時過ぎ、解散→文學界N氏と、島田せんせのファン2人、来宅して遅まきながらの食事→朝7:??まで

12/13(金)『文芸ポスト19号』発売:コラム【TEA TIME】『ケメの「薄化粧」』掲載

國學院大學文学部神道学科3年への
学士入学試験に合格しました。
12/1に某所で手書きをして来たというのは、
試験で小論文を書いたということでした。
来年4月から女子大学生になります。

12/12(木)18:30『早稲田文学新人賞授賞式兼忘年会』に顔を出した後、19:30銀座で角川K女史のお誕生会

12/11(水)夕方、東京新聞M記者からお電話。アンケート『2002年に刊行された本のベスト3』(250字内のコメント)の依頼。早速、書いてFAX送信。

12/09(月)13:00虎の門で約1年ぶりに髪を切る→門前仲町へ。深川不動尊→富岡八幡宮→18:00中央公論諸氏と慰労会(+小学館『文芸ポスト』編集者M氏)→中公N氏+Kさん+Uさんと早稲田でカラオケ

12/07(土)『群像・新年号』発売:『野間文芸新人賞』発表+選評+受賞の言葉/短編『微熱語り』掲載(若合初!携帯電話が登場するような、今現在が舞台の小説です。加えて、独り語りでありながら一人称を使わない、また、台詞に「 」を使わない、という試みをしてみました。野間文芸新人賞選考日に骨組みを拵えたのですが、実質、受賞後第一作となります。楽しんで読んで戴けたら嬉しいです。この続編(というより関連小説)を書きたいとも思っています)

12/05(木)未明、『小説現代・新年号』コラム【私の好きな音楽】『麗しのテレーザ』脱稿→送信→12:30仮縫い→14:00東京新聞I記者と連載コラムの打ち合わせ→16:30新宿『腦病院へまゐります。』の映画化について、お話を伺う。

12/03(火)『河北新報・朝刊』【文化】《微風旋風》随筆『漢字練習帳』掲載

12/01(日)某所でT手書きUをして来た。普段、パソコンで執筆し、目で確認しながら何度も推敲を重ねる私にとってTテーマを与えられた時間制限のある手書きUはハードな肉体運動と同じ。支離滅裂、疲労困憊→16:00仮縫い(日本橋)


11/30(土)未明、『日経新聞』コラム【交遊抄】『女子校育ち』脱稿→送信

11/28(木)夕方、平間至氏:写真集『(仮)塩竃の100人』巻頭エッセイ、脱稿→送信→書き直し→送信

11/26(火)未明、『河北新報・朝刊』【文化】《微風旋風》随筆『漢字練習帳』脱稿→送信16:30採寸の為、日本橋へ→新宿『K』讀賣の記者さんと平田俊子さんがいらっしゃって朝5時まで飲んでしまった。

11/25(月)『讀賣新聞・夕刊』【文化】《文芸》に若合を取り上げて戴きました。

11/24(日)未明、『文芸ポスト19号』コラム【TEA TIME】『ケメの「薄化粧」』脱稿→送信15:00角川K女史に付き添って貰って日本橋高島屋で衣装注文の相談→新宿伊勢丹→翌1時頃までふたりで飲む。

11/21(木)15:00『料理王国』インタビュー&撮影(中目黒)不思議にレトロなお屋敷での撮影&インタビューでした。インタビュアー&編集者の引き出し上手のお陰で、話しているうちに沢山のエピソードを思い出し、ぐっと来たり、唾を飲み込んだり。私自身、掲載が楽しみです。発売日が分かり次第、お知らせします→山手通り→渋谷・東急プラザ

11/20(水)手紙やハガキなど全部で5通書く。特に直々にお便りをくださった東北学院大学の倉松学長へのお返事はとても緊張しました。『群像・新年号』掲載予定の『微熱語り』のゲラ校正で夜が明ける。

11/19(火)18:30カメラマン平間至氏の事務所でトークショーの打ち合わせ→今度の写真集に載せる写真を見せて戴く。塩竈市民100名の顔、顔、顔。平間氏の手に掛かれば、犬は喜び、猫は演じ、御神馬も笑う。塩竃人て、こんなに御機嫌な表情の人ばかりだったっけ?と吃驚した程、みなさん、好い顔で写っています。エスプの館長W氏と3人で話し合った後、20時半過ぎ、港区三田で食事→23:00解散
 
トークショーは、2003年1月25日(土)15:00〜『
塩竃市生涯学習センターふれあいエスプ塩竃』で行われ、終了後、参加者のみなさまとの会費制(二千円位)のパーティーがあるそうです。圧倒的に平間さんのファンが多いでしょうけど、ここを御覧の方々、是非、お越しくださいね。

