高校時代の日記

 


 「あんたのもんもあるから、いるんやったら持って帰り」 2009年8月23日、大阪帰省中にオフクロから廃棄する予定の品々への最後通告を受ける。大阪公演時の来日プログラム、ヤングギター82年5月号(Straight Between The Eys新譜解説号)、Kiss78年来日ミュージックライフ増刊号、リッチーブラックモア1(楽譜)、そしてDeep Purple、RainbowなどのLPレコード10数枚、その他諸々に混じり、ナント!存在すら忘れていた高校生の頃ギターを弾きながらの学生生活を綴った日記が埋没していた。80年4月から高校2年の終わる82年初頭までがよくもまあ1日も欠かさず記録されていた。純粋な恋心以外はほとんどの記憶がないことから他人の日記を読む錯覚に陥りつつも、その中から当時の心境を推し量るべく、余談的なコーナーとしてブラックモア来日に係わる日付を中心にホンノ一部をここに記す。
 とにかくもう、ガキ!!!!思考回路が・・・もっと大人かと思ってたんだが。誤字脱字、平仮名連発汚く一気に訂正も無く書きなぐり。後世に読むことなんか考えてない。単なるうっぷんの吐け口。文章力の酷さもそのままほぼ原文で再現してみた。()はすべて原文にはない補足です。
                                           
 

1980年4月19日
 高校1年
 やっと週末になった。午前中のくそおもろない勉学が終わって、急いで家に帰った。(当時、土曜は半ドン) そして昼飯を食った後、ギターを持ってXの家に行った。その前にZの家にもよって、ギターをXの家に置いてきてから再びアンプ(3月に新品購入したばかりのMicro Jugg、 以降2003年に売却するまで愛用)を取りにまた家へ戻った。そこで、家の近くの公衆電話で、ウドー音楽事務所へ電話をかけた。そしてレインボーのチケット2枚を予約した。最初S席にしようと思ったが、売り切れでA席しかなかった。A席は3000円で、S席は3900円だ。900円くらい払って、ええとこで観たほうが誰もがいいに決まっている。チケットの金は、24日までに払いに来いということだった。さて、その後、Zと別れて、いよいよXらとセッションを行った。スモークオンザウォーターとハイウェイスターはばっちり合ったけど、その他(Speed KingInto The Fire、Black Nightあたりかと・・)は少しまだ、あかんかった。また明日もあるのだが、今日のことを踏み台に進歩しよう。
 う〜!ついにレインボーのコンサート行ける。5/15の追加公演やけど、なんか中間考査(中間テスト)や遠足(保津峡)なんかの時期に近いし心配やわー。チケット=A席548だってサー!
 

1980年5月13日
 ウホー、レインボー大阪フェスティバルホールでのコンサート第一日目や!! もうリッチーのギター聞いた奴がおるんか!!オレもいよいよあさってやんけ!!ちゃんとアンコールに答(応)えたかな!!ひょっとしたら、オレらの時には中止ってことも考えられるからな!!さてそれはそれで昨日の通り、朝から雨が降っていて、今日は映画やな思うてたら、7時頃にはかっきりやんでしもた。でもプリントには7時に雨ふっとったら、雨天とみなすとあったから、もう完全に映画やと思いながら、国鉄●●駅へ行ったら、先生が後から来て、保津きょう(峡)に行こうと言った。どうやら、1組がすでに切符を買ってしまったらしく、どうにもならへんかった。もうムカムカいやな気分が(で)ムカついたで、せっかく映画と思ってたのにイー!
 わが(我)あこがれ(A子:人生中、唯一胸が苦しくなる純粋な恋心を抱いていた異性。いわゆる初恋ですわ。)がいきなり目に入った。すんごく大人っぽいなア、女の子って私服着せたらほんまに大人っぽくなるわ!!ほんまにA子かわいかった。(・・・オレにも邪心・打算なく人を好きになる無垢な青春時代があったんやな・・・今でも時おり夢に登場するほどだ。)
 保津きょう(峡)に着いて、清滝で弁当食って、アイスとかジュースとかようけ食べたっけ、Nなんてアイス4個も食ってた。割とおもしろい一日やった。家に帰ってからはドーッとつかれがでた。にもかかわらずメイドインヨーロッパ聞いて、ギターをだいたい2時間くらいひいた。
 チャイルドインタイムはレイジーより難しいわ!!音どれだけの(伸)ばすんかとか、ピッキングを入れるタイミングよくわからへん。リードギター半分くらいまで、コピーしたけど、今週中にいけるかどうか?それと明日はスタジオ使う言ってたけど、本間かいな。ヘタやのにイー!明日にそなえてねよか!! 
  

