若合春侑の仕事・身邊雜記
2002年上半期
05/31(金)午前中、河北新報『旋風微風』の初回、自己紹介を兼ねたエッセイを書く。統一テーマ『今、世の中で不安に思うこと』(原稿用紙1枚、今回のみ手書き)
05/30(木)未明、『月刊 東京人 8月号』(7/3発売)エッセイ『東京は、まんべんなく、明るい』脱稿→送信
河北新報での連載コラム『旋風微風』に関する詳細が速達で届きました。掲載は7/2or4からです。8名のコラム陣の中で、おや、女性は私だけ?05/27(月)15:00『月刊 東京人』編集部Kさんとお会いする。Kさんは、10日程前に丁寧で達筆な手紙をくださって、内容もさる事ながら、その流麗な文字から年輩の方かと想像していたのだけれども、今年27歳の好青年でした。(エッセイ:原稿用紙3枚、6/7締切)
18:00角川書店主催の某授賞パーティー(東京会館)→K女史&M氏に銀座で御馳走になりました。K女史が『蜻蛉』の扇子をプレゼントしてくださった。すごくセンスのいい扇子で(これは駄洒落ではないです)使うのが勿体ないくらい!
『週刊女性 5/28号』【編集部が太鼓判!選りすぐりの4冊】での《今週のイチオシ》に『無花果日誌』を、『月刊PLAY BOY 6月号』【Reading Journal 駒沢敏器の読書日記】の中で『無花果日誌』を取り上げて戴き、K女史がそのコピーを持って来てくださった。
『週刊女性』では『腦病院へまゐります。』が出た時にインタビューに来てくださった事があり、その時の副編集長が若合を覚えていてくださったのかしらと思えば嬉しく、あちこちで『無花果日誌』を取り上げて戴いて、有り難くて、有り難くて、という気持ちでおります。新宿:紀伊国屋書店では、私が書いたPOPの右上に『書評等で話題沸騰中!』なんて加えてあり、さらにたくさんの方々が読んでくださいますように、と祈っています(私自身は、と言えば、いまだに推敲中。自画自賛になってしまうのだけど、何度、自分で読み返しても飽きず、読む度に笑ってしまい、読む度に直したい箇所が出て来てしまう、といったところ)05/24(金)19:00謎の会合の為、新潮社へI氏をお迎えに行く→神楽坂の小料理屋→新宿『K』。翌日の日程上I氏は零時頃お帰りになり、私は朝4:00過ぎPさんと帰宅。(この頃、30時間起きっぱなしで出掛けたりするので、その反動からか30時間以上、眠っていたりします。当然、時々は目を覚ますのですが。眠り続ける体力があるうちは、まだ若輩なのかな、なんて思う)
05/22(水)『婦人公論6/7号』【カルチャーセレクション】に『無花果日誌』の書評を取り上げて戴きました。詩人:白石公子さんの筆です。間接的にしか存じ上げないけれども、白石さんがセレクトしてくださったとのことで、しみじみ嬉しいです。いつかお目にかかりたいです、白石さん。
05/21(火)23:00玄月氏から電話で「今、『K』にいるから、おいでよ」と誘われて、喜び勇んで支度を整え出掛けたら、地下鉄工事による渋滞に遭って苛つく。駆け足で『K』へ行ったのに玄月氏は1時間程で帰ってしまい、私は群像Y氏と3時迄お話して、帰りはY氏に送って戴く。
05/20(月)早朝、『(仮題)疾風の足跡』第一部脱稿→中公N氏に送信。15:00『安井寿磨子展』(京橋)