11/14(木)未明、『微熱語り』最終稿、送信
  午後、写真屋&郵便局の後、水天宮へ行き、友人に腹帯を買って送る。戌の日とあって妊婦が多く、デブな私まで妊婦の気分になった。日本橋界隈を散歩。甘酒横丁で美味しそうな豆腐屋を見つけ、竹豆腐&豆乳を購入。
  17:00『集英社三賞パーティー』(帝国ホテル)。昨年の『すばる文学賞』受賞者:大泉芽衣子氏と待ち合わせ、ふたりで飲みながら食べて廻る。笙野頼子氏やたくさんの編集者とお会いして、はしゃぎ過ぎたみたい。藤沢周氏にも初めて会った。気さくで面白い人だった。もっと話したかったです、藤沢さん。図々しく二次会にもお邪魔して、詩人の園田恵子氏、今回の受賞者:栗田有起氏、大泉氏と新宿Kへ行き、テンション上がりまくり。朝4時頃、解散→大泉氏、ウチに泊まり、午後3時前、バスに乗って帰って行った。大泉氏は好青年(!)だった。
『朝日新聞・夕刊』に「野間文芸新人賞」の記事が出ています。(パーティー会場で小山内記者に会ったら「このあいだの記者会見で「泣いた」って書いておいたよ」なんて言う。「えー、泣いてないよ、酔っ払ってただけだもん」と言ったら「もう今日の夕刊に出てるよ」。という訳で(喜びのあまり)「目を潤ませた」というのはウソ。その酔っ払って目の周りを赤くしている若合の画像も含めた記事が「朝日新聞サイト:asahi.com」に出ています。物好きな方は御覧ください。

小山内記者によると『讀賣新聞・夕刊』にも尾崎真理子記者の筆で掲載された、とのこと。家で探したけれど発見出来ず。

11/12(火)未明、『微熱語り』第二改稿、送信。13:00角川K女史に付き添って戴いて、衣装誂え(偶々サンプルが別場所に行っていたため、後日、再訪問)
『河北新報・朝刊』に「野間文芸新人賞」の記事が出ています。デスクの佐藤記者が加筆して掲載してくださった。

11/11(水)未明、『野間文芸新人賞』「受賞の言葉」「受賞パーティー招待リスト」送信

『世間樣かくありき』出版担当Y女史から
ものすごく美味しい紅白のワインを贈って戴いたり、
新宿「K」の紀久子さんからお洒落な花籠が届いたり、
東北学院大学の倉松学長の名で豪華な電報を頂戴したり、
身に余る豪勢なお祝いを戴き、恐縮しっぱなしです。

11/09(土)『東京新聞・夕刊』に「野間文芸新人賞選考評」が出ています。

11/08(金)『東京新聞・朝刊』【この人】に登場させて戴きました。

11/07(木)『婦人公論』井戸端会議【恋愛の正体】(糸井重里氏×佐伯順子氏)掲載
  15:00東京新聞・M記者、写真を撮りにいらっしゃる(早稲田:大隈庭園)面白キャラクターM記者と話し、爆笑、爆笑、爆笑。来年1月から週1回のコラムのお話を戴く。

11/06(水)『すばる12月号』随筆『貴船紀行』掲載
  昼過ぎから断続的に電話があり、いろいろな方からお祝いを戴く。ミッキーマウスの電報を贈ってくれた大学の同級生@福島在住こまっちゃん、ありがとね!でも、ぬいぐるみのミッキーを2体ももらって、どぉすんのよ、私(笑)
 腰が抜けそうなくらいに吃驚したのは、豪華絢爛@でっかい花籠。文藝春秋からでした。夕方、漸くお酒が抜けたので、昨夜戴いた花束を花瓶に生けました。芸能人の楽屋状態です(笑)
 田舎の母からも電話。12/17の受賞パーティーに90歳の祖母ちゃんを連れて上京するとかしないとか。夕方、角川のK女史にパーティー用衣装の相談。一昨日の料理の残りものを食べながら「罰が当たりそうだなあ、早いとこ平常心に戻らないと」と思いました。
 小学館『文芸ポスト』エッセイ900字11/25締切、受賞の言葉600字、それから昨日の朝、骨組だけ作った『微熱語り』を徹底推敲、あとは・・・、なんだか年末まで御多忙な御様子。お祝いメールで多かったのは「お酒を飲み過ぎないように」「肝臓が心配です」。はい、気を付けます、と言ってはみるものの・・・。

11/05(火)『潮12月号』著者インタビュー掲載
        
『河北新報・朝刊』【文化】《微風旋風》随筆『直観に従え』掲載
 
未明、20枚の掌編『微熱語り』取り敢えず、脱稿→送信
 16:00〜『野間文芸新人賞選考会』(『海馬の助走』が候補になりました。間違いなく落選するでしょうけど、3年前の『腦病院へまゐります。』の時と違って、今回は4人の編集者が付き添って、銀座の小料理屋さんで落選慰労会をしてくださいます。美味しいお酒に酔う今夜)と書いたのでしたが、受賞しました!

