妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
 
 
M−2:雪山で遭難した時は…
 
 
 
 
 
「どうする、マスター?」
「いいよ俺が――ところでこの子達ナニ?」
 腕に半裸の娘を抱えたまま、シンジが自分たちを取り囲んだ連中を見回した。
 化け物、と言うには少々大雑把であろう。一応胴体に手足がある人の形は取っているのだ。
 ワーム男、とでも言えば分かり易いかも知れない。甲冑を着たそいつは顔の部分にミミズみたいな紋様を持っており――多分これが顔なのだろう。しかも、生意気に手には刀など持っている。
 ざっと三十ほども居ただろうか、だが何故かシンジは首を傾げた。
「マスター、何か?」
「こいつらは違うな。俺の感じた妖気じゃない。似たようなモンだけど、別モンだね。でも、俺に貢ぎ物を持ってきたんじゃなさそうだし、敵意持ってる。お仕置きが必要だな」
 普段と変わらぬ口調で言うと、シンジは軽く地を踏んだ。おそらく地面に加わった力は、シンジが普段歩くより軽かったろう。
 だが次の瞬間、一斉に凄まじい火柱が地中から吹き上げた。文字通り吹き上げたと形容するのが相応しい勢いであり、シンジ達を取り囲もうとしていた奇怪な連中は、揃って火に包まれたのである。もしも感情があれば驚愕したかもしれないが、それはコンマ一秒ほども無かったに違いない。
 鎧自体も金属ではなかったのか、中身が消えると同時に甲冑もまた消えてしまったのである。
 そしてそれを見ていたフェンリルもまた、驚きの色を隠せなかった。 
(一体何時の間にこれほどの力を…)
 フェンリルが贔屓目なしに判断すれば、実のところシンジには少し荷が重いような気がしたのだ。おまけに手から炎を放ったならともかく、地中から火柱を吹き上げさせるなどとは、全くの予想外であった。
 しかも。
「ストライクがいいんだってば」
 数体が残ったのが気に入らなかったらしく、
「目撃者がいなきゃいいんだよね」
 とんでもない事を口にすると、腕に娘を抱えたまま軽く指を開き、そこから放たれた火矢の勢いに、またもフェンリルは驚かされる事になった。
 文字通り一分と経たずに全部を片づけてから、
「うん、きれいになっ…てない」
 当然の事だが、この娘が落下してくる前、周囲はきれいな雪景色であった。
 しかし娘の落下とそれに伴う追っ手の襲来、そしてそれの壊滅であちこち焦げた痕が残り、きれいとはやや言い難い状況になっている。
「環境を破壊するとは…まとめてぶっ殺す!」
 シンジにとっては、その方が大事らしかった。
「マスター、雪は嫌いとか言っていなかったか?」
「札幌には雪祭り、冬の鎌倉ではかまくら作りだ。日本武士の俺の従魔のくせにそんな事も知らないのか?」
「…生憎と初耳でな」
「じゃ、よーく覚えておくんだ。今度テストするぞ」
「…覚えておくとしよう」
 何となく分かってきてはいたつもりだった。
 その能力同様、普通とはやや変わった性格の事もまた。
 ただし、こんな所を見ると、時折契約したのは早まったかと思ってしまうのだ。
 
 
 
 
 
「それにしてもあれだけの人数で、本当に良かったのかい?」
 東京学園理事長赤木リツコの母ナオコ、それに魔道省長官南郷さつきと碇財閥の総帥碇フユノ、今日は珍しくこの三人が揃っていた。
「私はあまり感心しないわよ。相手の正体が不明にせよ、人数を集めればいいと言うものではないわ」
「儂とて、必ずしも良いと思っておるわけではない。とは言え、今回は儂の切り札が使えぬのじゃ。シンジがおらずミサトが使えぬ以上、仕方あるまい。まったく、この大事な時に寝込みおって」
「で、シンジちゃんは今どこにいるんだい?見当くらいは付いているんだろう?」
「皆目不明じゃ。数週間前、モンゴルの国境警備隊が巨大な白狼を目撃したとの情報が入っておる。普通なら白昼夢で終わるが、背中に居たのは多分シンジだね。国境を普通に越えるのが面倒だから、そのまま飛び越えたんだ。警備の者が邪魔をしていたらと思うとぞっとするよ」
「それで何処に行ったの」
「分からぬ。南下したらしい、とまでは聞いておるが、それ以上は分からぬのじゃ。ただもしかしたら…万が一という事もある。儂はマリアを殺すために行かせた訳ではないからの。トラブルメーカーはシンジの身上、もしかしたらばったり会うかもしれぬ。手に負えねば即座に引き返せと命じてあるが、かといってすんなり引き返さぬ可能性もある。そうなった時は――マリアの幸運を祈るしかあるまい」
 中国の奥地に異変有り、この密かな情報は魔道省トップのさつきと、そしてフユノの元にのみもたらされていた。
 そう、奇怪な話だが、他の政府筋には一切知らされて居なかったのである。
 途方もない人脈は世界に広がると言われてる倉脇総理ですら、持っている情報は皆無だったのだ。
 機械兵のようなおかしな化け物を見た、と曖昧だが、命と引き替えにもたらされた情報は、少なくともこの二大トップが反応するには十分であった。
 そう、かつて降魔戦争を自らが体験した二人に取って。
 すぐさま魔道省から選りすぐりの四十名が選出された。と言うとエリート官僚みたいに聞こえるが、実際は保身ばかり考える役立たずの集大成みたいなそれではなく、文字通り自分達でこの大日本帝国の霊的防衛を果たしてみせると自負し、また口にするだけの実力も持った真のエリートである。
 一方フユノの方は、本来一人居れば魔道省のエリートも出番が無くなる孫だが、どう探しても見あたらない。
 その実姉で実弟本命のアブナい孫娘は、実力はあるが何をどう間違えたのか数日前から寝込んでしまった。
 そこでやむなく、霊的能力の高い娘達ばかりを集めた女神館から、一人を選んで行かせたのだ。
 その名をマリアタチバナと言った。
 
