妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
 
 
D−3:熟れた肢体の残影――四十五倍いい女
 
 
 
 
 
 背中を這う愛撫に、シビウは熱く喘いだ。相手が自分よりよほど経験は上だと分かっていても、抑え切れぬ疼きから来るような喘ぎが官能を刺激する。欠点を探すのが困難な肢体ではあるが、維持努力がゼロに等しいのをシンジは知っている。
 唯一汚点が残るとしたら、シンジの唇の痕くらいの物だが、
「責任取らせるのに必要な物的証拠を、私が消すわけはないでしょう」
 と言うことらしい。
 肩口の緩やかな傾斜に軽く歯を立ててから、
「どっちから?」
「そのままよ。後ろから思い切り突き入れて、好きなだけかき回して――ぐちゅぐちゅに愛液が溢れ出す位に」
「はーい」
 シビウが女の顔でこんな台詞を口にすると、卑猥と淫靡が相俟って強くそそる。おまけに、人によっては濡れないのが悩みだったりするがそんなのは無縁で、シビウの場合はそれこそ途切れる事無く沸きだしてくる。
 まるで、自らの身体を完全にコントロールしているかのように。
 降りてきたシンジが秘所の入り口で指を滑らせると、粘度を帯びた愛液が指の間で淫らな音を立てた。後ろから、とシビウは言ったが、シンジは腰を下ろすとシビウの引き締まった腰部を両手で抱えた。熟れた女体を持ち上げると、そのまま膝の上に降ろしたのだ。
 無論、そこには天を向いた肉竿が待っている。熱い吐息と共に、根本まで深々と受け入れたシビウは、シンジを待たず自ら腰を使い始めたが、ふとその動きが止まった。
 くるりと後ろを向くと、両手でシンジの顔を捉えて唇を重ねる。
 ぬちゃぬちゃと、音をさせて舌を絡ませてから、ちゅぽっと離し、
「だいぶ、悦ばせ方が上手になったわね。でも」
「でも?」
「あなたのここ、他の女の匂いがするわ」
 傷口があるわ、みたいな口調で言うと、そこは宙に浮いている陰嚢にすっと指を這わせた。
「んっ」
 予想外の行動にシンジの口から呻きが漏れる。射精したのだ。勿論シビウもそれを予期しての指使いであり、恍惚とした顔で、熱く白濁した液を膣内にたっぷりと受けてから、
「素直に反応して射精(だ)してくれる。そういうとこ、好きよ」
 そう言ってから、何故か少しばかり赤い顔で自らの乳房を揉みしだく。ほんのり上気したような表情と内襞が皆生き物と化して絡みついてくる感触に、肉竿はあっという間に元の強度と大きさを取り戻したのだが、前者に関してはシビウも意図的ではない。
 好き、とか言う言葉には慣れていないせいらしい。
 賞賛や賛辞なら、掃いて捨てるほど身に受けてきたシビウだが、逆となると一度も体験した事はないのだ。
 シンジの手の動きに合わせて腰を上下させながら、
「魔界へは何しに行くの?」
 と訊いた。
「どんな所かなって。創世主もいるみたいだし。シビウはよく行くの」
「実験用のサンプルも豊富だし、たまには行くわ」
「知り合いとか?」
「数名よ」
 身体を重ね、性器越しに快楽を貪り合っている男女の会話には聞こえないが、二人の白い肌に浮かぶ玉のような汗が妖しい運動を示している。
 数名、とシビウは言ったが、前を向いていたせいで、その顔に浮かんだある色には気付かなかった。
「じゃ、今度道案内して」
「どうしようかし…ああっ」
 シンジはずぶっと突き上げ、しかもその体勢で止めたのだ。
「してくれる?」
「シンジのくせに…な、生意気じゃない」
 シビウの眉がわずかに上がった、攻守は逆転した。蠢く襞が生意気な竿を一斉に締め上げたのだ。
「そゆ事する…くっ」
 突き入れてかき回す男と、迎え撃って包み込む女。
 静まりかえった室内に、濡れた性器同士がぶつかる音と荒い吐息が響き、それが一つになったような喘ぎに変わるまで、さほど時間は掛からなかった。
 
