妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
 
 
D−6:そういう趣味はない
 
 
 
 
 
 全裸で運ばれてきたモリガンだが、そのままでは帰せないと麗香の服を借りたのはいいが、
「これ、少し胸がきついんだけど、これ以外のサイズはないの」
 窮屈そうに胸元を引っ張り、麗香の眉をかちっと上げた。嫌味の口調がないだけに尚更である。
「無いわ。嫌なら全裸で帰ればいいでしょう」
「そう、怒らないでよ。別に嫌味言ってるわけじゃないんだから。お風呂借りるわよ」
 そんな事は分かっている。だから余計、癪に障るのだ。
 風呂から出てきたモリガンが、
「やっと生き返ったわ。まったく、一時はどうなるかと思ったわよ」
 腕を数度回す。特製の溶液に浸かり、やっと腕が戻ったのだ。
「麗香、夜香はいる?」
「もう来られるわ。本当は魔界へ行かれる予定だったのに」
「碇シンジを助けに?」
「……」
 そこへ、
「私がどこへ行こうとお前には関係あるまい」
 夜香が姿を見せた。
「腕も治ったなら、もうここに用は無かろう。さっさと戻るがいい」
「用がなきゃ、居ちゃいけないわけ?麗香連れでよければ帰るけど」
「お断りよ」
「相変わらずお堅いのねえ」
(?)
 モリガンの反応に、麗香は内心で首を傾げた。普段なら、さっさと実力行使に及ぼうとするところだ。
「それより夜香、リリスはまだ返してくれないの?」
「あの二人をわざわざ引き離す事もあるまい」
「そうねえ。でも、リリスがいれば今回あんなに深くは取らなかったような気がするのよね。私の力も落ちちゃったし」
 夜香と麗香はそっと顔を見合わせた。
 何やら言いたいらしいが、それが言えず遠回しに探っている。そんな感じである。
「リリスの代わりに麗香を持っていくと言うのか?」
 可能性はそれが一番高い。
「言わないわよ。大体、麗香にその気はまったく無いじゃない。麗香が私に抱かれる気になったなら別だけど」
「何が言いたいのだ」
「そうねえ…まあ、大した事じゃないのよ」
 この女が言いよどむなど、珍事に近い。
 咳払いしてから、
「私より強い男、初めて見つけちゃったしね」
「……」
 夜香の表情は変わらない。
 この答えはある程度、予測していたのかもしれない。
 ついていけなかった麗香が、一瞬遅れて言葉の意味に気づいた。
「モリガンまさかっ」
「まさか、何?」
 美貌の夢魔は冷ややかとも言える視線を向けた。
「夜香、取引しない」
「ほう」
「悪い話じゃないと思うわよ。麗香の貞操大事なんでしょ」
 モリガンはニマッと笑った。
 
 
 
 
 
「で、シンジを浚ってどこへ連れて行く気だ」
「オーナー、どうかしましたか?」
 水晶を覗いている主人に、祐子が後ろから声を掛けた。
「デミトリを始末したところで、持たせた道具が消滅しました。倒れた所をモリガンに担がれて行きましたよ」
「いいのですか、戸山町に教えなくて」
「別に大丈夫でしょう。あ、ありがとう」
 振り向くと、盆の上から湯飲みを受け取って傾けた。
「戸山町の従兄に何も言わず手を出せば、連合軍を敵に回す事くらいは分かっているでしょう。夜香殿も、妹君を優先された筈です」
「ならいいんですけど…」
「何か気になります?」
「いえ、ただ碇さんはそんな単純に行くのかと」
「行かないでしょ」
 主人は首を振った。
「そう簡単に手を出すなら、夜香殿も苦労してませんよ」
「オ、オーナーそれは…」
 はっと口に手を当て、
「私、今何か言いました?」
「ええ、言いました」
 祐子の言葉に、主人は頬に手を当てた。
 歪んだその顔は、ノルウェーを代表するとある画家がものした絵に瓜二つであった。
 
