第九十二話
 
 
 
 
 
 魔力だとか妙な術だとか、そんな事でないのは分かっている。
 自分と同じ姿形の女――もう一人の自分との責め合いは、自分の完敗に終わった。
 肢体に違いはなかった。
 だが、根本的に何かが違う事は、その時から分かってはいた。
 だから燃えた。
 いつも自分が責められるばかりのゲンドウが、それこそ童貞を卒業したての少年よろしく射精させられ、喘がされている姿は、無論直接見てはいないものの、聞かされたリツコにとって壮絶な嫉妬の炎を燃やすには十分すぎた。
 しかもそれが、ゲンドウをリツコから奪う為のものであれば、まだ諦めはついたかもしれない――能力的にもにせリツコの方が勝るだけに、所詮肉体だけの差だと強がる事はできなかったが。
 ところが、奪うどころか、何の興味もないと来た。おまけに、あんな男に興味はないからさっさと戻れとまで言われたのだ。これで燃えなければ、リツコの女としてのプライドに傷が付く。
 ただ、残念ながら目下の状況は、目指す状況とは少々遠い位置にある。
 リツコが私室に連れ込まれてから、既に一時間が経っている。体位は既に四度変えたが、正常位のようにお互いを見ながらの体位は一度も取っていない。
 表情が変わらなかったら…もしもいつものように自分が感じるだけだったらどうしようかと、柄にもなく不安になっていたからだ。
 膣内へ塗り込んだ薬は、男の方へより強く作用する仕様にしてある。この年になって初めて、名器なるものについて――まるで処女のように顔を赤らめながら勉強したリツコだが、こればかりは変えられないという結論に達した為、残る手段は当然男の側の改造になった。
 早漏状態にするのはさすがに卑怯だと、性欲を通常の数倍に昂進させ、また膣内で薬に触れた部分の感度を上げたのだ。
 これでもう五回目になる。
 尻を抱えられて後ろから突き上げられ、時折膝から崩れ落ちそうになるのを堪えているリツコに、もう少し余裕があったら気付いていたかも知れない。
 普段より、汗だくになって絡み合っている自分達と、そして、いつもより幾分興奮しているように見えるゲンドウに。
 何よりも、三回は二人が同時に達していた事に、気付いたはずだ。
 今まで、二人が同時に達した事など殆ど無かったのだ。
(あ、来る…)
 今日は安全日だと伝えてあるから、既に膣内は精液で溢れている。ふわ、と持ち上げられるような感覚に囚われた次の瞬間、熱い精液が叩きつけるようにリツコの中で迸った。
(もう駄目…)
 崩れ落ち、ゲンドウが抱き留められたリツコの頬を、つうっと涙が伝う。
 結局自分は、ダミーに遠く及ばなかったのだ。普段より燃えてはいたが、射精させぬよう懇願した姿とは程遠い。
「なぜ泣く?」
 不意に声を掛けられ、リツコの肩がびくっと震えた。
「べ、別に泣いてなんか…」
 ダミーなぞに負けて悔しい、などとは口が裂けても言えない。
「そうか」
 ゲンドウはそれ以上追求しようとはせず、
「君ではなく、私の方に効果が出る薬だったな。女より、男を変えた方が効果は望めるからな。案としてはなかなかだ」
 分析するような口調はいつものものであり、もう穴があったら入りたくなったリツコだったが、
「君のせいで、余分な所に精力を使う事になった。責任を取ってもらおう」
「せ、責任?」
「汗をかいて気分が悪い。責任を取って綺麗にするように」
(綺麗に?)
 美貌を汗ばませた科学者は首を傾げた。
 能をフル回転させ、気付くのに五秒ほど掛かったが不意に閃いた――シャワーへ、一緒に来いと言っているのだと。
「か、かしこまりました碇司令…」
 職業柄泊まり込みもある為、リツコの部屋にはシャワーも備え付けてある。シャワールームに入った時、不意に振り向かせられた。
 唇を吸われ、リツコの肢体が硬直する。
「麻薬のような女も良いが、私にはまだ早かろう。薬程度で興奮するとは、私もまだ足りん。君に飽きたら考えるとしよう」
 揉みしだかれ、両方の乳房が形を変えたが、普段のそれとは比較にならぬほどやさしいものであった。
「お、お供します…」
 泣き笑いの顔を見せたリツコは、何を思ったのか。
 嬉しさか、或いは――距離が縮まれば縮まるほど見えてくる亡き女の影か。
 