 【野間文芸新人賞受賞の夕べから未明へ】

16:30 地下鉄の中でばったり会った『群像』Y氏と銀座の小料理屋へ。中公N氏が「受賞する夢を見た」と言うから「逆夢じゃないの?」なんて言いながら、開店時間を30分早めてくださった女将さんからのサービスのTくさやUを食べたりしながら、日本酒、がんがん行く。
18:00 小料理屋の電話に『群像』編集長I氏から連絡。あんまり吃驚したので信じられず、すぐにY氏に代わる。「ほんとなのぉ?」を繰り返すだけの私は、既に酔っ払っていた。女将さんや他のお客さまにも祝福されて大盛り上がりの中、すかさず新潮I氏がお花を買いに走っていった。
18:30 記者会見会場のホテルへ。顔馴染みの記者さんが何人かいて嬉しくなり、酔っ払ったついでに、おちゃらけ&大真面目会見。会見や写真撮影が終わって、ふっと顔を上げたら花束があって、え?と見上げると、なんと!『掌の小石』の時の担当F氏で吃驚!F氏ばかりか、文藝春秋の『文學界』前編集長S氏、現担当N氏、『腦病院〜』出版時のM氏も駆け付けてくださって、ものすごく感激!偶々高熱を出してお休みしていた角川K女史からも花束が届いて、具合が悪いというのに見事な手配!これまた吃驚!大感激!!前日、受賞予言のメールをくれた日経M氏や同僚のS女史と話す。
??:?? ホテルの地下のバーで、選考委員の先生方、編集者、記者さんたちとお酒を戴く。お目にかかりたかった佐伯一麦氏とお話出来てよかった。繊細な感じの美男子で西郷輝彦さんにそっくりだった。笙野頼子氏は魂の美しい方という印象で、すごく優しい眼をなさっていて、かっこよかった。山田詠美せんせいや奥泉せんせいは文學界の時の選考委員。「全然、駄目じゃん」なんて言われるのかなあ、なんて心配していたけど杞憂だったみたい。
??:?? 川村湊氏と讀賣鵜飼記者と中公N氏とタクシーに乗り、新宿『K』へ。新潮社I氏、『群像』前編集長K氏、担当Y氏と合流し、大酒を飲んでいるうちに、睡眠不足もあって泥酔。玄関のドアの前までY氏が花束を抱えて送ってくださって、もうへろへろ。留守電のお祝いメッセージに爆笑しつつ、どんなに酔っていても花束をバケツに入れる事は忘れなかった私は偉い?「おめでとう」という言葉と満面の笑みを沢山戴いて、しあわせってこういう感じなんだなあ、と思いました。


10/29(火)神保町A書房へ。内田百間全集を入手!(昭和四十六年講談社刊・3万円)

10/28(月)『河北新報・朝刊』【文化】《微風旋風》随筆『直観に従え』脱稿→送信

10/27(日)『讀賣新聞』読書面【本よみうり堂】《今週の赤マル》『海馬の助走』を取り上げて戴きました。署名の(鵜)さんとは鵜飼記者のこと。記事を拝読して、今さらながら気付いたのだけど・・・1700円もするのね。高いな・・・。買ってくださった方々、ありがとうございます。というか、高くてすみません。

漢字練習帳3冊目終了。

東北学院大学広報誌『OΥPANOΣ(ウーラノス)11月号
「−同窓生を訪ねて−
“表現したい欲求”に応え続けること。
というタイトルでインタビューが掲載されています。
(つい先ほど「Υ」を「T」と間違えていた事に気付きました。お詫びして訂正します)

10/24(木)13:00表参道。文學界N氏と仏蘭西料理。仏蘭西人店主と日本人女性の店員さんが非常に楽しい店だった。お料理も最後のデザートに至るまで美味しかった→スパイラル1Fでお茶しながらN氏と来年の事などを話し合う→18:30東京ウィメンズプラザ・ホールでセゾンアートプログラム島田雅彦氏講演『メランコリーのふるさと』拝聴。久し振りの氏の語りには共感と瞠目と笑い。時間軸と地球丸ごとの空間を感じたりして、いろいろな意味で楽しめた→ゲージツ家@是枝氏主催の打ち上げに島田せんせいの読者とともに参加。最初は居酒屋、次はカラオケ、最後は渋谷はずれのピッツァが美味しいカフェへ。朝5時、解散。みなさんは始発電車、私はタクシーで帰宅、例によって速攻、吐き捲り。

10/22(火)17:30(詰め物が取れたので)自転車で歯医者へ。とても親切でよかったのだけど歯医者さんが大蒜臭くてまいった。こちらは口紅をつけなかったり診察直前に食べるものを考慮したりして気を付けているのになあ。ユニクロで買い物をした後、スーパーに寄ってあれこれ見ている時に歯医者さんの口臭を思い出して吐きそうになった。それから、磨き過ぎて削れた歯が2本以上あると指摘された。ゴシゴシと磨かないと磨いた気がしないのだが・・・。気をつけよう。

10/21(月)昼前『すばる12月号』随筆『貴船紀行』脱稿→送信

嬉しい知らせがあった。
2月末だったか3月の始めに依頼していた
『内田百間全集』(講談社)が入荷したとのこと。
半年以上も前の依頼を忘れずにいてくれた神保町のA書房に感激。
じっと待っていればちゃんと朗報が得られるのだなあ。
これで今年の分の福運は、全部、使い切った。
それでもいい。いや、まだ、はやい。
実際に入手してから、もっと喜ぶことにしよう。

10/20(日)『産経新聞』読書欄での書評に『海馬の助走』を取り上げて戴きました(篠藤ゆり氏)

