妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
 
 
D−4:ドクトルシビウの魔戦とシンジの強制送還
 
 
 
 
 
「むう」
 シンジは腕を組んだまま二人を見つめていたが、双方を繋ぐ殺気が膨れあがる中、すっと前に出た。
「シビウ、やはりここは俺に任せて」
「シンジ?」
 シンジの性格は知っているが、決して好戦的ではない。まして、左右も分からぬこんな魔界で実力も分からぬ淫魔の女王相手に突撃するような性格はしていない筈だ。
 数頼みでない事は、手でフェンリルを制した事でも分かっている。自分に加勢しろなどとは、口が裂けても言う男ではない。
「無粋なのは分かっている。お前がその女と何やらを賭して闘っている事も。が、ここは碇シンジが優先されなきゃならない」
 何故、とシビウの紅い唇が動く寸前、
「麗香の憂い顔を作った」
「……」
 かさ、と胸の中で何かが動いた。
 それを妬心と知りつつ、認めたくは無かった。自分の矜持を満たす為ではなく麗香の為に――シンジは前に出たのだ。これで、麗香がシンジの性奴なら割り切れたろう。
 だがシンジは麗香と何の関係もなく、麗香がひっそりとシンジを慕っているのみだ。
 それなのに――。
 美しき魔女医の唇が僅かに歪んだかに見えたその時、
「その言葉を聞けば、麗香も喜びましょう」
 宙から静かに声が落ちてきた。黒翼を広げて宙に留まっている夜香が、シンジに穏やかな視線を向けている。
 続いてフェンリルも、
「マスター、吸血鬼の貞操ごときに出ていくものではない。淫魔退治は医者に任せておけばよかろう」
 かち、とシンジの眉が上がったが、
「シビウ」
 低い声で呼んだ。
「何かしら?」
「その女絶対に始末するな。俺の分を残さなかったら医師免許を没収して、灰にしてから三途の川に沈めてやる」
「承知したわ」
 先に動いたのはモリガンであった。宙に飛翔するのと、その両手に巨大なエネルギーが集中し、一気に両手を振り下ろした。
 シビウの手はケープの中だ。
 凄まじいエネルギーがシビウを襲った瞬間、それは真っ二つに分断されており、左右に分かれて地面に穴を開けた。魔力が結集されたそれを、メス一本でシビウは切り裂いたのだ。
 しかし、不発に見えたそれは単なる不発ではなかった。地に落ちた数秒後、爆発のあった箇所から人影が起きあがったのだ。
 そしてそれは、空中にいるモリガンと瓜二つであった。
「ジェダは三対一。二人の私の方が楽でしょう」
 左右のモリガンが一気に間合いを詰め、同時に繰り出した手からは真っ黒な鞭が伸びた。
 それが巻き付いたかに見えた次の瞬間、
「私は大した働きなどしていないわ。買いかぶり過ぎね」
 声は後方から聞こえた。ぎりぎりの間合いでかわしたシビウは、そのまま数メートルを一気に跳んだのだ。それも、残像はくっきりと残した移動であり、分身のモリガンは間違いなく標的を捕らえたと思いこんでいた。
 外した事を知ったが、揃って突っ込んでくるような真似はせず、さっと両側に分かれた。分身のようなものだが、本体より間抜けになったわけではなさそうだ。
「『ソウルフィスト!』」
 使い慣れた、そしてもっとも威力のある魔弾が左右からシビウを襲ったが、今度もシビウは避けなかった。片方をメスで、そしてもう片方はケープで振り飛ばしたのだ。
 それならばと二人のモリガンが地を蹴り、空中でオリジナルの横に並んだ。モリガントリオが完成し、今度は本体を加えて三対一になるかと思われたが、不意に分身二人の首が奇妙な方向に曲がった。
「!?」
 最初の一撃をメスで切り裂いた時、シビウが取り出していたのはメスだけではなかった。針金の束も取り出していたのだが、取り落としたようにしか見えなかった為に、誰も注意を払わなかったのだ。
 その針金がいつの間にか巨大な鷹と化し、宙を飛んでモリガン二人を背後から襲ったのである。
 無論臓器もなく、肉も翼もない。
 単なる針金細工だ。
 だがそれが宙を舞い、分身とは言えモリガンの首をもぎ取って行ったのだ。もぎ取られた瞬間首も胴体も溶け込むように消え失せ、同時に針金細工の巨鳥もモリガンの手から放たれた魔弾で粉砕された。
 三本、そして四本と次々に針金が矢と化してシビウの手から放たれる。銀光を帯びて飛来するそれを、モリガンはすべて魔弾で叩き落とした。
「お見事よ」
 シビウのそれは生徒を褒める教師の口調であり、
「ただし、前だけね」
 付け加えた途端、モリガンの体が前に倒れ込んだ。
「つまらない真似をっ」
 体勢は立て直したものの顔は痛みに歪んでおり、肩口に突っ込んだ朱に染まった指が取り出したのは一センチほどの針金であった。これが矢のような大きさならば、モリガンも気づいたろう。
 だが弾丸よりも小さなサイズは、モリガンにまったく気配を感じさせる事はなかったのだ。