 
 
 
 
 車体をスピンさせたシンジだが、突っ込むような無様な真似はしない。すぐに立て直したが、路肩に車を止めた。
 後部座席のアスカの顔をまじまじと眺める。
「な、なによぅ…」
 見つめられて赤くなったが、原因はシンジの視線にある。どうやら、アスカの台詞に他意は無かったらしい。
「いや、何でもない」
 軽く首を振ってから、受け取った代物に目を移した。
 二つとも手の平大の大きさで、丁寧にラッピングしてある。くるくるとリボンを解くと、銀紙に包まれた固まりが出てきた。
 アスカは普通のブラック、レイのはホワイトチョコレートであった。
 端を少し指で折り取った時、ごくっと喉の鳴る音がした――それも二人揃って。
 咀嚼するシンジを、固唾を呑んで見守るアスカとレイ。シンジが二つとも飲み込んだが、どう?と自分から訊く勇気はなかった。
 シンジの視線が二人に向いた。
「情報源は知らないけど、モミジに教わったね?」
「『う、うん…』」
 やっぱり変な味でさては騙されたかと、一瞬悪の考えがレイの脳裏を過ぎったが、
「僕の好みに合わせてある。よく頑張ったね」
 シンジの言葉に、二人の表情がぱっと輝いた。大した出来ではないが一応褒めたのではないと、女の直感で知ったからだ。
 こう言う時、受診出来る位には『女の勘アンテナ』は、感度を調整してある。
「ところで、昨夜は寝てないでしょ」
「う、うん」
 やっぱりね、と頷いて何やら考え込んでいたが、ポケットから携帯を取りだした。
 十五回鳴らしたが出ない。
「……」
「あの、お兄ちゃんどうしたの」
「君らの上司に電話を」
 君らの、とシンジは言った。まだ、一定位置までの浮上は見込めないようだ。
「電話ってミサトに?」
「そ。一応許可取っておこうと思ったんだけど、いっこうに出ない。二人してベッドに籠城か?」
「『え?』」
「停電した時に、親近感アップのイベントがあったらしい。しようがない、僕の方に頼むか」
 二人して、とはペンギンの事ではあるまい。レイはちらっとアスカを見たが、その表情に変化はない。
(もう…いいのね)
 さっさと離れろと忠告したのは自分だが、判断するのはアスカである。無論、加持リョウジが三重スパイである事などレイは知らないが、何れは敵になるやも知れぬ存在だとレイは見ていた。
 忠告したのは、レイなりの好意からだが、リョウジを吹っ切ったアスカがそのままシンジを方を向くというのは、少々複雑な思いはある。ただ、現時点で自分のような想いでない事は分かっているし、何よりもレイ自信の位置固めが目下の最優先事項になっている。
(前みたいにべたべた出来なくなったし…)
 ほんの少し寂寥の思いを込めて呟いた時、電話を切ったシンジが振り向いた。
「ち、違うのっ」
「『はん?』」
 何度殺されてもしつこく甦り、ホッケーマスクを被って暴れる怪人を見るような視線を二人から向けられ、真っ赤になったレイが力弱く首を振った。
 自分と現実世界の中で、時間軸がずれていたようだ。
「許可は取った。お家帰るよ」
 そう言うと、二人の反応は待たずに車をUターンさせた。
 マンションの前に車を横付けすると、
「着替えてきて」
「あのさ、学校はいいの?」
 訊いたアスカに、
「許可取ったって言ったでしょ。三日もヒキコモリになってチョコレートなんて作ってる娘(こ)達には、外の空気を吸ってもらわないとね」
「どこか行くの?」
「テーマパーク行って、宙づりのコースターで振り回されてもらう。さ、着替えておいで」
「『了解』」
 嬉々として走っていく二人の白い脚を眺めていた時、携帯が鳴った。
「はい…ああ、モミジ?チョコレートが来ました。色々お疲れ様…え?」
 シンジの顔から笑みが消えた。モミジからの連絡は、マナを学校まで担いで行った件であった。
「妙な物は」
「裸にして調べましたが、全く持っていません」
「もう起きてる?」
「いいえ。綾波さんの一撃が強烈だったようですわ」
「そう。それで監視は」
「マユミさんにお願いしました。必要であれば、御前様にご連絡致しますから」
「お祖父様に?」
「一人が失敗しても、また次が来る事は考えられます。クラス替えをして、マユミさんを同じクラスにして頂きます。シンジ様では、どうしても目のいかない部分があるでしょう?」
「ん」
 中の一点を見上げていたシンジが、
「いや、クラス替えまでは必要ない。いい事考えた」
「はい?」
「大学終わってる人には悪いけどね。モミジ、中学校(うち)に転入して」
「…え?」
 
