妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
 
 
F−2:五精使いが羊皮紙を手に入れる事
 
 
 
 
 
「ねえ」
「ん?」
「私の事は、クレアでいいわ。あなたもシンジでいい?」
「別に」
 少し素っ気なかった気もしたが、クレアは気にしない事にした。
 こんな美形と歩けるなど、滅多にあるチャンスではないのだ。
「シンジは好きな物とかあるの?」
「好きな物?」
「興味がある物よ。ぶらぶら街を歩くより、目的の所を捜した方が面白いでしょう」
「考古学、かな」
「考古学?骨董品とかの事」
「んー」
 と、ちょっと考えてから、
「似たような物かな」
「じゃ、ちょうどいい店があるのよ。骨董屋さんなんだけど、色々な物が置いてあるのよ。店のお婆さんに言わせると、神々の時代からの物もあるって話よ」
「君は信じてないね」
「勿論よ」
 クレアはふふっと笑った。
「神が人の形を取る、そんなありがたみの無い話があったら困るじゃない」
「でも、キリストは人の形をしていた」
「あれは代理人よ」
「代理人?」
「神が自分の子供に、あんな苦しみを与えると思う?ダミーに決まってるじゃない」
 どうやらこの娘、ジーザスはあくまで神格化しておきたいらしい。
「かもしれないね」
 シンジも別段反対しようとはしなかった。
「さ、向こうの通りよ、行きましょう」
 さっきから注がれる視線に、むしろ見せつけるようにして、腕に力を入れたクレアがシンジを引っ張った。
 
 
 
 
 
 誰も入らないで、と部屋を閉め切った葉子は、さっきからタロットカードをめくっていた。
 悪運強運、どっちとも付かぬ物を大量に持っている彼女の主だが、やはり遠い異国の地にいるとなると不安である。
 まして、仮にとは言え警察などに捕まったとあっては。
 五枚目を裏返した時、
「出会い…」
「女…?」
 その眉がわずかに寄った。
「若様一体何を…」
 ただし次を裏返した時、
「大いなる物との出会い…これは?」
 異性との出会いを導いた後、大きな力との出会いも指したのだ。
 それも、よほど大きな力のそれと。
 シンジの事だから、ひょんな事から国家元首クラスと知り合っても、さしておかしくない。
 とんでもない出来事が、むしろ向こうから寄ってくるシンジの事を、彼女は良く知っている。
 だが。
「なっ!?」
 そこにあったカードは正位置であった。
 ただし、死神のカード。
 予期せぬ災いを、それも大いなる物をそれは告げていたのだ。
「ま、まさかそんな…そんな…」
 両手をぎゅっと握りしめた葉子の顔は、血をすべて抜かれたかのように、蒼白になっていた。
 
 
 
 
 