 
 
 
 
「マスターどうする?街に戻る事も出来るが」
 抱えた娘を物珍しそうに眺めているシンジに、フェンリルが訊いた。
「いや、いい。それより、この辺りに洞窟ある?」
「洞窟?無い事はないだろうが、どうかしたのか」
「雪山で遭難って知ってる?知らないね」
 勝手に訊いて勝手に断定すると、
「昔から、雪山で遭難したら裸で抱き合うのがセオリーと決まってるんだ。ついでにこの娘は遭難してると来たら、やる事は一つだな」
「よく分からないが、要するにその娘を抱きたいのか?」
「今度無粋な事言ったら吹き飛ばすぞ。いいからさっさと穴蔵見つけてこい」
 自分で言い出したくせに人に言われると怒る。よく分からない主だがフェンリルは別段怒った様子もなく、ひらりと地を蹴った。
 フェンリルが去った方向は見ようともせずに、
「この体つき…単に小娘が迷い込んでこの連中に襲われたわけじゃないな。それに血の匂いがする。それもお前のではないものだ――こんな僻地へ何をしに来た?」
 失神していると知りながら呟いたシンジだが、その顔は妙に嬉しそうであった。
 そして数十分後。
「裸で抱き合うのではなかったのか?」
「は?何で俺が裸にならなきゃならないんだ。俺にそんな趣味はない」
「……」
 近くの洞窟内部に、裸に剥いた娘を抱えているシンジの姿があったが、さっきの言とは違い、自分はまったく脱いでおらず、外したと言えばコートだけは唯一脱いでおり、それで娘の体をすっぽりと覆っている。
「街に戻れないわけでもあるまいに、なぜそんな事を?」
「面白そうだから」
「何?」
「別に女の子の裸見たり触ったりするのが初めてじゃないけどね。雪山で遭難のシチュエーションは、前から一度やってみたかったんだ」
「…それで?」
「うーん、あまり面白くない。やっぱり寒さに震えてる体をあったかくするんじゃないと。この子熱あるし」
「マスター止せ」
「え?」
「伝染ったらどうするつもりだ、私が治しておく」
「この娘治すのと、伝染った俺を治すのとどっちがいい?」
「一考の余地はあるな」
 ふむ、と頷いたフェンリルに、
「でしょ。ところで、表に連中の仲間とかいた?」
「私が見た範疇には居なかった。もっとも、私は索敵ではなく洞窟しか探していなかったから、見落とした可能性はあるが」
「ふうん」
「何?」
「あれは多分、紐の切れた風船のような物さ。或いは紐が切れた凧と言ってもいい」
「どういう事だ?」
「日本の文化には凧ってモンがあって、竹の枠組みにビニールや紙を貼ったものを飛ばすんだ。糸付きだから、飛ばす人間が操ってる内は上手く飛ぶんだけど、手が離れれば大空へ消えていくか或いは落ちる」
「つまり――」
「この変な連中は、多分管理者の手から離れている。直轄ならばもう少し手応えがあるはずだ」
「まともな表情に戻ったようだな。安心したぞ、マスター」
「あ?」
「弱らせた娘を弄り回して楽しむのかと心配していたが」
「何を言ってる?」
 ちらりとフェンリルに視線を向け、
「それはこれからだ」
「……」
 
 
 
 
 
