1980年5月15日 大阪フェスティバルホール2階
 
             

 動く映像は1978年8月5日放送のヤングミュージックショーを観ているが、生ブラックモアは今日がデビューの日だ。が、まずもって大雨で足グチャグチャ!おまけに雨を避けるために梅田からフェスティバルホールまで地下街で行ってやろうと思ったら、道に迷って開演ギリギリに着いた。やばいと一瞬思ったけど始まったのは前座だった。ホッ・・中学時代のクラスメートと急遽行くことにした上、公衆電話から予約したためA席しか取れなかったので双眼鏡を用意してきた。期待していた虹のセットが見当たらない・・・パウエルのドラムがYAMAHAに変わってる・・・。

           
           高校生のときの日記←を発見し確認したところ、三宮ではなく、保津峡だった。記憶違いもええとこ。
 
 ドロシー少女のオーバーザレインボーが流れるがイントロが始まらない。Eyes Of The World(←音源は5.13大阪をコピー)のイントロなのだが、音が回ってリアルタイム中はよくわからず、随分暗転のまま時間が過ぎ、突然マグネシウムが爆発。ブート盤にはボン!って音まで入っている。
 カルチャーショック!完全にミュージシャンとしてのファンからアーティスト・カリスマとしてのファンになってしまった。ブラックモア以外のアーティストへの興味は完全に払拭されてしまった。

  

 爆発と同時にステージの前まで出てきて、トリルしながら最前列の観客とタッチを交わしている。華麗なアクションにてEyes Of The Worldの演奏が進む。その後も所狭しと動き廻り、這いつくばって最前列の聴衆と握手の大サービス、ニコニコ笑顔も連発している。軽音部の先輩も大阪3日間のいずれかを観戦したらしく「リッチーって静々弾くタイプやと思ってたのに、あそこまでパフォーマンスするとは思わへんかたわ!」との弁であったことから、個人的な感想に留まらない聴衆全体の印象も同様だったのではないかと思う。
 プレイに関して率直に思ったのは、メロがどうのこうのなんかはリアルタイムではよく判らず、双眼鏡を通して視覚的にまずオルタネイトしてへんがな!教本の嘘つき!が第一印象である。
 アンコール一発目のAll Night Longではイントロをじらしてなかなか弾き出さない。そのうちSmoke On The Waterのイントロを弾いて、すぐに「やらないよ。冗談!」って意地悪な笑みを浮かべながらゼスチャーして、聴衆がどよどよってざわめく・・・引き続きBlues & Will You Love Me Tommorowと続き、最後のKill The KingギタークラッシュはPAの上に登っての破壊だ。とにかくライブ中、90%はブラックモアを観ていたと思う。他のメンバーの映像は記憶に全く無い状況だ。
 15歳の小僧は完全にノックアウトされてしまい、アドレナリンが脳内から分泌されまくっていたことだろう。この日のライブは友人が小型テープレコーダーで録音していたけれど、音は最悪だった。10年後にブートCDを手に入れ、今はなつかしくいい音で聴いている。しかし、Live In Japan、On Stage等の音源からは想像できないご機嫌ノリノリなパフォーマンスアクションである。
 
 
 ギターテクニックよりアクション・ポーズの格好良さに酔いしれたステージであった。実際この80年代前半頃、特にDown To Earth Tourのステージアクションは一番カッコよい。70年代前半頃が一番派手だけど、やんちゃ小僧といった感じ。渋さが増す華麗な35歳時のアクションにノックアウトされた。DonnintonのライブビデオEyes Of The World、All Night Long、Catch The Rainbowあたりの動きは正しくこの日の動きに通じるものがあり、見るたび当時の感動が思い出される。他のロックギタリストのステージアクションが、すべてダサく感じてしまうほど感銘した。
 
 この日のコンサートには同級生が他にも複数いたらしく、仲間内ではこの日のライブは[追加公演]という呼び名で後々まで回想されることとなる。この日以降ブラックモアのようにギターを弾いてみたいという欲求(聴くだけでは気持ちが収まらない)が芽生え、それまでせいぜい1時間の練習量が、平日は家へすっ飛んで帰り2〜4時間、休日は6〜8時間くらいひたすらコピーしまくってた。友達が遊びに行こうと誘いに来るのがうっとおしいくらいであった。

