妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
 
 
D−5:デミグラの怨みと“三種の神器”
 
 
 
 
 
「届けモン」
 古の時代、クレオパトラは自らの肢体を絨毯に包み、シーザーの前に全裸を晒し、あっさりと男を虜にしたという。
 それを模したかどうかは不明だが、戸山町の友人宅を訪れたシンジは、絨毯ならぬ茣蓙で全身を巻いた物体を肩に担いでいた。
「これは?」
「襲われたから返り討ちにしておいた。確か夜香の知り合いだったでしょ」
 床に置いた物体はエアパックされて上から麻紐で結ばれており、それをぐいと引っ張ると物体はくるくる回転し、中から現れたのはモリガンであった。
 ただし、古代の女王とは異なり全裸ではなく、むっちりとした肢体を覆うレオタードが、これ以上ない位に破られている。
 無論引き裂いたのではない。
 自分に絡むモリガンに、シンジは蹴りを放った。後方上段への回し蹴り――何故か非常にゆっくりとした動きであり、痛打はおろかダメージさえ与えられそうにない。
 ふわ、と手を上げてモリガンは軽く受け止めようとした。何のつもりか知らないが、足を封じればそのまま抱えられる。あとは脇腹に軽く魔弾を打ち込めば終わる。そうすればもう自分の思うままだ。
 だがその目論見は一瞬で吹き飛んだ。
 児戯にも等しいそれが手に当たった瞬間、モリガンは数メートルも吹っ飛ばされていたのだ。
「免許証が危険なんで、ボロボロになった車を運転するわけにはいかない」
「な、なかなか…!?」
 面白い真似をするわねと言いかけて、モリガンは愕然とした。手が動かないのだ。モリガンにすれば綿みたいな一撃の筈なのに、受け止めた手は肩口まで重く痺れ、言う事を聞いてくれる気配はない。
「処女だと聞いた。男を知らないらしいな」
 笑ったシンジにモリガンの眉が吊り上がる。男を知らない、の台詞がシンジを甘く見た事を揶揄していると気付いたのだ。
「腕一本くらいで調子に乗らな――かはっ」
 次の瞬間、モリガンは信じられない光景を目にする事になった。シンジの一撃を浴びた腕がくるりと回転し、重い拳が自らの脇腹にめり込んだのだ。
「仲間割れはいけない」
 激痛で息が詰まり、信じられぬ事態に血の気が引いたモリガンが、怒りと共に立ち上がったとこへ、
「火幕連弾」
 ピンポン玉ほどの火球が無数に飛来し、モリガンの周囲に火の幕を作る。火之神ではないモリガンは地を蹴って飛翔しようとしたが、一瞬感じた異様な気配に上を向き、そのまま宙で硬直した。
 モリガンの身長ほどもありそうな巨大な火球が、今まさに落下せんと待ちかまえていたのである。
 舌打ちして前に抜け出そうとした途端、足に何かが絡みついた。
「あうっ」
 思わず苦痛の呻きが漏れたのは、巻き付いたそれがモリガンを強烈に地へ叩き付けたからだ。
「一撃当てれば、その部分は好きなように操れる。こんな物は黒瓜堂でなきゃ作れないが、コストが高すぎるのが難点だ。これから魔界へ行くが、ばらされたら困るからその前に殺(ばら)しておこう」
 どんなに強力な戦闘能力を持っていても、綿のような一撃に吹っ飛ばされた挙げ句自分の拳に襲われ、更に数メートルの高みから受け身も取れずに地に叩き付けられればどうなるか。
 あちこちに擦り傷が出来、顔面を蒼白にしているモリガンがその答えであった。
 つかつかと歩み寄ったシンジがすっと手を上げる。そこから繰り出す物が何であれ、モリガンは一矢を報いるどころか避ける事すら出来まい。
 その手の上でみるみる風が渦を巻き始め――ふっと止まった。
「改心させてくれ、とは言わなかったが、殺してくれとも言われてない。殺して放り出すと死体遺棄になっちゃうし」
 奇妙な事を口にすると、その手をモリガンに向けて開いた。
 一瞬身を固くしたモリガンだが、必殺の一撃は来ず、代わりに全身のあちこちを鋭い痛みが襲った。
 風の刃に次々と裂け目を作っていく自分のレオタードと、手足を完全に拘束する木の蔦に気付いた時、モリガンは完全な敗北を知った。