05/17(金)16:00実業之日本社T氏と来年の打ち合わせ19:00某区の沖縄料理屋さんで池上永一さんの全快祝い+朝日:小山内記者+手彩銅版画家:安井寿磨子さん→泡盛を飲み過ぎて、大失敗→朝6時頃、帰宅→半死体となって昏睡。
05/15(水)17:30バスに乗り新宿伊勢丹へ行って大急ぎでワンピースを買い、はや足で総武線に乗り19:00飯田橋。角川K女史からサハリン土産を戴く。韓国料理店。角川T女史&好青年O氏合流。23時過ぎ散会。
05/13(月)徹夜明けの午前中、自転車で高田馬場へ。部屋に籠って書くばかりで用を足す事をしていなかったので、一気に行動。郵便局、新聞販売所、銀行。帰路、『甘泉園』の和風庭園を散策して、隣接する《日本稲荷古社の随一》と案内書に明記している水稲荷神社へ。今が旬の蕗を買って帰り、煮る。
05/05(日)『毎日新聞』【読書欄】《批評と紹介》に『無花果日誌』の書評を掲載して戴きました。渡辺保氏による5段組!こんなに大きく取り上げて戴いて・・・!心底、嬉しいです。
05/04(土)元家族、上京。お散歩がてら『永青文庫』で近代工芸を、『講談社野間記念館』で河合玉堂を鑑賞して、カテドラル教会へ→翌5日午後、『江戸東京博物館』の常設展→両国の蕎麦屋『玉屋』で天麩羅を肴に酒。偶然入った蕎麦屋だったのだけど、なにもかも美味しかった→カラオケ(薫と元家族に英語の歌ばかり歌わせたら薫のほうが上手かった)→元家族、最終の新幹線にギリギリで間に合い、帰って行った。
4日の夜、薫が携帯電話で『イムジン河』のメロディをダウンロードしていたので、早速、ネット検索してRealPlayerで聴く。1968年に発売中止になったこの歌、元家族は「政治思想の歌だね」、薫は「へえ、そうなの?いい歌だなあと思ってさ」、私は「文語調の歌詞がいいねえ」なんて言いながら何度も繰り返し聴いた。♪ イムジン河 水 清く 滔々と流る
水鳥 自由に 群がり飛び交うよ
我が祖国 南の地 おもいは遥か
イムジン河 水 清く 滔々と流るいい歌は、いい。確かに政治的背景があってこそ祖国を離れざるを得なかったにしても叙情的な郷愁の歌だと思えるし、原作者が政治的メッセージを込めたとしたら別だけれど、政治を強く意識して生きていない者にも共有出来る歌だと思う。けれども、万葉集の以前から政治と詩歌は切り離せないものだったと気付けば、無自覚であれ、直接、間接、政治と関わってしか人間は生きられないのだ、と眉間に皺寄せ、項垂れてしまう。戦争を知らない子供たち世代の私は、声高に叫んだり演説したりしないものの、自分なりに歴史や戦争について、調べ、考え、感じては来た。最近、有識者が国に対して切実に訴えているのも知っている。昨年9月のN.Yでのテロは父逝去の翌日で、泣き腫らした目で延々とテレビを見続けた。留守中に溜ったテロ報道の新聞を今も捨てられないでいる。幼児虐待や、はしたなくえげつない殺人にしても、にんげんの歴史上、おぞましい事件が絶えた時期はなく、にんげんの悪魔的な要素が露呈された報道に身震いが止まらない事もしばしばある。それにしても、加藤和彦は、天才。ちなみに私は医学生:北山修のファンだった。中二の時に愛読した『さすらいびとの子守唄』『戦争を知らない子供たち』(ともに角川文庫)を薫に勧めたら「今は、いいや」と断られた。予備校生の頭の中は隙間が少ないものね。
05/02(木)12:00神戸の友人と月島でもんじゃ焼きを食べる→銀座は、お祭り→交通会館最上階、回転するレストランで夜になる迄、お喋り。何回転したことやら。