 
 
 家に戻った二人は、鍵が掛かっているのに気がついた。
「あれ?誰もいないんだ」
「そうみたいね」
 一瞬、アスカとレイはちらっと顔を見合わせた。無論、物色目的ではないが、三日間付きっきりで教えてくれたモミジを出し抜くようで、少し気が咎めていたのである。
 居る居ないにかかわらず、行動内容が変化する訳ではないが、モミジが居る前で嬉々として出かけられるほど、二人の神経は太くない。
 サツキの影響もあり、普段は決して脱いだ服を放り出したりしない二人だが、今日は違った。
 上着もスカートも、そしてソックスもまったく顧みられることなく放り出され、恨めしげに所有者を見つめている。
 サツキに見つかって叱られる事になるのだが、それはもう少し後の話だ。
 家に飛び込んでから三分余りで着替え、しかも身嗜みまで直すという、ある意味偉業をやり遂げた二人が、これまた飛ぶようにマンションから出てきた。
 お帰り、と片手を挙げて迎えたシンジは、シガレット型チョコを囓っている。
(あたし達のじゃない…)
 勿論、二人ともすぐに気付いたが、
「君らのは後でゆっくりもらうからね」
 シンジの言葉に、表情がふにゅっと緩む。今日の二人には、どうやら弁財天とラクシュミーが憑依でもしているらしかった。
 何れも、神話に出てくる幸運を司るとされている女神達である。
 走り出した車は、シンジの家に向かった。
「用意してくるから、ちょっと待ってて」
 家の中に入っていったはいいが、一向に出てこない。
 エンジンは切っておらず、暖房は入っているから寒くはないが、車の中でシンジを延々待つ為にすっ飛んできた訳ではない。
 時間にしては十分足らずだったが、二人が待ち焦がれるには――半分くらい焦げていたかも知れない――十分であった。
 家から出てきたシンジは、かごをぶら下げていたが、その影がシンジの物だけではなかった事に、アスカもレイも気付かなかった。
「お待たせ」
 持っていて、と渡されたかごからはいい匂いがした。
「お兄ちゃんこれは?」
「サンドイッチ。時間がないのでそんなのしか作れなかったけど」
「ううん」
 ふるふると首を振り、ぎゅっとかごを抱きしめたレイ。
 満足げなレイだが、アスカの視線はシンジに向いていた。何となく、シンジの心がここにないような気がしたのだ。
(気のせいかな?)
 シンジはあまり、喜怒哀楽を表に出さない。
 少なくとも、自分の前ではそうだ。多分、レイの前でも同様だろう。
 使徒に喰われそうに――機体は銜えられていた――なった時でも、あまりにものんびりしているから、アスカが逆ギレを起こした位だ。
 そんなシンジだから、もし何か掴んでいても表情には出すまい。
 問題はそれが自分達に関係していた場合であり、もしも差し迫った状況であっても、全ては告げられないだろうという事だ。裏を返せば、そこまで認められていないという事になるのだが、今のところは仕方ない。
 ただ、シンジが自分達を危険な目に遭わせる事は無い筈だと、アスカは思っている。
(信じてるからね…)
 アスカの視線の先には、シンジの黒髪がある。その艶は、自分がどうやっても真似の出来なかったものだ。
 黒髪を見ながら呟いたアスカは、レイが占有しているかごの奪還に取りかかった。
 
