正月の風景


 正月の話である。「おいもう4月じゃねぇか、いまごろ1月の話かよ」と言う向きもあろうが、日本では4月から会社も学校も始まるので、ある意味4月が本当の正月だとも言える。一年の計は元旦にあり、と云ふ。だから何だというと、別にどうしたというわけでもない。いいわけはこのぐらいにして本題に入ろう。

 ちなみにベトナムは陰暦で正月を祝うが、具体的に陽暦(西暦)のいつにあたるかは年によって違う。だいたい1月末から2月初旬くらいの間である。今回は私がベトナムに来て初めての正月だ。伝統息づく千年の都ハノイの正月である。どんな行事が見られるだろうか。楽しみだ。

 で正月元日がやって来た。わくわくしながら街に出る。目指すは旧市街だ。きっと何かある、という確信があったが、何もなかった。それどころかどこも店がしまっていて閑散としている。いつもはイモ洗い状態ごったがえしの旧市街が、人もまばらだ。閉まった店の軒先に国旗がはためいているのを除けば、正月と言うよりただ寂れた感じがただよっている。 



 親戚の家をお互いに訪問して食事をするのがハノイの一般的な正月の過ごし方で、特に街でどうこうという事はないらしい。もちろん私はハノイには親戚などいないので特にすることも無い。まぁ後で職場の同僚の家に押しかけたぐらいか。

 なんかイベントはないのか、イベントは!初詣とかしないとなんか正月を迎えた気がしない。おかしな話だ。ベトナムに来る前、東京でサラリーマン生活をしていたときは、正月はほとんど海外旅行をしていてお参りなんかしちゃいない。ただ海外にいるというだけで興奮していた。で、今はハノイにいるので興奮しているかといったら、するわけない。1年近くえんえんと興奮しぱなっしなわけはない。

 で、結局ハノイ居住歴の長い友人から市内の祭りを聞き出した。ドンダーで祭りが行われるらしい。ドンダー祭りは、200年前に清国(現在の中国・モンゴル・台湾・ロシア沿海州地域を支配していた満州族の帝国)の侵略軍を打ち破ってハノイを解放した光中帝の偉業を称える祭りで、ハノイ市内で行われる正月の祭りでは最大のものだ。ドンダー公園内には光中帝の巨大な像があり、これにハノイの民衆がお参りしていた。


 光中帝は本名をグエン・フエといい、1771年に現在のビンディン省(中部)にあるタイソン(西山)で二人の兄とともに当時ベトナム中南部を支配していた阮氏政権に対して蜂起した。阮氏政権を滅ぼしたタイソン軍は北上し、86年には当時北部を支配していた鄭氏政権も滅ぼし、初めてベトナム全土を統一した。タイソン3兄弟は国土を3分割し、フエが北部を担当することになった。88年に統一ベトナムの強大化を恐れた清国が北部に侵攻するが、フエは自ら帝位につき、翌年正月にここドンダーの地で清国軍を打ち破りハノイを解放した。

 光中帝像の裏側に資料館がある。その中には清国の侵入経路の地図と戦いの様子が書かれた絵が掲げてあった。右側の絵で逃げ回っている辮髪の兵士が清国軍である。


            


 現在ベトナムではタイソン軍は革命的な農民反乱ということで英雄視されているが、実際のところどうだったかについては歴史家の間でも評価が分かれている。ただ1つ確実に言えることは、ベトナムのタイソンは耳を噛んだりしないので安心だということである。

 ドンダー祭りのおかげで、ベトナムの歴史に対する理解が深まったのは結構だったが、肝心の祭りそのものはつまらなかった。単に出店が並んでいるだけで、これといった出し物もない。もう帰ろっかな、と思っていたときにザワザワと人が集まってきた。近づいてみると、人間将棋の出し物が始まったようだ。

 ものすごい人の群れの中の見るのはしんどいが、この正月でみることができた唯一のイベントらしいイベントだ。パチパチと写真を取っているとなんか腰のあたりの感覚がちょっと変わった感じがする。あ?もしかして!と思ったときにはもう遅かった。財布をすられていた。やられた。金銭的な損失もさることながら、もっと問題は、ここからどうやって家に帰るかだ。行きはバスに乗ってきた何kmもの道を帰りは歩いて帰ってヘトヘトになった。あ〜あ、いい歳して何してるんだか。

 一年の計は元旦にあり、と云ふ。まったく正月からこれではこの一年が思いやられるのであった。


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