『クローン人間の倫理』
読者の教室
『クローン人間の倫理』(みすず書房)、お買い求め頂いて、有難うございます。
このページは、読者へのサービスというかアフターケアというか、本で使用している資料等を公開する目的で、作りました。閑があれば(あくまでも閑があれば、ですが)、資料として重要な英語の論文の一部を翻訳して載せる予定です。あまり期待せずに待って頂ければ幸いです。
クローン問題の近況
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昨年(2003)の大きなニュースは、
クローンエイドによる、クローン赤ちゃんの誕生のニュースと、
クローン羊ドリーの死のニュース(2/14)でしょう。
ドリーの死は、他の羊も感染したウイルスによる肺疾患が原因だったようです。どこまでクローンとして生まれたことと関連があるのか不明ですが、オーストラリアで生まれた最初のクローン羊も、突然死したりしています(原因不明)し、不吉なものがあります。
クローンエイドの発表に関しては、雑誌「みすず」の三月号に書いた文章(「クローン人間は非倫理的か?」)の一部を引用すると、
昨年の暮も押しつまった12月27日、世界初のクローン人間が26日に誕生したというニュースが流れた。31歳のアメリカ人女性のクローンで、「イブ」と呼ばれる女の子であるという。また年が明けて1月3日には、オランダのレスビアンのカップルが二人目のクローン赤ちゃんを出産し、さらに22日には、日本人の40代の夫婦が、一年半前に死亡した二歳の男の子のクローンを、代理母によって出産したというニュースが流れた。
これらを発表したのは、「ラエリアン・ムーブメント」というスイスに本部を置く新興宗教の団体である。この宗教団体は、『聖書』では間違って「神」と訳されているが、実は「エロヒム(天空から飛来したものたち)」と呼ばれる宇宙人が、クローン技術によって人間を創造したのだ、と主張している。そしてクローン羊ドリーの誕生が公表された1997年2月から、クローン技術によって死んだペットやクローン人間の制作を引き受ける「クローンエイド」という会社を設立し、ネット上でその依頼主を募集し、クローン人間を誕生させるという計画をこれまでに幾度か発表している。
第三者によるDNA鑑定を拒否していることもあり、生まれた子どもが本当にクローンであるのか、今のところ客観的な証拠はまったくない。それどころか、
1)クローン技術によってヒトの胚を作成すること自体が、昨年11月末に(アメリカのACT社によって)やっと成功が報告されたように、そう簡単な技術ではないこと(ACT社は2001年末にもヒトクローン胚の作成に成功したと発表したが、この時には、胚は、今回のように「胚盤胞」の段階まで成長することなく、六分割した段階で成長を止めており、成功とは言えなかった)、
2)この会社には技術面での確認された実績がないこと、
3)イタリアの不妊治療医アンティノリ医師が世界初のクローン人間の誕生を予告した翌日に急遽発表が行われ、アンティノリ氏が予告した一月初めの直前に誕生が報じられたこと、
4)教団が言を左右して証拠の提出を拒んでいること、
などの事実から推測すれば、教団の宣伝や資金稼ぎの目的で行われた「でっち上げ」ではないか、という見方も関係者の間にはあり、その可能性も否定できないのが現状である。
一方、最初にクローン人間が今年の一月に誕生すると予告したアンティノリ医師は、その後の経過については沈黙を守っているが、クローンエイドの発表内容に関しては、批判的な発言を繰り返している。これは、もう一人の強力なクローン人間の推進者であるザボス教授も同様である。
クローンエイドは、その後(2/18)、1月27日と、さらに2月4日にも、クローン赤ちゃんが誕生したと発表しています。(その詳細は、全く不明です。)また、20組のカップルを含む、第二段階の移植に着手した、と公表しています。
しかし、サンフランシスコ裁判所からの召喚などもあり、その後のニュースは途絶えています。(2004年9月現在)
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クローンの技術的な面に関しては、最近になって、技術的な問題点についての報告がいくつかあります。
まず、「ネイチャー」に発表された研究では、クローンにおける遺伝子の発現異常を、次のように説明しています(以下、3月20日付けの「Nature Japan」からの引用)。
「正常な胚(はい)発生に不可欠な遺伝子の一群が、クローン動物の発生の過程では沈黙している(発現していない)ことが、新たな研究で分かった。…
マサチューセッツ工科大学ホワイトヘッド研究所のRudolf Jaenischらは、発生中のマウスの胚で正常に発現している70個から80個の遺伝子が、大人の体細胞からクローニングされた胚では不活性か活性が低いことを発見した。これらの遺伝子の役割はまだ明らかではないが、通常はOct4とよばれる別の遺伝子とほぼ同じときにオンになる。
胚は、Oct4の働きによって、いかなる組織をも作ることができる「多能性」を持った細胞を作れるようになる。このため、英国・ケンブリッジのバブラハム研究所の発生遺伝学者Wolf Reikは、Jaenischらの研究チームが見つけた遺伝子のいくつかは多能性にも関係しているはずだ、とみている。
