2009.04.15
 
S.S.T.BAND結成前夜
S.S.T.BAND初期の裏話
メンバー交代の真相
最年少だったR三郎丸
初オリジナル曲“Belldeer Wind”
S.S.T.BAND後期の裏話

 
  <出席者紹介>
Hiro師匠
セガのFM音源サウンド黄金期を築き上げた名コンポーザー。代表作は「スペースハリアー」「アウトラン」「アフターバーナー」「ファンタジーゾーン」等多数。S.S.T.BANDではキーボードを担当した。
光吉猛修
歌って踊れるセガの名コンポーザー。代表作は「R-360」「デイトナUSA」「セガラリー」「シェンムー」等多数。作曲以外では「バーチャファイター」の影丸などの声も担当している。また、アニメ版「バーチャファイター」では主題歌「愛が足りないぜ」で歌手としても有名。S.S.T.BANDではR三郎丸という名前でHiro師匠に代わってキーボードを担当した。

 
●S.S.T.BAND結成前夜
   
原: 1980年代後半から1990年代前半のゲームミュージックバンドブームがあって、その中でもS.S.T.BANDの人気は高かったと思うんですが、S.S.T.BAND結成前に、セガのサウンドスタッフだけでライブをやっていますよね?池袋のサンシャイン60で行われた「アフターバーナーパニック」というイベントだったそうですが。
   
Hiro: はい。ほんとにパニックになった奴ですね。
   
光吉: あはは(笑)
   
原: 実は、この時の様子が載っている当時の雑誌を持ってきたんですが、Hiroさんの言葉通り「スタッフもパニック」と書いてますね(笑)。
   
大野: ゲームイベントの一部だったよね。クイズとかやったりして。
   
光吉: (雑誌記事を見ながら)「商品に目がくらみ暴徒と化した観衆」だって(笑)。
   
  (一同笑)
   
大野: あの時はとにかく間を持たせようと、ステージの下から「伸ばせ伸ばせ」って必死になってた(笑)。
   
Hiro: 電源が落ちたようなイメージなんだけど。
   
大野: シーケンサーが止まったんだよね。復帰したんだっけ?
   
Hiro: 復帰できたんだけど、2回ぐらいシーケンサーが読み込まなくて。なんか、並木(晃一)に言わせると俺のせいって言う。
   
原: (笑)
   
Hiro: “Magical Sound Shower”が始まんなかったんだよね。イントロが終わると曲が止まった。
   
原: いいところで(笑)。
   
Hiro: そうそう。
   
  (一同笑)
   
Hiro: この頃はDATとかなかったから ね。MC-500を持って行って、それでシーケンサーでオケを鳴らしていた。
   
光吉: 怖いですね。
   
大野: なんで、林(克洋)君が「しょうがないんで踊ります」みたいな(笑)。
   
光吉: (雑誌を見ながら)ああ、書いてます。「ファンキーK.Hがステージ上に飛び出しやおら踊り始める」って(笑)。
   
  (一同笑)
   
大野: なんかやっとけ、みたいな(笑)。
   
Hiro: そうそう。
   
光吉: 困った時の林さんだったんですね(笑)。
   
大野: 僕は、林君ってダンサーなのかなって思った(笑)。
   
  (一同爆笑)
   
光吉: 腰の動きが尋常じゃないですからね(笑)。
   
Hiro: この時のビデオがまだどっかにあるよきっと。一回も見てないけど。
   
光吉: 見たいなぁ。
   
大野: たしか最後は、予定していた曲ができなくて。クリスマスの頃だったんで、しょうがないんで並木君が「クリスマスの曲をやります」って(笑)。
   
原: この時は、バンドは4人編成だったんですよね?
   
Hiro: 並木と俺と林君と、あとベースのさちおさん。
   
光吉: 小川(幸男)さんですか?
   
Hiro: そうそう。
   
原: ところで、「アフターバーナーパニック」を企画したのは、セガだったんですか?それともアルファレコードだったんです?
   
大野: どうだったかな。でも、アルファレコードのGMOがサイトロンレーベルに変わるきっかけがこのイベントで、ここでポニーキャニオンっていう第3のメーカーさんが出てきたんだよね。で、ポニーキャニオンが映像(ビデオ)の商品化、アルファはレコードの商品化、そしてセガの三社でやるような感じで。
   

 
●S.S.T.BAND初期の裏話
   
原: 先ほど話をお聞きした「アフターバーナーパニック」がきっかけで、S.S.T.BANDをやることになったんですか?
   