 無論、繰り出した矢など注意を引くためだったのは言うまでもない。
 片方は地上、もう片方は宙に浮いたまま対峙している。地対空の場合、針金細工でなければどうしても威力が落ちるし、動きも読まれやすい。
「さーて、これで俺に回ってくるぞ」
 さっきからうずうずしていたらしいシンジだが、
「マスター、まだ早かろう」
「ナヌ?」
 振り向いたシンジの背後で、
「私の礼がまだ済んでいないわ」
 ゆっくりとモリガンの両手が上がっていった。
 その手に発生したのは、明らかにさっきとは比較にならぬ程のエネルギーであり、
「さっきから使えば良かったのに」
 後ろに回った夜香に囁くと、
「感情が力を左右する種族ですから。感情に流されるのは、モリガンの場合は威力を増すのです」
「それって結構不利じゃないか?」
「ええ。普通の状態で闘えばドクターの方が上でしょう。ただ、窮地になった時のモリガンは当初の数倍は強くなるのです」
 ふうん、とシンジが頷いた時、モリガンが両手を振り下ろした。思わずシンジが、あっと叫んだ瞬間その体はぐいと後ろに引っ張られており、フェンリルが結界を張ったと気づいた直後、巨大な魔弾がシビウを直撃した。
 違う。
 あれっとシンジが首を傾げたのは、放たれたそれが的を微妙にずらしていたと気づいたのだ。標的が避けたのではなく、向こうから避けてくれた。
 だが、それにしても何という破壊力なのか。優に百メートル近くが抉られており、深さも二メートルは下るまい。
 理由は不明だが、音はさしてしなかっただけに尚更である。
「でもなんであいつわざと外し――!?」
 シンジの目が驚愕に見開かれる。
 わざと外した攻撃であり、余波など簡単にケープで弾く筈だ。当然ダメージは無いと思われたのだが、秀麗な美貌に浮かぶ汗をシンジは見たのだ。
 普段なら、決してあり得ない現象だ。
「裏の裏ではなく裏の表、魔女医も自分の診断は誤ったようね」
 空中からモリガンの高笑いが響く。
 当たり前の事だが、技を繰り出してそのまま当たるとは、二人とも思っていない。相手の攻撃が何処を狙い、そしてどこへ外すべきかは最初から読んでいる。魔弾が外れたのも二人にとっては当然であり、外したそれが分裂してシビウを襲うのも当然だ。
 要するに、巨大なエネルギーそのものは主体ではなく、ヒットさせる少数の部分があればいいのだ。細かい魔弾を放たないのは、大きな一撃よりも消耗が激しいからだ。
 シビウに痛打を浴びせたのはその少数の部分――地を抉った瞬間に地中へ潜った部分である。
 種族と性格はだいぶ異なるが、モリガンもまた、夜香の親戚なのだ。
 ただ、地中に埋め込んだそれを自由に動かすのは難しく、今回が初めてであり、数秒の差で発動させるのが精一杯であった。
 強い事は強いが、夜香ほどに攻撃の幅は広くない。
「多少は進歩したようね」
「大したこと無いわ。従兄の真似事よ」
 互いに一矢を報いた女達の表情には笑みがある。
 ただし、普通の人間が見たら気死しかねない。
 モリガンの両手が上がった。左手は霊体の弓を作り、右手は魔弾を矢に換えてつがえる。一方シビウの手はケープの内に入ったままだ。
 しなやかな手が抜き出される時、針金は何に形を変えるのか。
 対峙する両者の間で急速に殺気が収縮していった。代わりに息苦しくなる程の“無”が辺りを覆っていく。
 だがモリガンが矢を放つ事も、シビウが手を抜き出す事も遂になかった。フェンリルの結界から抜け出たシンジの周囲だけ、不意に空間が歪みだしたのである。
「俺歪んでない?」
 おやっと首を傾げたシンジにフェンリルが駆け寄ると、明らかに空間の歪みを生じたそこはシンジの下半身を飲み込みかけており、事態に気づいた夜香が急行してその手を取るも更に体は消えていく。それを見たシビウはくるりと背を向けてシンジに早足で歩み寄った。
「空間転移ね。下らない真似を」
 そうは言っても、既にフェンリルと夜香まで飲み込んでシンジは消滅しつつあり、その体を掴んだシビウも間もなくその姿を消した。
「…どういう事?」
 さすがに後ろから矢を放つ事はせず、すうっと弓矢を消したまま敵の行動を見据えていたモリガンだが、当然身に覚えがない。
 だから首を捻ったのだがそこへ、
「余計とは思ったが、手出しをさせてもらった。君の闘いを邪魔する気はないが、人間ごときにこの魔界へ侵入されては不愉快だ」
 背後から聞こえた声は、呪詛と怨念を圧縮したようなような声であった。
 おおよそ、人間の形をした者が発する声ではない。
「別に構わないわ」
 普段なら決して相容れぬ仇敵なのだが、今のモリガンの関心は向いていなかった。
 魔界の貴公子と呼ばれるこの男――デミトリ=マキシモフには。
 モリガンの表情が刹那険しくなったが、それは明らかに背後へ向けられたものではなかった。
 
