新宿の高層ビル群の麓で東京公演のチケットすべてを購入するも、さすがにDeep Purpleはネームバリューがあるのか、全日2階スタンド席しかゲットできなかった。おまけに追加公演が最終日となるように組み込まれ、再度高層ビルの麓に並ばされることとなった。今回よりチケットがチケットぴあで作成された味気ないものとなり、今までのロゴが入ったりしてた方がよかったなぁ。
          
 1985年5月13日 日本武道館 2階スタンド                   
 
 この日の午前中に念願のFenderストラトキャスター('79〜'81年製と思われるホワイト.。)を吉祥寺のロックイン(当時はサンロード北出口近傍の五日市街道沿いにあった。)で18万円即金にて購入。現在もこのギターで大半の曲をコピー録音し続けているところだ。オープニングアクトはオレと同じ年の鈴木賢司とかいう奴だ。若干20歳で大したもんだ。今は何をしてんだろう?レーザー光線の飛び回る中トッカータとフーガが流れ、Highway Starの始まりだ。はっきり言って超感動!Live In Japanでの名曲が次から次へと再現されていくが、ブラックモアのギターフレーズは当時とは全く別物の様相を呈しており、また曲も小節数を減らした短目のアレンジとなっている。Highway Starの有名なキメフレーズをすんなり弾かないところなんかブラックモアらしい。それでもトレモロ部分が始まるとウォーという完成が揚る。
 Strange Kind Of Woman(コピー音源は'87年liveより)の前半ソロでは、スライドギターを聴かせてくれ、ここがスライドポジションだなとチェックを入れる。Knocking At Your Back Doorの後半でも延々とスライドギターが続く。(Rainbowの頃はMiss MistreatedCan't Happen Hereあたりだった。)Deep Purpleの曲になってもあのメロディアスプレイは捨てがたいのだろう。そのStrange Kind Of Womanの後半ソロあたりからノイズが混ざり始め、演奏が終わったところで、原因究明にかかる。ギランが必死に場をつなごうと喋ってるが、いかんせん英語は通じない。ブラックモアがタオルをギランに差し出す心配りに会場は盛り上がる。しかし、なかなか復旧しないためギランが「2 minutes」の声を残して一旦メンバーはバックステージに消えた。
 2分ということだったが、10分程場内は暗いままだった。場内アナウンスが再開を告げると、ブラックモアのチョッピングから格好よくBluesが始まる。中断が響いたため、Child In Timeはブラックモアの3連アルペジオ決めフレーズまでで、後半部分はカットとあいなった。
 Speace Truckin'のブラックモア単独ムチャ弾きソロは、レーザー光線に囲まれた上、PAからの音を左右に飛ばすなど圧巻だった。アンコールでは、いつもは遊びで終わってたWoman From Tokyoを演ってくれたのには少し感動。ブラックモアは巨大風船を観客席に向かって蹴り返している。
 次のBlack Nightのキーボードソロでは、ブラックモアをはじめ他のメンバーがロードの廻りを取り囲んで、敬意を払うアクションで演奏していた。2時間以上にも及ぶライブは盛大に幕を閉じたが、立ちっぱなしのため正直疲れた。何の曲であったかは忘れたが、ブラックモアがライトハンド奏法を冗談で数秒間披露していた。

                                     