大野: この頃、アルバムを作る時にアーティスト表記をするみたいな流れがあって、S.S.T.BANDっていう名前でやりましょうってことだったと思う。
   
原: 名前が出るのは、他のメーカー、例えばコナミ(矩形波倶楽部)とかの方が先でしたよね。
   
大野: ほぼ同時だったと思いますよ。矩形波、ZUNTATA、S.S.T.って。
   
原: S.S.T.BANDの最初の頃のCDは、基本的に打ち込みで作られてるようなんですが、Hiroさんが自分でアレンジするよりは、プロの方にこういう曲にしてほしいって感じで頼んだんですか?
   
Hiro: あ、いや、知らないうちに(笑)。作曲者の思惑が絡んでないところで、なんか勝手に決まってて。
   
原: え、そうなんですか(笑)。
   
光吉: あはは(笑)。
   
大野: アレンジャーは国本(佳宏)さん。
   
Hiro: そうそう。
   
原: CDにお名前出てますよね。
   
大野: でも、打ち合わせして、こうしようとかって無かった? スタジオに来たでしょ。
   
Hiro: 一応、呼ばれて行ったけど、口は出してない。
   
光吉: 口を出すな、って事ですか?(笑)怖!(笑)
   
Hiro: CDとはこういうもんなんだぁって。なんか、そんな感じでやってた気がする。
   
原: じゃあ、ご自分でやってないんですね。
   
Hiro: やってないですね。アレンジャーが国本さんで、マニュピレーターが松前(公高)さん。
   
大野: そのうち弾いてみてとか、そういう係わりだったよね。
   
Hiro: そうですね。
   
大野: メロは、じゃあ、作曲者がやろうかみたいな。
   
光吉: へぇ。
   
Hiro: あ、でも「ハリアー」って、たしか静かなイントロが付いてたじゃないですか。あれは、俺が付けてくれって国本さんに渡した気がする。
   
原: では、Hiroさんが自らやられたのは、「スーパーモナコGP」のテーマ曲とかあの辺ですかね?
   
Hiro: ああ、あれなんでしたっけ?
   
原: S.S.T.BANDとしては3枚目のCD、「スーパーソニックチーム」ですね。
スーパーソニックチーム
-G.S.M SEGA3-

1989年に発売されたS.S.T.BANDの3枚目のアルバム。「アフターバーナー」「アウトラン」「ターボアウトラン」「テトリス」のアレンジと「スーパーモナコGP」のテーマ曲に加え、オリジナル版は「スーパーモナコGP」「ターボアウトラン」「ゴールデンアックス」「テトリス」を収録。
   
Hiro: ゲームには曲が入ってなかったんで、イメージ曲を作ろうってことで作った気がする。でも、あれもアレンジは国本さんです。
   
光吉: そうなんだ。
   
Hiro: なんか忙しくて、AメロとBメロしかできなくて、「ハイッ」って渡して、「なんかもう少し展開ほしいんですけど」って言われて、「じゃあ分かりました」って言っているうちに時間が経って、レコーディングの日になったら曲になってました(笑)。
   
  (一同爆笑)
   
Hiro: アドリブが「ダァー!」って。
   
光吉: 妖精が作ってましたか(笑)。
   
Hiro: なんだABの展開だけでいいじゃんって。アレンジャーの力ですね(笑)。
   
光吉: アレンジャーじゃなくて、ほぼ作曲してるじゃないですか(笑)。
   
  (一同爆笑)
   
Hiro: AB部分は作曲してるから(笑)。それ以外は国本さんのピアノアドリブ。アレンジャーってすげぇと思った。
   
原: じゃあ、自分の曲を他の人がアレンジしたり、いつのまにか作られてても、OKって感じですか?
   
Hiro: 全然OK。
   
原: 俺にやらせろ、みたいには思いませんでしたか?
   
Hiro: そういうもんだと思ってたから。あの頃って作曲者がアレンジするってなかったですよね。
   
大野: 作曲者がそこまで手をかけるっていうイメージはなかったからね。でも、みんなできるんだって分かってきて、じゃあやってみようって。どこかでサウンドチームの人の作品ということに切り替わるターニングポイントがあったんだと思う。
   
Hiro: S.S.T.の頃は自分でアレンジしてないと思う。プレイヤーとしては参加したけど。
   
大野: レコーディングよりイベントとかライブの方が先に動いてて、国本さんのアレンジをコピーしてバンドで練習するようなノリから入ったんだよね。
   
Hiro: 最初はそうですね。
   
光吉: へぇ。
   
大野: 最初は89年のメガドライブのスパークリングライブだよね。
   
Hiro: 合宿やった時ですよね。伊豆で。
   
大野: リハはあそこでやったじゃん。音羽のライトスタジオの2階で。
   
Hiro: あぁ。
   
大野: 最初のリハを見に行った時の事は覚えてる。そこで、顔会わせしてさ、松前君とか飯島丈治とか。で、最初は、タイプの違う連中が揃った感じがして「あ、やばいかも」と思った(笑)。
   
光吉: なんか分かるぞ、その雰囲気(笑)。
   

 
●メンバー交代の真相
   
原: S.S.T.BANDで、Hiroさんと光吉さんが入れ替わる理由は何だったんでしょうか?
   
