再結成Deep Purple

 再結成Deep Purpleの頃になると、速弾きが顕著になってくる。楽曲も昔ながらのリフが展開されるようになり、メロディアスな部分、ポップな部分が欠如してしまい、はっきりいってRainbowを続けてほしいと当時思ったものだ。Dead Or Alive、Strangeways 等仕掛けの多い曲はテクニック的には難易度が高そうであるが、印象に残る感動的なものとは言い難い。Mitzi Dupree のソロなんかテク・スケールはシンプルだが、すごく印象深い。例えるなら、JAZZプレイヤーのテクニックはすごいし、難解なコード・リズムだと思うけど、メロディーそのものにはあまり感動を覚えない。

 

 Not Responsible のソロからラストのフェイドアウト部分まで続くフレーズも同様にテク・スケールとも平凡だが、演奏していてハートを感じるメロで妙に感慨深い。むせび泣いているWasted SunsetsLove Conquers All あたりは当然完コピ対象だ。
       

 ということで再結成Deep PurpleのアルバムはTruth HeartKnocking At Your Back DoorPerfect StrangersAnya 等メロディアスな曲を除き、あまり印象に残らない。Rainbow とは大きく自分の中では曲に対する認識が異なっている。アルバム中の捨て曲については事実上コピーはおろか、飛ばして聴くことも多い状態である。
        
 スタジオ、ステージともに指の赴くまま弾き去るプレイが随所に展開され、旧曲と比較するとブラックモアのプレイは当時とは全く別物であることがよくわかる。Child In Timeのソロなどは最後の決めフレーズくらいしか3連のビート(3連符というより曲のスピードがかなりアップテンポとなってるため、フルピッキングせざるを得ないといった感じかな・・・)に乗っていない。基本はマイナースケールのようだが、クロマティックな流れが多く、ますます指の赴くまま倍音混じりの開放弦を連発するようになり、この頃から完全コピーを断念し、ポジションとり指癖等からとりあえずは似せるように弾いて、ブラックモア節に対する感受性を失わせないようにするのが精一杯となる。


再結成Ritchie Blackmore's Rainbow

 再結成Ritchie Blackmore's Rainbowではますます冴え渡り、指は華麗な動きを増す。チョーキングで同じノートを繰り返し、素早くクロマティックを混ぜつつマイナーで下降していき、開放弦を混ぜつつミドルでフレーズを奏でた後、もう一度戻って下降していき6弦ローボジションまで到達するとチョークダウンで野太い音を聴かせ、再び更にハイポジションのチョークノートを連発してまた下降、ミドルで速弾きしつつスライドアップしてすぐ、ポジションチェンジしながら5・4・3弦あたりをダイアトニックポジションを使用しつつ上昇していく・・・・エコノミーアップピッキング連発、強烈なハンドヴィブラートを伴いタメと突っ込みの激情ソロ・・・・各フレーズ群のタイミングは超難関!
 ミドルテンポのThe Temple Of The King のロングソロですら音符を連打する突っ走りぶりである。エコノミーアップをぶちかましながらの開放弦が鳴りまくるノイジーで荒々しいこのフレーズこそが、80年代後半をベースとした90年代然とした独特の世界観。これ以上ない手練の証、琴線に触れるブラックモア節の最高峰といえよう。模倣者が比較的容易に達成できる70年代のRB節とは異なり、反射神経を必要としない何気ない平凡なフレーズまで再現に苦労する。この独特のトーン、タイミングを習得したこの時期の雰囲気を醸し出すマニアについて、世界中探しても未だかつてお目にかかったことがない。アドリブどころか、完全コピーすら誰も模倣しきれていない。本人が唯一の供給者だ。

        
   


          