05/01(水)『BRI○ 6月号』発売【著者にきく】インタビュー掲載
新潮文庫『続百鬼園随筆』発売【解説】を書かせて戴いております。
04/29(月)『しんぶん赤旗』【読書】《ほんだな》に『無花果日誌』の書評を掲載して戴きました。事前連絡なしで掲載紙が届いたので驚いたのでしたが「ですます調」の文章に好感を抱きました。他の新聞との違いは、と全体を拝読したところ、例えば投稿欄。一般紙であれば、賛否両論、幅広く多様な意見を求めるところを『戦争国家法案、絶対反対です!』と断言しており、当然ながら新聞自体の明確な主義主張を全面に提示するという点で違う。小学2〜4年の担任が共産党員だった事(戦争反対を訴えて焼身自殺をした僧侶の写真を見せてくれたり、ベトナムの少年の手記『ユンボギの日記』を貸してくれたり。この先生は作文の楽しさを教えてくれた)、高校時代、民青の人達とフォークソングを唄っていた事、薫を出産したのが共産党の病院だった事、共産党に関係する人などを思い出した。
最近、本名ではなく筆名宛で面識のないキリスト者から冊子が届いたり、内閣府編集の政府広報誌が届いたりする。小説の中で主人公にキリスト教批判をさせているので敬虔なキリスト者から穏便に諌められている気がするし、また政治に関心を持つように促されている気がして来る。私は大杉榮のような無政府主義の男が好きで(いや、無政府主義者が好きなのではなく、大杉榮が好きなのだ)、キリスト教に限らず《人々の祈りの場所》へ出掛けるのも好きだけれども、小説以外で社会に対して物申す資格は今のところ持っておらず、単一の宗教や主義に収まるにはお勉強が足りない。おおいに興味を持っている宗教(仏教、キリスト教、新興宗教の類いではない)はあって、経済と時間と脳味噌と体力が許されるなら学問+資格取得のために学びたいと思ってはいるのだけれど。04/19(金)『毎日新聞・夕刊』インタビュー掲載
18:30庄司薫氏&讀賣:鵜飼記者の合同御誕生会。庄司薫&中村紘子邸へ。中村紘子さんの料理の腕前は一流料理人そのもの。空間、酒、料理、話題、なにもかもが素晴らしく、どんなに努力や背伸びをしたって近付くことは不可能で、真似ることさえ絶対に無理だと思えた。なんというか、御夫妻とも人物の品格が全然違う。高貴でありながら傍にいる者を圧倒させない上品な優しさに満ちておられるのだ。深夜1:30散会。飲んで食べ散らかしたままのテーブルをどなたが片付けるのかを考えれば申し訳なく、しかし、完璧な御接待を戴いた上にお土産(その場でプリントしてくださった集合写真、ダイニングルームでの演出に使われた風船)を戴き、雲の上へお邪魔して、夢に漂い、地に降りたような軽い目眩のままタクシー→2:00前、讀賣:鵜飼記者、朝日O氏と新宿『K』へ。何時頃だったか、島田センセ、玄月氏、竹山聖氏登場。玄月、竹山両氏とは初対面だったけれど、おふたりともかなりの好人物。島田センセと手打ちが済んで、めでたし。あ〜、面白かった。朝7時前、ウチの近所のPさんと一緒に帰宅。通算14時間、眠る(私の場合、お酒を飲んだ時間とその後の睡眠が、同じ長さかそれ以上になる、という事に気付いた)04/14(日)14:30『中村紘子スプリングコンサート』(神奈川県民ホール)讀賣・鵜飼記者の案内で、庄司薫氏&中村紘子氏に御挨拶。愚息:薫の名は『薫くんシリーズ』の庄司薫氏から拝借したもので、『白鳥の歌なんか聞こえない』こそ、中学2年の時、私が生まれて初めて自分の意思で購入した日本人作家の単行本。愚息:薫も庄司薫氏のファンなので同伴させたところ、中村氏の演奏にかなりの刺激を受け「大学に受かってオーケストラに入りたい」「今すぐヴァイオリンを弾きたい」を連発。薫は今週から晴れて国公立医系コースの予備校生。解散後、山下公園や横浜市内を散策して帰宅。