10/18(金)16:00『婦人公論』座談会(司会:糸井重里氏×佐伯順子氏)→3時間に及ぶ大激論!というよりは、テーマが難解だったので端的にまとめられず長くなったのだった。結局、糸井さんが結論づけてくださった。19:00佐伯さんと銀座で食事→解散して、新宿『K』へ。玄月氏がP社の人と来たのでラッキー!暫くしてからsmせんせいも単独登場→明け方、みんなで富士そばへ行って温泉卵そばを食らって解散→帰宅後、速攻、吐き捲る。

漢字練習帳2冊、終了。
大学時代から漢字の練習が好きだったこともあるけれど、
本屋で見かけて、つい3冊も買ってしまった。
故事成語はお手上げ状態だった。
こんなの覚えてどうするんだ?という難解な漢字もあって、
世の受験生はたいへんなのね、と痛感した。

いまどきnetscapeなんぞを使っていた災いか。
お粗末なことに些細な操作で、
メールもアドレスも消えてしまいました。
8月のクラッシュ以来、
たくさんの方々の御好意でアドレス帳を再興出来たというのに。
すみません、
仕事関係者、その他のみなさま、
本文なしのメールで構いませんので、
アドレスをお知らせください。

10/13(日)15:00某大学へ(受験相談→12/1入試)→ひさしぶりに渋谷東急プラザ→紀伊国屋書店で本や参考書など10冊→渋谷市場→高田馬場はお祭りのパレードで大賑わい

10/13(日)『産経新聞』読書面『雲南の妻』(村田喜代子著)書評掲載

10/07(月)『群像11月号』書評に『海馬の助走』を取り上げて戴きました。(山岡頼弘氏)

『文藝春秋11月号』随筆『裸一貫、父と娘と』掲載

10/06(日)『河北新報』読書面【新刊抄】に『海馬の助走』を取り上げて戴きました。

『文藝冬号』【作家ファイル】アンケート掲載
 この中に大きな間違いあり!

 ×『世
間様かくありき』(小学館) 
○『世
間樣かくありき』(集英社)
どこをどうしたら集英社を小学館と間違えるのか、
どちらの出版社に対しても失敬だろうに・・・。
校正の際はアンケートの返答そのものと照合して貰いたかった。

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【終わり良ければすべて良し京都の旅】
*は松茸を食べた場所および品数

10/11(金)『イノダ珈琲本店』→K女史帰京→京都御苑『拾翠亭』御所の横を歩く→『清明神社』→『近又』に戻って荷物を引き取り京都駅→19:30帰宅

10/10(木)早朝M氏帰京→御幸町→電車で上桂→『地蔵院』『鈴虫寺』→バスで渡月橋を通り町中へ→『六角堂』→錦市場、御幸町(旅館懐石『近又』***泊)

10/09(水)京都・先斗町→『龍安寺』石庭で角川K女史と合流→『仁和寺』→四条河原町、寺町など→先斗町の入り口で角川M氏と合流→高級料理店*かほるさんのバー→先斗町(旅館『三徳』泊)

10/08(火)メリケンパーク→三宮→Y嬢&M君と再会、古い銀行の建物を再利用したカフェ『Ernest Hemingway Bank』→ビアホール(Hさん宅泊)

10/07(月)一日バス乗り放題のチケットで『銀閣寺』哲学の道『若王子神社』哲学の道→バスで京大付近→喫茶『進々堂』→河原町松原で荷物を引き取り京都駅→18:30神戸(Hさん宅泊)

10/06(日)『知恩院』(父の遺骨を分葬)→四条河原町を散策(河原町松原『サンルート京都』泊)

10/05(土)祇園の喫茶店→『長楽館』で珈琲→『清水寺』『金閣寺』→祇園(旅館『花楽』*泊)

10/04(金)京都・祇園→『貴船神社』→祇園(旅館『佐の』*泊)

10/03(木)『河北新報・朝刊』【文化】《微風旋風》随筆『モデル問題』掲載

10/02(水)13:30中央公論新社で『潮12月号』著者インタビュー→上野


09/30(月)『雲南の妻』書評脱稿→送信(15分も経たないうちにA記者から原稿受領のメールが来て、吃驚、うれしい。真夜中の3時過ぎ、送った先の人と自分が起きているというのは不思議に気持ち好い。因みに私は『以心伝心』という言葉の持つ力を信じている。それが一方的過剰になると『電波系のアブナイ人』になってしまうのだけど)
 
毎週日曜、無意識に読んでいたT新聞での書評Uを、今回、自分がやってみて、書き手の苦労が身にしみた。紹介本が面白ければ面白いほど、あれもこれも書きたい、と欲が溢れるものの、文字数に制限があるから、簡潔に、的確に、自分の中にある日本語全部を駆使して書かなければならないのだ。もっとも重要なのは、書評を読んだ人が紹介本を「買って読もうかな」と思ってくださること。この最大かつ最低限の目的を果たさずして、書評は成り立たないのだ(なんて、偉そうに)

09/23(月)『河北新報・朝刊』《微風旋風》『モデル問題』→送信

09/20(金)『文藝春秋11月号』《巻頭随筆》『裸一貫、父と娘と』改稿→送信。執筆がすこぶる快調だと思え、調子に乗って『河北新報』のエッセイも書く→すぐには送信せず、音読を繰り返した後、すこし寝かせるのが常。

産経新聞記者:A女史からお電話で、書評の依頼。『雲南の妻』(村田喜代子著:講談社刊)20字×42行

『週刊新潮』(9/26号)『TEMPO BOOKS』《十行本棚》に『海馬の助走』(+若合について)を掲載して戴きました。有り難いです、こころから!