「おやクレアじゃないか、どうしたんだい?」
 あれ?とシンジは、内心で首を傾げた。
 店の物はまがい物だと言い切っても、店主との関係は悪くないらしい。
 見事な銀髪の老婦人が、店の外に並んだ品物と話でもしているかのように、ベンチに座ってそれを見つめている。
 シンジの表情がわずかに動いたのは、文字通りの星霜をそこに感じたからだ。
 少なくとも数百年以上、いやそれ以上かもしれない。
 並んだ品物達の声が、五精使い使いの脳裏には響いてきたのだ。
(これはもしかしたら…)
 が、クレアの声で現実に引き戻された。
「クレアにも、やっと彼ができたのかい」
「やだおばあちゃん」
 そう言いながらも、クレアは妙に嬉しそうな顔で笑ったのだ。
「いや、別にそう言う訳じゃ…いでっ」
 背中に鈍い痛みを感じたとき、もっと厚着して来るんだったと少しだけ後悔した。
 老婆はふぉっふぉっと笑って、
「でもクレアのこんな顔は久しぶりに…」
 だが、言葉が途中で止まった。
 急に驚いたように、いや文字通り愕然と立ち上がって、シンジの顔を見つめたのだ。
 顔はちゃんと洗ったのに、と内心で呟いた瞬間、手が熱く握られたのを知った。
「ん?」
「あんた…どこから来られたね?」
 しわくちゃな顔を、もっとくしゃくしゃに崩してシンジに訊いた。
「日本からですが」
「日本か!そうか、良く来てくれたね!」
「は?」
 クレアは無論、シンジまでも呆気に取られているが、そんな事は無視して、
「さあさあ、入っとくれ」
 いきなり手を取って引っ張られ、置いて行かれたクレアが、
「ちょ、ちょっと私を置いて行かないでよ」
 慌てて後を追った。
 通された店内は、やはりシンジが読んだとおり、歴史がそのまま刻まれているような店内であった。
 とある聖剣伝説もまたこの地であり、そしてそこにまつわる聖杯もまた。
「俺に何の用?」
 訊ねたシンジに、老婆はふふふと笑った。
「分かっていないのかい?それとも演技かい?」
 老婆の言葉に、
「ちょ、ちょっとおばあちゃん、何の事よ」
「私は待っていたんだよ」
 久方ぶりに見せる真剣な顔に、クレアが怪訝な表情になった。
「これだけの精気と能力に溢れた人間は、そうそういないからねえ、おっと」
 ぴっと、シンジの手から出し抜けに何かが飛んだ。
 炎だ。
 思わず悲鳴を上げたクレアだが、老婆は軽々とそれをかわした。
 一方シンジの方も、驚いた様子はまったく見せない。
「こんな所で、こんな婆さんを試すでないよ。この子の顔に傷が付いたらどうするんだい」
 言葉とは裏腹に、どこか嬉しそうに言った老婆に、
「名前は?」
 シンジは一言訊いた。
「ローザよ、ローザ・マーベリック」
 ふうん?とシンジは言ったが、それ以上触れずに、
「ところでクレア」
「な、何かしら?」
 目の前でいきなり火を出されたクレアは、どこか魂の抜けたような顔をしていたが、シンジの言葉に我に返ったらしい。
「このお婆さんは、いつからここにいるの?」
「知らないわ」
 クレアは首を振った。
「私が物心付いた時にはもう、この場所で座っていたんだもの。パパとママが結婚したとき、いえそれよりも前からいたっていう人もいるわ」
「餅は餅屋と言うわけか」
 日本語のそれは、二人には理解されなかった筈だ。
 現に、クレアは何?と言うような表情を見せた。
 だが。
「その通りだよ」
 流暢な日本語が返ってきても、シンジは驚かなかった。
「三途の川を渡り損ねた、わけじゃないらしいね。俺に何の用だ」
 後半だけ英文化したのは、クレアをおいていかない為だ。
 デート中の女の子を放り出すと、ろくな事にならないのをシンジは知っている。
「プレゼントをしたいのさ。受け取ってくれるかい」
「おばあちゃん、シンジの事を知っているの?」
 驚いたようにクレアが訊いたが、
「いいや、知らないよ」
 あっさりとローゼは否定した。
「じゃあどうして…?」
「初めて会った人に、贈り物をしてはいけないという事は無い、そうだろう?それにクレア、あんたもさっき会ったばかりじゃないのかい?」
 ローゼのゆったりとした視線は、どこから見ても人の良い老婆にしか見えない。
 日本流に言えば、縁側で猫を膝に日向ぼっこをしているのがお似合いだ。
