70年代Rainbow

 Rainbow に至っては、ギターフレーズのみならずアレンジ自体そのものがメロディックマイナー、ハーモニックマイナー系統の音階を使用しGates Of BabylonStargazerEyes Of FireAriel 等の曲は主室に再現されている。
 この頃のブラックモアは完全にスライドバーにはまっており、1977年の有名なミュンヘン公演では、オープニングのKill The King のアドリブパートをいきなりスライドさせ、更にあの印象的なLong Live Rockn' Roll の決めフレーズを無視してソロ全般をスライドさせている。うーん大好きだなぁ!こういう裏切的なの・・・・
 スタジオではある程度考えたメロディアスなプレイをし、ステージでは派手なアドリブ(といっても20代の頃のようなトリッキーなフレーズは控え気味)を延々と展開するパターンが多い。
  当時の選曲は以下の通りであった。

 Kill The King 5〜6min.
 Mistreated10〜12min.
 16th Century Greensleeves 6〜7min.
 Catch The Rainbow 15〜18min.
 Long Live Rockn' Roll 7〜9min.
 Man On The Silver Mountain 8〜10min.
 Still I'm Sad 20〜25min.
 Do You Close Your Eyes 10〜12min.
   (タイムについては全くの主観)

 といった内容で、10曲に満たないリストを90分ほど費やしている。Deep Purple とは異なりキーボードソロは独演部分を除き、皆無に等しく大半をブラックモアのソロで占められており、正にBlackmore's Rainbowである。
 彼のライブにおけるギターソロパートの導入の仕方はスタジオのパターンを次のようにアレンジし直す。
 
 1回のソロを2回行うパターン
(Self Portrait、16th Century Greensleeves
 
 フェイドアウトしていくソロをエンディングまで延々と続けるパターン
Black Masquerade、Under The Gun、I SurrenderKnocking At Your Back Door
  
 存在しなかったアレンジを接続して延々と続けるパターン
Love's No FriendTearin' Out My HeartCatch The Rainbow

 本来のソロパートを気の済むまで延々と続けるパターン
AnyaMistreatedStargazer
   

 そしてタウラスのベースペダルを使用し始めた1977年以降は、曲の出だしはブラックモアの独演タイムが展開されることが多く、他のメンバーはいつ始まるかわからないイントロにじっと待機していたものと思われる。Deep Purpleの頃は、ペイスのカウントから一斉に始まるアレンジが多勢を占めていたが、ブラックモアのリフで曲が始まり、その後アンサンブルが絡んでくる曲が多いのがこの時期の特徴でもある。
 
      

 さらには今まで顕在化していなかったメインリフが、オーバーダブにより左右に振り分けられ華やかに登場する。Flight Of The Ratを発展させたようなリフで、Do You Close Your EyesRun With The WolfL.A Connection、79年Spark Don't Mean A Fire、82年Tite Squeeze、83年Make Your Move、ちょっと間が空いて93年One Man's Meatあたりの7曲はキーボードなしのバンド並みに重厚なリフに仕上げており、あまり多様されない特異分野に属す。ローコードAを基調とし、ベース音を様々なパターンに展開させてはいるが、7曲とも同様のポジション位置に同様な指使いでプレイされていることに気づくはずだ。重厚に聴こえつつも重音を響かすのはAとDだけでC、Gあたりは経過音的にシングルノートで済ましている。
 
                 
  

80年代Rainbow
         
 アメリカでの成功を狙って発表されたAlbum-Down To Earth だが、最初聴いたときは少々がっかりしたものだ。当時14歳のガキだった私は若気のいたりで、完全にハードロックに傾倒していたため、あまりにポップでメロディアスなサウンドに馴染めなかったのかもしれない。それでも1年後にはメロディアスなプレイにあっという間に傾倒していったけど・・・
 
