妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
 
 
M−3:賞賛と敏感な柔肌の関係
 
 
 
 
 
 マリアを加えて四十と一名、ほぼ情報通りの地で敵を発見はしたが案の定、魔道省の者達は始末する事を言いだした。
 無論大ボスのさつきからは、フユノ同様さっさと帰ってこいとは言われている。
 ただ、一概に彼らを責める事は出来なかったろう。
 襲われて死亡した農民は一名だったが、彼らは文字通りの選り抜きが四十名なのに加えて、そこで見た連中は数体だったのだから。
 そしてそれはまた、マリアも同じであった。
 かつて旧ソビエトが崩壊した時、混乱の中でマリアは両親を失い、また自らもただの娘でいる事は出来なくなった。
 強くなるためなどではなくただ生き抜くために、自ら銃を手にした。女神館の中で、手を朱に染めたのが自分一人しかいないのは分かっている。
 その狭間で、或いはそれもまた、賛同した原因の一つにあったのかも知れない。
 とまれ、強硬論が十割を占め、それも敵味方の圧倒的な差という理由の前には、マリアも反対は出来なかった。
 だが。
「ほう、貴様らが冒険者か。こんな僻地に骨を埋めにくるとは、ご丁寧な事だ」
 銀髪を軽く束ねた親玉を筆頭に、その脇を十名以上が固めており、しかも下っ端に至ってはどれだけいたか分からない。
 女だから、と言うことではないが、碇フユノに託されたからと言う事でマリアは最後方におり、それが幸いした。
 いつものように先陣など切っていたら、真っ先に骸を晒していたに違いない。辛うじて血路を開いて逃げ出したものの、二発を残したまま銃も失い、断崖まで追いつめられてしまった。
 足を滑らせたマリアが最後に見たのは、雪の降り出した大地であり、それきりマリアの意識は途絶えた。
 