 
 まとめて魔界から強制送還されたシンジ達だが、シンジ以外は体に異常はない。診察の結果、一時的な疲労と判断され、今はベッドの上で点滴を受けている。
 正確に言えば空間の歪みに巻き込まれた際、精神体にダメージを受けた為に、必要なのは手当より休息なのだ。
「三時間もすれば楽になるはずよ。フェンリルと夜香に掴まれていたから身体ダメージは受けてないし」
 シンジの体に毛布を掛けて立ち上がろうとしたシビウに、
「あ、ちょっと待った」
「何?」
「ちょっと耳貸して」
 室内には二人きりだし、盗聴器などあり得ない。それでも言われるまま耳を寄せたシビウの顔が宙で止まった。
 シンジが首に手を回して抱き寄せたのだ。
 互いの吐息が感じられる位まで引き寄せてから、
「ごめん」
 シンジは耳元に囁いた。
「患者を治すのは医師として当然。感謝はしても謝る事はないでしょう」
「その事じゃなくて魔界の話。シビウ――手加減してたでしょ」
「気づいたの?」
 さすがに少し驚いた表情を見せたシビウに、
「それ位は見てれば分かる。昨日今日の付き合いじゃないし」
「そう、さすがね。でも気にする事無いわ」
「え?」
「確かに手加減はしたけれど、あの女と私は力に大きな差はないのよ。幾度か闘ったけど勝負はつかなかったわ。シンジのせいで手中にあった獲物を逃がしたわけではないもの、気にしないで」
「シビウ…」
 そうは言ったものの、シンジが納得しないのは分かっている。直接関係ないとは言え離脱の原因はシンジなのだ。
「そうね、大して影響は無かったとは言え迷惑したのは事実よ。じゃ、一つ私の言う事聞いてもらうわ。それでいいわね?」
「うん」
 シビウの指輪が煌めくとドアはロックされた。更に施錠装置が作動し、外部からの侵入が完全に不可能な状態になる。
「もしもし?」
「これでいいわ」
 婉然と笑ってシビウはケープを脱いだ。
 妖美な肢体に無粋な下着は必要ない。
 そのままするりと潜り込んできたが、唇を寄せてくる事もシンジの手を豊かな胸に当てる事もない。
「?」
「たまには、こう言うのもいいでしょう」
 囁くと、シンジの頭に手を伸ばしてそっとかき抱いた。
「……」
 初体験に一瞬戸惑ったらしいシンジも、間もなく静かに寝息を立てていった。
 珍しく、慈母の如き表情で穏やかな視線を向けていたシビウだが、脳裏にはフェンリルとの会話が甦っていた。
 
「身体は無傷だが、よく保ったものだ」
「どういう事?」
「魔界と人間界の接点はない所に送り込んだのだ。それもマスターの力を無理矢理使ってだ」
「…面白い真似をするものね」
 魔女医の全身が壮絶な気を帯び出すのをフェンリルは眺めていた。シンジとは決して結ばれてはならぬ我が身だが、それだけに目の前の女医にだけは渡したくない。その辺の小娘の方がまだ諦めもつく。
 その為出会った時からシンジを巡って対立し、危険な火花を散らす間柄でもあるが、この件に関しては意見の一致を見たらしい。
「外傷ならお前が簡単に治せるだろう。だが精神部分はそうはいかない。静養するしか手がないのだが、仕掛け人に心当たりはあるか」
「あの小娘にそんな力はないわ。それに、何よりも使う力がまったくの別物よ。できるとすれば――」
 一瞬宙を見上げてから、
「デミトリ=マキシモフ。陽光すら克服したヴァンパイアよ」
「そうか吸血鬼か」
「代わりに始末する気?止めた方がいいわよ。あなたのマスターは、従魔を代わりに行かせるほどプライドが低くないでしょう」
「……」
 