09/18(水)『文藝春秋』《巻頭随筆》取り敢えず脱稿→送信→手直し

『Anotherbaby book』創刊号が出ました。
『Anotherbaby』は、
代官山ADDRESS内にある犬専門グッズのお店です。
http://www.anothebaby.net/
『Anotherbaby book』創刊号
犬にまつわる童話仕立ての小さな物語
『帰っておいで、ペロ』を書きました。
後で知ったのだけど、
スペイン語で犬は[perro]
(発音ではペッロだけど)
そうとは知らず、
『帰っておいで、犬』と題していたのでした。
絵はササキタクジさん。
全国の動物病院や一部有名書店で無料配布中です。

09/11(水)16:00中央公論新社へ。署名入り本(20冊)、POP(横書き=丸文字、縦書き=楷書、各々表裏3枚ずつ)を作成→18:00前、中公讀賣ビル一階カフェテリアのオープンテラスで一服して帰宅→翌朝3時過ぎまでNY関係のテレビ番組を見続ける。

09/10(火)夜、ひと月ぶりにプールへ行った。サウナはやめることにした。急激な温度変化は体内酵素を無駄遣いして、浮腫、倦怠、肥満を引き起こすらしいので。なるほど、サウナに入ると確かに肌は滑らかになるけれど、翌日、仕事にならないくらい、だるい。

09/09(月)午後、『文藝春秋』本誌へ移動になった元『文學界』担当のF氏からお電話。10月発売号の巻頭随筆欄(4枚半)依頼。緊張しちゃう。

09/08(日)11:00塩竈・父の一周忌法要→会席の場で(母から頼まれて)引出物に加えた『海馬の助走』の説明をする→最終の新幹線で帰京
09/07(土)12:00チェック・アウト→定禅寺通りの『せんだいメディアテーク』で『毎日書道展』を観る。マイクを使っての大音量で鑑賞者に何やら説明しているオヤジがいて、うるさくて鑑賞に耐えられず、早々に立ち去る。15:00薫や元家族と『丸善一番町店』前で合流し、実家へ

9月7日(土)
『海馬の助走』発売!!
(中央公論新社)

09/06(金)15:00仙台へ(一番町のホテル・ユニバース仙台泊)15:30フロント前でFるみさんと再会→ブラザービル前の襤褸ビル2階にあった『プロコプ』がまだあるのか確かめに行ったところ、昔のまま残っていた。「琥珀の女王」を飲む→東北学院大職員M・Aちゃんと合流→家具の町のお洒落なカフェ→若い子ばかりが集まる洋風居酒屋で広告代理店のA氏&U氏合流→カラオケ

09/05(木)『河北新報・朝刊』【文化】《微風旋風》随筆『原風景の海』掲載

09/03(火)17:00過ぎ、角川書店→K女史と神楽坂の書店『文悠』(BBS参照)→新潮社I氏合流→K女史は銀座へ、I氏と私は神楽坂の料理屋→『K』へ

09/01(日)薫とビデオ『鮫肌男と桃尻女』の1シーン(我集院達也(旧:若人あきら)と浅野忠信との公衆トイレでの絡み)を繰り返し観る。奇才@我集院達也が矢鱈ときれいな声で唄う♪ドナ・ドナ♪に爆笑。浅野さん、すごくいい!特に、このシーンは、ものすごく格好いい。ここを観るためだけに薫は再び借りて来たのだった。それから、『耳をすませば』中学3年生のドラマだけれど「恋、したくなったなぁ!」と素直に思った。


INDEXにリンクをはった『青空文庫』から
芥川の短編を五十音順にダウンロードして、
正字正仮名遣い変換ソフト『丸谷君』で一発変換し、
修正しながら次々に読んでいます。
紙の本は何冊か所有しているのだけれど、
これから当分のあいだ、
次刊『蜉蝣』の書き直しのため
正字正仮名遣いの世界に没頭するので、
今さらながらPCの画面での文学に馴染んでおこうかと。
『青空文庫』のサイト運営のありかたにも
非常に感心しています。
おすすめです。

不遜な物言いになるかも知れませんが、
作品によって文体も表現形式も変えた芥川と、
無自覚ながら、私は、同じ試みをしていたのだな、
と自分のやっていることを肯定したい気持ちになっています。
書くたびに違う文体でやってしまう私は、
模索ばかりで落ち着きのない、
飽きっぽい下賤な人間なのだろうか、
と自分を疑っていたので。