 
「ほう」
 マリアの話を聞いても、シンジは別段の反応は見せなかった。同情も蔑みもそこにはなく、それどころか業績の報告を受けるご隠居みたいな節すらある。
「一つ言える事がある」
 シンジが口を開いたのは、数十秒が経ってからであった。
「…え?」
「世の中馬鹿ばっかりで、お前とその一味もそうだが――何よりも遣わしたのが一番どうしようもないなまったく。魔道省は南郷さつきだろうが、マリアタチバナ、お前をよこしたのって誰だ?」
「南郷さつきって…魔道省長官を知っているの?」
「長官に推したの俺だし。もちろん任官は違うけどね。でも、おかげで粘っこく恨まれてるんだ」
「あ、あなたは一体…え?」
 すっとシンジの指が自分を指す。
 先に訊いたのは自分だと言ってるらしい。
「ごめんなさい、それは…言えないわ」
 別に言う必要はない。
 だが謝ったのは、仮にも自分を死の淵から引っ張り出した相手だからだ――やや性格は変わっているようだとしても。
 それに全裸に剥かれはしたが、自分に手は出していない事をマリアは気づいていた。
 がしかし。
 このマリアもまた、碇フユノと言う名前を出せぬと決意はしていたものの、まさか相手がその孫だなどとは、そしてまさにフユノが口にした切り札になる筈だった男だなどとは知りもしなかった。
「言えない?ま、ろくでもない奴なのは確かだな」
「そ、そんなことは…」
「ない、と?だったらお前が余計に馬鹿なだけ」
「無力なのにこんな所へ来て、とそう言うので――いたっ!?」
 ぽかっ。
 まさか手が飛んでくるとは思わなかった。
 それも、自分が避ける間など全くない速さで。
 痛くはなかったが、
「寒さで脳が凍ってるようだから教えとく。指揮官ってのは、部下を死なせになど行かせない。そう言うのは指揮官でもなんでもない、単なる役立たずって言うんだ。指揮官だから無論自分が常に最前線にいるわけじゃない。その代わりに兵士を選んで行かせるのが仕事だ。確かに敵を確認したわけじゃない。だからと言って、万全の策を取らないのは単なる間抜けな証拠だ。タチバナだってそれくらいは分かるでしょーが」
「でも、私は仕方ないと思っているわ。私のような者しかいなかったんだから」
「は?」
「本当は絶対に信頼の置ける人がいて、でもその人と連絡が取れなかったと言われていたわ。だから私になったのよ」
「ふーん」
 まさか自分の事だとは、そして目の前の相手の事だとは二人ともまったく思っていなかった。
「まあいいや。で、これからどうする気?」
「……どうしたらいいと思う」
「あ?」
 別にシンジに頼ろうなどと思ったわけではない。ただ何故か、不意に訊いてみたくなったのだ。
「一つだけ言っとく」
「何」
「見たところ武器は銃のようだが、もう持ってないから使えまい。その分際で命に代えてもやっつけるなんて言ったら、埋めて殺してついでに犯す。忘れるな」
「う、埋めて殺して犯すですって?随分と猟奇が好きなのね」
「それはお前だっつーの」
「…何ですって」
「数百位はいた、そう言ったのはタチバナだ。その数百に素手で突っ込んだら、そっと一撃で殺してもらえて、その勇気を讃えて灰は宇宙にでも散布されるの?どっちが猟奇的だっての」
「……」
 しかし、唇を噛んだマリアを見るまでもなく、その心中くらいシンジには分かり切っている。
 大勢に押されたとは言え、命に背いた行動の結果がこの有様だ。到底雇い主の元へおめおめと帰れるものではない。
 俯いたマリアを眺めていたシンジが、不意にマリアを呼んだ。
「タチバナ」
「…え?」
「口開けて」
 マリアの返事も待たず、顎に手を掛けて上を向かせると、わずかな隙間から指を入れて開けさせた。
 銃を持っていたら間違いなく撃っていた…かは分からない。
 あまりにも動きが俊敏過ぎて、呆気にとられてしまったのだ。
「よし治った」
「な、何を…」
 唖然としているマリアに、
「水治療だ」
「す、水治療…!?」
 マリアの表情に驚愕の色が浮かぶ。
 シンジが触れた箇所――強く噛み締めすぎて出血していた所が、ぴたりと治っていたのである。
 だが驚きはそれだけに終わらなかった。
「ここは日本じゃない。何かあればすぐシビウ病院へ駆け込める帝都じゃないんだ。この寒空に粘膜への傷など作る事もない。それよりタチバナ、とりあえず風呂だ風呂」
「ふ、風呂?」
「寒いとろくな事を考えない。ちょうどいいのが外にあるから入ってこい。ほら、さっさと行った行った」
 何を馬鹿な事を、とは思ったが、たった今そのあり得ぬ事を目にしたばかりであり、毛布をまとったままマリアが洞窟の外へ出ると、そこにあったのは確かに露天風呂であった。
 しかも、明らかに出来たばかりである。
 おまけに、周囲には洞窟の中同様、篝火のように火が燃えており、灯り取りには十分だ。
 この時点でマリアは常識の再構築を決心したが、とりあえず入る事にした。別に逆らう事もないと思ったのだ。
 バケツも洗面器もないから、手で湯をすくって体に掛ける。
 さして熱くはなかったが、肩まで沈めると徐々に温かさが染みこんできた。
 水面に映る顔を見つめていたマリアの顔がわずかに歪み、その唇から小さな嗚咽が洩れたのは、それから間もなくの事であった。
 
 
 
 
 
「まだ分からないの」
「ごめんなさい、駄目です」
 以前ウェールズにシンジが行った時は、一応居場所は掴んでいたのだが、今回はちっともさっぱり全然分からない。
 シンジの部屋にあるこのシステムが、まだ完成しきっていない事も一因なのだが、本当の原因は血液に追跡用の粒子を入れなかった事だ。
 あれさえあれば、例え南極で越冬隊に置いて行かれた犬と遊んでいても分かるが、それがないと手がかりが全滅してしまうのだ。
「困ったわ…ミサト様もダウンしておられるし…」
 葉子は無論、フユノがマリアを送った事は知っている。そしてまた、マリアがシンジの足元にも及ばない事を。
 だからこそ、あたら犠牲者など出さぬよう、シンジに行ってもらおうと懸命に探索を続けていたのである。
 ほんのすこし、葉子の形のいい眉が寄ったところへ、
「良い」
「ご、御前様っ」
「お前達でもシンジは見つかるまい。あれはその気にならねば、こちらから見つける事など不可能じゃ。それに、儂とて伊達や酔狂でマリアを行かせたわけではない。もし力及ばぬとすれば――後はあれの運が決めるであろうよ」
(若様…)
 呟いた葉子だったが、既にその二人が会っているとは、さすがに思いもしなかった。
 