 このアルバムのツアー以降、旧曲のアレンジとソロは短めになり、定番のトレモロピッキングは減少し、バッキングギターにラフなプレイが目立ち始める。ブートを音源だけ聴くとまともにバックを弾かずノイズをぶちかましまくっている。Love's No Friend Of Mind↓あたりは、既定のメインリフ自体を簡略系で済まし、バッキング中にノイズ出しまくり、あるいは演奏中断!盛り上がる中間部のシングルバッキングについては、コードで済ましたり、別フレーズになってたり、オブリガートやトリル、開放ノイズ等、丸っきり原曲の面影なくなっているほどだ。 Since You Been Goneのバッキングアルペジオもかなりいい加減に弾いている。当然映像的にはかっこいいパフォーマンスが展開されていることが多いのだが、このへんを理解できないと「リッチーは手を抜いている」といった感想を抱くのかもしれない。(それとも手癖連発アドリブに、手を抜いてると思うのかな?)パフォーマンスが控えめになる後年のライブでは、「手抜き」といわれる演奏やノイズはグッと減る。BNについてはきっちり演奏しているようだ。

   

 1980年ミュンヘンのライブAll Night Long中、コードカッティングの代わりに12回のトリルを実施しており、その大半はアクションによりピッキングができないためである。また万歳ポーズにより、開放弦がノイジーに鳴り響いており、視覚効果のない音源だけを聴くとハチャメチャな演奏と思われても仕方ない状況である。(管理人はこういう演奏をギターを習得していく初期段階から感銘し率先して行っていた。きちっと弾けることが前提の上、あえてこうプレイするブラックモアとは雲泥の差が出るのは当然で、勘違い甚だしく反省しきりだ。)

 
     
 実際15・16歳のころ、ジャーニやルカサーあたりを崇拝している同級生に「リッチーは一本でどんどん弾いていくのがなぁ・・・・」なんて議論をふっかけられて、「レコード通りしか弾かへんギタリストのライブなんか観に行ってもなぁ・・・」なんてやり返した記憶がある。それぞれの趣味の問題であり、当然にどっちが上かという議論は不毛なわけだけど、血気盛んな10代の若者は、売られたケンカは必ず買う幼さがまだまだ・・・・冷静に聞き流せるほど大人ではなかった時代もあったのう。とは言いつつ、17歳ころには、いつまでも単純なハードロックばかりでもなかろうと、バンドメンバーの意見も取り入れ、プログレ色の強いNOVELAを一時嫌々演奏した時期もあったな。どこか小難しいアレンジ、壮大な楽曲こそが「大人の音楽」「成長の証」みたいな意識もあり(実際勉強にはなったし、メロディーも気に入ってはいたが・・・結局飽きて二度と聴かなくなるのも早かった。)、ブラックモアが一番好きだ!とはっきり言えないマルムスティーン的な心境にもあったけ。
 
 ソロフレーズは攻撃的な押しまくるフレーズより、聴かせるメロディアスなフレーズが多くなり、セットリストにポップなものが多いせいかシンプルなマイナースケールのソロが多用され、70年前半で連発していた減5度音はめっきり影を潜めてしまい、代わって長2度音が目立つようになり、この音でフレーズが終結したりするようになる。ライブアドリブにおけるI SurrenderLove's No Friend 等は典型的だ。
 また、Since You Been GoneMakin' Love などメージャー系のソロも展開するようになるが、ロックギターにはあまり向かないのか、彼自身の性格がメランコリーなためなのかマイナーフレーズが中心である。サスティーンさせることが多く、音符の数も減り80's年代前半は一番楽にコピーができる時期だ。
 ただ、音符は簡単にコピーできるのだけれど、楽譜には表現できない独特のニュアンスを未だに再現しきれない、苦手意識を持っている曲にNo Release(これだけ音符少なくてニュアンス難しいの・・他にない。難易度かなり高レベル)がある。単純なリフとコードにペンタトニック一発で開放弦を活用しまくりギターソロなんだけど、特に後半のテンポアップしたあとのソロは難しい。ドラムがスネアのタイミングにアクセントを持ってくるリズムに対し、タメとは逆の前のりに突っ込んでいくタイミングのフレーズ群は本当に頭が痛い。ましてやあの雰囲気のアドリブなんて・・・・ついつい音符詰め込むだけでいい速弾きに逃げてあのノリを避けてしまう・・・・
         
  