 
 
 
 
 秀蘭と別れ、てくてく歩いていくシンジと夜香だが、ふとシンジの足が止まった。
「どうかしましたか?」
「んー」
 シンジは曖昧に首を傾げ、
「大した事じゃないんだけどさっきの子供、どこかで見たような気がして…」
「秀蘭に見覚えが?」
「ない。そう言う事じゃなくて、あの子の雰囲気が何か…何かに似てるんだ」
「世の中に似た者が五人はいるといいますから」
「そうかもね。で、誰の子なの」
「え?」
「夜香の知り合いの子じゃなかったの?」
「一応…モリガンの妹です」
「あいつの?」
 モリガンとは雰囲気も違うし、容姿もだいぶ違う。
「妹の方がずっと可愛いじゃない。何よりも、まともそうだ」
「秀蘭が聞いたら微妙に喜ぶでしょう」
「微妙に?」
「ええ」
 頷いた夜香だが、二人とも気づいていなかった。
 無論聞かれていないと思っていたのだが、
「誰が…子供ですって」
 前半部分だけしっかりと聞かれており、かりっと歯を噛み鳴らした娘がいた事に。
 敬愛する姉ではあるが、その妖艶な肢体にはどうしても及ばず、またとかく比される事も多いため、子供とだけは口にしてはならなかったのだ。
 ひっそりと敵を作った事など知るよしもなく、歩き続ける二人の前に一面の竹林が広がった。シンジの足が止まったのは、まるで竹林自体が生きているかのように、その中から押し寄せてくる淫靡とも言える気を感じた為であり、
「生きてる?」
「ええ」
 顔だけ後ろに向けたシンジに、夜香は頷いた。初めての魔界のくせに、いつの間にかシンジの方が前に出ていたのである。
「奴がいるのはこの先。ならば答えは決まっている」
 止まったのも一瞬で、すぐにまた歩き出したシンジの四肢を、不意に真っ白い手が掴んだ。
 どれも美しく、そして動きもまた艶めかしい女の腕であった。
 手だけなら振りほどいているが、脚まで掴まれて歩みは止まった。
「そんなに急いでどこへ行くの?」
「久しぶりの男。折角だから私達と一緒に過ごしてお行き」
「何でも望むものは与えてあげるわ」
「そう、永遠に終わらない快楽を」
 手は地中から伸びており、次いで濡れ光っている裸身が現れた。皆、長い黒髪を腰まで伸ばしており、黒々と秘所を覆う淫毛もしっとりと濡れている。
 孟宗竹の変化、そう知りながらもむしゃぶりつきたくなるような肢体であり、声であった。
 男だけではなく、女までも欲情の優しく虜にする――永遠に終わらない快楽と言うのは嘘ではあるまい。ただ、受ける側の時間が途中で終わってしまうだけだ。夜香の方は宙へ飛翔しており、軽く腕を組んだまま見下ろしている。
 助けてもらいたがっていないと、気づいているのだ。
 手の何本かが顔に伸び、また数本は胸や背中をなで回している。
 そして二本がまっすぐ股間を目指した。
 すぐに捕らえた。
 スラックスの上から撫で、さすり、見ているだけでも欲情しそうな手つきで肉竿をこね回していく。
 突如として、動きが止んだ。
 喘ぎにも似た吐息は、対象の欲情を高める為だったろう。
 だがそれは、すべてが呪詛と変わったのだ。
 黒瞳は女の怨念を讃えてシンジを見据え、女の憎悪が体中から照射されている感すらある。
 シンジの股間は、まったく反応しなかったのである。
 迂回、或いは上を越えた者はいた。夜香もその一人である。
 だが冥王ジェダ、闇の貴公子デミトリ、魔界を代表する実力者の彼らでさえ、ここでは女の罠から逃れる事は出来なかったのだ。
 ただ、彼らの場合は超える事も迂回する事も出来たが、あえてここを突っ切った。その結果、危険領域の一歩手前でなんとか抜け出したのだ。
 とは言え、シンジが性の達人だったり、閨房術に秀でているわけではない。
「何故我らの術が効かない」
 絶望と憎悪に満ちた言葉を投げた女に、