 
「それにしても、まさか人間がこの魔界を制圧してしまうとはね。想像もしていなかったわ」
 別に制圧したわけでも、本人にその気があるわけでもない。
 単に、魔界のボス達が勝手に敗れたのだ。とはいえ、これで魔界が争乱状態になる事はない。
 この魔界は元々、モリガンの祖父であるベリオールが治めており、本来ならモリガンが君臨しているところだ。
 それが、モリガンにその気がなかった事で、騒ぎの元になったのだ。当初から覇権を受け継ぐべく真面目に取り組んでいれば、とっくにあの二人など始末出来ている。
 とまれ、ダウンしたシンジを城に拉致してきたモリガンは、躊躇うことなくシンジの寝顔に唇を重ねた。
 性的な意味ではなく、精気を注ぎ込んだのだ。口移しが手っ取り早い、と言うよりそれ以外の方法は知らない。
 シンジの顔に血色が戻ってくるのを見ながら、
「従魔は封じてあるし、夜香とは話がついてる。もう、邪魔する者はいないわよ」
 レオタードの胸元を広げると、解放された乳房がぶるっとこぼれ出てきた。持ち主の濡れた表情を表すかのように、既に乳首は固くしこっている。
 赤い舌でチロッと舌なめずりした姿は、夢魔と言うより獲物を前にした蛇にも似ていたが、片手で乳房を揉みしだきながら、ゆっくりとシンジの上に覆い被さっていく。
 自らの約定に従い、シンジに抱かれようと言うのだ。美形ではないが、自分には関係ない。美男子ではなく強い男の方がはるかに重要なのだから。
 シンジの寝姿に何を想像したのか、既に秘所は潤っており、既に愛撫を受けて繋がる寸前にも見える。
 だが。
 次の瞬間、その体は壁まで吹っ飛んでいた。半裸に加えて半分自慰状態だから、油断もいいところではあったのだが、まさか蹴りが飛んでくるとは思わなかった。
 痛みと怒りで顔を赤くしながら起きあがると、シンジが目をこすりながら起きたところであった。
「…ここ何処?俺誰?」
「あなたは碇シンジ。ここは私の城よ」
「おや?」
 その時になってやっと、シンジがモリガンに気づいたように顔を向けた。それが演技ではないと知り、モリガンのきれいな眉は吊り上がったが、
「何で俺はここにいるの」
「…その前に言う事があるんじゃなくて?」
「何?」
「助けてもらった相手を蹴り飛ばすのが、あなたの信条なの?ずいぶんな仕打ちじゃないの」
「――えーと」
 周囲を見回してから、
「あ、今のお前だったの。知らなかった」
「何ですって」
「いや、夢の中で幽霊に襲われてたんだ。しかも半裸だったぞ」
「……」
「蹴り飛ばしたのは悪かった…って、お前敵じゃないか。なんで遠慮しなきゃならないんだ」
「助けても?」
「助けた?デミグラの奴生きてたの」
「デミトリを倒すのに精一杯で、あなたもあの場所に倒れていたのよ。それを私が担いで来たのよ。おまけに精気まで注入して」
「あ、それはどうもわざわざご丁寧に」
「いえいえ、どういたしまして」
「……」
「……」
「で、何で助けたの」
「あなたに抱かれてみようかなと思ったのよ」
「はあ」
 人生相談を受けるアドバイザーみたいな表情で頷いてから、
「なんで?」
 奇妙な表情で訊いた。
「私の事は夜香から訊いてないの」
「聞いてるよ。その気になれば男など選り取り見取りのくせに、女にしか興味を持たない困ったちゃんだって」
「半分間違ってるわよ」
 抑えた手から半分乳房がこぼれた体勢で、モリガンはめっとシンジを睨んだ。
「私より強い男にしか興味はない、そう言わなかった?」
「…言われたかな」
 うーん、と首を捻り、
「でも従妹の性癖には興味ないし。それより、もう麗香を襲ったりしないようにね。じゃ、これで」
 よいしょと降りたシンジが、軽く手を挙げて背を向けた。
「ええ、じゃあまた…って、ちょっと待ちなさいよっ!」
「何か」
「私のこの格好見て何とも思わないのっ」
「俺が蹴って服が破れたんでしょ。悪かったってば」
「違うわ」
 モリガンの視線がシンジを捉える。
 妙に据わった目であった。
「私の体、好きにしていいって言ってるのよ」
「別にいい。そう言う趣味はないから」
「しゅ、趣味ですって」
「強い男に抱かれたいのはモリガンの趣味。と言うより、動物的本能に近いね」
「どういう事よ」
「自然界でもそうでしょ。雌は強い雄の方に行くじゃない。でも、俺にそう言う趣味はないの。女のそんな都合で抱けと言われても、触る気にすらならない。モリガンだって逆の立場ならそう言うはずだ。じゃあね」
 今度こそ振り向くことなく、シンジは歩き去っていった。
 静まりかえった空間でカリッと歯の鳴る音がしたのは、それからまもなくであった。
 