 ただ、思うにこういった弾き去る速弾きというのは、技術的に指の反射神経は必要でも指癖的な動きが中止となり、アドリブを展開する際の余裕感は大きい。ただ速く弾くことに集中するだけでいい。対して強弱つけた感動的なメロデイーを生み出すことは結構難しい。アコギでゆっくり弾いたり、スライドによるプレイは本当にやっかいで、アドリブっててしょーもないフレーズしか浮かばす、自分のプレイを聴き返して録り直すことが非常に多い。当然Liveだとそのままくそフレーズとして記録されることとなる。
 実際ブラックモアも、速弾きのときは目を閉じたままプレイすることが多い中、スティール使用時はフィンガーボードを凝視し、ミスらないようにプレイしている。メロディー重視のポリシーを感じさせられる1コマだ。

            
            

 ゆっくりとシンプルにプレイするのは物凄く難しい。これはエリック・クラプトンが教えてくれた。彼のプレイを聴いた時、何で皆が彼のことをあれほど賞賛するのか判らなかった。彼はとてもゆっくりとプレイするんだよね。速く演奏するには練習さえすればいい。反射神経で演奏すればいいんだ。だが、間を入れて演奏するのは難しいよ。私にとってシンプルであることと、間を入れて音を出すことは、とても重要なんだ。年を取るに従って、弾かない音のことを考えるようになる。間がなくてはいけない。これは重要なことなんだ。人々は考えて、聴いているからね。成熟していないミュージシャンは速く演奏したがる。こんなに速く演奏すれば上手いと思われるだろう、とね。でも、スピードを落として感情を表現しないと意味がない。私も18〜19歳の頃は結構速くプレイしていたが、MOTT THE HOOPLEのメンバーに「キミはとても速いけれども、それは正当かね?」って訊かれたんだ。その頃は「何言ってんだ?」って感じだったが、後でその意味が判った。単なる練習の成果じゃ人は感動しないということさ。それ以来、もっとゆっくり弾かなければいけないと、自分に言い聞かせ続けた。ヴィブラートをきちんとやらなくてはいけないが、緊張しているとそれが上手くいかない。すぐ他の音を弾きたくなるけど「それじゃ駄目だ、弾いていたその音を、ちゃんと弾かなくちゃいけない」と言い聞かせる。(2001年当時のインタビューより抜粋)
  
 ここに自分の音楽センスのなさを感じる。ブラックモアが即興で考えた感動フレーズをただコピーするだけの楽なこと・・・手さえ動けばいい・・・・・。私にはブラックモアの才能を認識する程度の能力(自分自信の弾き易い方法を無視して、ある程度彼の流儀に合わせ、やがて自分自信の癖にしてしまう能力)はあるようだが、自分でオリジナルや発展的な創造を行う能力はとてもなさそうだ。せいぜい評論家の域止まりである。
 Deep Purple 時代よりは数段メロディアスさが戻るが、旧Rainbow の後半4枚のアルバムと比較すると、オーバーダブにより、ギターが派手なバッキングでキーボードを押しのけ(Wolf To The Moonではバッキングに3台のギターが鳴っており、くっきりと馬鹿でかい音で録音されている。ほとんどキーボードは聴こえない。)まだまだドロくさいリフを奏でる傾向にあり、個人的な感動は次のBlackmore's Night に譲ることとなる。

               

 「私はキャビネットから6フィート離してマイクを立てるというやり方をそれまでよくやっていた。ところが今回は近い距離で録るから、エコーがほとんどない。最初聴いたときは気に入らなかった。だが、近いほうが分厚くヘヴィになると言われた。実際その通りだった。ギターだけ大きすぎるのは嫌だ。ラウドには弾くが、バンドとちゃんと溶け合うミックスがいい。((ギターが聴こえない))と大勢から言われた。だがラウド過ぎるのは嫌なんだ。全体の中で聴こえて欲しい。」(ブラックナイト・リッチーブッラックモア伝潟Vンコーミュージックエンタテイメント発行より抜粋)
Strannger In Us Allの録音について述べている。特に80年代Rainbowのバッキングは埋もれて聴こえづらくコピーに苦労したもんだ。