                                

1981年8月20日 大阪フェスティバルホール 1階
 
            

 前日のマイケルシェンカーのライブに引き続いてのフェスティバルホールだが、今にして思えばなんでレインボーを2日間見なかったんだろう。金がなかったのなら、マイケルシェンカーをパスすりゃ良かったのに・・・シェンカーのコンサートは耳がつぶれるくらいうるさかった。勘弁してくれよ〜。

              

 チケット発売日に、ウドー音楽事務所の前で整理番号59番の見ず知らずの奴に頼み込んで(ちなみに自分のは709番と絶望的な番号だった。)、前から4列目(日記により勘違いであること判明6列目が正解)の席をゲット。(↓下図の差し位置より2席後列)跡にも先にもこの日が一番近くでブラックモアを観察することができた日だ。(推定約10m)
 フェスティバルホールは観客席に対し緩いカーブ曲線舞台で、通常最前列の聴衆が全員メンバーを目前で堪能できるところ、1978年札幌事故の影響か、半楕円部分の舞台が撤去され、最前列の聴衆もタッチは不可能な典型的ロックコンサートスタイルを採用していた。ただ去年は左右に一部残された部分があったが、今年はすべて取り払われ、去年のようにブラックモアと最前列観客との握手やタッチは期待できそうにない。舞台が取り払われた半楕円部分は、ウドーの係員及びマスコミのカメラマン等が姿勢を低くして潜んでいた。

        
 
 さて、ステージはすんなりOver The Rainbowのイントロで始まる。1曲目は何だろう。おっSpotlight Kidか。曲中のリフから始めてる。ボーカルがインしたとたんBmのコードカッティングなんか無視して、膝付逆手ノイズフィンガリングandセレクタースイッチ奏法の連発だ!
 前列にいる二人組みが長髪振り乱してヘッドバンキングでノリまくってるけど、ステージなんか全然見ていない。せっかく前の方にいるのに勿体無い奴らだ。オレはというと、心は熱く、頭は冷静にブラックモアの一挙手一投足を盗み見る。オレも異常かな・・・とにかくブラックモアの視界に十分入る距離なので、こちらに視線が来た時だけは思いっきりコブシを上げてノッテルふり。聴衆のノリが悪いといい演奏してくれない・・・なんて気持ちがあったけ。おそらく「その日の聴衆の反応により・・・」なんてインタビューを事前に読んで入知恵されてた影響のためだろう。

   

 Man On The Silver Mountainでは、得意のターンダンスにて中間部のシングルバッキングをハンマリングオンで演奏している。彼のライブを模倣する時、「らしさ」を演出するポイントにノーピッキングフレーズを盛り込むのは必須だ。そして同曲ラストでモニタースクラッチが出たが、前列過ぎて見えないため、椅子の上に立ったら係員がすぐに飛んできて押さえつけるように降ろされた。1978年の札幌で死者が出てから警備はうるさなったんやなぁ。
 Catch The Rainbowの前奏をブラックモアが静かに弾いていたが、声援がうるさくシーってされた。この前奏は気に入って完コピ後、暫く弾いてた。今でも所々まだ弾くことができるので、当時相当繰り返し弾いていたと思われる。


