べじたりあんふと思う


ベジ以外のこと




S 2005.10.11 tues.   死んだら他の人の中に生きる
R 2005.10.10 mon.   橋田信介さんの死
Q 2005.10. 2 sun.   愛犬リリーちゃんの死
P 2005.10. 2 sun.   たばこと酒の自販機は異常
O 2005.9.27 tues.   カレシの 元カノの 元カレを、知っていますか。
N 2005.9. 7 wed.   旭山動物園でクモザルが死ぬ
M 2005.9. 1 thur.   戦争が自然界の反応を引き起こす
L 2005.8.18 thur.   水と100%ジュースだけ
K 2005.8. 9 tues.   私はネジバナに“頑張って!”
J 2005.8. 4 thur.   “究極の利己となりえぬ原爆”を落とした側の傷
I 2005.7.27 wed.   シーソーに羽をつけて大空に飛び立とう
H 2005.7.27 wed.   でる杭となり打たれよう
G 2005.7.17 sun.   アンチクスリ主義者
F 2005.7.16 sat.   信仰の時代は終わりを迎えつつある
E 2005.7. 8 fri.   私は私以上の人間でも以下の人間でもない
D 2005.6.29 wed.   自立した子どもを育てる
C 2005.6.28 tues.   無理だと思ったら道は開けない
B 2005.6.28 tues.   諸悪の根源は、女房に手をあげること
A 2005.6.21 tues.   マイケルの新聞記事
@ 2005.6.20 mon.   マイケル・ジャクソンを考える会代表




S 2005.10.11 tues.   死んだら他の人の中に生きる


愛犬リリーの死(2003.10)と橋田信介さんの死(2004.4)を通して、わたしは人の死のビジョンを見ることができた。
橋田さんが死んだ時泣いたのは、魂の交わりがあったから。リリーの死後泣き続けたのは、14年以上の長期に渡る魂の交流があったから。
魂の交わりがあったということは、その人が“生きた”ということ。
生きて人と関わりを持ったときに、その長さや深さに応じて魂は交わりあう。
ようするに、橋田さんが生きたことによってわたしは今の自分へと変化させられたのである。
とうぜん、家族の一員としてリリーが生きていなければ、わたしは今のわたしであったはずもない。

ああ、橋田さんは精一杯生きたぶん、幸子さん(奥様)の中に十二分に生きてるんだな。
ちょっとしたきっかけで魂を交えたぶん、わたしの中に橋田さんは生きてるな。
言葉で会話することはなかったけど、リリーは確実にしかもかなりずっしりとわたしの中に生きてるな。
(いえいえこちらからは、常に赤ちゃん言葉で話しかけていましたよ。)

リリーと魂の交わりを持ちながら成長したわたしは、リリーの死後も生きていく。
リリーちゃんは自分の中に生きており、これから一生共に生きていく。

人が死んだとき、その人が関わった人のところへ交わりのぶんだけ、魂が分散していく。
人が死んだとき、その人が“生きた”ぶんだけ、他の人の中に生きつづける。

ああ、そうか。そうだ、そうだ。
そうやって、人と人は世代や血を超えて繋がっていくんだ。
生きるってことは、そういうことだったのか。


人と人は繋がってる。動物も繋がってる。すべて繋がってる。
すべてはひとつだ。

ちなみに、遠藤周作というひとは、わたしの中でどっしりあぐらをかいている。




R 2005.10.10 mon.   橋田信介さんの死


5月27日、イラクで2人の日本人記者の乗った車が襲撃された。
橋田信介さんの死は、わたしに大きな衝撃を与えた。

イラク戦争とか、人質になった日本人とその家族に対する「自己責任」バッシングの様子をみてて、とても深く沈み込んでしまっていたときに、月末金曜放送の「激論 朝まで生テレビ」に登場した橋田さんに、わたしは強く励まされた。あぁ良かったと、なんだかとても希望がもてた。大きな影響をうけました。
その後、橋田さんはイラクに行って襲撃され、死んでしまいました。
このショックは大きかった。2004年4月末の朝生に橋田さんは出てた。そして、5月28日(金)の朝生の前日に襲撃された。朝生は、自然に橋田さんの話題。しんみりしてた。小林よしのりさんが泣いていたように記憶する。。わたしも泣いたよ。不思議だった。なんで、俺は泣いてんだ?と。
つい最近までほとんど知らなかった橋田さんの死。
わたしとの接点は、あの日の朝生ぐらい。