 
「それで逃げてきたんですな」
「それがまた、すっごく怖かったんだ」
「何故です?」
 翌日シンジは、黒瓜堂を訪れていた。
 妙な液体を持参していたのだが、受け取った途端主人は奥に消えた。戻ってくる様子はなく、
「あの、トイレへ?」
 コーヒーを運んできた祐子に訊いたら、
「奥で喜びの舞いを踊ってました」
「よ、喜びの…」
「ええ」
「たまにあるんですか?」
「三年か、四年に一度位です。本当に珍しいんですよ」
「ふーん」
 そんなに大したものだったのかと持ってきた方が驚いたが、一分もしないうちに主人は戻ってきた。
「失礼しました。それで、あの後どうなったんです」
 どんな舞いかと思ったが、至って変わらず、舞いを踊ってきたようには見えない。
「どうかしました?」
「あ、いえなんでも。あの後って?」
「夢魔のモリガンに拉致された後ですよ」
「あの場にいたの?」
 思わず声がうわずったシンジに、
「居ませんよ。単に見てただけです――ここから」
「は、はあ」
 一体何を持ってるのか、と言うより全部透視されているような気がして背筋が寒くなったが、何とか気を取り直し、
「城に運ばれたら、誘拐されたの」
「一度さらって、もう一度?」
「あ、誘拐じゃなくて誘惑」
「ほほう。誰にです?」
「モリガンに」
「理由は?」
「強い男が好きだ、とか」
「君にそう言う趣味はないね」
「うん」
 シンジは笑って頷いた。
 それでどうしたの、と訊かれなかったのが少し嬉しかったのだ。
 ここで冒頭の台詞に戻る。
「フェンリルはいないし、体に力は入らない。襲われてたら、多分押し倒されてた」
「それはないでしょう」
「何で?」
「確かに、一時は押し倒して処女を押しつけられるかもしれないけれど、勝負とは違います。生かして帰す事になるのだし、そうすれば復活した後どうなるか位、読めているはずです」
「あ、そっか」
 頷いたが、
「ちょっと待って」
「何です」
「それってつまり、俺がモリガンの膜をぷちって破った後、正気に戻されずに飼われていた可能性もあるって事?」
「ああ、それはありますな」
「それって駄目じゃん」
「とは言え、今回は無事で済んだし良かったでしょう。また、魔界へは行かれます?」
「行く」
 シンジは即座に頷いた。
「モリガンなんて知らないけど、あそこは結構空気がいいんだ。正確に言えば強くなれるし」
「結構でしょう。耐性がつけば、素材の能力も上がるはずです」
 その後三十分ほど経ってから、シンジは黒瓜堂を辞した。
 帰り際、主人が玄関まで見送りに出てきたのだが、
「そう言えば、一つ言い忘れてました」
「何?」
「この間道具を渡したでしょう」
「うん」
「あれは確かに、一時的にパワーアップはするんですが、他の箇所はぐっと弱くなるんです」
「は?」
 シンジの口がぽかんと開き、
「そ、それって…俺が受け止めた箇所以外に食ってたら、モロだったって事?」
「まあ、そうとも言います」
「ちょ、ちょっと冗談じゃなっ――あっ!」
 文句を言いかけた途端、ドアはゆっくりと閉められた。
「開けろー!!」
 ジタバタと暴れてみたが、無論開くはずもなく、シンジは地団駄踏みながら引き返す事になったのだ。
 
 
 
 
 
 死者すら跳ね起きかねない視線を向けてくる従妹に、さすがの夜香も困っていた。
 まして、その手が妹の首に掛かっているとなれば尚更だ。もう力は抜けているがシンジに交渉しろ、さもなくば今すぐ麗香を拉致すると来たのだ。
 理由ははっきりしている、シンジだ。
 元々このモリガン、自分より弱い男には興味がないと言い切っており、故に現在まで処女なのだが、シンジには完膚無きまでに敗れた。
 自らの宗旨通り誘惑したのはいいが、あっさりとはねつけられた。
 プライドが高いだけに、甘い誘惑が通じないと知り、一転して実力行使に出ようとしたが、既に敗れている身であり、従魔のフェンリルを抜きにしても敵わない。自分の頼みが無茶だったとは言え、インフォームド・コンセント違反だと少々機嫌が悪い。
 取り押さえようとして撃退される事四度、とうとう夜香の方に直談判と来たのだ。
「どうするの、夜香?」
「分かった。碇さんには私からお話しておこう。ただし、結果までは保証できない。それは分かってるな」
「いいわ。どうしても私の物にならないなら…この世から葬ってやるんだから」
 麗香は逃げる事すら出来ない。
 夜香は別だが、麗香とモリガンでは力量に差がありすぎる。抗う事も出来ないのだ。
 やっと解放されて苦しげに息を吐き出した妹に、夜香の眉がわずかに寄った。
 