「魔界の住人はどうか知らないけど、人間っておいしい物の方が好きなの。俺なんか特にそうだから」
「…どういう意味だ」
「君らの四十五倍位、いい女を食べてきたから。もうお腹いっぱい」
 これほどまでに、女のプライドを木っ端微塵にする台詞も無かろう。素人娘ならいざ知らず、魔界の実力者達までもが、その陥穽に落ちてきたのである。
 そしてそれが強がりならまだしも、シンジの身体には何の変化も見られない。不能だろうと、一切関係ない術なのだ。
「例えばおっぱいも」
 すっと近づいたシンジが軽く乳房に触れる。抗う事も出来ず乳房に触れられていた女の顔に、十数秒も経たぬうちにある色が浮かんできた。
 欲情、と言う名のそれが。
 更に、
「多分こっちの締め付けも」
 躊躇わず性器に指を伸ばすと、すでにそこはびっしょりと濡れており、膣に押し込まれた二本の指の動きに、女はへにゃへにゃと崩れ落ちた。
「相手がシビウで良かった」
 奇妙な台詞だが、葉子しか知らなければ、おそらくは竹女の愛撫にすべてを吸い尽くされていたに違いない。
 指の間で粘っこく糸を引くそれを見て、
「自分のだよね。綺麗にして」
 事もあろうに、女の口へ突っ込んだのだ。
 逆らい、或いは逆に絡め取る事もせず、んぐんぐと女が指に舌を絡める。フェラのような舌使いで、静まりかえった空間に淫靡な音が響く。
 やがて指を吐きだした女の顔は、喉の奥に熱い精液の放射を受けたような表情であった。
「夜香、行こ」
 くるりと身を翻した歩き出した後ろ姿に、
「な、なぜ殺さない」
「腹上死、或いは快楽で衰弱死したとしても、それは快楽の結果であって、命を狙われたわけじゃない。少なくとも、引っかかる間抜けさを持ち合わせていた自分が悪い。どれも、いい女ばかりなんだけどね」
 数十メートル歩いた時、シンジの足が止まった。
 その感覚は、後方にあった気配が残らず消滅した事を感じ取ったのだ。
「お見事です」
 声は上からしたが、シンジは見ない。
「力任せなら、呪詛と怨念を残して地に潜ったでしょう」
「消えたの?」
「あの竹林は、かつて王にとどまらずその家臣達までも虜にし、彼らの妻から凄まじい憎悪を受けて殺された傾国の妃の怨念が宿ったと言われています。避ける者を追いはしませんが、足を踏み入れた者でかからなかった者はいません。誰かを虜にする事に関しては、絶対の自信を持っていた筈です」
「普通はヒッカカッたわねいってなるわけか」
 絶対の自信を持っていた術が通じず、おまけにその相手から憐れまれたのである。国すら虜にしてきた女のプライドは、再度その相手と見える事に耐えられなかったのであろう。
 だがぽつりと呟いたシンジの顔に、淫罠を見事撃破した色は微塵も見られなかった。
 歩き続けたシンジの前に、やがて館が見えてきた。中世の騎士達の物語にでも出てきそうな館だが、この魔界には少々不似合いだ。
「ここは?」
「ジェダの仮住まいです」
「仮?」
「抗争のせいで、元々住まいにしていた城は倒壊しました。建て直しても同じだと、今はここにいます」
「やくざの抗争より迷惑な話だな。城は大きかったのかい」
「相当なものです」
「大迷惑だ」
 言った途端、シンジの手が伸びた。
 掌を上に向けるのと、そこに光線が直撃するのとがほぼ同時であった。
「私の城の批評に来た人間はお前が初めてだ。自殺の道を魔界へ求めに来たか」
 見上げると、そこには腕を組んだまま見下ろしている偉丈夫が浮遊している。
「あれが――」
 夜香が言いかけたのだが、
「あいつ、働きアリかなんかの王様か?」
「え?」
「ほら、触手みたいなのが生えてるし」
「……」
 ぴくっとジェダの表情が動き、思わず夜香は口許に手を当てた。宙に浮かぶ巨躯からは、それこそ十数メートルの距離を隔てても圧倒的な気が伝わってくるのに、シンジの方はまったく気にした様子がないのだ。