08/29(木)未明、河北新報【微風旋風】9/5分『原風景の海』脱稿→送信/『文藝 02年冬号』特集【最新作家ファイル】アンケートに返答→送信

08/24(土)〜26(月)薫とビデオ三昧『五條霊戦記』『鮫肌男と桃尻女』『孔雀』(『地雷を踏んだらサヨウナラ』で浅野忠信のファンになったのだが・・・『孔雀』は大ハズレ)『ウォーターボーイズ』

盂蘭盆が過ぎてから今日まで、
友達と遊んでばかりいたのではなく、
『海馬の助走』に関するあれこれもしていました。
尤も担当氏のほうがたいへんだったのですが。

装丁が出来上がりました。
真ん中に若合の名前が入っているのが気恥ずかしいし、
主人公が青年のせいか、やたら男らしくて、
嵐の海の激しさや暗さを醸し出す模様に
胸が締め付けられるようです。
早速、秋田のA嬢に見せたら、
「もう何十年も作家をやっている人の本みたいだ」
と言われ、なんだかショック!(笑)
分不相応な格調の高さとでも言いましょうか、
あー、困ったなぁ、本人の自覚も中身も装丁に負けてる、
と困惑しきりです。
「正統派で行く!」とは担当氏のお言葉。

08/23(金)午後、靖国神社→根津美術館→岡本太郎記念館→表参道でイタメシ→A嬢は19:55の飛行機で帰って行った。
08/22(木)夜10時半、秋田のA嬢、泊まりに来る→朝3時過ぎまでお喋り

08/20(火)15:00渋谷、神戸の友人と『マグリット展』へ→和風のお洒落な店で食事

08/17(土)18:00角川K女史来宅

08/16(金)銀座→蕎麦『よしだ』→カラオケ屋→今回も最終の新幹線ぎりぎりで元家族は宮城へ帰っていった→ビデオ『地雷を踏んだらサヨウナラ』を観る。
08/15(木)元家族&薫、泊まりに来る→早稲田の焼肉屋→バッティングセンター→レンタルビデオ屋の会員になる

08/11(日)誕生日。電話やメールでお祝いを戴いたりして、最高に幸せな誕生日を迎えました。『納涼☆タラバ蟹を食らう会』でもお祝いして戴いて、しみじみ幸せ。夜、薫が漕ぐ自転車の後ろに乗って早稲田駅前のケンタッキーFへ。19歳の息子が漕ぐ自転車に乗っけられる母ちゃんは幸せだ。

08/09(金)18:00〜『納涼☆タラバ蟹を食らう会』
若合の狭い部屋に、新聞記者、編集者が集まってくださった(18名勢揃い)。納涼ならぬNO涼☆の蒸し暑さだったものの、予想を遥かに超えた楽しさでした。特に、朝日新聞O記者から「タラバガニ料理対決」を申し込まれたSM先生がおいでくださったのには感激でした。

朝日新聞O記者による
【タラバガニ三昧:南仏風】
《タラバガニと洋野菜のミルフィーユ》
《タラバガニとポテトソティ:サフランソース》
《タラバガニとトマトのリングイーネ》

新潮社I氏による
【特製具沢山焼そばI氏風】

角川書店K女史による
【油揚げとジャコの香り炒め】

若合がつくったのは、
【新鮮小茄子の一夜漬け】
【冬瓜と椎茸とオクラのスープ】

タラバガニとボタン海老は、若合の実家の弟が送ってくれたし、お酒やビールその他をみなさんが持ち寄ってくださったお陰で、襖で拵えた即席テーブルがいっぱいになりました。愚息:薫とSM先生のヴァイオリン(二分の1:子供用)共演?や、SM先生による口三味線ならぬ口ヴァイオリンには、お腹を抱えて大爆笑。結局、翌朝6:30までの大宴会→みなさんが帰られた後、薫が掃除機をかけた途端、ブレーカーが落ち、なんとパソコンがクラッシュ!(BBS参照)

08/08(木)『河北新報・朝刊』【文化】《微風旋風》随筆『夏には夏の』掲載

08/07(水)起きてすぐ、『海馬の助走』の【あとがき】を書く→送信(四冊目にして初めての【あとがき】、といっても参考資料などの説明が主)

8/06(火)16:00前、『海馬の助走』の再校ゲラを取りに来てもらう。


07/30(火)『日本文藝家協会ニュース』【会員通信】(エッセイ)『父の本棚』を書く→送信。日本文藝家協会々報誌への寄稿で、順繰りにまわってくるらしい。

07/26(金)夜、飛鳥新社のKさん+薫、泊まりに来る

07/25(木)深夜、『河北新報【微風旋風】』8/8分「夏には夏の」脱稿→送信 昼前、ADSL開通 14:00中央公論新社へ

07/23(火)18:00バイク便、来る→ゲラ校正

07/18(金)午後、新宿伊勢丹でバッグ、靴、サマードレスetcを買う。18:00前、中公N氏に会い『海馬の助走』のゲラを頂戴する。帰りがてら『K』へ立ち寄ったら、案の定、長っ尻。