「脇侍が帰ってこないだと?どういう事だ」
「おそらくは、あの娘を追っていって崖から落ちでもしたのでしょう。数の損失で見れば大した事はありません。それに葵叉丹様、何よりもこれですべての目撃者は消えました。残るは最後の仕上げをしてから帝都に乗り込むのみです」
「そうだな」
 葵叉丹と呼ばれた男は頷いた。
 なかなか端正な顔立ちではあるが、今と違ってその目に眼帯はされていない。
「それで木喰、仕上がるまでに後どれくらいかかる」
「およそ三週間かと」
 答えはすぐに返ってきた。
「良かろう」
 葵叉丹は頷き、
「用意が調い次第、全軍を挙げて帝都に攻め入る。帝都を落とせば日本は我が手に入ったも同然、そして何よりも――かつて降魔の前に命を賭した我らを侮った事の意味を、あの愚か者共に思い知らせてくれる。良いな!」
 昏い情熱にも似た感情の吹き出した声だが、部下達は一斉にひれ伏した。
 
 
 
 
 
「中国の奥地に妖気を発する物体が?」
 碇家の本邸へ内密に呼び出されたマリアは、碇フユノから思いも寄らない事を告げられた。
「魔道省からは精鋭が四十名向かう。だがお前にも行ってもらいたいのじゃ」
「お役に立てるかは分かりませんが、御前様のお言葉とあれば」
「本来ならばもっと別の者を行かせるところなれど、一人は行方不明で一人はダウンしているときておる。マリア、迷惑を掛けるの」
「いえ、とんでもございません。それで、その正体とは?」
「分からぬ」
 フユノはあっさりと首を振った。
「だからお前を行かせるのじゃ。良いかマリア、儂の言う事を決して忘れてはならぬ――そこで何かを目にしたならば、ただちに引き返せ。いや、逃げてくるのじゃ」
「う、後ろを見せろと言われるのですか?」
「そうじゃ。魔道省の者達は、もとより逃げる事など考えておらぬ。例えさつきが命じても、あの者達は決して後ろなど見せぬであろうよ」
「で、では私も――」
「愚か者」
 フユノの言葉は穏やかだったが、それでもマリアの体は硬直した。
「もしもお前達だけで片が付けばよい。なれど、もしも失敗したとしたら、どうするつもりじゃ?万が一、それがこの帝都に仇為すもので、しかも誰一人としてそれを告げる者が居なかったら取り返しが付かぬわ」
「そ、それで私を?」
「そうじゃ。お前ならば、例え敵に背を向ける事になろうとも、次の一手を優先できると、そう見た故お前を選んだ。儂の命が分かったかの」
「分かりました。御前様の仰せの通りに致します」
「頼んだよ」
 どこでどう手を回したのかは不明だが、この国へ持ち込んだのは愛用の銃と弾丸は二百発、しかしそれも全て尽き、銃すらも逃げる途中で落としてしまっていた。
(御前様…!?)
 不意に意識が覚醒した。或いは夢の途中で本能が強引に起こしたのかも知れない。
 目覚めたマリアが見たのは、自分を囲むように赤々と燃えている火と、そして自分の体に回されている手であった。
 なによりも――自分は全裸ではないか!?
 だが、その事態を認識できる程、マリアの意識は覚醒しておらず、何よりも高熱に冒されている体がそれを妨げた。
(とても…とても暖かい…)
 また薄れゆく意識の中でマリアが思ったのは、なぜかそれであった。
 