 働きアリ、の呼称につい笑みが浮かんだ夜香だったが、
「人間よ、この魔界へ何しに来た」
 ジェダが攻撃して来ないのは、人間ごとき小物を相手にしていられないと、自分に言い聞かせたに違いない。
 彼の倒すべきはモリガンとデミトリであり、こんな人間風情ではないのだ。
「あんたを片づけに」
 シンジの答えは短かった。
「ほう。この私を倒しに、か。何故だ?」
 すうっとジェダの顔に笑みが浮かぶ。
 だがそれは一瞬で消えた。
「マスターの気に入らぬ者は消えねばならん。例え、相手が誰であろうとも」
 突如として出現し、シンジの横に立った女の凄絶な気は、夜香とシンジを加えたそれとは比較にならぬものであり、次の瞬間炎の矢となって飛来したそれは、ジェダの後方より四カ所から襲いかかった。
 上体を反らしてかわしたのだが、三の矢と四の矢はかわしきれず、服の脇腹部分を抉られた。
 その表情が変わったのは、炎の矢のかすめた部分を見た時であった。モリガンの一撃さえ跳ね返すシールドを施した服が、部分的ながら焼けただれており、しかもそこから白い煙が上がったのだ。
「酸か。面白い真似を――」
 言葉の途中で止まったが、今度こそその表情に怒気がのぼり、あっという間に殺気へと転じた。
「ちょっと暴走気味かな」
「そんな事は無い。魔界の魔力を取り込んですぐ術に載せるとは、お見事だマスター」
「そうかな」
「ええ」
 シンジはこの時、まだ能力を開発されている途中であり、完全体ではない。炎がおかしな副作用をもたらしたのも、フェンリルの言う通り、魔界の持つ空気が作用した為である。
 しかしそんな事よりも、フェンリルが満足そうに手を伸ばしてシンジを抱きしめたではないか。
 上にいるジェダの事など、歯牙にも掛けている様子は全くない。
 ふ、とジェダが笑った。
「!」
 その表情が意味する所を、夜香は知っている。わずかに口許の吊り上がった笑みの意味するところを。
 空間に忽然と現れた巨大な鎌がその手に握られ、銀色の刃が危険な色に光り出す。
「私に闘いを挑みにきた者はいても、侮辱しに来たのは初めてだ。我が手に掛かった事を誇るがいい――冥界でな」
 言い終わらぬ内にその姿が消えた。
 シンジを抱きしめてご機嫌な表情のフェンリルも、その腕(かいな)に抱かれたシンジも、気にした様子はない。
 次の瞬間、鈍い音がした。
 テレポートではなく、文字通り音速のスピードで宙を移動したジェダが、うなりを上げて死の鎌を振り下ろしたのだが、それはあっさりと受け止められたのだ。
「事前調査が足りぬようだな、小僧」
 右手だけ動かしたフェンリルが、さも邪魔そうに受け止めていた。
「マスターとの時を妨げるとは」
「貴様…」
 ジェダの力を持ってしても、刃はびくともしない。だいたい、この刃からして触れた瞬間にその辺の魔物なら消滅してしまう。
「重罪だな」
 シンジがフェンリルの胸の中でもごもご呟いた途端、ジェダの体は吹っ飛んでいた。
「これは…」
 さすがに驚いた表情を隠せぬ夜香だが、元はシンジの“暴走”にある。ジェダを片づける、と言った事ではない。
 確かにそれも無謀だが、元々シンジの力は魔力ではなく精(ジン)である。これが魔力なら、さして影響は受けなかった筈だが、精だったが為にもろに影響を――半分暴走するのだ。
 そしてそれがシンジとフェンリルに取っては吉、ジェダに取っては大凶と出た。本来なら、フェンリルは強大な魔力の持ち主であり、シンジの力を使う必要はない。
 だが、ここへ入る前に自らの力を抑え、供給源をシンジに委ねた。だからこそ、暴走して普段の数倍にもその力は増大し、冥王ジェダですら簡単に抑える事が出来たのだ。