 
 
 
  
「どうしても分からん…」
 資料を眺めながら、カエデはやや険しい声で呟いた。
 カエデに担がれて、文字通り這々の体で逃げ戻ってきた渚カヲルは、今日まで一度も目を覚ましておらず、昏睡状態が続いている。
 命に別状はないのだが、一応自分を助けに来たという事もあって、カエデはずっとつきっきりだ。
 無論、ぼんやり座っている訳もなく、チルドレン三人組の資料を手配して取り寄せていたのだが、やはりレイに関する資料はない。
 クローンである、と言う事は掴んでいたが、そんな事は問題ではない。
 存在よりも戦力なのだ。
 カヲルに痛打を浴びせたのは、戻ったレイとモミジだが、カエデもまた、凄まじい妖気の前に動く事すら出来なかったのだ。
 カエデがきゅっと唇を噛んだ時、ドアが開いて一人の男を吸い込んだ。
 立ち上がろうとしたカエデを片手で制した老人は、悪の親玉達を束ねるボス――キール・ロレンツであった。
 世界を陰で操る黒幕、の呼称が最も似合う老人である。
 問題は常に外さぬサンバイザーであり、普通に道で会えば絶対に目を合わせてはならないタイプだ。
「カヲルはまだ目覚めぬか」
「はい」
「完全体でなかったとはいえ、容易く重傷を負わされるような出来ではない。やはり、碇が我らに抗う動きを見せているのは、切り札があるからか」
 シンジ達チルドレンを、ゲンドウの切り札だと思っているらしい。
「それは違います」
 カエデは即座に否定した。
「違う、と?」
「ネルフにはいますが、何も知らずに使われているとは思えません。それに――」
 一瞬言い淀んだが、
「人類補完計画に賛同する方ではありません」
 それをキールは、そうかと頷いただけで怒りもしなかった。
「碇シンジと信濃アオイの噂は私も聞いている。殺す対象が人間から使徒になっただけのようだな」
(……)
 カエデは何も言わなかった。誰彼構わず殺戮している訳ではない、などと言うのも面倒だったのだ。
「まあいい。しかし送り込んだ鈴が壊されかけたのは事実だ。が…なぜ殺さなかったのだ?あの男が何をしたのかは知らないが、生かしておくとは思えん」
 鈴が何を指すかは、カエデも分かっている。
「面倒だったのでしょう」
「殺す価値もない、と言う事か?」
 いえ、とカエデは首を振った。
「単に面倒だということです。人類補完計画の遂行を知りながら放っておくのも、その後の“とばっちり”を考えての事でしょう。最も栄誉を望みうる地位にありながら、そう言う事に一番興味を持たない方です」
 恋人と無理矢理裂かれる前までは、カエデは普通の少女であった。今は少々危なくなっているが、能力自体が落ちた訳ではない。
 言葉など交わさずとも、シンジを読む事は出来る。
「人間は基本的に欲で動く。それがいかなる種類であれ、だ。欲に対する執着心が強ければ強いほど、また操るのも簡単な事だ。だが何かを欲する事無く、しかも能力が高いというのは、厄介な存在だな。だから今でも想っている――かね?」
「私の物にするだけです。それ以上でも以下でもありません」
 カエデの表情は変わらない。
「なるほど。ところで一つ訊きたい事がある。異性だが、私にはもう随分と前の事なのでね」
「何でしょう」
「十四歳の頃と言えば強いもの――権力等に憧れを持ったりするものだ。或いは英雄(ヒーロー)とかな。その認識は合っているかね」
「ええ」
「少なくとも、エヴァンゲリオンが人類を救う物である事位は分かっていよう。まして自分の立場はネルフ総司令の一人息子だ。碇が冷遇したという話は聞いていない。普通ならば、多少なりとも舞い上がる事は決しておかしくはない。だが君は違うという」
 キールが何を言わんとしているのか、カエデには読めていた。
 身構える素振りを全く見せなかったのは、自らの力量への自信故か。
「世の中には、通常では計れない少年もいるだろう。だが、利用出来る自分の立場にまったく関心が無く、しかも人類補完計画自体を忌み嫌う少年がここへ来たとしても、我らの妨げになるとしか思えん。そして――そうと知りつつ引き入れようとする娘もな」
「私を殺しますか?」
「その方が――」
 最後まで言い切る事は出来なかった。
 昏睡状態にあった筈のカヲルが突如起きあがり、キールの腕を掴んだのだ。
「僕の目の前で恩人を殺してもらっては困りますよ、おじい様?」
「目覚めたかカヲル」
 或いは、最初からこれを予想しての科白だったのかも知れない。
 だが次の瞬間、キールの表情が変わった。
 カヲルの双眸が色を帯びたのだ――それは、鮮血の色であった。
 