そんな、ほんのちょっとした、わずかな接点だったけれども、そのときにテレビを通して橋田さんから受け取ったものの大きさに気づかされた。きっと、朝生を見てなきゃ、泣いてない。ある点で交わり、彼の魂がわたしの魂に働きかけたからこそ、彼の死の衝撃は大きく、涙があふれでてきたんだというふうに感じた。




Q 2005.10.2 sun.   愛犬リリーちゃんの死


ふぁんぶんのいち  投稿者: ポーク→歩奥  投稿日: 6月27日(月)19時08分27秒
昔、死んだら他の人の中に生きるということを書き込んだものです。 14年共に生きた愛犬リリーが昨年10月他界しました。泣きました。当分泣いていましたが、14年間一緒に生きてきたなかで彼女から私が受けたものの大きさに気づいたとき、今でも死んでからでもリリーは自分の中に行き続けているんだと感じ、楽になりました。リリーがいなければ、今の自分はいないんですね。彼女との関係のなかでしか得ることができなかったもの、感じることができなかったことが沢山あったはずです。家族の一員として存在してくれていたから、今のわたしの家族が今の形で存在し、今のわたしが今の状態で生きてるんです。それがわたしには、家族みんなのそれぞれの中に今でもリリーがどっしりと生きつづけているという風に感じられるのです。そして涙も止まるんです。たかが犬一匹、されど犬一匹です。
(劇団そると さんの「そるとの瓦版」というBBSより)




P 2005.10.2 sun.   たばこと酒の自販機は異常


みんなの広場 “たばこと酒の自販機は異常” 【専門学校生27】
 日本へ来て1年ぐらいたちました。日本へ来た時、驚いたものがあります。それはどこにもあり、何でも買える自動販売機でした。韓国の自動販売機で買えるのは飲み物やティッシュペーパーなどですが、日本の自動販売機では、考えられない物まであるので驚きました。
 韓国には、たばこの自動販売機がありません。未成年の喫煙を止めるため全部廃止されました。でも日本は、たばこの自動販売機がどこでもあります。たばこを、だれでもどこでも買えるようにしているのを見て、危ない感じがしました。お酒の自動販売機も同じように思いました。
 どこでもだれでも買える自動販売機がある日本は便利な生活ができますが、お酒とたばこは、少し考えなくてはいけない問題だと思います。便利な自動販売機ですが未成年にとっては買えない物まで買えるので、魔法の自動販売機ではないだろうかと思いました。
(毎日新聞9月27日朝刊4面)




O 2005.9.27 tues.   カレシの 元カノの 元カレを、知っていますか。


エイズ検査は、あなたにも、必要です。
少しさかのぼっただけで、知らない他人とつながっている。
『エイズなんて関係ない』と、あなたは言い切れますか。
日本では今もなお、HIV感染者やエイズ患者が増え続けています。

(財)エイズ予防財団 http://api-net.jfap.or.jp
0120−177−812 携帯電話からは03−3592−1183
[HIV抗体検査は、各地域の保健所で無料・匿名で受けられます。]
(毎日新聞9月26日夕刊10面下部のAC公共広告機構の広告より)
公共広告機構、応援してます。
でも、この広告、すごく怖いです。顔をぼやかした若そうな男が突っ立ってる写真。
「カレシの 元カノの 元カレを、知っていますか。」

これだと、ほとんどの人に当てはまってしまいませんか?
全員検査したほうがいいの?わずかでも可能性があるんだから検査せよと?