1980年5月15日
 今日はコンサートへ行って、しっかりとリッチーブラックモアを双眼鏡を使って観てきたのだ!! これからそのことを書こうと思う。雨の降る中を急いで家に帰り、Zといっしょに●●駅へ向かったのだが、Zの奴前からジョーダンぬきで性格嫌いやわ!!(やたら!マーク2つ重ねが多い。) 雨でびしょぬれになったんまるでオレのせいみたいに言いよって、せっかくのコンサートも気分が悪くなったわ!! 電車の中ではほとんど口を訊かなかった。梅田に着いてから、まだ雨が降ってたので、地下から行こうと思ったら、とんでもないところへ出てしまって、フェスティバルホールの位置が全くわからへんようになった。仕方なくおまわりさんに尋ねたところ、親切なおまわりさんでよかった。話によると方向が全く逆だった。(ちなみに当時大阪は世界一広い地下街だったかと)
 
 6:20分くらいにフェスティバルホール到着。パンフレット(プログラム)買ってコンサート会場へ入った。6:40分くらいに前座が始まり、しょーもないの一言やった。その後、7:30分についにレインボーのコンサートが始まった。最初ロケットの飛び立つような音がした後に、例のオズの魔法使いの音楽が流れ、ドロシー少女がレインボー、レインボー、と叫んだ。すると突然ステージが爆発してメンバー達が出てきた。オープニングはアイズオブザワールドで、一番印象に残っているのは、リッチーだ。今までレコードを聴きながら想像していた感じとは全く違い、ものすごいステージアクションであった。写真だけを見たリッチーは何か静々と弾いてる感じであったが、全然違っていた。それに凄くジョークが多かった。ステージのリッチーは性格も陽気でにこにこ笑ったり、表現力が豊かだった。
 曲目ははっきり覚えてないが、だいたいアイズオブザワールド、ラブズノーフレンド、シンスユービーンゴーン、マンオンザシルバーマウンテン、キャッチザレインボー、その他アンコールではオールナイトロング、ロングリブロックンロール、そして最後のキルザキングではモノの見事にストラトをPAの上でぶっ壊した。どうやらぶっ壊したギターは安物らしい。ヘッドにブランドネームが入ってなかった。それとそのぶっ壊したギターに使っていたストラップが、オレの持ってるのと同じのには感激した。(Fenderのオリジナルストラップ) 今日のコンサートはリッチーの気分がよかったらしく最高だった。オレもギターをあそこまで弾けて、ステージアクションができるようになりたいなーーー! なお、帰宅時間は10時半になった。

        
  

1980年5月16日
 昨日のコンサートのことが頭に残り過ぎて、今日の授業は数イ(数学はイとロと二つの科目があった)だけを除き、他はみんなリッチーのことばっかり考えとった。ホンマに昨日のステージはどう考えてもライブインジャパンやメイドインヨーロッパ、レインボーオンステージなどが想像できないようなコンサートやった。リッチーがあんなうれしがり屋でジョークをステージでやるとは思わなかった。ライブインジャパンでもやってたのだろうか?
 さてそんな疑問は置いといて、昨日のコンサートを観て自信を無くしたオレやけど、今日ギター2時間30分くらい弾いて、大分また自信を取り戻した。チャヤイルドインタイムのコピーもあとリード1/3くらいやし、日曜までに仕上げるつもりだ。それと最後にブラックナイトのリードやってたら、アーム使ったとき、またも4弦がブチッやんけ!! 予備を買ってたから助かったけど・・・・・
 学校ではコーラス大会のことで(クラスで)話合った結果、ギターを弾く奴はY(フォーク派)、N(顔も全く浮かばないほど記憶なし)、I(エレキ派)、S(フォーク派)、K(エレキ派andベース)の5人である。指揮者は推薦でMになった。後から思うてんけど、やっぱりギター立候補すればよかったかな?
 (やたらギター弾きがクラス、学校中に溢れてた。ユーミンの卒業写真なんか学校で弾いてる場合じゃなく、さっさと家帰ってブラックモアを練習しなければって意識が働いていたと思われる。)
               
1981年4月24日 高校2年
 大変なコトに気がついた。実は昨日気がついてんけど(昨日付で書くの忘れてたため本日付けで記載したのだろう)、A子のクラス前半のクラスかと思ってたら、△組でオレのとなりとゆうか、ギリギリ階がちがうけど・・・・だって生徒集会の時すぐ近くにおるねんもん、びっくりした。(想い続けている女子が何組になったかを調べることもせず、ギター硬派を気取っていた。)
 体育も時々いっしょになるかな・・・・いややわア・・・・
 (好き避けというやつですな。告白するどころか想いを悟られぬよう他人行儀を決め込み、同一空間に鉢合わせぬよう行動する幼稚な振る舞いを続けたあげく、ギター硬派を気取ったまま東京へ移住。卒業式が今生の別れとなる・・・・)
 
