2009.04.15
< 前ページ

 
●最年少だったR三郎丸
   
原: 先ほど光吉さんからS.S.T.BANDに参加した当初は大変だったというお話があったんですけど、並木さんも先輩ということで厳しかったんじゃないですか?
   
光吉: いや、並木さんは同じセガ社員だったんで、立場的に僕に近い感じでしたね。なんで僕のことをフォローというか、世話してくれましたね。
   
原: でも、並木さんは「光吉はみんなのオモチャだった」みたいなコメントをしていたことがあったんですが(笑)。ステージドリンクの水が熱い味噌汁になっていたりしたとかありませんでしたか?(笑)。
   
光吉: あぁ、あったなそんなの(笑)。僕が一番覚えてるのが、観音崎でレコーディングやったことがあったんですけど、あそこって場所的に(幽霊が)出るとこじゃないですか。で、「ラッドモビール」か何だったと思うんですけ、僕のピアノソロのレコーディングが始まってしばらくしたら、誰かが「バン!」って照明消すんですよ。スタジオのブースが真っ暗になって。そういう場所って聞いてたから怖いじゃないですか。みんな笑ってるんですけど、「やめてくださいよぉ」みたいな。
   
大野: マスコット的だったんだよね。一番若かったでしょ。
   
光吉: 若かったですね。でも、その当時は必死だったんで、こういうものなのかなって(笑)。今にして思うとイジメられてたのかも(笑)。でもいい経験させてもらいましたよ。
   
原: 今、ちょうど(幽霊が)出るって話があったんで、ついでにお聞きしたいんでけど、「メガセレクションII」っていうベスト版に入ってる「ボナンザブラザース」に、なんか人の声らしきものが入ってるような気がするんですが(笑)。
メガセレクションII
1991年に発売されたS.S.T.BANDの2枚目のベストアルバム。このアルバムでしか聞けない新曲として「ボナンザブラザーズ」を収録。
   
光吉: ど、どういう?
   
原: (幽霊が)出るって話とは関係ないと思うんですけど、いやきっと関係ないんですが、「これ本番?」って(笑)。
   
光吉: 言ってると思います(笑)。
   
原: ネタとして、仕込んでるのかなぁと思ったりもしたんですが。
   
光吉: おそらく「ボナンザ」ならそうですね(笑)。
   

 
●初オリジナル曲“Belldeer Wind”
   
原: S.S.T.BANDではゲームとは関係ない完全オリジナルアルバムとして「ブラインドスポット」を出していましたが、その前にも「フォーミュラ」で“Belldeer Wind”という初のオリジナル曲を作られてますよね。
   
光吉: あぁ、はいはい。
   
原: まず曲を最初に作って、それをメガドライブ用のゲームの曲に使うということだったんですけど、そのゲームが発売中止になってたってご存知でした?(笑)。
   
大野: あぁ、それサイトロンで作ってたんだよ。
ブラインドスポット
1992年に発売されたS.S.T.BANDのオリジナルアルバム。S.S.T.BANDメンバー作曲によるオリジナル曲を10曲収録。
   
光吉: そうなんですか?
   
大野: 車の奴だよね。
   
原: F1シミュレーションゲームですね。
   
大野: そうそう。
   
光吉: へぇ、知らなかった。
   
原: サイトロンで開発していたというのは、メガドラマニア的には初情報です(笑)。個人的にはFM音源ヴァージョンも聞いてみたかったのですが。
   
大野: 元々はF1の立体音響を別の企画でやってて、僕が鈴鹿に行ってダミーヘッド(全方位的なマイク)で音を録ったりしてたんだよね。で、録ってきた効果音だけで(企画の)イメージ曲を作ってよって松前君に言ったんだけど、「いや、それはちょっと無茶です」って(笑)。
   
光吉: (笑)
   
大野: その流れでできたのが“Belldeer Wind”なんだよね。
   
光吉: それの延長線上で、「R-360」の曲もスピーカーを持って走って録るとかやりましたよね。
   
Hiro: スピーカーを持って走る?
   
光吉: ダミーヘッドの周りですね。スピーカー4つぐらいパラで出して、ドラムの音だけとか「グワァー!」って物理的に動かして。
   
原: 物理的に動かすんですか(笑)。
   
光吉: たしか、そういうありましたよね。松前さんとかそういう実験的なの好きじゃないですか。
   

 
●S.S.T.BAND後期の裏話
   
原: 光吉さんはS.S.T.BANDでご自分でアレンジした曲はあるんですか? 例えば「ストライクファイター」はご自分の曲ですよね。それともアレンジは松前さんだったんでしょうか?
   
光吉: 「ストライクファイター」に関しては、S.S.T.のアレンジなんで、松前さんが中心になってですね。でも、僕の頃は松前さんが叩き台を作って、レコーディングをする時に、ギターじゃないとできないフレーズとか、そこでチョコチョコ変えていく感じだったと思います。
   
原: 他の方の曲をやることもあったと思うんですが、例えば「ラッドモビール」や「ボナンザブラザーズ」とか。そういう場合は、素材をもらって、どう自分達で表現するかという捉え方だったんでしょうか?
   
光吉: 作曲した人とのコンセンサスは取れてたかどうかと言うと、さっきの師匠の話じゃないですけど、勝手にやってたかもしれないですね(笑)。
   
大野: ちょっと思い出したんだけど、S.S.T.BANDのBANDが取れた時期が後半にあるんだよね。S.S.T.はセガのサウンドチーム全体のことで、アレンジやライブをやるとBANDが付くみたいなことになったんじゃないかな。メンバー以外のセガの人が作った曲もオリジナル版で収録されるわけじゃん。
   
光吉: あぁ、なるほど。
   
大野: 「ブラインドスポット」はBANDが付いてるんだよね。メンバーで作ってるから。
   
原: この時期にロゴが矢印みたいなのに変わってますよね。
   
大野: 矢印のはセガが作ったのかなぁ? 前のは僕ら(サイトロン)の方で作ったんだけど。
   
原: 「ブラインドスポット」と言えば、F1のテーマ曲になりましたよね。ちょうど優勝してTVでかかった時に、たまたま見てて「おぉ、すごいな」って思ったんですけど。
   
大野: かかったんだっけ?
   
光吉: かかったらしいっすよ。メンバーの中では「これ売れるかも!?」みたいな話をしたんですけど(笑)。
   
大野: ゲルハルト・ベルガーとリカルト・パトレーゼだ。最初、フジテレビに打ち合わせに行った時「セナはダメだからって」って言われて(笑)。
   
  (一同笑)
   
大野: あの時は、僕がオリジナルアルバム作ろうって、「全曲スポーツのタイアップ決めてやる」とか言って、選曲したんだよね。なんとか2曲決まったんだけど「他の曲はどうなったんですか?」とか言われて(笑)。「今、バレーボールにアプローチしてるんだよ」と言ったけど、ダメだった(笑)。
   
光吉: でも僕の曲、ワイドショーの殺人事件で使われました(笑)。
   
  (一同爆笑)
   
  
  次回は、その後の活躍や[H.]のエピソ−ドについてお伝えします。お楽しみに!


Hiro師匠&光吉猛修インタビュー 4/4回へ

< 前ページ


目次へ戻る