 
 アンコールではSmoke On The Waterが演奏された。初めての生Smoke On 〜だけど、リッチー先生2番あたりでチューニングが凄まじく狂い、一生懸命ペグを調節するが鳴り響く3弦開放G音は安定しない。たまらずバックステージに戻ってしまい、ソロに間に合わず代わりにエイリーがキーホードソロを弾いていた。
 またいっしょにライブに行った友人が録音したテープをダビングして聴き返してみると、Spotlight Kidエイリーのソロ後のオルタネイト決めフレーズでタイムを見失ったらしく、ウラでフレーズを弾き始めたため、なんとか立て直そうと試みるが、結局ボーカルパート直前のF♯の分散ピッキングまで弾けずじまいな様子が収められていた。後年手に入れたブートでも同様の様子が収められており、タイム感の悪さが露呈してしまうカリスマだが、純粋なミュージシャンにはあってはならない出来事も、アーティスト肌を彷彿させるブラックモアのプレイの前では、親近感を抱かされる貴重なテイクと感じてしまう私でした。
 後年判明した事実は・・・キーボードソロ終了におけるドラムのオカズ後、ロンディネリがスネアのタイミングを逆転させてしまったため、訳がわからなくなってしまったようである。ドラムのミスによる被害だったのに、2005.4.27にブートで徹底的に分析するまで24年間ブラックモアのミスだと思ってた。冤罪だった。スンマセン先生!
 ところが、2010.5.10に判明した最新の意外な事実とは・・・・・・高校時代の日記ではすでにロンディネリのミスを見破る内容が・・・経年するに従い、ミスの事実だけ記憶が残り、ブラックモアのミスだとどこかで記憶違いが起こったということであろう。うーん、言った言わないのトラブルが高度な人間関係で無くならないわけだ。記憶ってあてにならん!

 大阪初日とあってギター破壊はなし。やっぱりシェンカー見るより明日の最終日見たほうがよかったと未だに悔やんでいるが、当時は前年発売のMSGデビューアルバムがあまりにもメロディアスで素晴らしく、すべての楽曲完コピ(1弦22フレのチョークが多く、21フレしかないストラトでテンションの高い1弦を無理やりD音まで出して指が痛かった記憶が・・弦も0.09だとよく切れた。)したので確認がてら見逃すわけにはいかなかったのだろう。あまりに古い話で当時の心境は記憶なし。
   

 1982年10月13日 大阪フェスティバルホール 1階
 
             

 昨年の反省から、今回は2公演のチケットをゲットした。ということで中日のライブ・・・・どうしたんだろう?このノリの悪さは・・・無難に演奏はしているが、お地蔵さんのようにほとんど動かず定位置ポジションのまま。おまけに録音に失敗してしまい、この日の内容を後年のオレに届けることができなくなってしまった。オープニングはDeath Alley Driverかと予想してたのに、演奏自体されなかった。会場右側の一段高くなった袖部分に当時のフィアンセ?が椅子に座ってブラックモアを見守っていた。

        

 
 
 2002年10月11日夜、正に20年ぶりにこの日の模様を収めたブートを手に入れ高音質で聴くもまったくの初耳状態。印象に残るような派手なステージパフォーマンスも無かったことが、より記憶喪失に輪をかけているようだ。ただ、このブートCDの音源に私も参加していたのだという自己満足を得られはしたが・・・とりあえず足を運んだライブの音源はこれですべて揃った、と思ったら後述する91年6月24日武道館のコンサート後半のみ録音失敗してたんだっけ・・今後何とか手に入れて完成させねば・・・・(2021.9.18you tubeにビデオアッップされた!完遂だぜ!)。
  
既述のとおり人間の記憶なんていい加減で、ブラックモアがライトハンド奏法(当時は大仰に言上奉っていたが、現在は「タッピング奏法」と軽やかに呼称するらしい・・・この手の業界用語について管理人の知識は旧態依然80年代中頃で完全に停止しております。)をステージで演ったのは、この年のライブだとずっと思いこんであちこちで吹聴しまくっていたが、らいぶ・ぶらっくもあ執筆に伴い後述の1985年再結成Deep Purple武道館初日のカセットテープケースに入っていた日記を発見し、ライトハンドの事が記載されているのを読んで記憶違いだったことに気付いたという様である・・・・。日記を発見していなければ、永遠に1982年来日の大阪でライトハンド演ってたとホラを吹き続けていたところだった。ひょっとしたら他にも勘違いあるかも・・
 

 お気に入りのI Surrenderは一部オクターブ奏法のアプローチに”おっ”と思わせられるフレーズもあったが、指任せに速いだけのフレーズが多く、最終日と比較すると個人的に出来は下であると言わざるを得ない。が、あくまでベストの時と比較してのことで、自分は即興であれだけのメロディーを奏でる能力はなく、「エセ」アドリブか精々完コピするくらいが関の山である。
          

  1982年10月14日 大阪フェスティバルホール 1階
  
              