Blackmore's Night

 Blackmore's Night に至っては、まずアコースティックということが第一関門である。そしてコード進行を憶えるのに一苦労である。(BNの曲録音時はコード進行を耳コピ後、パソコンのメモに入力しておき、それを見ながら演奏しており、空で弾くライブ演奏レベルには到底ございません。)
 ソロフレーズについてはコピーは簡単だか、アドリブには本当に苦労する。Deep Purple、Rainbow ではあまり使用しなかったメージャー系のアレンジが目立つようになり、まずは慣れきったペンタトニックを捨てた指癖を構築していかなければならない。スケールもメジャー、マイナー、ハーモニック、メロディックを利用しつつ開放弦及びコードトーンを活かしたフレーズが非常に多い。バッキングアルペジオや和音型のインストでは独特な変則(番線と使用する指が不規則な癖奏法)スリーフィンガーピッキングが要求される。
    Fool's Gold⇒    
        
 典型的なコードトーンのアコギソロをGilded Cageより。コード進行に合わせストレートな音使いでフレーズを展開させる。

         
 
 ピックによるオルタネイトピッキング並の速さは物理的に苦しいため、フィンガーピッキングについては、ハンマとプリングを活用した速弾きとなる。ただ、Queen For A Day(part2)あたりのシングルフレーズはピックであろう。

 アコギ演奏における特徴として、和音活用型のメロフレーズは必須だ。この演奏法をマスターせずして、BNは語れない。以下にRunaissance Faireをオフステージ愛用のA-32で爪弾く映像を解説してみた。コードポジジョンを取りながら高音弦でフレーズを奏でるテクニックである。Dmのポジショニングからエコノミックなフィンガリングを実施している様子が伺える。
    
           
 
 アコギは本当に難しい。ブラックモアのギターテクは間違いなく現在が最高潮であると断言する。エレクトリックほど簡単にはコピーさせてくれない。'97年来日のときはアコギでの初ステージだったためか、控えめにテクニックよりメロディーを丁寧に演奏しているようであった。しかしその後のライブを聴いてみると余裕でかなり難易度の高いプレイをビシバシ連発している。更に、最近のコンサートでは独演時間を多くさき、FTA(フィンガートレモロアルペジオ)2016,10,14 NY公演よりFires At Midnightのソロより抜粋)を様々なアドリブコード進行で決めているようだ。そしてギター歴48年の集大成を見せてくれた2004年来日の素晴らしいアコギプレイも同様だった。 曲も非常に感動的で、正しくブラックモアズメロディーが炸裂だ。
  
 このライブステージにおける超絶巧妙な演奏を所有するYairi & Lakewoodで完コピするには非常に苦しい思いを強いられる。高い弦高をフレットまで力技で押さえ込んだままプリング&ハンマ連発プレーズなんかまともに音が鳴らない! かと言って120、130万円もする彼同様のステージ用エレアコを購入する財源など確保できるわけもなく、ただひたすら過酷なフィンガリングに堪え録音している状況である。正直、指にはよくない! なので仕方なく高校時代に手彫りした指板のグレコで2014年のブラックモア節を再現 ↓ 電気的にはとっくに死んでる遺物です。

               
  
 最後に21世紀のストラト節の手癖を数例まとめてみたい。大昔ならず90年代との比較からも更に変遷を感じ入る。バッキングに関してリフは封殺!コードストローク中心の展開。マイルドな音色へ変貌し開放弦によるノイジーさが控えめとなり、再結成パープル〜再結成レインボー頃のプレイと比較すると音符が判然とするようになりコピーは容易になった。ライブプレイではワンフレーズ音符を凝縮させ最後の音符を伸ばして休止符、またワンフレーズ弾いて休止符、を繰り返していくインプロヴィゼーションが多い。(2011York公演よりJourneyman参照)ただ、相変わらずフレーズのノリを微妙にいい意味で崩しているため、ピッキングのタイミングは難しい。長年のコピー歴から音符は容易く取れるんだけれど、そこからタイミングを把握するのに時間がかかる。 たったワンフレーズの中に凝縮される強弱というか、緩急というか、硬軟というか、Just In Time的なあのタイム感はかなり異質だ。どうしてもOn Timeというか規則的な音符になってしまう。
 感性など関係なくがむしゃらに突っ走るだけの速弾きプレイは顕示欲だけで、いかにも若輩なプレイに感ずる。高速道路をアクセル踏み込んでぶっ飛ばすだけなのでインプロヴィゼーション的には楽(指の神経にとっては酷ではあるが・・・)である。ブラックモア自身も、昔のプレイは未熟だったと述べてるけど、私も20歳代前半ころまでは、そんな反射神経的なプレイこそが他人に上手いと認められる唯一の弾き方だと、ご多聞に漏れず思ってた。
 