「合意の上で破れるのも、口にも入りきらないようなそれを押し込まれても、処女膜の破れには変わりない。元々多少は穴が開いている代物だし、蔦というのはどう?」
「つ、蔦?」
「細いから、普通に開いてる穴でも通り抜ける。処女膜を持ったまま膣内を蔓に引っかき回される――いいと思わない?淫魔の愛液なら、旦那に高く売れそうだ」
 雰囲気もおっとりしているし、顔だって決して凶相ではない。
 その少年の口から出る卑猥な言葉に、モリガンの全身から急速に力が抜けていった。
 詳細は告げなかったが、
「そんなに強くないよね」
 と言うシンジの一言に、夜香は起きた事柄を知った。何を使ったのかは不明だが、シビウは無論の事、フェンリルも味方してはいなかったろう。
 たった一人で、魔界に君臨する力を持つこの淫魔を捕縛してしまったのだ。
「ちょっと出かけるからね」
「どちらへ?」
 じゃあね、ならともかく出かけるからと、わざわざ言い残すのは珍しい。
 つられるように訊ねた夜香に、
「魔界。デミグラの恨みを晴らしてくれる」
 デミグラ、と舌に載せて呟いてから、
「麗香の選択…お気に召さなかったでしょうか」
「正直」
 小さく頷き、
「でも、麗香には内緒だよ。大体、吸血鬼は普通の食事なんて縁がないだろ」
「ええ、あまり」
「それに、麗香は一生懸命考えてくれたんだし、黒瓜堂の旦那はきっと、店まで指定しては余計なお世話だと気を遣ってくれたのさ」
 正確には間違いである。
 確かに麗香が訊いたのは黒瓜堂だったが、答えたのは主人ではなかったのだ。主人ならきっと、『梅干しと鰻の刺身』や或いは『天麩羅と西瓜』とか言ったに違いない。
 半ば迷信であったとしても、だ。
「碇さん、申し訳ありません」
「あ、いいの気にしないで。そんな事より夜香」
「はい?」
「麗香に言ったりしたら心臓に杭打ち込むからね」
「ご心配なく」
 頷いた夜香だが、
「シンジさん、本当に私の心臓に杭を?」
「は?」
「私の墓碑はお任せしましょう」
「あ、ちょっと待ったやっぱり止めた。杭とか言わないから、天寿を全うしてちょうだい。だ、だからこっちに来ないでー!」
 表情が一転し、乱杭歯を妖しく煌めかせた美貌の吸血鬼から、シンジはかさかさと逃げだ――す事は出来なかった。
 がしっとその肩が掴まれ、
「魔界で待ち合わせがあるわけではないのでしょう。少し、ゆっくりしていく時間はおありですね?」
 足下で扇情的な格好を晒している従妹には目もくれず、妖しい口調で囁く夜香に、シンジはこくこくと頷くしか選択肢は残っていなかった。
 その翌日、シンジはフェンリルの背に揺られて魔界にいた。
「マスター」
「何」
「なぜげっそりしている?」
「うるさい」
「私も昨晩は側にいなかった。マスターがそこまでのめり込んだ原因を教えてもらいたいものだが」
「うるさいだまれ。皮剥いで売り飛ばすぞ」
「私は構わない。なにせ――」
 妙にもったい付けてから、
「私の墓碑はマスターに任せてあるからな」
「おのれはー!!」
 ぎりぎりと首を締め上げたところへ、
「一度では懲りず、また現れたか」
 頭上から降ってきた声にも表情は変わらず、
「壊れ物はエアパッキンして従兄の元に届けてきた。お前は血染めの絨毯にくるんで冥界に送りつけてやる。送料は受取人払いだ」
「壊れ物だと」
「モリガン=アースランド。あれでも一応は女…いたっ」
 何故か毛皮が尖り、シンジの素肌をちくっと刺した。
「ほう。人間風情に不覚を取るとは、お前の精気でも狙った――」
 言いかけてデミトリは身体を捻った。何の気配も感じさせずにシンジの手が動き、そこから放たれた銀色の刃がまっすぐにデミトリを襲ったのだ。
「復讐するは我にあり。と言っても、お前みたいな三下吸血鬼は放って置いても良かった。夜香に頼まれてないからな。でも気が変わった。お前は滅びなきゃならない」
「人間よ、一つ訊いておこうか。何がお前を蛮勇に駆り立てたのだ?」