07/16(火)15:00上野・不忍池に蓮の花を見に行く。

『海馬の助走』の出版が正式に決まりました。
この本の中に、
『文學界1999年6月号』に掲載された
『掌の小石』を入れて戴くように、
担当各氏にお願いしました。
というのも、
『海馬の助走』は亡父の自叙伝をベースにしている上、
亡父にとって『掌の小石』は、かけがえのない作品と
呼ぶべきものだったからです。
発行日9/10は、亡父の命日であり、
母は『海馬の助走』を一周忌法要で参列者に配る事で、
「自分の葬儀の際、自費出版した自叙伝を香典返しに」と
願った亡父の希望をかなえてやれる、と楽しみにしております。
本来なら自費出版すべきかも知れないのですが、
一冊の本として、さらに完成度を高めたいと
わがままを申し出たのでした。
愚にも付かなかった駄作『掌の小石』を
芥川賞候補にまで高めてくださった当時の文學界担当氏には、
なんとお詫びしていいか、言葉がみつかりません。

2年前、水上勉著『父と子』に書いた
巻末エッセイ
『父と子の年譜』
を無断掲載する事をも、お許し戴いて、
どうか御理解くださるように祈っています。

『すてきな奥さん8月号』【気になる!ハマる?気分は立ち読みコーナー HAYAMIMI*BOOK】に『無花果日誌』を取り上げて戴きました。『すてきな奥さん』『週刊女性』の発行元:主婦と生活社なのですね。重ね重ね、ありがたいです。感謝!

07/11(木)『河北新報・朝刊』【文化】《微風旋風》随筆『ただいま』掲載

07/10(水)薫、来宅し、泊まって行くが、疲れがたまって苛つく私と、受験で苛つく薫、案の定、喧嘩。

 新作の推敲に没頭したいのに、
からだが思うようにならず、へろへろの日々。

07/09(火)14:00仙台→父逝去に伴う一切の処理→母、祖母、弟ふたり、税理士2名、元家族、私で慰労会(SS30という宮城学院跡地に建った高層ビルにある中華料理店の個室)→21:2?、最終の新幹線で帰京(車中、母の文章を読み、涙、禁じ得ず。他の乗客にじろじろ見られても泣き続けた。酔っ払ったせいもあるけど)深夜12時過ぎ、帰宅。疲れ過ぎて、ぐったり。

07/07(日)18:00実業之日本社T氏結婚披露パーティー(南青山)見事に美しい花嫁さんで、T氏もお茶目な花婿さんでした。唐突に祝辞を請われて戸惑っていたら「スペシャルゲスト」だなんて紹介されて極度に緊張し、支離滅裂。爽やかで面白いパーティーでしたが、新婦の御挨拶には涙が込み上げました。終宴後、携帯電話で秋田A嬢と話しながら渋谷駅まで歩く。サントリーショットバーへ。

07/06(土)18:30新宿『K』(津島佑子氏×古井由吉氏の朗読会)古井先生の朗読(漱石の『夢十夜』のうちの3、4、8)が終わったあたりで、偶々空いていた私の左隣に座ったのがSM先生。津島先生や古井先生達と話し、飲み続ける。最後まで残っていたのは、SM先生、讀賣U記者、文學界N氏、私の4人だけ。結局、朝5時。タクシーで帰りたかったのだけどN氏に「歩かないと益々太りますよ」と励まされ(?)仕方なく歩く。4人で、よろよろ、よれよれ、だらだらと、若造ばかりが犇めく新宿駅へ。

07/03(水)20:30帰京。薫と早稲田の焼肉屋へ。東京の蒸し暑さに、すっかりまいってしまった。

07/03(水)『月刊東京人8月号』発売、随筆『東京は、まんべんなく、明るい。』掲載

07/02(火)『河北新報・朝刊』【文化】《微風旋風》随筆掲載。早速、叔母から「新聞、見たよ」と電話あり。

07/01(月)14:00母校:東北学院大学・土樋キャンパスで広報誌『OΥPANOΣ(ウーラノス)(10月発行号)インタビュー。『OΥPANOΣ』は、学内カウンターに置かれ、官公庁、他大学、宮城県内の高校などに配布されているそうです。