献血も、あるいみ検査の役割を果たす。でも、エイズ検査を目的とした献血はダメ。

ん〜(゚д゚) むじゅいなぁ

兎に角、兎に角、献血はしよう。基本的には献血しよう。
うん、そして不安要素があるなら、簡単な検査だから、気軽に検査しよう。
そんな感じかな。 最もイケナイのは、自分が感染源となってしまうことなんだろう。




N 2005.9. 7 wed.   旭山動物園でクモザルが死ぬ


旭山動物園でクモザルが死ぬ
 北海道旭川市の旭山動物園(小菅正夫園長)で人気の新施設「くもざる・かぴばら館」で、雄のクモザルが雄のカピバラに腹をかまれ、死んでいたことが分かった。事故があったのは8月29日午後2時ごろ。世界最大のネズミのカピバラが遊び場にしているプールに、樹上生活するクモザルが入り込み、2匹が水中で争いになったという。クモザルはカピバラの牧草を横取りするなどの行動がみられたといい、餌がトラブルの一因とみられる。
(毎日新聞9月5日夕刊8面)
天王寺動物園のサル山のサル全滅とか、そういう記事に非常に目がいく。

旭山動物園
くもざる・かぴばら館のページ
飼育ニュース くもかぴ館の悲しい出来事(8/29)のページ


クモザルのシャボ君は、カピバラ(巨大ネズミ)にちょっかいをかけていました。カピバラがいままさに食べようとした牧草を奪い取ったり。調子に乗りすぎたシャボ君はある日(事故の一週間ほど前)、カビバラに腕を噛まれてしまいました。カピバラに一目置くようになったシャボ君は、なぜかこのあと、カピバラの遊び場のプールに入るようになるんです。普通クモザルは水を怖がるみたいです。暑かったのかな。そしてとうとう8月29日にケンカして、お腹を噛まれてしんでしまいました。

この闘争中、シャボ君を助けようとクモザルのメスがプールに入ったということです。

この「くもざる・かぴばら館」は、実は今年の8月7日に新たに開館したばかりの施設でした。


サル去って、ヤギ 山に登る…大阪・天王寺動物園 動物トピックス : YOMIURI ONLINE(読売新聞)





M 2005.9. 1 thur.   戦争が自然界の反応を引き起こす


戦争が自然界の反応を引き起こす
 “母なる大地”に爆弾を投げつけるとき、その振動が惑星の中に始動する。これらの振動はやがて地震や土砂くずれや洪水を生み出すだろう。(略)
 母なる自然を破壊するとき、あなたは自分自身を破壊するのである。

・・戦闘機は橋や建物を生命のないもののように爆撃した。しかし、橋や建物は生命のないものではない。なぜなら自然のすべての要素には主が存在する。誰も母なる自然に弾丸や大砲を撃ち込む権利を有するものはいない。これをいま学ぶ時である。なぜなら自然界で乱されたエネルギーは、地震や火山活動となって爆発しようとしている。

世界に起こっている災難 ― 洪水、地震、火山の爆発 ― は人間の行動の直接的結果である。(略)
 戦争の暴力は自然界全体に反応を引き起こし、それは災難や飢饉や爆発を引き起こした。砲弾やその破片を戦場に飛び交わせたのと同じエネルギーが、何百万トンもの水を陸地に持ち上げて投げつける。
(ベンジャミン・クレーム監修『いのちの法則』168頁〜170頁より抜粋)
ハリケーン「カトリーナ」による死者、130人突破 : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

8月31日(水)の毎日夕刊には100人超とあるが、
オンライン記事(2005年9月1日1時16分 読売新聞)によるとすでに130を超えたらしい。
犠牲者数がさらに増えるのは確実だそうです。

人間の命は、とても儚いです。




L 2005.8.18 thur.   水と100%ジュースだけ


水と100%ジュースだけ
・・・全米で社会問題化している子どもの肥満を防ぎ、健康に配慮するため、小学校の自動販売機では水と果汁100%のジュースしか売らないなど学校で販売する清涼飲料の種類を制限する計画を明らかにした。・・・全米では成人の肥満人口が世界一に達している上、子どもの肥満や体重過多も急増。親の目が届かない学校で簡単に糖分の多い飲料が買えることが問題視されている。
(毎日新聞8月18日夕刊9面)
題名を見てあるひとは、歩奥氏の不食話かとおもっただろう。

小学校に自動販売機を置くな。
それだけの話です。 “金” と “子どもたち” を天秤にかけるまでもなく、金が大事なんですね。で、あまりにもひどすぎるもんだから、いっぽ引き下がった。それだけ。そんなんだから、100%ジュースたりとて安心はできかねる。精製し尽くした白砂糖と添加物による汚染から、除草剤・殺虫剤・殺菌剤による汚染へとシフトしただけに過ぎぬかもしれない。




K 2005.8. 9 tues.   私はネジバナに“頑張って!”