 実際の所、デミトリ相手にシンジでは勝ち目は薄い――まともならば。フェンリルと会って能力は上がって来ているが、魔界へ遠征に出られる程のものではない。
 私では上がらなかったくせに――その思いがまったく無いと言えば嘘になる。気にくわない事ではあるが、フェンリルと会って以降シンジの能力は確実に上昇しつつある。
 妙な事を思い出して眉の上がったシビウだが、すやすや寝息を立てている腕の中の寝顔に、その表情はふっと緩んだ。
 この女医に取って、シンジの寝顔は癒し系らしい。
 
 
「あの、この間はお世話になりまして」
「まったくだ。ドクトルシビウに恨まれたらどうしてくれるんですか――と言いたい所ですが」
「え?」
「大黒字だったので、別に構いませんよ」
 シンジが黒瓜堂を訪れたのは、その数日後の事であった。シンジの場合、迂闊な所に救難信号を出せないため、フェンリルまで罠に落とす側に回っていると、ここ位しか呼べないのだ。
「あ、それは良かった。来ていきなり半裸になれとか言われたらどうしようかと思ってたから」
「半裸?何故?」
「え?だ、だから俺の写真を姉貴にとか…」
「君の半裸など撮っても仕方がない。お望みなら剥製でも作って差し上げますよ。ミサトさんにもその方が高く売れるでしょう」
「え、遠慮します」
「それは残念」
 ちっ、とか舌打ちしたような気もしたが、気のせいだと自分に言い聞かせ、
「作って欲しい物があってきたんだけど」
「何です?」
「こういうの」
 シンジが渡した紙を眺めてから、
「これを私のところへ」
「面倒なのも手間が掛かるのも分かってます。でもどうしても…」
 滅多に見せぬ表情だが、主人は軽く手をあげて遮り、
「初めてのおつかい。完敗ですな」
「いいえ」
 シンジは首を振った。
「惨敗です。完よりもっと酷いヤツ」
 黒瓜堂の主人がシンジを見た。
 その双眸にある種の色が浮かび、
「よござんす、作りましょ――五精使いのプライド回復道具を。黒瓜堂の名に賭けて」
 ゆっくりと頷いた。
「よろしく」
 不意を突かれたとは言え、シンジのプライドもまたいたく傷ついていたのである。
 
 
 
 
 
「ここはよく来るの?」
「いえ、初めてですわ」
 運ばれてきたハヤシライスを見ながらシンジが訊いた。
 先日、夜香とシンジに二人してからかわれた麗香に、食事位は付き合うとシンジが言ったら、連れてこられたのがこの店であった。
「碇様のお好みが分からなかったので…」
「オーソドックスにカレーで?」
「いえ、黒瓜堂でお聞きしました。この辺りが無難だと」
(…無難ってナニ)
「もしかして、店も勝手に指定したの?」
「いいえ、このお店は私が…お気に召さなかったでしょうか」
「ううん、そんな事無いよ」
 黒瓜堂の主人なら、もっとおどろおどろしい所を指定する可能性が高い。しかし麗香だとすると、何を基準に選んだのかふと気になったがそれは訊かず、一口食べた。
(マズー)
 まずい。
 特にデミグラソースが悪だ。粘っこく口の中で油が広がるような感触に、一体何を材料にしてどんな料理法なのかと、厨房へ行って小一時間位問いつめてみたくなったが、きゅっと指を組み合わせて見つめている麗香の手前、口が裂けても言えない。
 不味い、この一言を口にするだけで、二度と棺から出てこないか、最悪の場合十字架か陽光で自分の命を絶ちかねない。
 それだけは、回避しなければならないのだ。
「美味しい。麗香、ありがと」
「…はい」
 口許にわき上がってくる笑みをきゅっと抑え込んでから、麗香は小さく頷いた。無論自分が作ったわけでも、調理に口出しや手出しもしていないが、選んだ店を褒められるのは乙女に取っては嬉しいものだ。
 そう、それが人間であっても吸血鬼であっても。
(こういう嘘も、舌抜かれる前科になるんだっけ)
 シンジの好みを訊かれ、ネタ振りしようかと考えつつ、麗香の真摯な表情に押されて真面目に答えたに違いない、ウニ頭の知り合いの顔が宙に浮かんだ。
 どうせなら店も指定すれば良かったのに、ふっと浮かんだ台詞を妙に柔らかいマッシュルームと一緒に、シンジは飲み込んだ。
 