 
 
 
 
「もう上がったの」
「ええ…!?」
 戻ってきたマリアの顔に涙の痕は見られなかったが、その足が途中で固定されたように止まった。
 妖艶な美女が、シンジの中に消えていくのが見えたような気がしたのだ。
 目をこすったマリアに、
「見えた?」
「…え?」
「従魔のフェンリルだ。寝床兼移動手段」
「移動手段?とても綺麗な女性(ひと)だったけれど…」
「フェンリルと言う。その名前に聞き覚えはあるか?」
「聞き覚えってそんな…フェンリル?フェンリル…そう言えば北欧神話にその名を見つけた事はあるわ。確か巨大な妖狼だったとか。それが何――」
「それだ」
 シンジは軽く頷いた。
「かつて神々の国すら壊滅に追い込みかけた妖狼が、一人間の下僕に身を窶したと覚えておくといい」
「ほ、本当…なの?」
「別にタチバナに見栄張る必要もないよ。それからこれ」
 取り出したのは青の中国服であった。
 ただし、普通よりだいぶスリットは大人しい。
「フェンリルに持ってきてもらった。ただし、乳のサイズは判らないからノーブラね。どうせ服はないんだし」
 剥がしたのはあなたでしょう、と言う言葉は出てこなかった。
「わ、わざわざ街まで行って…?」
「さて、ね。内緒。あいにく更衣室はないから、その辺の岩陰で着替え――こら」
 ぴくりとシンジの眉が動いた。
 マリアは、その場で毛布を落としたのだ。
 一糸まとわぬ裸身を隠そうともせずに、
「もう、裸にしたんでしょう。今更同じよ」
 と言ったが、口調からは何も読みとれない。
 しかし、着替えかけた動きが途中で止まる――シンジがじっと見ていたのだ。これが物珍しそうとか、或いは欲情のそれなら、無視や軽蔑を返せばいい。
 だがシンジの視線にあったのはそのいずれでもなく、新薬を投与されたマウスの動きを見るそれであり、マリアはその視線だけで犯されているような感覚に陥った。
 全身からじわりと熱がわき上がり、やがてそれが一カ所に集まってくる――股間へと。
「いい胸してる。運動でよく鍛えてあるね」
 シンジが言ったのは乳房と言うより、胸筋自体を指したのだが、
「ひあっ…」
 マリアの口から洩れたのは、濡れたような声であった。
「綺麗だから恥ずかしがる事ないのに」
 シンジにしては珍妙な台詞だが、無論マリアはその口元が危険な笑みを持った事を知らない。
「やめ…て…」
「きれいなのに?」
「あうっ」
「それもこんなに」
「ひぅっ」
 服で前をおさえたまま、とうとうマリアはうずくまってしまった。
 それを見たシンジの笑みが少し戻った――幾分まともな物へと。
「少しやりす…あら?」
 マリアが立ち上がらないのだ。
 まさか心臓発作でも起こしたかと、
「あの、大丈夫?」
 肩に触れた途端、
「ふあぁっ」
 何故か、あまり艶っぽくない声と共に、マリアの体が倒れ込んできた。
 考える人のポーズを取っていたわけではなく、単に余韻で立てなかったらしい。
 しかも、手からは服が落ちたから、頭の先からつま先まで隠す所無く、すべてシンジの前に晒しているのだ。
「しようがないなもう…ん?」
 自分でやっといてこの言いぐさだが、シンジの視線はあるものを捉えた。
 髪と同じ金色の淫毛がうっすらとクレヴァスを覆っているが、それが濡れているのを見抜いたのだ。
(濡れてる)
 無論それは口にはせず、
「タチバナ、俺に捕まるまで何日間追われていた?」
「み、三日間…」
「じゃ、その間はろくに寝てもいるまい」
 小さく頷いたマリアの頭を膝の上に載せ、
「今日だけはここで寝かせてあげる。ここならあの化け物共も襲ってこないし、安心して眠るといい。もしも襲ってきたら、俺が追い返してきてあげるから」
 毛布を引き寄せてマリアの体を覆うようにかける。
 流れ落ちた一筋の涙を、シンジはそっと拭った。
「…」
(どこ語だろ)
 マリアの唇がわずかに動いたが、なんと言ったのかまでは分からなかった。
 ありがとう、とでも言ったのかそれとも?
 