04/13(土)16:00毎日新聞:有本記者来宅
04/08(月)(アナザーベイビー・ブック:犬に関する絵本仕立ての読み物)『帰っておいで、ペロ』脱稿→送信
04/05(金)『シティリビング』【book】に『無花果日誌』の書評を掲載して戴きました。
04/03(水)14:00『BRIO』インタビュー(角川書店の社屋や会議室をお借りしました)→飯田橋から途中で2回も休憩をとりながら神保町まで歩く→岩波ホールで映画『平塚らいてうの生涯』
04/01(月)『文藝 夏号』発売【島田雅彦特集】『対談による島田雅彦全冊レヴュ−の試み×大辻都』掲載
03/31(日)『産經新聞』【本・BOOK】に『無花果日誌』の書評を掲載して戴きました。03/27(水)雨の中、紙舗→下町風俗資料館→『プラド美術館展』国立西洋美術館→上野動物園→夕食後、友人は秋田へ帰って行った。
03/26(火)『白貂を抱く貴婦人』横浜美術館→中華街
03/25(月)秋田の友人、来宅→芭蕉庵→カテドラル教会→椿山荘→田中真紀子邸門前→神田川沿いの桜見物03/25(月)『河北新報・朝刊』【読書文化面】に『無花果日誌』を取り上げて戴きました。
03/22(金)『小説現代4月号』発売『田淵安一訪問記』掲載
03/22(金)『讀賣新聞・夕刊』【文化面】『新鋭気鋭』インタビュー掲載。田舎の祖母、母、大喜び!03/19(火)14:00〜角川K女史と書店巡り3→お茶の水→神保町→日本橋
03/17(日)なんとお粗末な事に、POPに書かせて戴いた書名を間違えた。『無花果』を『無果花』と書いた愚かな私。作家って、ふつー、自分の書いた本の題名を間違えるか?ったく。「むかか」「むかか」と薫が言うもんだから、と息子のせいにしちゃイケナイんだけど。その間違いに気付いたのは、池袋での2件目。新宿へ二日続けて行ったのは差し替えのため。八重洲のも訂正させて戴こうと単独で出掛けたところ、ふたつのうち、ひとつは正しく書いていた。不思議に頭の悪い私。でも、帯に『サイン本』と巻かれた本が残り1冊になっていて、吼えたいくらいに感激しました。ひとりで2冊も買って行かれた方がいらしたと聞き、有り難くて、涙が出そうです。ありがとうございます、本屋さん、そして読者のみなさま。この感激、忘れません。
15:30薫、八重洲に到着。上野動物園へ行こう!と移動したら既に閉門。薫が3歳の頃、パンダを見せてあげようとしたのに休園日で、それ以来、薫は小学校の遠足で入ったものの、私は門の前を通り過ぎるだけ。「あ〜ぁ、うっちゃん(=私の事。薫は私を属性では呼んでいない)よっぽど縁がないんだねぇ、ダンパさんもいないし、まっいいか!」と薫。ダンパさん=パンダは4月帰国予定だそうな。東照宮、五條天神社にお詣りした後、不忍池で足漕ぎボートに乗る。二部咲きの桜と黄緑の枝垂れ柳が美しい上野。体力漲る18歳男子、漕ぐ!漕ぐ!岸にボートを寄せる車庫入れ(?)がうまく出来て、係員のおじいさんに「べり〜ぐ〜っど〜」と褒められたし、五條天で大吉が出てよかったね、薫。愉しかったなぁ!いつかきっと上野動物園初体験を済ませたい。03/16(土)13:35〜角川K女史と書店巡り2→池袋→新宿→渋谷
