クローン人間についての対話

『クローン人間の倫理』出版記念として、みすず書房の鬼編集者浜田氏(嘘です)によってボツになった序文を、期間限定で、出しておきます。
(因みに、著者は、「芳郎」であって、「善郎」ではありません。)


2002年夏、都内の古い一軒家
芳恵 暑いですっ。ここ、冷房、効かないんですかっ?
善郎 すみませんね。エアコンが古いもので、電気だけ食って、温度は下がらないんです。
養老 夏なんじゃから、暑いのは当たり前だのクラッカーじゃ。
芳恵 えっ、なに何っ?「当たり前だの」って?
善郎 あ、それは、40過ぎの人なら誰でも知ってる、有名な「前田のクラッカー」のCMです。養老さん、それ、古すぎですよ。
養老 最近の若いもんは、前田のクラッカーも知らんのか。著しい「学力低下」じゃ、嘆かわしいのう。
善郎 それ、学力低下とは関係ないような…
芳恵 芳恵はっ、早く帰りたいですっ。
養老 わしも、早く帰って、将棋のテレビが見たいぞ。
善郎 すみませんが、もうちょっと、我慢してください。すぐ終わりますから。
養老 今日は、対談とかゆーとったが、何の話じゃ?
善郎 そう、そう。今日は、クローン人間について、話してもらう予定で、お二人に来てもらったんです。今、問題になってますよね、クローン人間。イタリアの医師が、クローン人間の妊娠に成功したって話もありましたし…
養老 あんなもん、誰も信用しとらんじゃろ。あほらし。
善郎 そんな、実も蓋もないこと、いきなり言わないで下さいよ。これから話をしようというのに…
養老 わし、興味なし。従って、話すことなんぞ、何もなし。ソッコー、解散じゃ。
芳恵 わーっ、芳恵っ、うれしいですぅ。やっとプールに行けますぅ。バタフライで泳げますっ!
善郎 ちょ、ちょっと待って下さい。お二人がいないと話ができないんです。だって、テーマがクローン人間だし、皆さんは、私のクローン人間なのですから。
養老 は? わしがあんたのクローン? 全然似とらんのに。じゃ、訊くが、何で、わしがあんたより年上なんじゃ?
芳恵 そうですっ! 善郎さんのクローンの芳恵がっ、どーして、こんな美少女なんですかっ? アイドルの小倉優子ちゃんにそっくりってゆわれてる、芳恵がっ?
善郎 小倉優子さんにそっくりって…!?
養老 むしろ、あんたが、わしのクローン人間でなくっちゃ、おかしいじゃろ。
芳恵 そうです、そうですっ! 善郎さんの方がっ、芳恵のっ、クローン人間ですっ! そうですよね、シロさんっ?
シロ ふにゃ〜
善郎 シロさんは黙っていて下さい。
芳恵 もしかしてっ、シロさんも、善郎さんのクローン?
シロ うにゃ〜
善郎 すみませんが、シロさんはあっちに行ってて下さい。(間) 言い難いことなのですが、仕方がないので言います。えっへん。芳恵さん、あなたは、戸籍上は、男ですよね? プライバシーなので年齢は伏せときますが。養老さん、あなたも、戸籍上は、36歳ですよね? 言いたくないんですが、お二人とも、外見は、私によく似てますよね? 二人とも、私の一卵性の双生児なんですから。
芳恵・養老 …
善郎 つまり、世間ではクローン人間って、「コピー人間」とか、「複製人間」とか、言ってますけど、私の「クローン」であるお二人が、私と全然似てないってことが、大事なことなんです。自然界には、理想的なクローン人間が存在します。そうです、一卵性双生児です。DNAが同じだけでなく、生まれ育った時代や環境まで、ほとんど同じなんですから。これ以上のクローン人間なんて、ありえませんっ! にもかかわらず、養老さんは、嫌われ者の意地悪爺さんですし、芳恵さんも、性同一性障害の中年としか思えませんっ! しっかり現実を見てくださいっ!「クローン人間」なんて、幻想です、実際には存在しないんです!
養老 暑いんで、わし、ちょっと滝に打たれてくる。
芳恵 シロさん、お腹すいてるのねっ。御飯あげましょうねっ。
善郎 もし、もしっ! 芳恵さん、養老さん、帰らないで下さい!(引き止める)わかりました。訂正します。人格だけのクローンだということで、どうですか?