 今日はバンド仲間5人との観戦だ。初日にも足を運んだ奴によると、同様にノリは悪かったそうである。ヘイジョー、ジェスロタル(Rainbow Blues)、炎のランナーとBGMが続き、いよいよエルガーの威風堂々が流れ始める。
 場内が暗くなると、ドコドコとロンディネリがドラムの試し打ちを始め、威風堂々が盛大に終わると観客のボルテージは最高潮に達する。ブラックモアがエコー音を確認のため、1弦5フレA音を軽く試し弾きする。ドロシー少女のイントロが始まるが、エコーがオフになっていたため、フットスイッチを踏んだ後、今度は開放D音をスタッカートさせエコーのリピート音を再確認。Oever The Rainbowはいきなりエコーでスタートするため、大音量では掛かり具合がわからないので事前に試しているのであろう。さあ、いよいよ大阪最終日の開演だ。
 前日と打って変わってノリノリのステージが展開され、激しいステージアクションの連発だ。I Surrenderのソロは数多く所有しているオフィシャル・ブート合わせた15・6テイクの中でも最高レベルのできで、後日テープ聴きなおして完コピしたくらいだ。よく即興で美しい感動マイナーメロディーが出てくるものだ・・・この頃は弾き流す後年のプレイとは違い、起承転結をかもし出す指癖が多い。またI Surrenderギターソロの終了を示す、ターナーとのユニゾンに入るタイミングを指示する右手の動きの格好よさ。今でも目に焼きついている。
 大切な自前録音の音源をアナログテープからCD−Rにコピー作業する際に改めて耳にしてみたが、本当にこの日のアドリブはどの曲も冴え渡っている。Tearin' Out My Heartも出だしのサイレントソロ、中間部のスライド、後半のアドリブ(テンポアップする導入部は絶品!)とどれも最高の出来だ。
 今日は2回目のアンコール、インストのKill The Kingでギターを破壊!その開催地での最終日に破壊することが多いようである。コンサートが終わったあとも録音は続いており、みんなの感想まで録音されていて非常になつかしい。当日オレは風邪をひいていたらしく、「あした学校休むわ」なんて会話まで入ってた。

     

 余談だが来日前の文化祭ライブのセットリストにMiss Mistreatedを入れてたんだけど、当時のバンドでの練習を録音したテープ聴いてみたら、曲のスタートはキーボードからではなくメインの完全4度リフからMan On The Silver Mountainのようにアレンジし直しており、自分なりにレコード通りは演らないぞって想像しての行動のようだが、本家本元のブラックモアはレコード通りの出だしで、深読みし過ぎたかな・・・といった印象を感じながら、フェスティバルホールの中日に先生の演奏を堪能した記憶あり。
                           
 親父との確執を抱えていたオレは親元から脱出すべく、翌1983年3月高校卒業後、1週間も経過しないうちに東京へ脱兎の如く移住。(2007.6月神代植物公園に家族を連れて訪れたときに、武蔵境の当時住んでた武蔵野赤十字病院近くのボロアパートの前を車で通ってみたら、まだ残ってた。しかし居住してる人はいないようだったので、もうすぐ取り壊されるのだろう。2009.5.16ストリートビューで確認したら駐車場となっておりました・・・寂しい。よく行った近所の食堂、飲み屋、パン屋、弁当屋までなくなっていた。そして畑だったところは低層マンションだらけに。)


 1984年3月13日 日本武道館 1階スタンド
 
             

  東京に移住してから1年。初のブラックモア来日である。今回はたったの3公演か・・・武道館2公演のチケットを購入する。初日は大阪時代の友人といっしょに、生まれて初めての武道館のライブに挑む。ウキウキ・・・・あちゃーっ!S席なのにフェスティバルホールのA席より見えない。本当にがっかり。1階スタンド部分のため、2階スタンドが被さりステージをすっきりと見させてくれない。喜んでるのはコンサートプロモーターだけで、聴衆にとってはいい会場だとはとても思えない。もともと音楽用じゃないからしゃーないか。
 