03/15(金)13:40〜角川K女史と書店巡り1→八重洲→新宿
生まれて初めての書店巡り。『署名入り本』というものを本屋さんで販売しているのはごく一部だと思っていたので、都内有名大手書店に自分がサインした本を置いて戴くなんて、感激です。本屋さんの迅速で丁寧な対応、謙虚さ、勤勉さには、ほんとうに頭がさがります。書いて来て、本を出して戴けて、よかったなぁ、としみじみ思いました。本屋さんの棚に自著が3冊並んでいた光景を見た時には全身の皮膚が縮むくらいに嬉しかった。しかしながら、Yahooのネット書店では『腦病院へまゐります。』が在庫切れで取扱い不能になってしまいました。増刷の予定もないので、このままだと絶版になってしまうのかな。都内大手書店で私が『腦病院〜』を確認したのは今のところ2店鋪のみ)→解散後、久し振りに伊勢丹で洋服と鞄を買う→「K」へ。そろそろ帰ろうと思った時刻、ふらりと讀賣:鵜飼記者登場。結局、5:00まで飲んでしまった。03/11(月)出掛ける前から酷かった鬱が悪化。大浦天守堂の資料室で涙を堪えるのが精一杯だったため原爆記念館へは敢えて足を延ばしませんでした。長崎に関しては、思うこと、感じたことがたくさんありますが、ここでは書かないことにします。
03/10(日)11:30長崎発:白いかもめ号→博多駅で再び同系列の回転寿司屋→空港が混んでいるとかで離陸が遅れ16:45過ぎ福岡発→18:15羽田着→飯田橋で薫と待ち合わせて夕食
03/09(土)出島→遊覧船→出島ワーフで昼食→オランダ坂→東山手洋風住宅群→孔子廟→旧香港上海銀行記念館→大浦天守堂→旧羅典神学校→グラバー園内のすべての住宅→出島ワーフに戻って夕食
03/08(金)白いかもめ号で有明海を左手にみながら長崎へ→出島のホテル→西洋館で無料解放のインターネット→八坂神社→新地中華街
03/07(木)5:30起床→9:30羽田発→11:30?福岡着→博多駅で回転寿司を食べたらおいしかった→博多駅近くのホテル→北九州市立美術館『田淵安一展』→田淵先生御夫妻に再び御馳走になってしまいました→讀賣:鵜飼記者お勧めの屋台へ→泥酔
03/06(水)角川K女史と書店巡りをするはずだったのに、体調を崩して一日中眠る。
03/05(火)15:00讀賣新聞・鵜飼記者来宅
18:00文藝編集部+大辻都来宅03/04(月)朝9時前、『小説現代4月号』【(仮)鎌倉訪問記】脱稿→送信。すこし眠った後、買い物&来客。原稿の直し部分がファックスで届き、訂正後、送信。
03/02(土)19:30〜19:55 FM東京『土曜日のモナリザ』(80.0MHz)に出演。
03/01(金)『本の旅人3月号』発売【著者インタビュー】掲載
目白台図書館へ百鬼園先生関係本を返しに行ったついでに、新江戸川公園へ。
2/28(木)
『無花果日誌』(角川書店)発売!02/28(木)『あなたの本棚』書き直し終了→送信
02/26(火)19:00新潮社へ。『続百鬼園随筆』解説ゲラ・チェック→I氏による『神楽坂驚天動地豪華絢爛酒池肉林大宴会』。ほんとうに驚天動地かつ豪華絢爛でした。
02/22(金)『無花果日誌』の刷り見本が届き、涙ぐむ。嬉しくて!