「ある知り合いから夕食に誘われた。一所懸命考えた場所だから文句は言えないが、デミグラが最悪だった。つまり、お前の存在自体が悪と言う事だ」
「…ほう」
 誰かの仇討ちとか、正義感とか言うのならまだ分かる。
 だが、目下魔界に於いては最高実力者に等しいこのデミトリを捕まえて、意味不明な逆恨みで戦いを挑むとは。
「この私もずいぶんと侮られたものだな」
 僅かにデミトリの双眸が細くなり、次の瞬間一気に急降下してきた。シンジの眼前で身を反転させると、重く空気を切り裂く音と共に蹴りが飛んできた。丸太でも振り回したような音であり、受ければシンジの首などひとたまりもあるまい。
 だが受けた。
 脳裏にお花畑でも出来たのか、この少年は手首でその蹴りを受け止めたのである。フェンリルの身体はびくともせず、まだシンジも動かない。
「な…に?」
「邪魔だ」
 言うなり、シンジは反対の手で足首を掴み、ぶんと放り投げた。巨躯が吹っ飛んでいき、大木に衝突する寸前鮮やかに身を翻す。
「ファイア!」
 両手から飛び出した巨大な炎の槍がシンジを襲う。シンジは避けようともしない。
 巨大な槍がシンジを包み、その全身を焼き尽くしていく。放っておけば、骨すら残るまい。
「!?」
 これでけりがつくとは思っていなかったが、まさかまともに受けるとは思っていなかった。僅かに表情の動いたデミトリだが、シンジを焼き尽くした筈の炎は、しゅうしゅうと間の抜けた音を立てて水蒸気に変わった。 
「これだけ?」
 ニマッと笑ったシンジは、フェンリルの上から降りてもいない。
 チクチクするから降りる、とシンジが言ったのだが、フェンリルが降ろさなかったのだ。
「これだけの力が有りながら、なぜ私に力を乗っ取られたりしたのだ。余裕か?」
「ううん」
 シンジは首を振り、
「三種の神器が無かったから。さ、冥土のみやげにはもういいだろ。此処限定だけどお前の攻撃は九割八分は通じないんだ」
 敵わない、ではなく。
 通じない、とシンジは言った。
 黒瓜堂の主人は、三つの道具をシンジに渡した。
 一つは霊体、つまり精神を自らの物として安定させる為の道具であった。シンジが誰を相手にするにせよ、今のシンジのレベルと魔界という場所を考えれば、あまりにも不利な状況である。
 だから固定した。簡単に言えば結界を張ったようなものであり、自分の力を自分だけが使えるという、ある意味では当たり前の事だ。
 そして、人間界の常識が通用しないのもまた、魔界では当然の事なのだから。
 魔界の貴公子の全身がゆっくりと輝き始めた。
 怒りと、そして鬼気という二つのオーラによって。どうやら本気になったらしい。
 とん、と軽く背後の木を蹴った。
 一気に肉迫する。
 時間は最初の時の半分も掛かっているまい。巌のような手がシンジを掴んだ時、踏み台になった巨木が根本からへし折れた。
 攻撃ではなく、実に軽く蹴っただけでこれだ。
 一瞬にしてシンジの手が紫色に変色し、デミトリはそのまま掴み上げようとした。
「乱暴なのはいや」
 初めてを捧げる乙女みたいな台詞だが、次の行動はほど遠い物であった。自由な方の手を手刀の形に変えると、えいっと振り下ろしたのだ。
「っ!?」
 愕然と飛び離れたデミトリだが、その右手は手首から先が喪われていた。事もあろうに、誇り高き吸血鬼は人間の少年の一撃で片手をすっぱり喪ったのである。
「おのれ…」
 吸血鬼だから、体の傷はまず治る。
 だが断たれてしまっては。
 と、シンジは何を思ったか自分の手首を掴んでいたそれを引き離し、デミトリに向けて放ったのだ。
「身体の傷はすぐ治るし、切り離されてもパーツがあれば治るだろ。要るでしょ?」
 ぎりりとデミトリが歯を噛み鳴らし、放り投げられたそれを炎で包む。無論、この反応は十二分に見こしての事だ。
 さすがに断たれた場合は論外なのか、手首からは出血が止まらない。
 しかし殺気と鬼気は少しも衰えず、残った手をシンジに向けた。その全身が青白く輝きだしたかに見えた途端、
「カオスフレア!」
 体と同じ色の炎が襲ってきた。
「風裂」