 勿論、本人はそれを十分承知の上で、シンジを腕の中に抱いている。
 なお、シンジの方は余裕をかましているのではなく、直撃したらフェンリルが盾になる位にしか思っていない。こっちはまだ事態を完全には把握しておらず、魔界だからフェンリルが強くなった程度の認識だ。
 しかも間違っている。
 とまれ、戯れているとしか見えぬ男女に、ジェダはあっさりと吹っ飛ばされた。それも、どう見ても本気には見えぬ二人にだ。
 コンビと一人の間を鋭利な殺気が繋ぐ。正確に言えば、コンビの方にそれはない。
 その時になって漸く夜香は、これが普段の力とは違うという事に気がついた。
 魔力の増強、魔封じ、一体どんな予防策を使ったのかと思ったが、もっと単純な――ただの暴走に過ぎないと見抜いたのだ。
 正直な所、全身から鬼気を立ち上らせている冥王と戦って、よく勝利を収め得るかどうかは、夜香にも自信はなかった。
 とはいえ、シンジが苦戦するとあれば味方はせずばなるまいと、力を抜いた両手は必殺の気砲を撃ち出す体勢は出来ている。
 しかし、これなら自分が出る幕もあるまいと軽く腕を組んだ途端、フェンリルとシンジの姿が消えた。
(!?)
 半身を起こした体勢からジェダが鎌を投擲し、これはあっさりと避けた二人だが、刃が地面に触れた瞬間に地はぱっくりと口を開けたのだ。これには二人も反応できず、あっという間にその姿は地中に消えた。
「ふん、口ほどにもない。私が鎌を振り回すしか能がないと見たか」
 ゆっくりと歩み寄ると鎌を拾い上げ、
「戸山町の吸血鬼よ、お前も私を討つ加勢に来たな。お前の仲間は討たれた。お前もすぐに後を追うがいい」
「そうだな」
 夜香はうっすらと笑った。
「碇さんと冥府を征服してみるのも面白いかもしれん。だが、お前が勝利を宣言するにはまだ早かろう」
「何?」
 つい足下を見たが、そこには何もない。
「何をたわけ――」
 言い終わらぬ内に、その体に穴が開いた。
 夜香に気を取られていたわけではない。
 まったく気づかなかったのだ。
 その体に穴を開けた銀の矢は空中でくるりと向きを変え、ゆっくりと持ち主の手に収まった。
「シビウ…お前がなぜここに」
「私の患者を返してもらいに来たわ」
 医者としては不吉な漆黒のケープに身を包んだ妖美がひっそりと立っていた。夜香でさえ、その接近には微塵も気づかなかったのだ。
 シビウが患者を取り戻しにくる――それは聞く者にとっては絶対的な死の宣告だが、
「恋の病は重症なのよ」
 思いもよらぬ台詞にジェダの表情が変わった。恋だの愛だの、まさか自分が絡んでの言葉を聞こうとは思わなかったのだ。
 シビウを知る者ならば、例え千年付き合っても聞く事はできまい。
「魔女医が恋の病とはな。長生きはしてみるものだ」
 シンジの一撃とは違い腹部の穴は戻っていないが、さして気にした様子もなく低い声で笑った。
 笑った顔のまま固まった。
 次の瞬間、砂柱が地中から吹き上げたのだ。
 真っ白な巨体が一気に地を割って跳躍し、カンガルーの子供のようにその腹にくっついているのは無論シンジである。
「!?」
「フェンリル、一つ貸しておくわよ」
「この星が消えるまでには返す」
「そこまで長生きしたくないぞ」
 よいしょと降りてから、
「さすがはシビウの針金。地面すら断つとは大したもんだ」
 ジェダを襲った矢は二本あり――絡み合って一本に見えたそれが分離したのだ――その内の一本は持ち主の所に戻らずに地を裂いた。隙を突かれたとはいえ、奈落の底まで落ちてはいるまいとシビウは判断していたのである。
 五精使いとその従魔であり、ボスの方は自分の想い人なのだから。
「ところでシビウ、今借りを返せとか何とか言ってなかった?」
 じっと見つめたシンジに、
「――気のせいよ」