 1985年5月14日 日本武道館 2階スタンド                     
 
 昨日に続き5時40分に入場する。左となりに30代の人が6・7歳くらいの子供と見に来ている。つまらなさそうに鈴木賢司バンドを見ていたが、案の定Diffcult To Cureの途中で帰ってしまった。ま、親の方は昔からのロックファンなので連れてきたんだろうが、子供にとっては・・・・退屈だろうな。あと、外人のヤンキー4人組みがコンサート中エキサイトしまくってて、ステージそっちのけで観客を煽ってた。米国人らしいが、ブラックモアがアメリカの聴衆は音楽を聴いてくれないとぼやくのが良くわかる。
 さて今日のリッチーは白のブーツにイエローライン(昨日はグリーン)が入った黒装束という格好だ。昨日はライブが一時中断したためChild In Timeの後半とジョンロードのソロがカットされていたが、今日は完全演奏だ。
 最近リッチーは年のせいか、大分押さえ気味になってきた。そう、今から5年前初めてリッチーを見たときは凄まじいアクションの連発だったのに、今日は更に押さえ気味(昨日も押さえ気味という印象だったのかな?)だったと思う。ギターを体から離すことがなく、タウラスに向かってスクラッチもやらない。
 Speace Truckin'のリッチー独演ムチャ弾きソロの際、昨日はレーザー光線に囲まれていたのに、今日はタダのスポットライトだった。(恐らく調子が悪かったのだろう)しかし、今日は本当に立っているのが辛くて、Diffcult To Cureあたりから最後まで座って観戦した。アンコール曲Smoke On The Waterの最後で、リッチーとロジャーがギターとベースを取り替えて演奏してコンサートは終わった。しいて言えばその最後だけしか印象が残らなかった。今までのライブでは一番ボルテージの下がったコンサートだった。ま、それでももう見たくないというわけではないが・・・照明が点くと一目散に武道館を出て、九段下駅へ向かった。人ゴミはとにかく嫌いだ。
 1985 5.14 火曜日 くもり時々雨 2階SWH−12(座席番号か?)
 
 なんて録音したカセットテープケースの中に、当時の日記が入ってたのでほぼ原文で再現してみた。かなりガッカリしてる様子だなオレ・・・若かったのね。


 1985年5月15日 日本武道館 2階スタンド
 
 昨日のコンサートに引き続き、当時の感想文から書いてみよう。
 
 3日目ともなると少々ダレが来るが、大好きなリッチーを見に6時05分に入場する。今日は開演前に北東のスタンドに行って、アンプやベースシンセペダル、その他の機材を近くで観察してみる。
 さて、コンサートの方は昨日とほぼ同じで、当然にアドリブはしまくっているがアクションはあまり派手ではなく、静々と弾いているときが多い。もっともスペーストラッキンではタウラスにギターを擦りつけてはくれたが。Black Nightの時にロジャーをたてて、膝まづいて下から子供みたいに拍手しているリッチーを見ていると、40歳とはとても思えない。
 あと、今日気がついたのだが、曲間なんかのときブーンというノイズが鳴るときがあるのだが、ひょとしてリッチーのギターの例のノイズなのか・・・・大音量になると分からないのだが、ベートーベンの静かなソロ時は鳴ってなかったようだし不可解である。 85年5.15 水曜日 晴れ 2階SEM−26
 
 昨日より短い日記のようだが、当時のオレの満足度は昨日より少し上のようである。実際4日間中、この日のライブが聴き直してみると、一番かっこいいアドリブが多く、Diffcult To Cureのサイレント前奏パートは、完全コピーして暫くは弾きまくってた。こうなるともうアドリブがしずらい。この時のフレーズが印象に残りすぎて、アドリブっててもこの時のフレーズに近づいたメロディーしか浮かばない。そういや当時、ららぽーとでバンド←(当時在籍していたバンドのlive映像)の練習後、楽器店でこのAmKeyの完コピフレーズを静々と弾いてディレイの掛かり具合を試していたら、高校生くらいの二人組みが後ろで、「リッチーみたいなギター弾いてるよ」って囁いてたっけ。そりゃそうだ、ブラックモアそのもののフレーズだもの。
             

         

 1985年5月16日 日本武道館 2階スタンド
 
 遂に最終公演(追加公演)の日を迎えてしまう。連続より2週間くらいかけて4公演を観たかったな。テープを聴きなおして次回のライブに備えて検証する暇がないもの・・・ 今日はバイト先の後輩2名との観戦だ。奴らはとくにブラックモアのファンというわけではないのだが、Deep Purpleというブランドにつられて付いて来た様なものである。こういったソフトなファンも多く来場したため、良席がゲットできなかったということだろう。
 入場前に当時のバンドメンバーのベースのS●を見かけたが、ツレとラブリー中のようであったため、悟られないようにやり過ごす。それよりも、その少しちょっと前に黒の高級車が会場に横付けされ、ナ、ナント中からブラックモアが出てきたではないか。あっという間に会場内に消えて行った。超感動もののニアミスだ。早い時間帯だったため、数人の奴しか気付いていなかった。
 