 リッチーは
曲のためにプレイする。どんな曲なのか、どんな雰囲気なのかを頭に入れる。(中略) 速弾きしたとしても、それは飾りみたいなものだ。自分の腕をひけらかすのではなく、ケーキの上に乗ったチェリーみたいなものなんだ。(中略)あるとき俺がギターを弾いていたら、リッチーから言われたことがある。「曲のために弾いていないじゃないか。そんな激しいソロやっても、誰かを失った曲なんだろう。まずやらなければならないのは、自分が感じたあらゆる痛みまで降りていくことだ。お前、経験があるはずだからな」。俺が恋人と別れたときに、自暴自棄からリッチーは救ってくれたことがあったのさ。「あのときのことを思い出してからソロを弾け」と言われたよ。あれは大きかったね。自分の中の感情をどうやってもっと外に出せばいいか教わったんだ。すごいことだと思う。例えばI Surrender(スタジオのソロ)の音色ひとつとってみてもいい。ロジャーグローバーに尋ねたことがあった。何をどうすればギターをああいうまるで歌っているような音色にできるのか、何のエフェクターを使ったのかとね。彼の返事は「何も使ってない。リッチーが普通に弾いているだけだ」だった。(ブラックナイト リッチブラックモア伝より抜粋 スチュアートスミス談)
 I Surrenderのソロは最小限の歪みで感情移入たっぷり、完コピは超難しい!音符だけなぞって完璧、楽勝と称してる輩はごまんといるようだが。正にボーカルギターの世界だ。
   
 とにかくあの独特な音符、そして音色を出すには、相当な年季が必要だろう。というか、芸術家が音符に表現できない個性までを易々とコピーされるようでは、お飯の食いあげだろうけど。コンピューターでは絶対再現できない人間味溢れる職人の間合いだ・・・
 ここ最近ストラトで繰り返し耳にする、ブラックモア節数例を以下に列挙してみたので参考まで・・・・Where Are We Going from Here2015The Moon Is Shining ←ラストのストラトソロのフィンガリングを模す。
            

        


                 
                       

                


 80's年代後半から90's年代前半にかけてのプレイ及び編曲には正直食傷気味で、ブラックモアに対する情熱も幾分か冷めていた時期とも重なり、真剣にコピーをした記憶があまりないが、再び10代の頃のように真剣に練習しようという気にさせるモチーフをBlackmore's Night は提供してくれた・・・

        

 2016年6月、3公演ほどヨーロッパでRainbowが再現された。RBの指癖は基本アコギ仕様に組み替えられており、往年のようなフラットピッキングによるアタッキーな素早いパッセージを維持できる年齢ではなく、最近のブラナイにおけるストラト演奏のごとく年相応のまったりした雰囲気に落ち着いている。ただ、風采、仕草、指の動き、演奏時の癖はやっぱりMr.Ritchie Blackmore!である。当然いくつかはコピー録画 (Waiting For a Sign 2018)することで、最新の手本に習う。小指のヴィブラートのときに人差し指、中指を大きく指板から離隔させるのがこのところのトレンドだ。そして歪は最低限とし、Feed Backは”気味”も含め一切なし。音はペンペンしており、ミスが容易に露呈する厳しい条件で挑んでいる。もっともアコギ演奏が常套であることを鑑みるに、ペンペン気味サウンドのストラト演奏には何の重圧もなさそうだ。