「そ。ならいいんだけど」
 何故かにこりと笑ってから、ジェダの方を振り向いた。
「あそこの薄情な吸血鬼は別として。魔女医シビウと妖狼フェンリル。このコンビに勝ってみせるか?」
 自分は入っていない。
「自惚れるな下――」
 下衆、と言いかけたその口は開いたまま、首が宙に舞った。
 五精使い――目下修行中――と妖狼に魔女医まで加わった。これを相手にしてもまったく怯む様子はなかったジェダだが、その首は地面から襲った何かによって切断、と言うより吹っ飛ばされていた。
「薄情な、とはつれない事を」
 指一本のかすかな動きで作動する時限式気功砲――シンジがジェダと対した時点で、既に地中へ仕込んでおいたのだ。
 シンジが地中へ消えた時に使わなかったのは、ジェダに隙がなかったからだ。戦線に加わってはいなかったが、ジェダの方は最初から夜香に対してまったく油断していなかったのである。
 ゆっくりと地上に降り立った夜香が、
「これで、薄情から少しランクは上がりましたか?」
 どんなに堅物な女でも、骨の髄まで溶かして虜にしそうな笑みと共に、シンジの顔を覗き込んだ。
「これ位ね」
 人差し指と親指が小さな空間を作ったシンジに、
「もう少し空間を広げてもらいましょう」
 すっと夜香が近づき、ささっとシンジが下がる。
 世にも美しい吸血鬼の青年が、類い希な能力の五精使いに妖しく近づこうとした時、不意に風が変わった。
 妖しく危険な匂いのするそれは、夜香の物でもシビウの物でもなく、彼らの前方から近づいてきた。
「患者に手を出すのに飽きて、今度は人間の子供にご執心かしら」
 美麗なサッキュバス――モリガン=アースランドの姿がそこにあった。
「女同士に執念を燃やす変態に言われたくないわね」
 シンジがひょいと下がったのは、何故か自分を真ん中にして火花が散っているような気がしたのだ。
 それは事実であり、しかも間違いなく熱を帯びていた。
「碇さん、さがっていて下さい」
「キケンなの?」
「少々」
「そ。女同士の勝負なら男が口出す事じゃない――なーんて言うと思った?劫火!」
 くるっと向き直った途端、その両手から文字通り巨大な火の玉が飛び出し、一直線にモリガンを襲った。
 コウモリでは吹っ飛ばせないと咄嗟に身をよじったのだが、髪の毛が数本チリッと焦げた。
 ギリッと歯の鳴ったモリガンだが、
「お前今子供って言ったな?いーや言ったね」
 勝手に断言してから、
「殺してから埋めて、ついでに犯す」
 左の瞳に猟、右の瞳に奇の文字を浮かべてシンジは宣言した。
 自分が秀蘭を子供と呼んで、敵に回したことは意識にない。
「ふうん。で、また数を頼みで来るわけ?」
「そういう予定はない。今度は俺が夜香の真似をする番だ」
「夜香の?」
「確かに首を吹っ飛ばしたのは私だが、シンジさんがジェダの気を引きつけていなければ作動しなかった」
 ゆっくりとモリガンの首が動き、夜香の視線の先を見た。
「ジェダ…ジェダを倒したの!?」
「倒したのは夜香だが、実際の所マスターでもさほどの相手ではない――今のマスターならば」
「ふーん、ジェダをねえ。油断したとは言え、魔界の最高実力者とも言われる男を倒すなんて、大したものじゃない。子供って言ったのは悪かった、謝るわ」
「何を企んでる」
「別に。ただ、今はあなたと戦う気はないのよ。悪いけれど、少しさがっていてくれないかしら。そこの変態的な医者と話があるのよ」
「そう言う事よシンジ。小娘にお灸を据えなくてはならないわ。すぐに終わるから待っていて」
 美貌の淫魔と妖艶な女医は十メートルほどの距離を隔てて静かに対峙した。
 
 
 
 
 
 
(つづく)


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