 英語がなかったので、今日一日の授業は楽にしてられ、おまけに放課後はS・H・R(ショートホームルーム)がなく、すぐ帰れ、そうじ(掃除)もさぼったやんけ。
家に帰ってきて、少年キング(「サイクル野郎」がお気に入り)を読んだ後、ギターを2時間しか弾いてへんけど、やっとクライフォーザネーションズ、コピーしたけどまだまだリズムもあかん(音取りを終わらせただけでレコード通りサラサラ弾くことはまだできないの意)し、もうちょっと練習せな。 アルバイトの方は夏休みカネボウ(カネボウ食品)で5:00〜10:00までの、本格的に予定(予約?申し込んだの意か?)した。その夏休みの8月20日、21日にレインボーが大阪でコンサートをやるんやが、その前売りがあさってからだとZから連絡があった。そこでF、■■(管理人)、W、Zの4人で、明日の午後、●●(地元の街)を出発して、大阪のウドーの前で徹夜で並ぶことにした。そうしないとS席の前の方がとれない。でも(並んでる間)暇やろうな!!トランプ(ナポレオンが仲間内で当時流行っていた。)とギターはぜひ持っていくつもりである。ひとつ心配なのは、明日の放課後ひょっとしたら選管を召集されるかも。(学校の選挙管理委員をやっていたらしい。) まあ、その見込みは50%くらいやけど、もしそうなったらウドーに行かれへんようになるがな!! く〜!一番前のリッチーサイドは無理としても、前から10番目くらいにははいりたいなあ!

1981年4月25日
 雨の降る中、電車で学校に行った。学校まで歩くのはホンマしんどいわア、もう自転車になれてもうて・・・・授業の方はもう今日の’テツヤ’(徹夜)のことがいっぱいで英Tを除いて全く身が入らなかった。
 放課後いろいろと時間がかかったけど、やっと家路につき、帰ってきたのは1:40分、ここから電話のやりとり数本やった後、出発時間はPM3:30ということに決まり、オレはそれまで昼めしや、マンガを読んでた。少し早めにWが来たので、Zの家まで歩いて行った。なんせ’テツヤ’なので自転車はやばいと思った。Zの家から駅に向かい、梅田に着いたのはPM4:20分。そこから、30分もかかってやっとウドーに着いた。人影はまったくなし。建物の中に入ってみても、並んでる気配なし、これはオレらが一番かな。と思ったら、ナント、もうすでに整理券を発行してやがんの!!あわててオレらもKeepしたけどナントすでに709番。つまり709人目ということになる。整理券の日付を見たら、4/24になってた。もう昨日から発行してたことになる。Zの友達(Zと同じ学校の同級生)に電話したところ、徹夜組をなくすために整理券を発行したらしい。まあ、あきらめてええとこS席の後ろの方やろうと思う。仕方なく王将で玉子丼を食べて、●●に戻ってきた。
 
 時間はも(う)7:12分。そこからZの家によったりしているうちに、夏休みのバイトZとやることにした。でもよくあいつ気が変わるから・・・・・そして原付の免許もいっしょにとりに行くことにした。あくまで予定であって、そうなるとは限らない。家に帰って来るとさっそくギター1時間弾いた。今日はこれだけしか弾いてない。池中弦(玄)太80キロを見てたら、またZから電話があった。どうやら、あの整理券は’テツヤ’しようとする奴を追い返そうとするだけのカモフラージュかもしれないとのこと(上記Zの友達の的外れな入知恵)。 それはいえる。709番やねんけど、この券だけで10枚まで買えるらしいが、そんなに買えるのなら、すぐ売り切れて、オレらの分までまわってこないかもしれんし、ホンマは明日の10時発売なのに発売日当日に来た奴のチケットはもうない、というのも非常におかしい。ってんで、明日さっそく始発の電車に乗って、ウドーへ行くことにした。まだどうかわからんけど、一応念のために行くのである。オレにとってはあの整理券がウソの方がええ。だって早く並べばうまく行(い)くと、前から20番目には入れるかもしれない。・・・とにかく明日AM4:30に起きるのでもうぬ(寝)る・・・・(ありえない陰謀説に疑心暗鬼。すっかり騙されてます。幼いのう・・・)
   