養老 何ゆーとるか、よーわからん。が、まあ、仮にそーだとしても、別に話すことはないぞ。
芳恵 善郎さんが、お一人で、お話しされたら、どうかしらっ?
善郎 は〜。よくクローン人間作って、宿題とか仕事、代わりにさせる、とか言う人がいますけど、そんなこと、絶対、ムリ、ですよね。もし自分と同じ性格なら、そのクローンの方も、遊びに行っちゃうだろうし、何かお願いしても、全然聞いてくれないだろうし。かのプラトンは、初期の対話編で、どういう人が友達になるのか、似ている者どうしが友人になるのか、それともお互い違う所があるから友人になるか、という問いをたて、結局、どちらにしても、友人にはならないだろうという、極めて弁証法的な結論を…
養老 善郎さん、お湯が沸いてるよーじゃが。お茶煎れてくれんかの。
善郎 あ、はい。
芳恵 芳恵はっ、お紅茶、いただきまするっ。♪紅茶の美味しい、喫茶店っ…
養老 しかし、まあ、善郎さんがゆーように、いつクローン人間が誕生してもおかしくない状況ではあるな。人間のES細胞(注;本文参照)が作れりゃ、クローン人間も作れるじゃろうし。羊より人間の方がクローン化しやすいってゆーとる研究者もおるよーじゃし。人間のクローンの方が、作るのに、くろーんしない、ってね!
芳恵 きゃっ、養老さんって、やっぱし、おやじですねっ。
養老 しっかし、クローンで人が生まれたからって、多分、どーってことないぞ。歳の離れた一卵性双生児が少し増えたって、何か、影響あるか?
芳恵 芳恵みたいな子だったらいいですけどぉ、不細工ちゃんのクローンだったら嫌ですよっ。芳恵って、自分では別にかわゆいって思ってないんですよっ、でも、皆にかわゆいってゆわれるんですっ。秋葉原(注;オタクの聖地)なんて歩いてると、写真撮らせて下さい、なんてよくゆわれるんですっ。芳恵っ、さささささっ、って走って逃げますけどっ。
養老 そりゃ、珍しいからじゃろ。
善郎 はい、お茶と紅茶です。(間)養老さん、お言葉ですが、結果ではなくて、クローン人間が生まれたっていう事実の方が問題なんです。人間の尊厳に関わることですから。
養老 ほう。人間の尊厳?
善郎 はい。自分の子どもであって遺伝子的には双生児の兄弟なんてことになったら、困りますし、自分と同じ遺伝子をもった父が、40歳でガンで死んだって分ってたら、クローンの子どもも困るでしょう。自分の未来が決まってるようで。
養老 そーゆー面倒な話は、本文で読んでもらったらどーか?
芳恵 あらっ、この本ですかっ? 『クローン人間と不倫』、えーっと、バイオ・セックス、代理妻、体外射精、むせいせいしょく…夢精生殖? …なんか、ものすごーっくエッチですっ。えっ、「恋人どうしがSMプレイに興じるのはよいことである」「オナニーや同性愛が悪いという理由は何もない」(間)…善郎さんって、大学では、教え子に手をつける、セクハラ教師って、ゆわれませんかっ!「ふふふっ、単位が欲しけりゃ、今晩ひとつ…」とかっ、ゆってるに決まってますっ! あっ、それで短大クビになったんですねっ!
養老 芳恵さんは、なんか誤解しとるよーじゃが…
善郎 違いますよ!「体外受精」です、「無性生殖」です、「バイオエックス」です。バイオエシックスっていうのは、70年代から、科学技術の発達に伴って現われてきた、生命をめぐるいろんな問題を扱うために作られた、学際的な新しい学問分野で、遺伝子操作とか、脳死の問題とか、人工妊娠中絶とか、…
芳恵 芳恵はっ、善郎さんの赤ちゃん、卸したりしませんよっ!
善郎 芳恵さん、いきなり何言ってるんですか!?
芳恵 ゆってみたかっただけですっ。
善郎 は〜。すみませんが、この本、買って、ちゃんと読んでみて下さいね。特に、今、本屋さんで立ち読みしている、あなた!
養老 わしはどーでもいいんじゃが、倫理学者としてはどーなんじゃ?