【東北学院大学訪問記】

 約束の20分前、正門を潜って本館へ向かおうとしたら、本館とともに歴史的建造物である礼拝堂からパイプオルガンの音色が聞こえて来たので、つい音色のほうへと足を進めた途端、背後から本名で呼ばれ、どきっ!『OΥPANOΣ』発行の総務部調査企画課の方(課長)だった。若合を待っていてくださった事がわかり、最初の感激。
 本館の応接室へ案内して戴く。重厚な雰囲気に、うーん、さすが、と唸る。
 コンタクトをとってくださった青年I氏、インタビュアーFるみさん、広告代理店のA氏と礼拝堂へ。助手2名を従えたカメラマン氏が撮影準備をしており、早速、インタビュー&撮影。
 45年もの昔、亡き父が大学対抗弁論大会か何かで演説した場所を背に、話す。聞き手のFるみさんが『無花果日誌』の舞台を肌で知っている人だったので話しやすく、事前に質問項目をFaxで戴いていたのも会話の進行に役立った。
 礼拝堂でプロのカメラマンに撮影して貰える卒業生は滅多にいない。父が生きていたら、さぞや喜んで報告に耳を傾けてくれるだろうなぁ、という思いもあって、かなり感激。(ちなみに、東北学院大学土樋キャンパスの礼拝堂は、ハウンドドッグの大友康平氏が結婚式を挙げた場所で、ついでに加筆すると、私の在学中から地元で活躍していた大友康平氏の軽音楽部は、私が入っていた邦楽部の隣の隣だった)
 応接室へ戻り、珈琲を戴きながら話していたら、調査企画課の若い女性職員がちょっとはにかんだ顔をドアから覗かせた。なんと、手には『腦病院へまゐります。』が!長町のショッピングモールにある紀伊国屋書店で買ってくださったのだとかで、いまじゃ、どこの本屋にも置いておらず、都内の紀伊国屋では全店で売り切れ状態だし、ネット書店で取り寄せるにも2ヶ月以上かかる『腦病院〜』と、母校の応接室で対面するとは思いも寄らず、吃驚感激。署名をして、握手をして、なんて、まるで作家みたいだ(笑)
 お土産を頂戴して益々感激。「タクシーを呼びましょうか」と青年I氏。古本屋へ立ち寄る事を告げて、雨の中、見送られる。
 通称:学院通りの『萬葉堂書店』へ入ったら、欲しい本がたくさんある上、神保町の古本屋より格安。買ってしまった。
 ・三島由紀夫『豊穣の海』全4巻(2000円)
 ・仙台ゆかりの島崎藤村『巡禮』(1500円)
 ・森田たま『きもの隨筆』(800円)
 ・森茉莉『戀人たちの森』(500円)
 『豊饒の海』は文庫で持っているが単行本は正字正假名遣ひ。一冊500円とは安い!どうです、安いでしょ、と自慢したくなり敢えて価格を記載する次第。
 店番をしていた和服姿の上品な老婦人が「雨に濡れては本の価値が下がります」と厳重に包んでくださり、7冊も提げて東北大学片平構内を抜けて一番町へ。大雨の中、重い荷物を提げて歩いたら、とてつもなく疲れてしまい、戴いたばかりのタクシーチケットを使わせて戴く。
 お土産を仏壇に供え、母に報告したら、ものすごく喜んでおりました。
 細やかな気遣いに感激しっぱなしの母校訪問でありました。


06/30(日)元家族:成年男子の運転で産業道路を通って仙台市内へ。以前、住んでいた片平のマンション、花壇自動車学校付近で広瀬川を暫し眺める。
『金港堂』に立ち寄ったところ、『無花果日誌』が平積みされていたので、店の奥の机に向かっていた偉い感じのおじさまに御挨拶。
 15:00仙台一番町『丸善』に入ってすぐに黒猫プリミさん&同僚のNさんと御対面。『丸善』では、若合を紹介するPOPを立ててくださり、『無花果日誌』『世間樣かくありき』が平積み。販売の偉い感じの女性に御礼と御挨拶。
 黒猫プリミさん、Nさん、若合春侑事務所宮城支部長(そんなものないんだけどね)の元家族とともに『As time』へ。マスターとその奥様が、十年以上も御無沙汰しているというのに、私の事を覚えていてくださって嬉しかった。黒猫プリミさんの天分に恵まれたエピソードや近々の予定に聞き惚れる。相変わらず珈琲はおいしく、長い時間、お話。黒猫プリミさんは、そのうちブレイクするに違いない。
 散会後、『丸善』に戻って『無花果日誌』『世間樣かくありき』を購入し、再び『As time』へ。マスター夫妻に贈呈。私達が珈琲を飲んでいる時間帯に『無花果日誌』が一冊、売れていた。誰が買ってくれたのかなぁ、と想像すると結構、嬉しい。(もしも、あの場にいらした方が、このHPを御覧になっていたら、是非、BBSに書いてくださいまし。遠慮なく)
 仙台名物牛タンをまともに食べた事がない私のために、国分町の『太助』へ。塩っぱい!塩っぱ過ぎる!塩がきついのも『太助』の名物なんだそうだ。好い塩梅という言葉を知らないの?というくらい塩っぱい!血圧高くなる。

06/29(土)帰省。元家族に迎えに来て貰い、某所で線香をあげ、母方の菩提寺に墓参りをし、祖母と話して塩竈へ。寿司屋の2階(弟夫妻×2組+甥っこ×2名+母+元家族+私)

06/28(金)早朝、書き下ろし『海馬の助走』脱稿→送信

書いて、飲んで、寝て、起きて、食べて、読んで、書く、時々プール、
それだけの日々。

06/19(水)19:00渋谷:角川K女史

06/05(木)14:30横山克馬事務所(河北新報に提出する写真の撮影)

河北新報・朝刊【文化面】『微風旋風』
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07/02執筆陣紹介
07/11、08/08、09/05、
10/03、10/31、11/28、12/26
(若合の担当は木曜日)

06/01(土)18:35 新宿で薫と映画『ソウル』を観た後、沖縄料理

『CLASSY 7月号』《BOOKS》欄に、
『無花果日誌』を大きく取り上げて戴きました。
女優:国分佐智子さんの感想文です。
共感を持って戴けたようで嬉しいです。


【2002年の仕事・上半期】


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