 さてライブの方は、ここんところ続く定番のナンバーに新曲が絡んで来る構成だが、バーギーのドラムはペースが早い。曲のスピードが全体的にアップ気味だ。パウエルの頃のドッシリとしたペースと比べると、独楽鼠のように走ってる感じ・・・曲目は70's年代と比較すると倍近くで、1公演の時間も今までの90分構成から120分構成へと伸びており、違法録音のテープが底をつく寸前だった程だ。
 
 Miss Mistreatedではギターソロ後の完全4度メインリフを2小節程演奏を放棄し、ターナー若しくはグローバーを見据えながら右手を向けて、指差しアクションをしている映像が脳裏に残像として未だに強力に焼き付いている。テープを聴き返すとやはりそこではギターだけ鳴ってないので、記憶違いではなさそうだ。意味はよくわからない。単なるアクションなのか、指示をだしてたのか・・物理的な映像が残ってたら何度もプレイバックして検証できるんだけど。
 Cath The Rainbowは今回の来日3公演についてはすべてアレンジが異なる。11日の大阪では定番のフルセットでの演奏、今日は前半のソロ終了と同時にブラックモアの指示によりアンサンブルは中断、ギターとボーカルのみでギターソロ後のパートが進む。ターナーも「We believed ・・・ん?」とリズムに沿って一旦当惑しつつ歌ってしまうが、すぐにブラックモアの指示を受け、「We'd catch the rainbow〜」からはギター1本のバックに合わせたノービートの歌い方に変える。明日の最終日では皆さんビデオでご承知のとおり、後半のロングソロを省略した原曲に近い構成で演奏される。
 Difficult To Cureのサイレント独奏部はメッチャ長い。出だしの2分くらいはフィンガリングで、途中でエコーオン!その後はスライドバーで延々とベートーベンスケールが続く。ここで偉そうに「ヴァンヘイレンみたいなプレイよりこういうギターが好きやわ」というオレの友人に話し掛ける声が録音されている。ブラックモアの合図でアンサンブルに入るがそのままスライドプレイが続く。ん・・・なんかストリングスの音がやけに生々しい。ローゼンタルのキーボードにしては・・・第9の導入フレーズが流れると、明らかにオーケストラの音。こ、これは・・スクリーンが外れると後方上段にストリングスオーケストラが・・・・鳥肌が立っていた。
 録音してたテープには「やったね!」というオレの感嘆の叫びが残っている。しっかしこの日のライブは前述した通り本当に長い。Bluesを演奏し始めたところで、またオレの「めっちゃ長いやんけ!テープ無くなるて!」という嬉しい?悲鳴がまた録音されていた。ラストは昨年演奏されなかったDeath Alley Drive(←音源は翌14日のコピー)だ。バーギーのドラムはやたらペースが速くちょっと違和感のあるアレンジだった。                           

   

 1984年3月14日 日本武道館 アリーナ
 
             

 今日は一人での観戦だ。会場に入った途端ビデオカメラがあちこちにあるのを発見!ビデオでも発売するのか?アリーナといっても後方の方だし、あまりよく見えない。おまけにスタンドとは比べ物にならない位係員が巡回しており、更に通路横の席なのでなんか嫌な予感・・・・
 ライブが始まるとカメラを乗せたクレーンが動き廻りちょっと不快。係員の数が多くひやひやしながら録音操作に気を使う。その動きが怪しかったか、とうとうStreet Of Dreamsのエンディング付近で係員に見破られてしまった。
 「何やってんだ!すぐに止めろ!」の声が録音されており、その数秒後にテープは無録音状態になっている。「個人的に愉しむだけなんすけどね」と言い訳するオレ。「規則だからだめだ。今度やってんの見つけたら没収するからな!」という捨て台詞を残して係員は消えていった。コンサート前に場内放送で本日はビデオの録画取りがある旨放送していたけど、しょうがない、今回の音源はオフィシャルになるようだからそれで間に合わそう。(個人的には前日のステージのギタープレイのほうに好印象を持っている。)後でビデオ観て思ったのだが、この日はそういえば季節外れの雪が降ってたんだなぁ・・・・・
 この時点で、この日がレインボーのラストコンサートになろうとは、会場内の誰もが思ってなかったことだろう。