善郎 そこなんですけど、倫理学者たちは、必ずしもクローン人間の誕生に反対していないのです。こう言うと、意外に思われるかもしれません。もちろん、反対する多くの倫理学者がいます。でも、有名なところでは、英国マンチェスター大学の生命倫理学の教授ジョン・ハリスさん、オーストラリア国立大学教授(この分野の古典的な論文「妊娠中絶と嬰児殺し」等の著者です)マイケル・トゥーリーさん、米国アラバマ大学教授(それ自体が生命倫理における古典的な事例になるでありましょう『医療倫理における古典的な事例』の著者です)グレゴリー・ペンスさん、それに、我が国における生命倫理学の輝かしいパイオニア、加藤尚武教授など、クローン人間の作成には、むしろ賛成しているのです。(注;John Harris; "Clones, Genes, and Human Rights", Michael Tooley; "The Moral Status of the Cloning of Humans", 加藤尚武「たとえクローン人間が作られても法と倫理基準に照らして不正ではない」『日本の論点98』文芸春秋社)
養老 その、ジョン・ハリソンさんとか、勝とう勝負さん、とか、みんな、人と違ったことゆって目立ちたがる、ひねくれもん、じゃないのか?
芳恵 ジョン・ハリソンさんって、ビートルズですよねっ!
善郎 違います、違います! みなさん立派な学者さんですよ。もちろん、クローン人間をどんどん作ってよし、と言っている訳ではなくって、場合によっては、クローン人間を産むことが許されるのではないか、と言っているのですけど。
養老 そんな中途半端なこといわんでも、どんどんクローン人間作れって、いえばよかろうに。世間体気にしおって。どこがいかんのじゃ? 森前総理大臣(注;小渕前首相の後を受けて総理大臣になったが、人気低迷で失職)とかのクローン人間とか、たくさん作れば、日本の未来は明るいぞ。あんたと同じ「よしろう」だし。
芳恵 森さんって、西武の監督の森さんですねっ。秋山さんとかっ、清原さんとかっ。
養老 みんな、もう引退しちゃったがの。
善郎 は〜。養老さん、そんなこと言うと、<番長>清原さんに殺されますよ。
養老 じゃあ、松井じゃが、松井のクローン、九人作って、一番松井、二番松井、三番松井、って、全部松井じゃったら、すごいチームができるぞっ。全部ゴジラじゃ。
善郎 そしたら、12球団、みんな、松井選手のクローンでチーム作りますね。ピッチャー松井投げました、バッター松井打ちました、センター松井取りました、って、何が面白いんですか?
養老 うーん、でも、わしは、羽生名人対羽生名人の将棋名人戦、見てみたいぞっ。先手羽生名人、七六歩、後手羽生挑戦者三四歩って、本物の名人戦じゃ、「目指せ、神の一手」じゃ。
芳恵 そーですっ、搭矢名人、渋いですっ、芳恵っ、あこがれますっ!
善郎 もう、いいです。ともかく、功利主義や、個人の自己決定権を重視する立場からだと、クローン人間が悪いという理由も、説得力がないんです。
養老 「自己決定権」か? 自己決定権って、「自分が納得できるように自分だけで決めていい権利」って意味か?「愚行権」とかも含むってゆーよな。「愚行権」って、「他人から見ればものすごーくおバカなことでも、自由にやってよし、うんにゃ、どんなバカやってもなーんもかまわんけんねー」という権利じゃろ。(注;「愚行権」は加藤尚武教授、「なーんも…けんねー」は天才谷岡ヤスジ氏)こりゃ、大量におバカを育成する論理としても機能するよな。
善郎 養老さんは加藤先生に憾みでもあるんですか?
養老 ある訳ないじゃろ。それに、加藤教授には『子育ての倫理学』という、結構いいこと言ってんじゃん、という、いい本もあるし。でも、将来の日本は、おバカの巣窟じゃな。今の大学もバカ学生ばっか、じゃろ。割り算できんし、漢字書けんし、試験でカンニングしても単位取れんよーなアホ学生ばっかしじゃ。アインシュタインのクローンでも大量に作って、育てたほーが、日本のためじゃ。
芳恵 
(上の対話に登場する人物は、一部を除いて、実在する特定の個人・団体等とは、一切関係ありません。)


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