鉄道交通安全を考える


 ハノイには娯楽が少ない。もちろん東京とは比べものにはならないのは最初からわかっているが、他の東南アジアの土地と比べてもかなり娯楽が少ない都市と言っても良い。ただ外国にいるというだけで感動していたのは最初のうちだけで、じきに退屈になってきた。

 そうだ、旅に出よう!と思いついた。旅はいい。日常では会えない様々な事に遭遇できる。いまハノイにいるということが日本から見れば大いなる旅の途中とも言えるが、外国暮らしもそれが毎日のことになるとタダの日常になってしまう。そういえばハノイ近郊の村をちょっと調査したのを除けば、ハノイから全然出ていないなぁ。ここは気分転換をし鋭気を養うという意味でも旅に出てみるのもいいではないか。行き先はフエだ。フエはベトナム中部に位置し、19世紀に初めてベトナム全土を長期間統治した阮王朝の都だ。王宮も残っている。私は早速ハノイ駅に向かった。ベトナムは北のハノイから南のホーチミン市(旧サイゴン)まで南北に長く統一鉄道が走っている。ハノイに夜7時に出れば朝8時にはフエに着く。寝台列車はいい。寝ている間に着いてしまうので移動時間が無駄にならないし、宿代も浮く。が、ハノイ駅で長い行列を待ってやっと窓口に着くと、寝台席は売り切れだった。一応座席は残っていたが、13時間も座って行くのはしんどい。結局フエ行きは断念することにした。

 そのときハノイ駅でベトナム鉄道局が作成した「鉄道交通安全」という冊子を手に入れた。鉄道の運行に際して、当局がベトナムの庶民あてに「してはいけないこと」を中心にイラストを交えて解説したものだ。お上が庶民に伝えることには大別して、「〜をせよ」というものと「〜をするな」というものの2種類があるが、前者はあまり意味がないことが多い。お上が何かをさせようと命令しても民草は面従腹背で抜け穴をなんとか見つけようとする。特に途上国では実際の法令と現場でおこっていることが全く違うことがよくある。これに対して後者は重要である。「〜をするな」ということは、その行動が広く行われていることを意味しており、行政当局の禁止が正しい政策にせよそうでないにせよ、その行動を見ることによってその地域なりの個性を知ることもできる。ちなみに私の初めての海外渡航は大学の卒業旅行の中国行きだった。上海の町中を歩いていると看板があり、どうやら「痰を吐くな」と書いてあるらしかった。ん?タン?そんなモンはいているやつおるんかな?と思いながらさらに進むとまた同じ看板があった。さらに進むとまた同じ看板があって、今度はその看板に大量の痰が吐きかけられており、「痰を吐くな」という文字が痰でにじんで見えなくなっていた。これが本当に孔孟の国なのか?と私は中国4千年の神秘に頭を抱えたのだった。

 さて、その「鉄道交通安全」の冊子であるが、さすがに中国人向けのように「痰を吐くな」というのは無かったが、それなりにベトナムの現在を知る事ができるものだったので、以下に各イラストを紹介する。




『列車が近づいて来たときには少し離れて通り過ぎるのを待ちましょう。』

 うむ。これはもっともである。ちなみにベトナムの鉄道は単線で列車は滅多に来ない。しかもイラストに見るように田舎では踏切もないところも多いので、注意をしなければ、はねられてしまうかもしれない。イラストは模範的なお母さんである。



『踏切が下りているときは中に入ってはいけません。』

 さっきの模範的なお母さんに比べて今度のお父さんはいただけない。踏切があるにも関わらず子供の手を引いて無理矢理に中に入ろうとする。後ろの係員の注意に対しても向こうを向いてとぼけている。怪しい。本当に怪しい。お父さんではなくて誘拐犯ではないのか。




『線路の上で牛や水牛を放牧してはいけません。』

 ベトナムの農村では水牛を放牧している少年達がよく見られ、それはそれで絵になるいい風景なのだが、列車にはねれてしまっては大惨事である。こういったイラストで広く一般庶民に注意を呼びかけているということは、結構家畜との衝突事故が起きているのではないかと心配になった。寝台列車から目覚めて、おおもうフエか、はるばる来たなぁ、これからどこを回ろう、などと旅の始まりに心をときめかせて列車から下りると、車両の先頭に水牛の死体が(・∀・)コンニチハ! では旅情も台無しである。

 


『列車に向けて石や危険物を投げてはいけません。』

 子供達はあくまで無邪気に遊んでいる。だが、それが思わぬ大惨事に結びついてしまうこともままある。しかし、「無邪気」と「邪気」の境界は何だろう。子供がやれば何でも無邪気で済むのだろうか。よく考えてみると石を投げるなんてかなりの邪気のような気もする。子供だからって何でも許されると思っているのか。その疑念は以下のイラストでさらに高まる。


『信号機器を壊したり部品を盗んではいけません。』

 まったくどうしようもないクソガキだ。ここでもう一度繰り返して言うが、ベトナムの線路は単線である。ということは、信号機器の異常で列車の運行が一歩狂えば列車同士の正面衝突が起きかねないということである。本当に大丈夫なのか。
 さらに、こんなものまである。


『線路の中を勝手に掘り起こしてはいけません。』

 ・・・・って、明らかに犯罪じゃん。注意を呼び掛けるとかそういった類のものではないだろう。何なんだ、これは、破壊活動だろ。





ハッ (゚Д゚) ! もしかして・・・、これはゲリラ活動ではないのか。彼らはふざけているのでもなければましてや泥棒しているのでもなく、祖国解放のために戦っているつもりなのでは。小野田少尉のようにまだ戦争が終わったことを知らないのかもしれない。


 ちなみにこの「鉄道交通安全」の冊子の表紙はこんなの。中身の部分でイラストで表示された「してはいけないこと」が実写で出ている。実写版は水牛放牧(上)や子供のいたずら(下)に加えて、大胆不敵にも線路上で店を開いているおばちゃん達もいる(中)。



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