みんなの広場 “私はネジバナに“頑張って!”” 【無職54】
 6月30日本欄「どこから来たのネジバナさん!」を読みました。私の家にも、4〜5年前に突然現れました。それもプランターの隅にです。はじめ、変わった葉を見つけ、そのままにしておいたら、3本の花芽を出し、ネジレながら咲き始めました。今までに一度も見たことがなかった花で、とても感激しました。
 私の母は89歳。以前は花好きで一年中いろいろな花を咲かせていました。学生のころ、母に「つぼみが3個付いたよ」などと、うれしそうに話しかけられても、そっけない返事をしていた私でした。ところが年を重ねるごとに植物がいとおしく思えて、今は、雑草でも花を咲かせてあげようと取らずにいます。
 ネジバナは昨年は咲かずに、1株消えてしまいましたが、残った株に毎日「頑張って咲くのよ」と話しかけ大切にしてきました。最近は白っぽく色を付け始め、毎朝の楽しみが一つ増えています。本当に、どこから来てくれたのでしょう。いごこちがよければいいのですが、いつまでいてくれるのか少し心配です。
(毎日新聞7月21日朝刊4面)
気になったので、この投稿のページを切って置いていました。
ネジリバナ。最近のマイブームってやつですね。

“残った株に毎日「頑張って咲くのよ」と話しかけ大切にしてきました。”
わたしたちの思いは、植物に届きます。
わたしたちの思いのぶん、そしてそれ以上に植物はちゃーんと返してくれるんです。




J 2005.8. 4 thur.   “究極の利己となりえぬ原爆”を落とした側の傷 


1万6000人に人体実験
 米政府は93年、ユタ州、テネシー州などで放射性物質の意図的な放出を48〜52年に13回行ったことを認めた。ワシントン州ハンフォードでも49年、ソ連の核開発探知のため最も有効な装置を選ぶ目的で、放射性ヨウ素が放出された。エネルギー省は施設周辺に探知機を設置し、放射性物質の流れを記録したが、住民には一切警告しなかった。
 一方、大気圏核実験は60年代まで続けられた。実験場では、通常武装の兵士に対する身体的、心理的影響を調べるため、爆心地に突入する演習も行われた。きのこ雲の中を飛行機で通過させる実験もあった。核戦争を戦うため、戦闘機や防衛装置と同様、兵士の放射能耐久度も調べておく必要があったからだという。
 95年8月の政府報告書は、政府や関連機関が31〜77年にかけ、約1万6000人に対して放射能の人体実験を行ったことを認めた。この中には病院患者へのプルトニウム注射、精神障害児への放射能性物質を含む食事供与、服役囚の体の部位に対する放射能照射実験などが含まれていた。
(毎日新聞8月4日朝刊6面)
わたしにとってプラスなことが、他の人にマイナスであったり、
他の人にプラスなことが、わたしにマイナスであったりすることはないと思う。

みんなにとって良いことが、わたしにとって良いことで、
地球にプラスなことが、わたしにとってもプラスなんだと思う。

すべて、つながってるように感じる。
究極の利己は究極の利他であり、究極の利他は究極の利己なんじゃないかと最近思う。

地球を汚すような行いが、わたしにプラスなはずはなく。
動物を苦しめることが、わたしにプラスに働くはずはない。
表面的には美味しいというプラスを得るかもしれないが、
トータルでみれば、直接的にも間接的にも確実に人体を蝕んでいる。


原爆を落とした側の傷。この記事をよみ、やっぱりそうかと思う。

地球を破壊しかねないような危険なもの、多くの苦しみや悲しみを生み出すもの。

落としたがわ、落とされたがわに関係なく、
そんなものが、わたしたちにとってプラスにはたらくはずはない。

同じく6面に、核実験に関与した「アトミック・ベテラン(被ばく退役軍人)」と呼ばれている米国の軍人
約40万人の多くが、政府に口止めされたまま被爆による病で死んでいったという記事がある。