 人を感動させるアドリブは本当に難しい。ブラックモアの凄いところはフィーリンで出てくる様々な感動的フレーズの多さだ。スタジオで何度も考え抜いて何度も録り直したものではなく、即興で生み出していることである。例えばI Surrender だけで私は20テイク以上ギタープレイをコピーしてみたが、それらはすべてアプローチが異なっており、中には単なる指癖ではなく、ステージ前にこのフレーズを今日は「決めて」やろうと思案したものなのではないかと疑いたくなるほで、その感性の豊かさに驚かされる。
 この曲のいくつかのテイクにチラッとさりげなく奏でられるF#mスケールにはない短2度(G音)を一瞬入れるフリジアフレーズは、アドリブをコピりまくってこのコード進行にこんな音程も使えるんだなんて感動したものだが、純粋にメロディーからこの短2度(G音)を効果的に感じるのではなく、ミストーンを恐れて視覚的(スケールポジション)にとらわれ、この音を敬遠してアドリブってた時点で、正しく芸術家にはほど遠い脳なんだと今では自覚している・・・・。
1981年EssenのI Surrender は、決して難易度の高いプレイではないが、感動的な美しいマイナースケールを聴くことができる。逆にメンタル部分に何らかの悪影響が生じた場合は、即興のデメリットとして1981年LondonのI Surrender のソロのように平凡な指癖のみで終結してしまう場合も見受けられる。1981年Rotterdam, ではよっぽど手詰まりだったかチョッピングの項で示した定番フレーズを2度も演ったりしているテイクもある。
       
 
 メロディアスなアレンジに合わせて、コード自体もパープルの頃に多様していた2ヴォイス(ルート、5度、オクターブ)からメジャー・マイナーの区別をはっきりさせた3ヴォイス(ときには4ヴォイス)を頻繁に使用するようになる。再びI Surrender を例に彼の得意とするコードポジションを記してみた。

        

 D、C#、Eあたりのポジションはソロフレーズやチョッピング時にあちこちで出てくるので、ブラックモアのコピーには不可欠なポジションである。
 
 今までは、バッキングとソロを明確に分けたレコーディング方法が目立ち、ギターソロもある程度考えられており、フレーズを良いとろばかり繋げたパンチイン・アウト録音っぽいものが見受けられ、オーバーダビングによるハーモナイズギターも積極的に活用していたが、Album-Straight Between The Eyes 以降のソロは、ライブ同様一発録りした雰囲気ものに仕上げている。
 Album-Difficult To Cure あたりは過渡期で、ソロは考えたものが多いが、ソロのバッキングは極力音量を下げて聴こえないくらいにミックスダウンしているようである。
 かなりラフなプレイが多く、あえて開放弦の音を利用したノイジーなソロとなっている。フレーズをわざとタメたりずらしたりすることでビートに乗らず、音符で表現すると5連符・7連符といった割り切れないものや、休止符も理解できない複雑なものとなっており、楽譜から初見で演奏するのは不可能な、その場限りのプレイを行っている。Desperate Heart のソロあたりは、楽譜にしたら結構複雑な音符が並びそうである。

     

 Power のソロでは強力なハーモニクス音が聴けるが、出てしまった音でありブラックモア本人も再現は不可能であろう。ハーモナイズやソロのバッキングは極力避け、もしくはほとんど聴こえないくらい控えめにし、ステージで再現しやすいアレンジに仕上げている。ただし、薄っぺらい雰囲気に耐えられないのか、相変わらずオブリガートはところどころに散りばめている。
 この頃から段々と完全コピーは難しくなってくる。とにかく開放弦とノイズ混じりの音が多い上、音と音がぶつかり合って1音1音がはっきりとしなくなるフレーズが増えてきたためである。もちろん本人も弾き流しているため、再現は当然に不可能というより挑戦することに意味を見出さないであろう。