 1981年4月26日
  いやあ〜、今日はホンマに疲れた日である。もうウドーの前は大混乱で、Zに言わすと、道路交通法違反らしい。そもそも昨日の整理券の番号(709番)では1:00集合なのだが、どうもにおう(臭う)んで、さっそく7:00に●●を3人で出発した。向こうに着いたのは8:10分くらい。ウドーの前からズっと人が並んでたが、それはただ整理券をもらうのに並んでるだけで、オレらには関係なかった。さっそく整理番号の早い奴が、ちらほら、整理券のところとは別のところに集まり始めたので、さっそく(そこにいた)女の子やいろいろとあたってみたが、誰もみんな、もう10枚頼まれててオレらの分まで面倒見切れないとのこと。それでもひ(し)つこくいろいろあたり、Zの例の友達(陰謀説を流布した)も来たが、対(大)して当てにならず、ただひたすらどんどん人が集まってく中でボウ然としてるだけ。9:00をまわるともう、かなりの人が集まってき(て)、整理番号なぞは、もう1300番台までいってた。こんな番号じゃ到底買えるはずがないがな!!
 
 そろそろ人も道路にあふれ始めたころ、Wが見つけよった。ついに・・・整理番号は59番で、しかも3人以上面倒見れる奴が。うれしかった。さっそく金を払って頼んだ。と、一応チケットが買えるメドがついたものの、なかなかその順番がまわってこない。10:00をまわると、もう道路は大混乱。身動きがとれないくらいである。やっと59番の奴がウドーの事む(務)所へ入っていきよった。それから待つこと1時間。やっとで(出)てきよった。さっそくみんなでどう席を取るか相談した。その結果オレら3人は、8月20日のS席F(列)の3席をもらった。場所は1階のナント前から6列目のしかもリッチー側。リッチーをすぐ目の当たりに見られるところである。うれしくなるぜー!!そいつに礼をい(言)うと、大阪の街の中を少しウロついて帰路についた。昨夜から風(邪)ギミだったのやが、チケットが入って安心したせいか、急につかれが出てきた。ノドはヒリヒリするし、熱っぽいし、これはあきらかに風(邪)の前兆である。家に帰ってきたのは12:30.朝から何も食べてなかったので、ラーメン(「出前一丁」か、新発売の「うまかっちゃん」のどっちかだろう、「サッポロ一番」はあまりすきじゃなかった・・・)を食べ、2階で(に)ふとんし(敷)きっぱなしだったので2時間ほどね(寝)た。少し気分がよくなってきたので3時からギターを弾き始め、3時間ほど弾いた。イントゥジアリーナをコピーやり始めてんけど、コードトーンを活かしたリードがマイケルの特ちょう(徴)といえるだろう。その後勉めし(晩飯)を食べて、現在におるわけやが、明日は学校あるけど、できたら休みたい。とにかくもうね(寝)るつもりだ。PM8:00著

                                
1981年8月19日
 午前中にZから電話があり、RZのオイルランプがおかしいとかどうのこうの言ってきたので、Zの家に行ってみた。・・・(バイクの話が延々と、中略)・・・
 さて、昼めし(飯)を食いに帰り、ギター弾くこと2時間、マイケルシェンカーのコンサートへ出発。フェスティバル(ホール)に着いて、まず思ったことは、こんな狭いんかあ!●●市民会館とかわらない。S席でもZ3と後ろの方でかなわん。いよいよ開まく(幕)、オープニングはアームドアンドレディー。あかん、マイケルシェンカーのステージアクションもう一歩あかんかった。それにギターフレーズもなんとなくワンパターンやったし。コージーのソロはよかったけど・・・ 1時間半の間ズーっと立ってたのでしんどかった。正直言って満足度30%くらいしかない。見てても実にたいくつ(退屈)なステージだった。帰宅時間は10:20頃。
 (バイクの話題が中心なこと、やたら批判がましいコンサートレビューからもMSGに対する評価は低く、完全にブラックモア信者に染まっていたことが伺える。)

1981年8月20日
 朝ギターを1時間ひ(弾)き、あとはTVばっかりという始末。宿題やらなあかんねんけどなア!! 自転車がないもんで歩いて(アルバイト先の)カネボウへ。・・・・・・・・・(バイト中の出来事が長いので中略)・・・・・・・・(バイトからの)帰路は少々急ぎ足になった。5:00までに帰れるか。シキボウ(企業名)の前でZとWが現れた。(意味不明???帰り道で出会った??) 
 