その記事の見出しは、 「まるで動物実験」 ・・・・・・・。

動物実験の恐ろしさを垣間見た。




I 2005.7.27 wed.   シーソーに羽をつけて大空に飛び立とう


こんなくだらぬ日本社会の中に普通でいると、腐ってしまう。
エネルギーの奪い合いの加害者となり、被害者となり、慢性的エナジー不足に陥る。

そういう時代は終りつつある。
エネルギーをお互いに、お互いから、いかにして奪い取るか。・・・そんな時代。
それは、くだらぬシーソーゲームでしかない。

ほんとに自分のこと、相手のこと、みんなのこと、地球のことを考えるなら、
そのシーソーごとみんなで大空に舞い上がってゆくようなイメージで、いてほしい。

シーソーに羽をつけて大空に飛び立とう
それは、奪い合いではなく、 与え合うこころ そして 分かち合うこころ が可能にしてくれると思う。




H 2005.7.27 wed.   でる杭となり打たれよう


もし、透明ハンマーで打たれたら、でる杭となりえたと思いて、自信もって更に歩みを進めよう。

そうでもしなければ、だめになる。日本人全体のレベルは低すぎる。
周りを見回し、みんなこんなもんだと安心して終了。
あんなやつもおると、下をみて指差し笑い、今現在のその自分を正当化して終了。
自分以上の人がいれば無意識にねたみ、悪いうわさでもたてて落としてやろうとしたり、
ちょっとしたことをとりあげて、だからあいつはたいした人間じゃないとか言って納得したり、
みんなで後ろ指さしたりして、かわいい自分の自尊心を傷つけぬように処理して終了。

まわりのやつらがそんなだからと安心し、差し障りなく生きる日本人。
でる杭とならずして、まともに生きる道はない。




G 2005.7.17 sun.   アンチクスリ主義者


職場健診 胸部X線廃止検討  厚労省 有効性に疑問
・・・見つかる結核患者が受診者1万人に1人未満と少なく、発見の利益よりエックス線被ばく害が心配されるだめだ。・・・エックス線被ばくの影響で発がんする人が延べ数万回から10万回の受診に1人出ると推計される―と指摘。特に必要な人だけを検査すべきだと主張している。・・・
(毎日新聞7月17日朝刊1面)
ほとんど無意味に発がんリスク負わされてたんかー!!!なんていうオタケビを、いまさらのようにあげるべきではない。またか、と。 やっぱりか、と。 そんなもんだ、と。 軽くあしらおう。

ここで、宣言しよう。もうX線検査は断固拒否すると。
結局は、金のために、有害無益なことをやりつづけてきたんだ。すべては金のためだ。業界の連中が高級霜降り和牛を喰うために形だけの検査が行われる。なにもしらないわたしたちは、無意味に金を払い、無意味に自らの肉体を傷つけられる。
しかし廃止で1000億円規模の影響が出るとみられる業界は、検討会で「有効だとの証拠はないが、有効でないとの立証もない」と猛反発。日本医師会の委員も同調しており、最終調整は難航しそうだ。
医者とか、あんま信用したらあかん。クスリも飲まないほうがいい。逆からよんだらリスクだ。結局、クスリでは健康になれない。クスリが健康へ向かおうとする自らの治癒の力を弱め阻害する。クスリにリスクはつきものだ、というより、クスリは裏を返せばリスクそのものなんだ。

ごめんなさい。わたしはアンチクスリ主義者であり、基本的にアンチ西洋医主義者です。そしてわたしは菜食主義者です。
お世話になるのは、コンタクトの検査と、歯医者、健康診断、それと献血くらいです。
クスリを飲むことは、よっぽどのことがない限り一生無いと思います。

肉を食べないので心身ともに健康でいられますから、クスリなど無用の長物です。
(肉や薬やタバコの悪循環で自らの肉体と精神を傷つけている人への忠告です)