02/21(木)映画『THE LORD OF THE RINGS』(原作『指輪物語』)プレミア試写会。いやはや、芸能人がたくさんいて驚いた!2階の指定席で映画を観たのも初めてで、舞台挨拶だの、テレビカメラだの、まるでワイドショーで観るような世界。かつて観た事のない壮大さで、最後は涙を拭うのが大変。大ヒットするでしょうけれど、必見!(with角川K女史)
02/20(水)16:30帝国劇場:久世光彦先生演出の芝居『憎いあんちくしょう』。帝国劇場で東京観光をした気分。(with角川M氏+K女史)
02/19(火)16:00 FM東京 角川書店提供『土曜日のモナリザ』収録(with角川K女史)→パーソナリティーの松本ともこさん始めスタッフの方々が温かく、なごやかに収録出来ましたが、緊張し過ぎて笑いが止まらず、支離滅裂になったところあり。
02/17(日)14:45鎌倉:田淵安一画伯インタビュー(with担当N氏+カメラマン氏)田淵先生の豊かで興味深いお話を沢山伺えた上、奥様にはケーキやコーヒーから始まって、お酒、食事まで御馳走になり、帰りのタクシーにまで御配慮を戴き、何と言っていいやら、感激を通り越して申し訳ない気持ちになりました。ほんとうに素敵な素晴らしい御夫婦でした。御礼にもならないけれども、3/4〜24まで北九州市立美術館で開催される『田淵安一展』へ行こうと決心。3/22発売の『小説現代4月号』にレポート(20枚・3/4締切)を書きます。
02/15(金)朝9:00過ぎ『続百鬼園随筆』の解説を脱稿→送信。うまく書けたかどうか不安でたまらず、しかしながら、ここ2週間以上『百鬼園ワールド』に嵌り、資料が脳味噌から溢れ出すどころか沸騰した状態だったので、解放された気分でプールへ行ったら風邪をひいた。内容にOKを戴いて、安堵のあまり、ぶっ倒れた感じ。
02/13(水)11:00お茶の水・ガーデンパレスで神戸の友人と会って昼食後、友人は会議、私は神保町へ。
『内田百間全集』を探すものの10万もする福武書店版しかなく、『大杉榮全集』で世話になったA書房に講談社版を探して連絡してくれるように依頼。冊数が違うせいか講談社版は3万円。亡くなられた直後に出た全集で、内容も絶対に講談社版のほうが好いに決まっていると強い思い入れがあるから、絶対に入手したい。(この日、A書房から電話あり。来月にも見つかるはず、との事)
Y書店で『内田百間関係本』数冊と『大杉榮他の死因鑑定書』を購入。1万円を出してお釣がほんの少しだった。そのY書店のおじさんに「図書新聞だったか読書人だったかにコラムを書いてたでしょう?」と尋ねられ、吃驚!!「内容が印象的だったし、どこかで見た事のある顔だと思った」って。ひゃぁ〜!1999年『11/19号週刊読書人』に掲載された『「自分などない」と説く『あなたという存在』』を覚えていらっしゃるとは!赤面しつつ退散。都バスの一日乗車券を利用してバスを乗り継ぎ、17:30講談社へ。『小説現代』のN氏にお貸しする田淵画伯が映っているビデオを守衛室に預けて帰宅。
02/10(日)朝、元家族、上京→確定申告の書類を整えてもらう→薫と元家族の3人で九段下→秋葉原(レコード針を買う)→薫の案内で昭和通りの古ぼけた汚く小さな中華料理屋へ(紹興酒を飲みつつ食事。やたら美味しかった!)→東京駅八重洲口の居酒屋→23:00、深夜急行バスで帰る元家族を薫と見送る。「深夜バスの見送りは悲しいね」と薫。さよならと手を振っているウチに、出征兵士を見送る訳でもないのに、涙、涙。
02/07(木)『群像3月号』発売【随筆】『お怒り様、御降臨』掲載
17:00文京区立真砂図書館へ。内田百間先生の資料を探す。昭和46年〜発行された『内田百間全集』(講談社)は無く、残念。(真砂図書館は文京区の中央図書館という事で出掛けたのだけど、拙著も無かった。しかし、検索してみたら、森鴎外記念図書館始め7箇所に『腦病院へまゐります。』が、6箇所に『世間樣かくありき』があると分かり、安心。ウチから一番近い図書館のほうが文学系の書物が多いという事も分かったのだった)