『今、重要なのは、これらの遺伝子を何が沈黙させているのかを解明することだ』とReikは話す。確かにそれはきわめて基本的なものだろう。もし、発生の過程でこれらの多能性にかかわる遺伝子をオフにせずに大人の細胞となってしまったなら、細胞増殖が制御されず、がんにつながるだろう。事実、Jaenisch
が見つけた遺伝子のいくつかは、腫瘍(しゅよう)の中でも発現している。
大人の体細胞から作られたクローンでは、通常は危険な遺伝子となるであろう遺伝子の発現が抑制されている、とReikは言う。…
沈黙した遺伝子のなぞが解明できるとしても、発生の後の段階でおかしくなる可能性のあるものはもっとたくさんあり、動物を完全にクローンで作ることが困難な課題であることには変わりないだろう。(Tom Clarke)」
次に、猿のクローンが成功しないことについて、4月14日付けの「サイエンス」誌に載った研究では、こう説明しています。
「サルのクローン細胞では、細胞分裂の際に染色体を整列させる仕組みがうまく働かないことが、米ピッツバーグ大などの実験で分かった。霊長類のクローン作成が非常に難しいのはこのためで、クローン人間づくりにも同様の障害が存在することが考えられるという。
研究グループは、アカゲザルの体細胞の核などを、核を除いた卵細胞に入れてさまざまなクローン細胞を作成。その分裂の様子を観察した。
細胞が分裂する際には、まず染色体が二倍に増えて、細胞の中心部に整列。これが「紡錘体」と呼ばれる細胞内の物質によって両端に引っ張られて、別れてゆくことが知られている。
しかし、サルのクローン細胞内には紡錘体を作るのに必要なタンパク質が存在せず、きちんとした形の紡錘体ができなかった。このため、分裂した細胞内では染色体の形や数が異常になり、代理母の体内に移植しても胎児にまで成長することができなかった。
グループは「霊長類は他のほ乳類に比べ、紡錘体を形成する仕組みが複雑なのだろう」としている。」(共同通信)
こうした研究報告を見るだけでも、クローンエイドの発表が疑わしいことは解ると思います。
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その後、クローン人間に関するニュースは、殆んど途絶えていました。
アメリカ(アイダホ大学)で、ラバのクローン(Idaho Gemと名づけられました)が5月4日に誕生したというニュースはあります。これは(体細胞ではなく)胚細胞から採った核を移植したもののようです。ラバは牝馬と雄のロバを人工的に交配させてできるハイブリッド種なので、自然交配では生まれません。その点では、注目に値するかもしれません。
2003年八月になって、イタリアの研究者たちが、馬の体細胞クローンの作成に成功したというニュースが伝わってきました。8月6日のニュースでは、生まれたのは、10週間ほど前の、5月28日で、現在のところ、「完全に健康」だそうです。ギリシャ神話の神プロメテウスの名前に因んでプロメテア(Promethea)と名づけられた、このクローン馬を作ったのは、イタリアの生殖技術研究所(Laboratorio
di Tecnologie della Riproduzion)のガリ(Cesare Galli)という研究者です。二頭の馬の皮膚細胞から採った核を、他の牝馬の卵子に移植し、クローン胚を作り(作った胚は328個だそうです)、牝馬に代理出産させました。妊娠した四頭の代理母のうち、一頭だけが健康な子を産み、それがたまたま皮膚細胞を採ったのと同じ馬だったそうです。だから、偶然ですが、この馬は「自分のクローン」を産んだ訳です。
哺乳類のクローンは、羊、マウス、牛、山羊、ウサギ、猫、豚、ラバ、に次いで九例目になりますが、「自分のクローン」を産んだのは、これが最初の例になります。
今年(2004)の八月、アメリカの会社が、従来とは違う効率のよい方法でネコのクローンを誕生させたというニュースが伝わって来ました。Genetic Savings & Cloneという会社がそれで、5万ドルでペットのクローン作りを引き受けると発表しています。
CEO(最高経営責任者)ルー・ホーソン氏が飼っているベンガル・ネコからのクローンが二匹、六月に誕生したそうです。Tabouli と Baba Ganoush と名づけられたこの二匹は、別々の代理母から生まれ、その遺伝上の「親」とそっくりなのだそうです。(クローンネコ第一号のCCCat は、身体の模様が親と全く違っていました。)
従来のクローン技術は、細胞の核を取り出して、それを未受精卵に移植するという方法を用いていましたが、今回使用された「染色質移植」と呼ばれる新しい方法は、
クローン化される細胞の核の周囲を溶かし、
染色体及びその周りのタンパク質から成長に関係する特定の調節タンパク質を取り除いた上で、
浸透性の核を具えた細胞全体を、未受精卵に融合させる、
というものです。これによって、より通常の胚に近い胚が生み出され、よりオリジナルに近いクローンが誕生するのだそうです。(学術誌に発表されておらず、詳細は未確認です。)