 鈴木賢司ともこれが最後。最終日なのにバイオリンのマイクが調子悪いらしく音跳びしていた。さっ、7時20分場内は暗転し最終公演の開幕だ。トッカータとフーガが流れる。・・・・・あれっ始まらない。・・・再度トッカータとフーガが流れる・・・しかしHighway Starは始まらない。トラブル発生か?暗闇のまま2曲くらいBGMが流れた後、ようやくペイスのドラムがフェイドインしてくる。トラブルなのか意図的なものかはわからないが、随分待たされてHighway Starの始まりだ。今日はバッハを模倣した例のギターフレーズをオリジナル通りにすんなり弾いてる。当然ウォーの歓声が揚る。
 とんとんと連日のようにライブは進み、何曲目かの曲間でギランの「サンキュー」の呼びかけに「サンクスソー」と答えるブラックモアの声をマイクが拾い会場内に流れた。これは比較的声援が静かなときだったためテープにもバッチリ録音されていた。当時はブラックモアの声なんか全然世に出てなかったので、大いに感動したものである。
 そして待ってました最終日のお約束。ギターをSpeace Truckin'の独演ムチャ弾きソロで破壊。何かの雑誌でこのときぶっ壊したギターを手に、スタッフと記念撮影している写真を当時見た。「こういった記念撮影にはリッチー不参加が普通なのに、今回はリッチーのみの参加」なんてコメントがしてあったな。最後のSmoke On The Waterでは2日目同様グローバーと楽器を交換。そしてスタッフもステージに出てきて大所帯のエンディングで終わった。
 最終日は本当に見逃せない。再度整理券を取りに奔走したかいがあったというものだ。バイト先の後輩には「ようこんなん、4日間も観たわ」ってほめられた。しかし、この後しばらく来日はとぎれ、オレ自身も少しブラックモアへの情熱が後退してしまう時期に突入することになる。
 
  
 

 
 ブラックモアのアルバムリリースペースが従来の1年半ペースから3年ペースとスパンが長くなり、これといった情報もあまりなく、来日も随分ご無沙汰だ。また、オレ自身バンドに行き詰まった上、唯一のよりどころだったブラックモアへの情熱が冷却され、急に夢から覚めたように、あと50年以上にも及ぶ将来に対する不安と社会的体裁並びに経済的安定に対する欲望・葛藤が押し寄せ、その結果趣味・思考までもが180度変わってしまい、特に87年〜89年頃はブラックモアとは距離を置く時期となってしまった。ブラックモアの呪縛から解き放たれ、現実を直視できるようになった時期である。
 この時期に録音したギターコピーは圧倒的にゲイリームーアが多く残されている。また、スクエアとかリーリトナー等フュージョン系にも触手を伸ばしていたようである。(超時空要塞マクロスのドッグファイターなんかまでコピーした音源が残っている。)あれだけカッコいいと感じてたブラックモア風の長髪も、急に野暮ったく感じてばっさり切ったのは88年だ。
                 
 
1991年6月24日 日本武道館 2階スタンド

 
 堅気の人生に戻れるギリギリの年齢と判断したオレは、浮き草人生に別れを告げるべくこの2年前、人手不足のバブル全盛期超売り手市場の中、幸運にも当時は全く人気薄、それまでとは真逆な正しく堅気の職に就いた。1989年の採用直後から自費で夜間大学にまで通うほど様変わりしたオレ(大人になってから勉学に目覚めたタイプ。自分で稼いだ金だとまじめに勉強するわ・・・)は、久しぶりの来日に心躍るも仕事の都合上この日しか足を運べなかった。こういうとこがフリーター時代とは違うのね、と痛感する。ほこりをかぶることが多くなっていたギターだが、仕事をどんどん覚え、やりがいも感じ始め、ギターを再び愉しんでいく精神的余裕がでてきた非常にいいタイミングでの来日となり、ブラックモアに対する情熱が少しずつ再燃してきた。
 