 
 さて翌朝の事。
「あ、あの…スースーするんだけど…」
「しようがないでしょ、パンツもブラもないんだから」
 中国服はただでさえ横が割れているのに、しかも下着がまったく無いと来てはマリアの言うとおりだったろう。
 しかし、この時点でシンジは嘘を言っている。
 服はフェンリルに、と言ったが実は自分で行ったのだ。
 とりあえず飛行は覚えているし、何よりフェンリルに見知らぬ娘の服を調達してこいとは、さすがのシンジも言えなかった。
 サイズは大体の見当で買ったのだが、何せブラとパンツは人によって違うし、そんなものまでは買う気がしない。
「昨日はパンツだけ残ってるって言ったのに」
 ちら、と恨むようにシンジを見たマリアだが、昨晩とはかなり視線が変化している。
「脱がす時に切れたんだ」
「…何ですって?」
「だから、脱がしたんじゃなくて切ったから。コロッと忘れてた」
「?」
「中が透ける位濡れてるから脱がすよ、はい足上げてって言ったんじゃないの。タチバナ気絶してたしね。脱がすのもあれなんで、風で切ったんだ」
「??」
「はいはい」
 さっぱり分からないといった感じのマリアを見て、シンジは奥の方へ手を向けた。
 そこから風が放たれ、幼児ほどもある大きさの岩を分断してから、
「これで切っ…え?」
「私の体が切れたらどうするつもりだったの」
 ぽかっ。
「いたっ」
「なーんで俺がそんな失敗しなきゃならないんだ。そんな事言うのはこの口か〜?」
「ひょ、ひょっとあにを」
 むにむにとマリアの頬を横に引っ張ってから、うんと頷いた。
「――何」
「傷、ちゃんと治ってる。傷物になったらどうしようかと思ってたんだ」
「き、傷物…」
「読んで字のごとく。そんな事より、タチバナは単身突撃掛けるんでしょ?何秒持つか見物しててあげるから」
「わ、私はその…」
「それと俺は朝食の確保に行くんだがタチバナは――」
 きゅるるる。
 真っ赤になったマリアに、
「訊くまでもなかったか。じゃ、タチバナも行こ」
 追い打ちに、首までも赤くなった。
「あ、あの…」
「何?」
「タチバナと呼ばれるのはあまり慣れていないの。できれば――」
「じゃ、金髪?」
「…え?」
「しようがない、マリアにランクアップしてやる。あ、それから」
「何?」
「ノーブラでも、そんなにひどくこすれたりはしないでしょ。でもあった方がいいから街に着いたら下着も買っておけば?」
「え、ええ…あの、街って?」
「成都まで行けばいいけど、ちょっと遠いから九塞溝にしよう。あそこなら招待所が結構大きいから」
 頷いたマリアだが、自分が現金の一文無しどころか財布も全部落とした事は、この時点で自覚していない。
「じゃ、行くよ。いい?」
「ええ」
 ところでブラジャーの役目というのは、無論乳房の保護にある。型くずれを防ぐとか母乳が洩れるのを防ぐというのもあるが、一番大きな役割は服との摩擦を防ぐ事だ。言うまでもなく、素肌の上に直にシャツなど着るのと、下着をつけてから着るのとでは全然違う。
 しかし、ブラをつけていないのにも関わらず、服からの摩擦がほとんどないのにマリアは気づいていた。
(そう言う服なのかしら)
 わずかに服の上から触れた途端、何かにぶつかった。
「いた…え?」
 顔をおさえたマリアだが、次の瞬間その顔色が変わった。
「お迎えに来てくれたみたいだよ」
「ぎ、銀角っ!」
 洞窟の入り口を塞いでいたのは、明らかにシンジが片づけたそれとは異なっており、
「できれば、運動は食後にしたいんだけどなあ」
 空いてもへこまない代わりに、いくら食べてもふくれなさそうな腹部に触れて、シンジがぶつぶつとぼやいた。
 
 
 
 
 
(つづく)


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