 それ以外に何を想像出来る?
 クレアがちょっと頬を赤くして、
「そうね、そうだったわ」
「そうだろうとも」
 人生の機微を知り尽くした賢者の趣で頷くと、
「ちょっと待っているんだよ、二人とも」
 ゆっくりと店の奥に消えていく。
 クレアには頼りないと見え、そしてシンジには、つまずいても決して転ばぬ歩き方と見えるそれで。
 ローザはすぐには戻って来なかった。
 シンジは珍しそうに店内を見回しているが、クレアの方は見慣れているからつまらない。
「ねえシンジ」
 くいくいとシンジの袖を引っ張った。
「何?」
「さっき火を出したのもう一回見せて」
「はん?」
「あれは日本のサムライが使う物なんでしょ?」
 一体いつの時代の話だとは、シンジは言わなかった。
 代わりに、
「見るのは初めて?」
 と訊いた。
「ええ、勿論よ。手から火が出るなんて、よほどのマジシャンでも出来ないわ」
「普通は無理だね」
「やっぱりシンジはすごいのね。さっきも私を助けてくれたんでしょう?」
「覚えてない?」
「ごめんなさいね」
 少し申し訳なさそうに、
「持ち上げられた所で気を失ってしまったから。でも、パパにあの連中をやっつけるなんて絶対出来ないもの」
 シンジが白馬の騎士と言わんばかりの口調だが、見なかったのは幸いだったろう。
 もっとも全部を見ていれば、今頃平常心でいられたかどうか。
「一応俺だけどね」
「ほんとに!?」
 ありがとう、とクレアが抱きつこうとした時、
「店の中で抱き合わないどくれよ」
 ローザが戻ってきた。
「べ、別に私はっ」
 赤くなったクレアには目もくれず、
「ここには、ある魔法陣が描いてある。新鮮な鶏三羽と、それに黒蜥蜴が二匹、あとは周囲にロウソクを張り巡らすだけさ。簡単だろう?」
「召喚だな」
 とシンジは言った。
「大抵の物は、呼び出してしまえば簡単に従わせる事が出来るが、呼び出すまでは面倒だ。それが逆なのは、呼び出してから手こずる代物だな」
 ローザはにっと笑った。
 初めての表情にびっくりしているクレアを見ながら、
「そうさ、勘がいいね。今までに、もう何回召喚した?」
「まだ一度もない。初体験だ」
「そうかい、そうかい。ならばちょうどいいかもしれないよ。ただし、クレアは連れて行かない方がいい。死体で帰したくはないだろう?」
「死体?おばあちゃんっ!?」
 眼前の会話に付いていけないクレアに、
「この子はね、あんたが付き合えるようなレベルじゃないんだよ。あんたはここに残ってお待ち」
「ど、どう言うことなのシンジ」
「何でもない。君も付いておいで」
「『え?』」
 これにはむしろローザの表情が変わった。
 召喚対象を知っている彼女に取っては、シンジのそれはクレアを生け贄にすると見えたのだ。
 大体、対象を知らずともシンジの能力からすれば、それくらいは分かると思っていたのである。
「お、お待ちよ」
 震える声でローザが口を挟んだ。
「何?」
「あ、あんたその子を…クレアを殺す気かい」
「それは本人が決める」
 表情も変えずに言うと、
「クレア、よく聞くんだ」
「え、ええ…」
「君は、血は大丈夫な方かい?」
「女なら、誰でも血は平気よ」
 思いも寄らない言葉に一瞬苦笑して、
「そうだったね。俺にはないから忘れていたよ。じゃ、次だ。この近くに、生きた鶏を売っている店はあるか?」
「あ、あるわ」
「じゃ、そこへ行って三羽ほど買ってくる。そして生きたまま首を捻った時、君は見ていられるかい?」
 が、
「大丈夫よ」
 またもあっさりと返ってきたが、それが出任せではないとローザは気づいていた。
「もう一つ訊くよ。恐竜時代の映画を見たことは?」
「あるわ。それがどうかして?」
「あの手の物は大抵、恐竜に食われる原始人が出てくる物だ。君は、もしその状況に置かれたらどうする?」
「どうもしないわ」
 これにはさすがのシンジも驚いた表情になり、
「言葉の意味は分かっているのかい?」
「勿論よ」
 クレアは静かに首を縦に振った。
「私がそうなる時は、もうあなたも駄目なんでしょう?ナイトがやられてしまったら、プリンセスも終わり。だからあなたと行くのよ――私の王子様と」
 一瞬静寂が流れ、それを破ったのはローザの笑い声であった。
「くっ、くっくっくっ」