 約束していたフリーター時代の友人が待ち合わせ場所に現れない。時間にルーズな奴だったが、彼に付き合ってられない。(こいつは1989年ゲイリームーアの渋谷公会堂のときも遅刻した。今回は最後まで姿を現さなかった。)見切りをつけて武道館へ向かった。楽して電話予約で手に入れた席のため、ステージ左斜め後方のブラックモアとターナー、グローバーくらいしか見えない今までで最悪の席だ。それでもS席だそうだ。
  
 いよいよ開演、オープニングは・・・・・ん?・・場所が悪いせいかベースとドラムのドコドコなってる音しかよくわからない・・・・ボーカルが入って、ああっBurn じゃないか!とやっと気がついたくらいだ。ギターソロはスライドギターで突入し、有名なアルペジオピッキングに入るとウオーの歓声があがるが、半分くらいでアドリブに移行してしまうとこが、相変わらずオリジナル無視しまくっててブラックモアらしい。
   
 キーボードソロのバッキングでGマイナースケールをアドリブ気味にシングルノートで弾く部分、昔からバッキングとはいえいいメロディーだなって思ってたが、ここでも歓声がウォー!って起こる。みんなもやっぱりBurnのキメのパートだと認識してたのね・・・・ちょっとジョンロードがかわいそう。最後のメインリフ部分は、Bur------n! のボーカル部分からフィードバックさせてきて、ペイスのハイハットシンバルのリズムをバックに逆手ノイズフィガリングをぶちかまし、また三度目ウオーの歓声が揚る。10年越しのライブ観戦で生Burn初体験だ。
  
 
 新曲
Truth Hurts では後半のサイレンスアドリブソロ中、ギターシールドの接触の具合からボン!というノイズが3回ほど発生。そうアンプをオンにしたまま、ボリューム開けたまま、シールド抜いたときのあの衝撃音だ。ブラックモアも仰天のアクション。近くにいた女の子が「わざとやってる。」なんて言ってるのが録音されてる。
 あの咽び泣く郷愁アドリブ中にそれはないやろ、と思いつつ彼女なりの解釈でブラックモアの人物評を楽しんでるのだな、と暖かい寛容の気持ちで受け止める余裕を見せつつ、曲はThe Cuts Runs Deepへ。イントロリフ部分は相変わらずのインプロヴィゼーションで、頭の弾き出し2ノートのみであとは完全ブレイク、ドラムとベースとキーボードのベーストラック状態でイントロが進む。くーーーっ!たまらん!グローバーあたりは「またか、ちゃんと弾いてくれよ!」ってな悲鳴を心の中であげてそう・・・・。おおっと!Fire In The Basement のイントロフレーズは開放弦使用の3〜6フレかぁ!アルバムのこもり気味の音に惑わされ、巻弦使用してると判断してドミナントコードのスケールポジション位置でコピーしてたやんけ!うーん、まだまだ甘い。ということはWring That Neckと似たような弾出しとなるため、拡幅であっても人指と薬指での3・6フレでトリルをかましながら3弦開放音を混ぜつつといったポジションだな、と推察することができる。Wring That Neckの応用編ってとこか・・・・                         
       
 しかし最悪の席だ。ギターの音が聴こえずらい上、ブラックモアを斜め後方背面から見る形となるため、ポジション執りやピッキングの様子が詳しくわからず、フランストレーションの高いライブであった。ただ、曲間でターナーがしゃべっている時にバックステージに戻りながらふざけて、1〜6弦すべての開放弦をジャカジャカとストロークさせている弦の生音がはっきり聴き取れたことから、距離は比較的近かったのだと思う。
 
 係員など全くいない場所なんだから、落ち着いて操作すりゃいいものをB面の録音に失敗してしまい、Love Conquers All以降 を収録できなかったのは痛い。そして更に年齢を重ねたせいか、まったくステージアクションは出なくなってしまったなぁ。後日知ったのだが、雑誌によると背部痛を患ってたらしい。もう46歳だもんな。
 音源不足ということで、過日西新宿7丁目界隈でブートを買い漁ったのは言うまでもない。
 