 やっとこさ大阪へ今日もまた電車に乗って進む。フェスティバルホール着。やはり前とはいえ、見にくい場所だった。前座はプロとはいえやはりしょーもないの一言。そいつらのステージ見るより、ちょくちょく裏屋(ステージ袖、いわゆるバックステージ)に見えるロジャーやドンエイリーばっかり見てた。さあて長い20分の休けい(憩)が終わり、オズの魔法使いの音楽がなった。スネアの音とともにステージに光が走りイントロが始まる。リッチーがで(出)てきて一番前でシズシズとリードをひ(弾)いている。イントロが終わり始まった曲は、スポットライトキッドだ。バンプが終わりボーカルが入るとリッチーがステージアクションを決め始めてきた。逆手び(弾)き、ステージにひざまづき(膝ま付き)、手を挙げる。こうだ、これでなくちゃいけない。マイケルのではいけない。今日はのりにのりまくった。
 

ラブズノーフレンド、アイサレンダーと続いた。ペースが早い(イマイチ意味不明。短めのアレンジで曲が次々進むことか?それともスタジオより演奏スピードが速い?)のはもちろんだが、やはり適当に弾いている。オンステージやライブインジャパンの時みたいにきれいなメロディー(キチっとしたフレーズ)でなく、やたらギュイーン!とかフィードバック、逆手弾きメチャソロなんかのキタナラシイ(汚らしい)音ばっかり、やはりレコーディングしている時はもうちょっとマシにひ(弾)くんやろうが。
 
 次のキャチザレインボーは、リッチー独々(特)のあのシー「静かにしろ」のポーズがでた。しかしオンステージのソロ(ロングソロのことかと・・・)に比べるとこれも適当に弾き流しているという感じで、メロディーになってなかった。(当サイト本編での論説と異なり、当時は世間一般の批評と同様の手抜き説を偉そうに展開しているのが意外に感じる。)キャントハプンヒア、ディッフィカルトトゥーキュア、ロストインハリウッド、マンオンザシルバーマウンテン、ロングリブロックンロールとすべて、オレの今まで弾いてたのと全然違う(ポジション、指使い)ようにひ(弾)いていた。一番げんめつ(幻滅の意味知ってて使用したのか???)したのは、小指を思ったほど使ってへんかった。ましてや小指のチョーキングなんて一度も見なかった。(管理人は当然のごとく当時実施していた。) ドラムソロ、キーボードもよかったし、うまくコンサートはいってると思ったけど、もう一つ、いや、ホンノ少し、ノリが悪かったようである。相変わらずリッチーは聴衆の反応を見たり、ボトルネックの代わりに、ビールビン(瓶)やセンス(扇子)なども使ってエキサイティングなプレーをやってくれた。(支離滅裂な文章なので恥ずかしいが、原文を忠実に書き写しました。)
 


 アンコールでは、オールナイトロング、これもサイド(バッキング)なんか特にめちゃくちゃひ(弾)いていた。リッチーのギターだけ聴いたら音楽になってへんやろう。そしてアンコール2曲目が凄い。ナ、ナント、ス、スモークオンザウォーターだ。また、去年のようにすぐ止めるかと思いきや、ドラム、ベースと入り、ついにボーカルまで本当に始めよった。しかし2番あたりでリッチーのギターチューニングが狂い始めたのか、えんそう(演奏)中にリッチーがひ(引)っこ(込)んでしまった。もちろんギターの音はとだ(途絶)えている。これがライブアルバム製作中ならどうするつもりや。(←余計なお世話だ。) リードギターのところにも間に合わず、ドンが変(代)わりにキーボードソロをひ(弾)きよった。途中からリッチーが戻ってきてリードギターをひ(弾)き始めたが、プロでもこんなみじめな感じになることはあるんやなあ。(青少年特有の反発全快)
 正直言ってもう少しギターがうまくなって、オレが・・・・(あまりに恥ずかしい内容につき、さすがに省略させてもらいます。)・・・・・今日のレインボーくらいのステージやったらできそうに思う。(少し腕に自信が付き始めた馬鹿の戯言です。)
 スモークオンザウォーターもエンディングに突入、ギターを断(壊)すと思ったらこわ(壊)さなかった。そのままコンサートは終了してしまった。もちろんアンコール(を要求する声援)は続くが、ジュディカ(ガ)ーランドの虹の彼方が流れ始め、仕方なくオレらW、Z、3人は帰路についた。何回見てもリッチーのステージアクションかっこいいと思う。今度オレもコンサートに出るチャンスがあったら、ぜひあっこまでハデにやったろう。
 (当時はブラックモアのテクニックより、ステージでの仕草に固執していた。ある意味ハチャメチャな演奏に実は物凄く共鳴し親近感をもっていたのだろう・・・少なくともハチャメチャ演奏を反面教師とするどころか、思いっきりかっこいいと思ってマネしてたもん!)