 火は風に煽られる。だからこそ、風には勝てないのだ。
 真っ二つに裂かれて彼方へ消えた炎を見ながら、
「人間よ、名を訊いておこう。名前を何という」
 デミトリの口調が変わった。人間如きがと侮る口調ではなく、全力を賭して倒すべき相手を見つけた戦士の口調であった。
「碇シンジ」
 気にした様子もなく答えたシンジに、
「マスター、どうやら全力で来る気のようだな」
「最後の一撃ってやつだな。片手で何が出来るか見せてもらおう」
 攻撃しようと思えば出来るのに、シンジは動かない。構えるどころか興味津々に見ており、片手はフェンリルの毛皮を弄っている。
 さっきは青だったが、今度は紅い色に輝きだした。勇壮なそれよりは、むしろ凄絶な血の色に近い。
 当然の事だが、シンジにデミトリのデータはない。すべてが未知数の相手との戦いだが、ここまでは圧倒的に押している。
 そう、ここまでは。
 全身から火のような輝きを放っているデミトリの両手が上にあがった――手首がついている方もいない方も。
「デモンビリオン!!」
 叫びと同時に真っ黒な何かが飛んできた。
「爆――」
 風で吹っ飛ばそうとしたが一瞬、ほんの一瞬だけ躊躇いが生じた。
 黒い塊は、すべてコウモリの集まりだったのだ。戸山町の知り合いが脳裏に浮かんだのは言うまでもない。
 だがそれは、コウモリの塊が来襲するには十分な時間であり、間に合わぬと地面に転がり落ちたシンジの手足へ夜の生き物達が激突した。
「マスター!」
 落ちる寸前、シンジはフェンリルを突き飛ばしており、女の姿を取ったフェンリルがシンジに駆け寄った。
 腕の一振りでコウモリ共を追い払い、急いでシンジを助け起こしたが、ダメージは決して浅くない。
「マスター何故…」
「麗香の全裸に見えたの」
 まだ余裕はあるらしい。
 ほっとしたフェンリルだが、その表情は愕然としたものに変わった。シンジの左腕はだらんと垂れていたのだ。
 脱臼乃至は骨折しているのは明らかだが、フェンリルの表情に気づいたシンジは、
「フェンリル、三十分経ったら迎えに来て」
「マスター?」
「これぐらいはちょうどいいハンデだ。それに、手無しと二対一じゃ勝負にならないでしょ?」
「…分かった」
 言っても聞かないと思ったか、フェンリルはすっと姿を消した。
「いいのか碇シンジよ。パートナーを帰したりして」
「フェンリルは心配性だからな。よっこらせと」
 ゴキ、と音がしてシンジは顔を歪めたが、ゆっくりと腕を回した。
 外れただけのようだ。
「もうあんたのコウモリは食らわない。で、次は何で来る?」
「腕を治す」
 コウモリ達が戻ってくるのを見たデミトリが、にっと笑った。
 意味不明な笑いの意味はすぐに知れた。数匹のコウモリを掴まえると、手の中で握りつぶしたのである。
 肉塊になったそれを手首に押しつける。
 それがみるみる元の手になっていくのを、シンジは黙然と眺めていた。
「さっさと攻撃しておけば、あるいは勝機もあったかもしれなかったものを。余計な事を考えたのが命取りになったな」
 さっきまでの体勢を考えれば大言壮語だが、そうではないとシンジの本能が囁いており、そしてそれは事実であった。
 腕から繰り出す炎もエネルギーも、さっきまでとは段違いであり、どうやらコウモリは栄養価も高いらしい。
「命取りねえ」
 飛んできた炎を避けながら、シンジが懐中から取り出したのはネックレスであった。鎖が金なのはいいが、何故か中央にぶら下がっているのも金色のドクロであり、かなり奇天烈な趣味だ。
「これは二つ目です。これを着けている間は、相手の攻撃を一点に収集させて受け止める事が可能です。ただ、効果が強いので半端な相手ならポケットに入れておくだけで十分です。相手がパワーアップしたら、直に着けて下さい」
 勿論、超能力などという代物ではなく、一つ目の鉄磁石と合わせ、精を集中させる事で強力な結界を作り出すのだ。
 一カ所だけ無敵、と言えば聞こえはいいが、他はがくんと弱くなる。
 なお、これを作った黒瓜堂の主人は、その事をシンジに告げていない。