Hiro: 俺が遅刻したから。
   
光吉: そうそう。いろんなところで言ってるんですけど、師匠が軽いシエスタをするんで(笑)。
   
原: その話は本当だったんですか?
   
光吉: 当時はすごかったですよね。遅刻もそうですけど、寝てたり(笑)。
   
Hiro: まぁ寝てるのは普通だけど、遅刻がひどくて。
   
大野: S.S.T.の活動が仕事に響いたとか?
   
Hiro: いや、全然関係ない。まったく関係ない(笑)。
   
  (一同笑)
   
Hiro: ただ単に来なかった(笑)。20日出勤があったら20日ぐらい遅刻してた。
   
光吉: 全部じゃないですか(笑)。
   
  (一同爆笑)
   
光吉: 僕は僕で、(鈴木)裕さんにすごくアピールしてたんですよ。「S.S.T.やりたいんです!」って。
   
Hiro: で、裕さんに「じゃあ、次から光吉だって」言われて。
   
光吉: でも師匠少し喜んでたでしょ(笑)。
   
Hiro: その時は、練習とかだんだんめんどくさくなってきてたんで(笑)、「あ、そうですかぁ……」って言いながら、実は「ラッキー!」って(笑)。
   
光吉: すごい晴れ晴れしい顔をしてた(笑)。
   
大野: S.S.T.の初仕事って何だったの?
   
光吉: 僕は、その時「R-360」やってたんですよね。で、“Earth Frame G”って曲があるんですけど、「フォーミュラ」でその曲のレコーディングをやったのが初めてだと思います。
フォーミュラ -G.S.M SEGA5-
1991年に発売されたS.S.T.BANDの5枚目のアルバム。「R-360」「ラッドモービル」「シャイニング&ザ・ダクネス」「GPライダー」のアレンジと初のオリジナル曲「ベルデアウィンド」に加え、オリジナル版は「R-360」「ラッドモービル」「GPライダー」「レーザーゴースト」「サイバードーム」を収録。
   
原: 途中から参加したということで、苦労したことはありますか?
   
光吉: 楽しかったんですけど、勝手が分からないので大変でした。しかもプロの松前さんとかじゃないですか。しごかれましたね。
   
原: 体育会系のノリだったんですか?
   
光吉: 体育会系っていうか、松前さんとしては当たり前のことなんでしょうけど、僕は僕で音作りに関して未熟だったんで……。「光吉君、もう少し中域上げて」とか言われて「はい!」って言いながら全然できないんですよ。
   
Hiro: ははは(笑)。
   
光吉: 「中域、まだ上がってないよー!」「ヒェ〜!」みたいな感じで(笑)。
   
  (一同爆笑)
   
光吉: でもその時、斉藤(昌人)さんとか、「光ちゃん大丈夫だから」みたいな感じで言ってくださったりして。色々とお世話になりました。
   
原: Hiroさんと光吉さんが一緒に出たライブってあったんでしょうか? 例えば、関係者やファンクラブ向けに開催されたというプライベートライブの時はどうだったんでしょうか?
   
大野: 渋谷のTakeOff7の時のことかな。田辺(健彦)君が肺に穴があいて(※編注:肺気胸という病気)、熊ちゃん(熊丸久徳)が突然呼ばれた時。
   
光吉: 師匠はその時、来てないですよね?
   
Hiro: 熊さん来た時、出たっけなぁ。あ、でも1日で覚えて来てて、さすがプロってすげぇと思った。あの時一緒にやったのかなぁ。
   
光吉: やりましたっけ?
   
Hiro: 記憶にないなぁ。調べて連絡します(笑)。
   
  (一同笑)
   
  ※調査の結果、Hiro師匠はゲストとして1曲だけ出演していました。この時、他にもゲストとしてファンキーK.H(林克洋)が参加し、R三郎丸(光吉猛修)と二人でダンサーを担当して、Hiro師匠と共演していました。


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