   

1993年12月 キャンセル

 余談から。この年の5月、ふらっと寄ったお茶ノ水のイシバシにてほとんど衝動で2本目となるFenderストラトキャスター('73年製サンバースト)にシャーラーミニを搭載してもらい23万円にて購入する。1本目のホワイトと比較するとネックは細くボディは軽く、ブラックモアが好みそうな一品だが、ホワイトの方がヘヴィなサウンドが得られることから、相変わらず録音は白を選んでしまう。しかし弾き易いのは当器のほうである。
 
 東京では、武道館及び代々木体育館にて合わせて3公演のツアーが組まれたが、今回も仕事の都合上、内2公演しか行くことができない。電話予約するため、リダイヤルすること30分、ようやくつながり2公演を予約して後日、乃木坂のチケットセンターへ直接購入しに行った。
 雑誌等の情報によるとブラックモアとギランの仲は相当に冷え込んでいるらしく、バンド自体はかなり末期症状を呈しているようだ。確かにここのところ、個人的にブラックモアのアルバムは少し精彩を欠いていると感じる。ブランドで最低限度売れているようなものだ。今回のAlbum The Battle Rages Onも、オレ的にはブラックモアのギターフレーズを練習するための曲といった感じで、印象に残らない捨て曲が多い。ギターをコビーして録音保存したのはタイトル曲The Battle Rages OnLick It UpAnyaTalk About Loveくらいかな・・・・One Man's Meat(2007年9月4日)、Nasty Piece Of Work(2009年3月7日)、Ramshackle Man前半Ramshackle Man後半(2011年1月9日)、Time To Kill (2019年3月23日)をそれぞれコピー録音した。残りの曲も何れコピーに挑戦してみる予定だ。

  

 もっとも当のブラックモア本人もこのアルバムには全く思い入れはないらしく、当時のインタビューでもインタビューアの新曲に対する質問に、曲と曲名が一致しないばかりかミックスダウン後のサウンドを全く聴いておらず、「申し訳ない」と謝っていたほどで、録音が終わった時点でどうでもよい、興味のない最低のアルバムといった感じのようであった。
 個人的な好みもあろうが、80年代のPop Rainbow 時代のようなメロディアスな編曲がなつかしい。とはいえやっぱり、永遠のカリスマ・ブラックモア師匠のステージはどんなに老いようが、見逃してなるものかと意気込んでた矢先、なっなんとDeep Purpleを脱退してしまった!社会人として新聞を読む習慣が出来上がっていたオレは、払い戻しが行われる旨の広告を見てすぐさま乃木坂のチケットセンターに向かい、2公演とも払い戻しを受けた。
「大変申し訳ありませんでした」とお姉さんが頭を下げてくれる。ブラックモアを見に行くのが目的のため、代役ギタリストのDeep Purpleには何の用もない。このときはっきりとDeep Purple・Rainbowファミリーに興味のない自分に気がつく・・・つまり、Deep Purple・Rainbowのファンではなく、リッチーブラックモアのファンなんだと。
 以降のDeep Purple のアルバムはおろか、トミーボーリンの参加したブランデーだかなんかの表紙のやつなんかも未だに聴いてない。他のメンバーなんかまったく活動内容を知らないし、知りたいとも思わない。再結成レインボー以降はメンバーの名前すら判らない。
 (実を言うとジミヘン、ペイジ、ベック、クラプトンあたりの大物有名ギタリストも名曲と言われる数曲程度しか未だに聴いたことがないくらいほとんど興味ないです。最近のギタリストともなると・・・・そもそも存在自体を把握していない。)
 しかし、ブラックモアの脱退で払い戻すということは、プロモーターもDeep PurpleにBlackmore は不可欠と判断していることか。残念だけどRainbow Moonというバンドを新たに結成するとかの噂もあり、それに期待しよう。後日、ビデオを見たがブラックモアとギランの確執は明らかで、一人浮いてしまってるブラックモアが痛々しい。本人のためにも脱退は結果正解だろう。