「次はこっちから」
 一気に地を蹴ったシンジは、デミトリの上方まで飛翔したが、デミトリは動こうとしない。
 それどころか、腕を組んでこっちを見さえしない。
「その余裕が何処まで続くかな。劫火!」
 ムカッと来た表情で、手に火を帯びて急降下する。
 火拳とでも呼べるかもしれないが、デミトリが一瞬でも上を見ていれば、それが本気ではない事に気づいたであろう。
 だが大きさだけはなかなかのものであった――少なくとも、デミトリを誘き出すには。
 拳が命中する寸前、
「デモンクレイドル!」
 叫ぶと同時にデミトリの体が回転し、凄まじい勢いで上昇してくる。シンジが本気であれば、直撃せずとも巻き込まれて吹っ飛んでいたに違いない。
 しかし、シンジは読んでいた。
 正確に言えば勘である。手下を食べてパワーアップはしたが、その前は完全に自分に押されていた。その自分に上を取られても平然としているのは、必殺の対空防御があると踏んだのだ。
 これでもし、互角かあるいは自分が最初から劣勢であれば、シンジもまんまとはまったかもしれない。
 普段からクールなヴァンパイアだが、時と相手の選択ミスであった。
 デミトリが突っ込んでくる瞬間に、シンジの手の炎はふわっと消え、
「残念でした」
「何!?」
 場所を入れ替えたシンジは下方におり、慌てた体勢を整えた瞬間、すっと腕が取られた。
「ちっ」
 さては投げる気かと、舌打ちして防御したが、シンジは意外にもあっさりと放してしまった。
「何の真似だ」
「三番目はブレスレット」
 シンジが取り出して腕に嵌めたブレスレットは、黒瓜堂謹製の三つ目の道具であり、
「これは亡者と夜魔の呪詛が入っていて、触れた部分だけ好きに動かす事ができます」
 奇妙な説明と共に受け取ったのだ。
「つまり?」
「例えば刀を持った殺人鬼と対した場合、これを着けて相手の腕に触れれば、自分で自分の首を刺し通させる事も可能です」
「グッドアイディーア」
 モリガンが自らの体を殴ったのも、勿論これが原因であり、そして今シンジはデミトリの手に触れたのだ。
「あんたは陽光すら克服したヴァンパイアだな。じゃ、どうすれば滅びるか教えてくれるかい?」
「ふん、何をたわけたこ…!?」
 不意にその全身が硬直した。
 あざ笑った顔を裏切るかのように、右手には一本の杭が出現したのである。そしてそれはまっすぐに――デミトリの心臓を狙っていた。
「き、貴様まさか…や、止め…ぐうう…」
「やっぱり心臓に杭か。じゃ、頑張って」
 くい、とシンジが親指を下に向けた。その動きに導かれたように、杭を握ったデミトリの右手は、左手と胴体の必死の抵抗にも止まることなく、じりじりと心臓に向かって突き進む。
 十秒…二十秒……そして三十秒、ついに魔界の貴公子は力尽きた。
 深々と心臓に杭が突き立った瞬間、みるみる内にその体が灰と化していく。体がすべて灰と化してから、杭は地に落ちて哀しげな音を立てた。
 つもった灰を見ながら、
「これ、肩こり用の三種の神器だよねえ」
 薄く笑ったシンジだが、不意にその足下が揺れた。そのまま、ゆらゆらと倒れ込んでいく。
 まともでは勝てぬと踏んだ黒瓜堂の主人は、シンジの力を限界まで引き出し、なおかつ変換できる道具を作りだし、そしてシンジは勝利を収めた。
 しかしその代償も大きく、精神をぎりぎりまで使い切ったシンジは身体も限界に達していたのだ。
 シンジの力が抜けるのに合わせたように、その力を限界まで引き出した道具もまた、さらさらと粉状に崩れていった。
 楽勝に見えた、と言う事と楽勝という事はまったく関係ない。
 だが頭が地に着く寸前で、その体はふっと受け止められた。
 柔らかくシンジを抱き留めると、
「この私が完敗し、ジェダとデミトリまで討たれた。ふふ、ぞくぞくするわね」
 完全に失神したシンジを翼に抱き込み、揚々と飛び去っていった。
 
 
 
 
 
(つづく)


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