 派手に笑ってから、
「これは、私の目も曇っていたようだよ。オムツの取れない頃から知っていたのに、こんなしっかりした子になっていたとはねえ。いいさ合格だよ、一緒にお行き」
 勝手に決めつけてから、
「この子なら大丈夫、あたしが保証するよ。それでいいだろう?」
「…分かった。一緒に行こう」
 騎士、と言うノリがいまいち気に入らなかったが、何とかなるだろうとシンジは頷いた。
「じゃあ決まりね。早速行きましょう」
 早くもシンジを引っ張ったクレアだが、
「ちょっと待った」
 と逆にシンジがクレアを止めると、
「この店にある材料は?」
「鶏以外ならここにあるよ。クレアと一緒に行って買ってくるんだね。それから」
 言いかけたが、
「場所はどこがいい」
 ローザの台詞を、シンジが勝手に持っていく。
「ここから北へ二十キロ位行った所に、ロモンド湖と言うのがある。あそこなら何とかなるだろう。そこへお行き」
「どうやって?」
「観光バスが出ているよ。もっとも、夜に行くなら車を呼ばなきゃならない。金は持っているのかい」
「多少なら」
「なら、チップを上乗せしておけば大丈夫さ。さて今から行くかね?」
 いいや、とシンジは首を振った。
「クレア、この辺にホテルは幾つもある?」
「ええ、勿論よ…ちょっと待って、どうするの?」
「どうするって、どこかに泊まる…いでで」
「何ですって?」
「は?」
「あなたは私の家に泊まるの。いいわね」
「そんな事言われても」
 困ると言おうとした時、ローザは低く笑った。
「これはまた、随分と気に入られたものだね。でもクレア、それはあんた一人で決めちゃいけないよ。ちゃんと親にも相談しなくてはね」
「う、うん…」
「泊まる場所は後でもいいだろうよ。それで、どこか行く予定でもあるのかい」
「そうじゃない。クレアにもう少しあちこちを案内してもらおうかと思ってね。この辺は、色々と面白い場所もあるんだろ」
「あ、それならいいところがあるわ。シンジ、マッキントッシュって知ってる?」
「ああ、あの使いづらいやつだな。それくらいは知って…ん?」
 シンジがそう言った時、クレアはくすくすと笑ったのだ。
「きっと、そう言うと思ったわ。でも外れ、チャールズ・レニー・マッキントッシュ、グラスゴー出身の偉大な建築家よ」
「彼の墓でも暴くの?」
「あんたは財宝荒らしかい」
 ローザがじろりとシンジを睨み、
「そんな訳無いでしょう、グラスゴー美術学校よ」
「美術学校?」
「そう、彼がデザインしたのよ。代表作でもあり、同時に処女作でもあるわ。見る物にも興味ある?」
「ああ、悪くないね。確か、美術館もあったんじゃなかったかな」
「交通博物館もあるけれど、ハンタリアン美術館の方が有名ね。こっちは、マッキントッシュの自宅を模した展示場なのよ」
「まーたマックか。まるでマックの街だな」
「その通りよ」
 少し誇らしげに頷くいて、
「シーフードの美味しい店もあるのよ。お昼はそこにしましょぅ
「名案だね。召喚の前に、少し芸術の旅に出てくる。バスが出るようなら、少しは知られた場所だろう。行くのは深夜にするから、手回しを頼む」
 ?とクレアは首を傾げたが、ローザには意味が通じたらしい、
「分かったよ」
 ゆっくりと頷いた。
「じゃ、行こうか」
「ええ」
 至極当然のように腕を絡めたクレアだが、シンジはあえてほどこうとはしなかった。
 レディーに腕を奪われるのは、別に不慣れではない。
 特に正しく女性と定義するのはいささか抵抗があるが、その肢体には羨望の眼差しを向ける者の多い、とある美女からは。
 腕を組んだまま、クレアと連れだって歩き出すシンジ。
 デートはどうやら、歴史の探訪になりそうだった。
 
 
 だがクレアも、そしてシンジも知らなかった。
 二人の姿が消えた後、ローザがその双眸を閉じたまま、虚空をじっと見上げていたことを。
 そしてその口から、
「ヘラー様、ようやく…ようやく見つける事が出来ました。唯一残る神々の末裔を、その手に託す事の出来る人間を…」
 言葉を紡いだとき、閉じられた瞳から涙がこぼれおちたことも。
 
 
 
 
 
(つづく)


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