  
 余談だが一発録りと言いつつも、全くの推測だがDeath Alley Driverのアドリブ最後のブレイク手前で1弦17フレをB音までチョーキングする部分について、あのタイミングで出てくるのは流れ的(言葉に言い表せない微妙なニュアンス)に不自然な感じがする。数テイク一発録音するもその部分だけ納得のいくフレーズが得られなかったか、気に入ったソロだが最後のブレイク直前までのタイムを見失い(かなり派手にアドリブってるようなので)、キリのよいフレーズ以降、残りのタイムを埋めるためにパンチイン録音したと思うのは深く考えすぎでしょうか。
  ブラックモアがギターソロを入れるときは、とてもシンプルな方法が取られていたとロンディネリは言う。「素早かった。たいてい1曲につきリードを山ほど録って、そこからロジャーがいいと思ったものを選び出し、リッチーにあとで聴かせて採用、不採用を決めるんだ。・・・・」(ブラックナイト、リッチー・ブラックモア伝より抜粋)
 このことからも、別テイクのソロをミックスダウン時においてツギハギにした可能性は十分に考えられる。タイム感的に難しいタイミングで発せられており、このチョークによる3ノートだけ一発ソロで出た雰囲気があまり伝わってこないのだか・・・・・こういった方向へカルトに走る趣味はないが、妙に初めて聴いたときから気になっている3notesだ。 You Tubeにあったラフ時の音源を聴くと、Under The Gunの後半ソロも別テイクを接続して一気通貫とした仕上げに体裁を整えているようだ。
 
 ツギハギであってもそれらしく聞こえるうちはまだいい。中には物理的に演奏を継続できない無理筋なフレーズも登場する。例えばDeep Purple - Fortuneteller の中間部ソロパートにおいて、運指が間に合わない指の移動を伴う一発録りでは再現しきれないフレーズがある。間(休止符)をおかず(管理人のプレイはスタッカートによる休止符入りとならざるを得なかった・・無理・・出来るわけがない・・・)、突拍子も無い位置から連続的に次音が飛び出す。編集において別テイクのフレーズをいきなり繋げた可能性がある。ちなみに、パンチインやパンチアウトを使ってまで狙ったソロに仕上げたわけではないと思う。スタジオ作業が大嫌いなRBの性格からして、そんな煩雑な作業をする気力は到底持ち合わせていないだろう。一発録音で複数弾き去った別テイクのソロをグローバーが、無理やりそれらしく繋げた結果とみるのが正解だ。
   
  
 同様Make Yore Move中間部solo最後も5フレ定番位置で素早くフレージングしている中、切れ目無く唐突に15フレへチョーキング開始音に跳んでおり、音質は自然なつがり感を演出してはいるけれど無理筋な指技となっており、別テイクを宛がったと考えるのが妥当だ。
 
 Stargazerのソロはスライド後の一発目のフレーズをミスったため被せて修正していることが判明。音色が明らかに変なので被せてるとは思ってたが、なんであんな単純なワンフレーズだけを?という気持ちを今まで抱いていたんだけど、被せる前のソロがYou Tubeに・・・なるほどスライドからフィンガリングへ移行するスティール離脱直後、放置できないほどしっかりミス(ノイズ)っている。ソロ終了のきっかけをもらわないとバックが対応できない、アンサンブルも含めた1発録りのソロだったのである。つまり、小節数をあらかじめ設定したバッキングトラック先行録音後にオケを聴きながらソロを弾くのは困難な仕上がりとなっている。

 Lazyは本人もインタビューで答えていたけど、後半ソロについては既録音のソロがどうしても気に入らず、別の日に新たに吹き込んだら音色が変わってしまったと・・・確かにその通り後半ソロと前半ソロの音色が全く異なる。更にRBの証言はないけれども、Weiss Heim 4:11あたりからエンディング直前までのフレーズについても同様に音色が一変(ピッキング位置をずらす、ピックアップを替える程度のレベルではなく)していることから、マイク設定の異なる別トラックをつなぎ合せた形跡が伺える。
 
 逆にそもそもカットしてしまっている楽曲もある。当時のLPに収まりきらなかったのか、お気に召さないパートだったのか。Lost in Hollywood はイントロ部分、Run with the Wolf は後半ソロ出だしの一部をカットしていることがyou tubeの元音源により判明。I Surrenderは後半ソロ3:35付近に流れが不自然で強烈な切れ目を感じる。ヴォーカルとのユニゾンフレーズ直前に継続的な息吹がなく、中途を削除してユニゾンフレーズから突如繋いだと思うのだがどうだろう?