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今年(2004)の一月になって、ザボス教授が、クローン胚を作成し、女性に移植した、と発表しました。昨年の初めに世間を騒がせたクローンエイドのボワセリエ博士もイタリアの不妊治療医アンティノリ博士も長い沈黙を続けているなか、ただ一人、ザボス教授が、ヒトのクローン胚の研究を続けているというニュースは伝わっていました。今回の発表(1/17)によると、三十五歳のアメリカ人女性にその夫の皮膚細胞から作成したクローン胚を移植したが、妊娠しているかどうかはまだ不明だそうです(その後、妊娠はしなかったと発表)。しかし今のところ、このニュースそのものを疑いの目で見ている研究者が多いようです。
2004年2月12日づけの米科学雑誌『サイエンス』に発表される報告によれば、韓国の研究者グループ(ソウル国立大の
Woo Suk Hwang 博士と Shin Yong Moon 博士)が、ヒトクローン胚からのES細胞の樹立に成功したそうです。
ヒトクローン胚については、一昨年(2002年)の11月末に、アメリカの企業(Advanced
Cell Technology社)が、ヒトクローン胚を作成し、胚盤胞の段階にまで培養することに成功したと発表しています。(ACT社は、2001年末にも、ヒトクローン胚の作成に成功したと発表しましたが、その時は、胚は六分割した段階で成長を止めており、「成功」とは言えませんでした。)
今回は、クローン胚を胚盤胞の段階まで培養し、さらにそこから「多能性の胚幹細胞(ES細胞)を取り出す」ことに成功したそうです。これは、治療型のクローン(Therapeutic
Cloning)研究にとっては、大きな成功です。
ES細胞、つまり胚の時期の幹細胞は、体内のどんな細胞にも分化しうるという「全能性」と、細胞に寿命がないという「不死性」をもった、非常に特殊な細胞です。これを利用すれば、拒絶反応を起こさない移植用の臓器を作ったり、パーキンソン病やアルツハイマー病といった難病の治療も可能になるかもしれません。
「16人の女性が242個の卵子を提供してくれた。そのうちの176個の卵子に卵丘細胞(マウスの実験で成功率が高い)から取った核を移植して、クローン胚を作り、そのうちの30個が胚盤胞の段階にまで成長した。そのうちから取った20個の細胞塊のうちの一株が、幹細胞にまで成長した。その際、14の違った手続きが試みられた。今後は成功率を向上させることが課題だ。」(2月11日づけ
The New York Times の Gina Kolata の記事から要約)
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ES細胞に関するニュースは内外ともに、たくさんあります。
特に、ヒトのクローン胚に関しては、大きな動きが生じています。
韓国でのヒトクローン胚作成のニュースを受けて、日本でも、六月に、総合科学技術会議生命倫理専門調査会で、ヒトのクローン胚を、難病の研究目的で作ってよい、という答申が出されました。
これまでは、胚は実験目的に作ってはならず、不妊治療で不可避的に生じる余った胚(余剰胚)を、その両親の同意を得て、研究目的に使ってよい、ということになっていました。実験目的で胚を作ってよいという今回の決定は、そこから一歩踏み出しています。
また、フランスでも、7月9日、ヒト・クローン胚の研究が容認されました。「フランス議会は9日、ヒトクローン胚の研究を5年間の期間限定で容認する生命倫理法を採択した。一方でクローン人間づくりを「人類に対する罪」として禁じ、ロイター通信によると、禁固30年と罰金750万ユーロ(約10億2000万円)の罰則規定を設けた。同法は、これまで禁止していたヒトクローン胚研究を期間限定で認めるとともに、人体のあらゆる細胞に成長する能力があるヒトの胚性幹細胞(ES細胞)の研究も容認する。今回の措置は1994年に制定された同法を改定する形で行われ、研究者らはアルツハイマー病などの治療法開発に役立つと期待している。」(共同通信)
ヒトのクローン胚を作成してもよいと最初に明文化したのは、イギリスでしたが、2004年8月11日、イギリス政府は、医療目的でヒトクローン胚からES細胞を作る研究の許可を出しました。
アメリカでは、ES細胞の研究を禁止する法案が提出され、下院は通過したものの、上院で揉めているという状態が相変わらず続いているようです。
資料集(翻訳)
レオン・カス「嫌悪感の知恵」(準備中)
リンク集
クローン人間に関する報告書
アメリカ 生命倫理諮問委員会(NBAC)「人間のクローン」(1997)(英語)
大統領生命倫理評議会(ブッシュ大統領)「人間のクローンと人間の尊厳―倫理的研究」(2002)(英語)
アメリカ 科学アカデミー「ヒト生殖型クローンの科学的医学的局面」(2002)(英語)
フランス 生命倫理諮問委員会(英語版 フランス語版)
イギリス 生殖と胚研究に関する法律 (1990)(英語)
イギリス クローン禁止法 (2001)(英語)
ドイツ 胚保護法(ドイツ語)
ドイツ 人間の尊厳と遺伝子情報(ドイツ語)
「ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律」(2001)
クローン小委員会「クローン技術による人個体の産出等に関する基本的考え方」
Humancloning Foundation(英語)
Humancloning Network(英語)
付録