タレス


タレスこそが、歴史上名前が伝わっている最初の哲学者である。

アリストテレス 『形而上学』 第一巻第三章

「最初の哲学者たちの大部分は、物質の本性に属する原理が全ての事物の原理(起源)であると考えた。全ての物がそれから成っており、それから由来し、最終的にそれに帰ってゆくものが、全てのものの要素であり原理(起源)であると、彼等は考えた。

タレスは、こうした哲学の道を開いた人だが、「それは水だ」と言っている。それゆえに、大地は水の上にあると彼は唱えた。彼がこう考えたのは、全ての生き物の養分が湿ったものであり、温かいものは湿ったものから発生しそれによって生きている、ということを見たからだろう。」

水という言葉で理解されるものは、普通は物質としての水だろう。
ギリシャ人は自然を生命体と考えていたし、人体の80%が水であるように、生物の根本は水であるから、
全て根源は水だ、という考えは納得できないものではない。
しかし、タレスが「水」という言葉で言い表したかったものは、物質としての水というよりも、
老子や孫子が水という言葉で言い表しているのと同じように、
自由に形を変え、あらゆる所に浸透してゆくような、
流動性や融通性や偏在性といった精神的な原理だったのではないだろうか。

「万物の原理を彼は水であるとした。そして世界は生命を有しており、神々に満ちているとした。一年の四季を発見したのは彼であり、また一年を365日に分けたのも彼であると言われている。師といえるような人は彼にはなかったが、ただエジプトへ行って、その地の神官と共に過ごしたことだけは別である。彼は影がわれわれと同じ長さになるときを見計らって、ピラミッドをその影から計測したとヒエロニュモスは伝えている。…」
(ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシャ哲学者列伝』―日下部吉信編訳『初期ギリシャ哲学者断片集 1』から引用)


ニーチェ 『ギリシャ人の悲劇時代の哲学』 (第三章)
「ギリシャ哲学は、一つのとんでもない思いつきから始まるように見える。水が万物の起源であり母体である、という命題である。ここに立ち止まってまじめに考える必要があるのだろうか?
─ある。三つの理由から。第一に、この命題は、事物の根源について何事かを述べている。第二に、この命題はそれを比喩や寓話でなしに語っている。そして第三に、この命題の中には、まだ繭の状態でだが、「全ては一つである」という思想が含まれている。
第一の理由は、彼をまだ宗教家と迷信家の仲間にしているが、第二の理由は、この仲間から切り離し、彼を自然研究者として示す。しかし第三の理由によって、タレスは最初のギリシャの哲学者とみなされるのである。」


付録
タレス Thales

前580年ころ活躍したギリシアの哲学者。生没年不詳。タレス,アナクシマンドロス,アナクシメネスと続くとされる,いわゆるイオニア(ミレトス)学派の創始者。イオニアのミレトスの生れ。彼の活動は,幾何学,天文学,地誌,土木技術の分野のみならず,政治的実践など広範囲にわたった。イオニアの中央に位置するテオス市に全イオニア人のための政庁を置き,その他のポリスは一地方区とする彼の改革案は,その政治的実践活動を,リュディア王クロイソスのためにハリュス川の流れを変え橋をかけることなくその川を渡らせたという話は,その土木技術を,リュディア人とペルシア人の戦争を終末に導いた日食を彼が予言したことは,その天文学的知識を,メソポタミア,エジプト旅行を通じて知ったエジプトの測地術を普遍的な学としての幾何学にまで高めたとされているのは,その幾何学的知識を明らかにするものといえよう。また彼は,古来,ソロンらとともに七賢人のひとりとされている。
 タレスは,アリストテレスにより,素材(質料)因を万有の原理とした最初の人物として哲学史の発端に位置づけられている。彼の思考のうちに,神話的思考からの脱却,ただ理性によってのみ世界を理解しようとする合理的思考の始まりを認めたからである。タレスは,超自然的な神々の名を持ち出すことなく,自然のうちに遍在し,われわれが日常経験する〈水〉によって万有の生成変化と構造の在り方を説明しようとした。すなわち,水から万有は成立し,また水へと還っていくとし,この意味で水は永遠であり(したがって神的でもある),万有の構成素であると考えた。しかし,タレスの〈根元者〉としての水は,たんに生命なき物質としてのそれではなく,アリストテレスも注目したように,万有のうちに遍在し,万有に生命と活動を与える生命原理――〈プシュケー〉(いのち,魂)――でもあったことが注意されねばならない。
(広川 洋一『平凡社 世界大百科』より)


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