01/30(水)14:00愚息・薫、2度目の手術。今回は局部麻酔で入院不要とのこと→学校へ行って先生方に御挨拶
01/29(火)16:00新潮社I氏とお目にかかる。新潮文庫『続百鬼園随筆』の解説を承りました。(原稿用紙10枚、2/15締切)
01/24(木)11:30角川書店へ。ゲラ持参&打ち合わせ後、昼食を御馳走になりました。
今年12月、
『鳩よ!』で連載させて戴いた『蜉蝣』を
角川書店から出版して戴く事になりました。このところ、
『無花果日誌』のゲラ校正をしたり、
『春木屋の倅』を起筆したり、
『あなたの本棚』を推敲したり、
健康的かつ精力的に仕事にいそしんでいます。ほぼ毎日、プールへ行っていて、
ものすごく体調がよく、
泳いでいる時に無心になれるのが、最高によいです。
スチームサウナの熱気地獄で辛抱しているせいか、
根性もついて来たみたい。
お陰で、お肌、つるつるです。
脳味噌がつるつるになるんじゃ、困るけど。01/21(月)20:30角川K女史&好青年O氏、来宅。久々に八宝菜を作ったら失敗!料理の腕が落ちた事を自覚し、がっくり。鶏レバーの大蒜生姜煮や烏賊の塩辛は、普段、しょっちゅう作っているだけに、まずまず、おいしい(自画自賛)んだけどなぁ。
01/18(金)15:00角川書店『本の旅人』インタビュー
01/16(水)20:30近所のスポーツクラブに入会(火〜土20:30〜22:30プールとサウナのみのアクアナイト会員。入会金0円で月3000円は格安。今年の夏には、デブなんて、もう誰にも言わせないから〜!)
01/12(土)『群像3月号』随筆『お怒り様、御降臨』脱稿→送信
01/08(火)15:00文京区シビックセンターで薫と用事を済ませてお茶した後、ひとりで小石川『福聚院』へ行く。奇しくも『初子(はつね)』という年初めのお祭り日だそうで、別当(=僧職)らしき方が話し掛けて来られ、『福聚院』の『大黒天』について(ここの大黒天は、福袋の他、打出の小槌ではなく如意棒を持っている)教えてくださった上、『三寳暦』をくださった。『大黒天神経』『大黒天御影』『数珠』『御守』を購入。
『お神籤』は「第二十九番吉」と出て、
「この人はこれまで うもれぎの如く世に知られず、いろいろの苦らうをして来たけれど、これよりおいおい運開けて 時とところにしたごうて 幸を得べし」なんて書いてある。グッと来ちゃうじゃないの、まったく。「憂轗漸消融」ゆうかん ようやく しようゆうし=としつき つもる心のうれいも ようようにきえうせて
「求名得再通」なをもとむるに ふたヽびつうずることをえたり=みをたて 名をしられんと おもうこころざしの つうずるなり
「宝財臨禄位」ほうざい ろくいにのぞむ=ざいほうはいうにおよばず 知行位をのぞまば奉公すべし
「当遇主人公」まさに しゆじんこうにあうべし=よきしゆじんにおうて とりたてられ しあわせよしとなり帰宅後、『大黒天御影』を台所の西壁に(東向き)に飾る。
ちなみに何故、大黒天へ出掛けたかというと、昨年末、とある方に「若合さんの中に大黒様が見えるんだけど」なんて言われたからなのでした。ほんとかなあ。信じてみる!
【大黒天真言】 口奄 摩 訶 伽 羅 耶 娑 婆 訶
(口へん+奄)
おん ま か きゃ ら や そ わ か01/07(月)16:00過ぎ、角川書店へ。『無花果日誌』ゲラのお届け&タイトル変更について相談→2階の編集部へお邪魔して角川書店の皆様とお会いする。活気に満ちた戦場のような空間に、膝がわらう程に緊張してしまい、汗びっしょり。
01/04(金)午後、薫と渋谷へ。ふたりとも携帯電話を番号もろとも変える。(携帯電話の番号が変わりました!)
01/02(水)深夜、帰京
01/01(火)『本の旅人1月号』発売『無花果日誌(最終回)〜謹賀新年。真正面の彼方に在るものは〜』掲載
【2001年の仕事・下半期】
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