F 2005.7.16 sat.   信仰の時代は終わりを迎えつつある


東京地裁判決「詐欺行為そのもの」
 宗教法人「法の華三法行」の巨額詐欺事件で、詐欺罪に問われた元教団代表、福永輝義(法源)被告(60)に対し、東京地裁は15日、懲役12年(求刑・懲役13年)を言い渡した。
(毎日新聞7月16日朝刊30面)
法の華の本を持っている。高校時代、通学路で配ってたのを友達がもらい、「いらんからあげるけど、あんまハマらんほうがいいで」という軽い忠告とともにそれをわたしがいただいた。
たぶん読んだ。さらっと読んだ。

もう、信仰の時代は終わりを迎えつつあるのではないかと、最近思う。

@物質的豊かさを追求してきたが物質的に満たされたところで、真の自分は満たされない。そうして、信仰の時代が訪れる。心の豊かさ精神の豊かさを宗教に求める。
A一部の宗教(多くの宗教)が、わたしたち日本人を裏切り始める。宗教は金に走る。幹部連中は権力に執着する。事件が多発する。日本人のなかに宗教にたいする不信感が充満していく。
B信仰から抜け出す。信じ込み、崇め奉り(あがめたてまつり)から抜け出す。宗教戦争等を冷静に客観視する。宗教を越えた宗教を求める。宗教という枠に閉じ込もらない。ある宗教徒だとしても、他の宗教をこころから受け入れる。もっともっと広い視野で、にんげんのこと地球のこと宇宙のことを理解しようとする。信仰し献金する我輩のみぞ救われる、というところから、真に全体のみんなのすべての生き物のことを思えるという段階に進む。

そんな、変化がここ100年くらいの日本でおきているのではないかと思うのです。
ベジタリアニズムの広がりも、こうした人類の進化の流れのなかにある大きな一歩であるように感じます。




E 2005.7.8  fri.   私は私以上の人間でも以下の人間でもない


俺は、今見せてる俺以上の人間でもないし、以下の人間でもない。
わたしは、いつもそう言う。いつもそう言って来た。でも、ひとは普通、自分を自分以上にみせようとする。だから、おかしくなる。そのままでいいのに、そのままが好きなのに、背伸びしたり、ええかっこしたり、知ったかぶりしたり、頭いいぶったり、いいひとぶったり、偉そうぶったり、する。
いくら頭いいぶったり、いいひとぶったりしたとしても、そのひとは、見る人が見れば一目瞭然、頭いいぶってる人、いいひとぶってる人、にしか見えない。

だから、無駄な努力はやめるべきだ。“〜ぶる”のは金輪際やめるべきだ。
ええかっこしてたってしかたがない。大切なのはその人自身なんだから。だから、本当の自分を成長させるしか道はない。〜ぶってしまうほど今の自分に不甲斐なさを感じているのなら、そのなりたい理想の自分に向かって本当の自分を伸ばすほうがいい。



D 2005.6.29 wed.   自立した子どもを育てる


“心に映ったまま描いて”  安藤忠雄さんのメッセージ
 「こころづくり絵画教室」は、子どもたちが自分たちのふるさとでもある大阪湾や六甲山を眺めながら、半日かけて、自分の思いのたけを絵にしていきます。絵は自分の心の中に見えたままを自由に描いてほしい。他人にはわかりにくい複雑な絵でもいい。心も複雑なんですから。そして絵を描くことにあきたら、友達と大声を出して遊んでもかまいません。
 今は子どものころから勉強に追われ、自由な時間が少ない時代です。「こどもをの心を持った子ども」を育てるためには、自然の中で、子ども同士で遊ぶ時間が必要。遊びの中で子どもたちは人間関係を学んでいくのです。
 また、絵に限らず、人生すべてに通じることですが、お父さん、お母さんは子どもに手を差し伸べるのは最後の最後にしてもらいたい。そのことが「生きる力」を備え、自立した子どもを育てることにつながるのです。
(毎日新聞6月29日朝刊24面)
先回りして道を用意することでも、手をしっかり繋いで歩くことでも、即座に正確な答えを与えることでもなく、“見守り続ける”ことが大切なんだ。
最後の最後の、本当のその瞬間その絶妙なタイミングで手を差し伸べることができるのは、
“見守り続けて”いるからであって、これは“ほったらかし”を意味しない。