 
「あ、起きた起きた」
「…ミサトさん…?」
 長い黒髪だし、姉弟だから雰囲気もある程度は似てる訳で、だから間違えたのかもしれないが、この時マリアが呟いた事を、碇シンジが正確に理解していたならば。
 シンジは女神館の管理人になど、たとえ帝都諸共炭化させてもならなかったろう。そして無論、会っていきなり銃を乱射される再会も無かったに違いない。
「ミサって、今はクリスマスじゃないよ」
 シンジにはそう聞こえたらしいが、次の瞬間マリアは跳ね起きていた。
「誰!」
「誰ってそれはほら、裸の女の子を眺めてる兄ちゃん」
「!?」
 先に体が自分の姿を認識し、ついで本能に伝える。普通は逆なのかもしれないが、ともあれマリアが胸を隠して飛び退くのはワンテンポ遅れていた。
「普通は胸じゃなくて下でしょ。トップレスって単語はあるんだから」
「…誰だ貴様」
 マリアの視線がシンジを射抜いたが、いかんせんシンジは服を着ており、マリアは素っ裸である。
 しかも胸を先に押さえたものだから、うっすらと金色の淫毛が覆う下腹部は丸見えである。
 唯一の救いは、シンジの顔に欲情のそれが無かったことか。
「その顔生粋じゃないね。色の白さと言語を足すと、日本人と…ロシアかあっち方面の混血かな。だが日本語は話せても文化は分かってないようだな」
「何」
「貴様は誰だ、じゃなくて。お控えなすって手前生国は――と来るんだ。つまり訊く前には自分から名乗るの。名前は?」
「マリア…マリアタチバナ」
 シンジの口調に強要はなく、別に詰問する風情でも無かった。
 なのに、言葉は勝手に口から出た。
「生国は」
「生国?」
「生まれたとこ」
「ロシア…旧ソビエト」
「道理で肌が白いわけだ。じゃ、これを」
 ひょいと渡したのは毛布であり、
「悪いけど服はない。パンツだけ残ってる」
「な、何をした」
「別に。ただ、落ちてきた時点でもうブラも破れてたし、服も運命を共にしてたから剥ぎ取ったの…何か問題でも?」
「なぜそんな事をした」
 熱があったのでとりあえず濡れた服を脱がせた、そう言えば問題は無かったのだろうが、シンジの文法は理由ではなく結論とか現状を先に持ってくる物らしい。
 普通なら怒る――ましてうら若き乙女なら。
 そしてマリアはその辺に位置する娘であった。
 毛布をひったくるようにして取り、ぎゅっと体に巻き付けたマリアに、
「何でって濡れてたから。んな事より、この寒空をこんな所で素人じゃない娘がなにをしてたの?」
「お前にはかんけ――」
 関係ないと言おうとして、不意に自分が脇侍達に追われていたのを思い出し、毛布を巻き付けたまま立ち上がったマリアの毛布を、シンジはきゅっと引っ張った。
「外はぴゅうぴゅう風が吹いてる。出ない方が安全だよ」
「わ、私を何処で見つけた」
「何処?崖から落ちて来たんだけど何か?」
「その時、後ろから追ってくる連中がいなかったか?鎧に身を包んだ連中だ」
「いたよ」
「いた?そ、それでっ」
「片づけた」
「…何?」
 反応するまでには数秒を要し、しかもはらりと毛布が落ちたのにも気づかなかった。
 シンジの言葉が理解出来なかったのである。
「か、片づけたってどうやってっ!?」
 無意識にシンジの服を掴んでがくがくと揺すり、
「予習と復習。それよりおっぱいとか全部見えてるけど」
 一瞬顔を赤くしたが、すぐ無表情に戻って毛布を巻き付けたマリアに、
「あの程度じゃ、面白くなさ過ぎて困る。それよりマリアタチバナと言ったね。熱は下げたけど、体力はまだ戻ってないんだから大人しくしてた方が無難だよ」
「さ、下げた?」
「そう」
「な、治してくれたのか…でもどうやって」
「それ位のスキルは持ってるから」
 ごく当たり前のように言ったシンジの顔を、マリアは半ば呆気にとられて眺めた。
 何者かは分からないが、脇侍から追われていた自分を助け、なおかつ脇侍を撃退したと言う。到底信じがたい話ではあるが、それが嘘なら今頃は周囲を脇侍に取り囲まれているだろう。
 しかもその上、熱を出していた自分さえ治したと言うのだ。
(一体何者…)
「俺が誰か、と思ってるね?」
 貴様の呼称を付けられたり服を掴んで揺すられても、別に怒った顔など一つも見せずに、シンジはマリアの顔を覗き込んだ。
 ぴくっと肩が震えたマリアに、
「もう一回訊いとく?」
 小さく頷いた時、既にマリアは呑まれていたのかもしれない。
「名前はシンジ、趣味は五精使いね。あ、それから――」
 目の前で両親が死んだ時だって、怒りと悲しみに包まれはしたが、これほどまでの驚愕に襲われた事は無かった。
 シンジが何を言いかけ、その途中で不意に左手を洞窟の入り口に向けた途端、その手から炎が迸ったのである。
 短い断末魔が聞こえ、すぐ静かになった。
「さっきの奴は全部始末したから、多分探しに来た仲間だな。仲間は大切にするタイプだ。ところでマリアタチバナ」
「な、何」
「体を少し眺めてたけど、素人じゃないね。それにその指は、銃を扱う修練もしてる指だ。俺はたまたまこの地に来たら偶然出くわしたんだけど、そっちは違うみたいだ。こんな所で何を、それとあの連中が何者なのか――さ、きりきり白状いたせ」
「……」
 シンジが拙い事訊いたかな、と言うような表情になったのは、マリアの口元から一条の鮮血が流れてきたからだ。口内の傷口が開いた、のではなく唇を噛み締めた結果だとシンジは見抜いたのだ。
「私は…私は一人だけ逃げてきたんだ…」
 フェンリルの姿はその場になく、ただ二人を囲む炎だけが赤々と燃え盛っている。
 
 
 
 
 
(つづく)


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