 
 その数日後、夜香はシンジと帝都の空にいた。
 眠らぬ街を眼下に眺めながら、
「碇さん」
「何?」
「モリガンの事、気に入りませんか?」
「気に入らない」
 シンジはあっさりと返した。
「強い男だか何だか知らないけど、そんなのは雌の都合だ。相手には関係ない。だいたい、俺はアザラシの雄じゃないんだぞ」
 アザラシの雄はハーレムを作り、他の雄と闘う事はよく知られている。
「ええ」
 頷いた夜香に、
「モリガンに脅迫されたの?」
 シンジは上を見上げた。
「いえ、そう言う事ではありません」
 シンジの視線を受けながら首を振った。
「ただ――」
「ただ?」
「最初の頃とは少し変わっています。初めは確かに、碇さんの言われたような事しか考えていなかったでしょう。ただ、今は少し変化しています」
「進歩?退化?」
「微妙な進歩でしょう。はっきり言えば、追いかける方に変わっています」
「…何ですと」
「逃げるから追いかける――猫のようなものです。元より、想いを見せるような事は不得手ですから」
「……」
 自分の元に来たモリガンを見た時、少なくとも性欲だけの為ではないと夜香は見抜いた。とは言え、元が気まぐれな生き物だけに、想いかどうかは断定出来ず、まして麗香を人質にして脅迫めいた事をされたとは口にしなかった。
「一つ訊いていい?」
「何でしょう」
「夜香なら、手を出すの」
「いいえ」
 答えは早かった。
「勿論、私は碇さんとは違います。ただ、私が碇さんと同じ立場であれば、おそらくは同じ反応をした事でしょう」
「だよねえ」
 
 
「それで、なぜ私の店へ来るのかね」
「だって他の人には訊けないじゃない」
「従魔はどうした」
「冥界に帰ってる。お暇出した」
「ほう」
 数日後、黒瓜堂を訪れたシンジは応接間に通され、主人と向かい合っていた。告知義務に付いては触れず、主人の方も何も言わない。
「夜香は俺に何か隠してる」
「例えば?」
「多分…モリガンがこっちに来たんだ」
「何をしにです?」
「夜香を脅迫しに。正確に言えば、俺をその気にさせないと麗香をテイクアウトするぞとか」
「ありそうな話ですな」
 うんうんと頷き、
「じゃ、抱いちゃったらどうです」
「は!?」
「碇シンジのナニが気に入ったから抱きたい、そう言ったわけではないと思いますよ」
「……」
「きっぱり突っぱねたんでしょう?」
「勿論」
「それがここまで執念深くなるのは、多分女の性格でしょう」
「女の性格…」
「女が逃げ男が追う、これは古来からの男女の姿であり、男が所詮女の影から逃げられない証ですが、それが崩れた時にどうなるか。時として、その姿が変化するのです」
「じゃ、モリガンはそれをひっくり返したと言う事?」
「それもあるでしょう。何より、我が儘な箱入り娘ですし、自分の思い通りに行かないと戸惑うのでしょうな」
 はあ、と頷いてから、どうして知っているのか訊きたくなったが止めた。
 何かが脳裏でピクッと動いたのだ。
「何にしても、今のモリガンはシンジ君に害意はないでしょう。むしろ、引っ込みが付かない状態じゃないですか?」
「んむう〜」
 唸った次の日、シンジの姿は魔界にあった。
 取りあえず、モリガンに会っておこうかと思ったのだ。と言うよりも、麗香をダシにしていたらとっちめてやると、少々物騒な事も考えている。
 既にここの空気も体に馴染んでおり、体内変換出来るようになっている。空気成分は変わらないが、魔の成分が多いだけに、普通の人間には向かないのだ。
「でも、黒瓜堂の旦那はここで俺を見ていた」
 シンジは呟いた。
 モリガンにさらわれたと指摘された事を言っているのだが、実際には水晶だった事を知らない。
 そしてそれが来栖川芹香と刻まれたものである事も。
 店から見ていたと言ったが、実は来ていたのではないかと疑っているのだ。
「やっぱり人間じゃないのかな」
 聞かれたら、ほぼ間違いなく茶に毒を入れられそうな台詞を口にした直後、その体は前方に転がっていた。
「!?」
 間髪を置かず、シンジの居た場所に銀の刃が突き刺さった。それが櫛だと気づくには数秒かかったが、犯人を特定するにはもっと掛かった。
 にっこりと笑っている秀蘭が立っていたのだ。
「あれ?今誰か物騒な物投げなかった?」
「私です」
「あ、そうなの…え?」
「あなたの命、頂戴します」
「は!?」
 シンジの口が、今度こそ完全に開いた。
 
 
 
 
 
(つづく)


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