 
「はあい」
 にゅうと顔を出した従妹を、夜香は冷ややかな視線で出迎えた。
「私に討たれに来たか。それとも碇さんか」
「やあねえ。そんな物騒な用件じゃないわよ。麗香は?」
「眠っている。おかしな手出しはしないでもらおう」
「そうね。じゃ、あなたに直接訊くわ」
「何?」
「碇シンジって何者なの」
「どういう事だ」
「この間私と戦った時、シビウは明らかに手加減していたのよ。あの少年を庇ってね。一緒にいたあのフェンリルとかいうのも、ただの白い狼じゃない。あの人間の何処に女二人を惹きつける要素があるのかしら。それと夜香、あなたもね」
「さて、な。あの方達の事は、お前には関係あるまい。それとも、碇さんから力づくで聞き出してみるか?もっとも、お前の五体が吹っ飛ばずに残っていれば、の話だが」
 自分も範疇に含まれたが、夜香の表情は変わらない。尤も、この美しき吸血鬼が表情を変えるなど、まず見られる事ではないが。
「私があの少年に負けるって言うの」
「ジェダの首を飛ばしたのは偶然だが、それとてシンジさんがいたからだ。それに、ただ能力があるだけの人間なら、ドクトルが想いを寄せられる筈もあるまい。そしてもう一つ、シンジさんの能力はまだ完全ではない。発展途上だ」
「シンジさん、ねえ」
「何が言いたい」
「別に。でもね、無理って言われると絶対にしたくなるのが私の性格なのよ。戦いに来たので無ければ構わないわね。麗香の体にも用はないし。それとも、すぐご注進に及ぶかしら?」
「…好きにするがいい」
「そうするわ」
 ドアを開けて出て行きかけたその足が止まった。
「誰かさんを褒めてる時、顔が赤くなってたわよ」
 
 
「あの、出来てます?」
「出来てますよ」
 黒瓜堂を訪れたシンジを待っていたのは、円形のテープに貼られた小さな鉄磁石であった。
 肩こり用のグッズにもどこか似ている。
「でもこれ、よく似てますねえ」
「何に?」
「あ、いえ何でも。それでこれをどうするんですか」
「肩に貼って下さい」
「肩に!?」
「……」
「べ、別にその…」
 意匠権か何かを侵害してないかと不安になったが、考えてみれば別段世に売り出すわけではないし、碇シンジ専用である。
「脳内の神経が数本切れてるみたいですが、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です」
「それなら結構です。それでこれの効能ですが、体に貼る事で霊体を安定させます。シンジ君の場合には精ですな。意識下で完全に制御できますから、他人に無理矢理使われる事もありません。居眠りなどしていなければ、大丈夫です。今回は見物には行かれませんが、なかなか強いらしいのでお気を付けて」
「魔界に行った事あるの?」
「ありますよ」
 主人の言葉にさすがのシンジも仰天したが、
「一分半」
「…え?」
「空気が悪かったので一分半でダウン、うちの店員に運んでもらいました」
「はあ」
 一分半しか保たなかったようだ。
「じゃ、行ってきます」
「気を付けて」
「どうも。あ、それから料金は好きなだけ書き込んでおいて下さい」
「請求書をシビウ病院宛に送っておきましたから、支払は帰ってからで結構です」
 白紙の小切手を一冊、幾らでもいいと渡してあるのだが、何故かこの男一度も使った事がない。
「はーあ。書いてくれればいいのに」
 その他に二つの道具を受け取って、内心でぶつぶつ言いながら店を出たが、車のドアに手を掛けた途端首筋に白い手がにゅっと巻き付いた。
「フェンリルなら冥界に追い返す。シビウなら手足縛って拉致する。それ以外なら――」
 ゆっくりと振り向き、
「滅ぼす」
 無論、いずれでもないのは腕の感触で最初から分かっている。
「そう、つれない事言わないでよ。争いに来たわけじゃないんだから。女とは仲良くした方が得――ましてこんないい女なら。そうは思わない?」
 シンジの首に腕を巻き付けたまま、モリガン=アースランドは妖艶な顔で笑った。
 が、いい女と口にした時、シンジの眉がピクッと動いた事には気がつかなかった。
 
 
 
 
 
(つづく)


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