C 2005.6.28 tues.   無理だと思ったら道は開けない


みんなの広場 “無理だと思ったら道は開けない” 【主婦42】
 14日本欄「全国デビューを果たしたのだ」を読み、「夢ってかなうんですね」という言葉が心に響きました。以前に見たアニメーション映画の感動を思い出したのです。
 それは、古代ギリシャの英雄ヘルメスが、この世と霊界を行き来できるサンダルを与えられた時「こんな小さなものがわたしに履けると思うのかい?」と、案内役の妖精に言うシーンです。
 妖精は「そう思う前にまず履こうと思ってごらんなさい。履こうと思った時に、すべて新しい始まりをむかえるのです」と答えます。実際、履こうとすると、サンダルはみるみる大きくなり、ヘルメスは霊界探索へと飛び立つのです。
 この時、「無理だと思ったら、道は絶対開けない」ということが心に刻まれました。投稿者の童話を書きたいという大きい夢もきっとかなうことでしょう。
(毎日新聞6月26日朝刊5面)
「道は開ける」良い言葉だ。前に読んだ啓発本を思い出したよ。




B 2005.6.28 tues.   諸悪の根源は、女房に手をあげること


憂楽帳 “記念日” 【広田正人】
「諸悪の根源は、女房に手をあげること」。親しい取材相手がよく言っていた。夫婦の不和が外での不幸・不遇に通じ、逆に円満なら仕事も酒席も総じて順調・愉快とか。経験則らしい。抽象的な表現ながら、妙に説得力があった。(略)
(毎日新聞6月16日夕刊9面)
女性に暴力をふるっちゃいけないのは当然なんだけれども、そこじゃなくて、もっと全体的に、いろんな人との関係がこじれたりなんかして、恨んだり恨まれたりすると、ほかのいろーんなことに悪影響がでるんじゃないかという問題意識に結びついたので。




A 2005.6.21 tues.   マイケルの新聞記事



全米驚き ファン歓声  当事者に深い傷
「子ども好きのヒューマニスト」か「小児性愛の犯罪者」か。世界のスーパースター、マイケル・ジャクソンさん(46)に対する13日の米カリフォルニア州サンタバーバラ郡地裁陪審団の評決は、少年に対する虐待など10の罪すべてが無罪で、全米に驚きが広がった。疲れきった表情のジャクソンさんと、激しく泣く少年の親族。子どもを巻き込んだ裁判は、双方に深い傷を残してようやく幕を下ろした。(略)
(毎日新聞6月14日夕刊11面)
わたしも、泣くぐらいうれしかった。
もし、マイケルがわたしを裏切るなら、
人間不信に陥ること間違いなしですから。




@ 2005.6.20 mon.   マイケル・ジャクソンを考える会代表



"マイケル被告 無罪" から、
もう、一週間がたちました。

特別ファンだとか、音楽が好きというわけではありませんが、子ども好きのマイケルが私は好きです。
純粋に、子どもが好きなのでは? そして、彼自身も永遠に子どもなのでは?

性的なものと結びつけるのは、アメリカ社会の異常性ゆえでは? アメリカでは、なぜか子ども、男の子までも大人にねらわれて、性的犯罪の被害者になる。それが、あたりまえになってる。異常事態が、常識化してしまった社会だ。

だから、マイケルが、子どもと一緒に寝ると、性的虐待、わいせつ行為、等等と結びつけたくなるんだろ。

これは、日本でも、そうなりつつあって、哀しい。
男が、女の子に話しかける。ということが、もう、とても、とても、性的犯罪臭くなってしまった。 哀しい。

女児の命を守らなければならない。でも、残りの男の99.999…%は、普通の男ではなかったか。
それなのに、全部の男が、そういう目で見られる。みんながそういう目で男をみて「気をつける」ことによって女児を性犯罪から守っていこうとする社会。
私は、そんな社会を望まない。女性専用車両についてもしかり。

アメリカはすでに男児を大人の男の魔の手から守ろう守ろうとしている社会である。
日本も、近い将来、事件が起こって、アメリカの後を追うんだろうか。

たまたま、まいけるの話で始まったので「まいける考」と名づけましたが、
適当に、日々思ったことを書く所にします。







とっぷぺーじへGO!