 
 
 
 
「スカートを穿いてこない、と言うのは進歩だと思うんだ」
 テーマパークへは、一時間程で着いた。
 道中、かごの保管権は交渉の結果アスカに委譲され、今は二人してジェットコースター上で、可愛く叫んでいるところだ。
 無論、エヴァの方が余程危険なのだが、バーのみが身体を守る状況で戦闘機並の重力が加わる方が怖いと、本能が認識するらしい。
 シンジも一緒にと左右から腕を取られたが、勿論断った。園内にばら撒いたダミートラップは、十五に上る。武器を持たないとはいえ、霧島マナが堂々とやってきた事は決してただの顔見せではないと、シンジは踏んでいたのだ。
 杞憂ならそれでいい。
 ただチルドレン三人が揃うというのは、襲撃側とすればこれ以上にない状況であり、用心のし過ぎと言う事はない。
 ここにはアオイもモミジもいないのだ。
 芝生の上で寝ころんだシンジに手を振って、二人がまた乗り込んだ。
 もう八回目になる。相当気に入ったらしい。
 最初は怖いだけだったのが、今は楽しむ方に変わってきているのは、二人の手を見れば分かる。
 三回目辺りまでは、安全バーを力一杯握り目を閉じたままだったのだ。
 今はと見れば、両手を挙げたまま目も開いているし、何よりも声の質が明らかに変わってきている。
「それにしても」
 とシンジは呟いた。
「昨日は徹夜で今日はアレだ。もしかして…僕より余程タフなんじゃないか?」
 乗る事は嫌いではないが、徹夜明けであんなに振り回されたら三半規管に異常が生じそうな気がする。
 真っ逆さまに落下する二人を見ながら、シンジは軽く目を閉じた。
 今のところ異常はない。
 
 
 
 シンジに違う意味で感心された二人だが、その位置からシンジは見えている。シンジが目を閉じたのを見て、二人が顔を見合わせて笑った事には無論気付いていない。
 確かに楽しんではいたが、七回目からはレイがアスカを引っ張ったのだ。
「あたしもういいよ。もう六回乗ったじゃない」
「そう?無理強いはしないけど」
 そう言ってさっさと歩き出したレイの手を、アスカが慌てて取った。
「ちょ、ちょっとレイ、あんた何か企んでるでしょ」
「中で話すわ」
 見ていると言っても、見張っている訳ではない。まして唇の動きなど見てもいなかったが、読まれると思ったのかアスカに手を取られたまま歩き出した。
 列の最後尾に並び、
「お兄ちゃんが暇になるわ」
「暇?」
「敵に囲まれてる訳じゃないし、一緒に乗る事もないから暇になるはずよ。多分トラップを仕掛けたらお昼寝すると思うの」
「で?」
「あそこにコーヒーカップもあるし、目が回るには丁度いいでしょ」
「……」
 そこまで聞いたアスカが、手を挙げて遮った。
 まだレイの思考は読めていない。
 だが、毎回毎回全部聞かないと分からないのは、アスカのプライドに支障が出る。自分でも考えるようにする、というよりプライドが大きく影響しているのはアスカらしいところだ。
 シンジを眺めながら考えていたアスカが口を開いた。
「一緒に寝る?」
 レイがゆっくりと頷いた。
「いい事考えるじゃない」
「そうでしょ」
 二人の思惑は一致したが、二人から目を離したまま熟睡するほどシンジは呑気ではない。そこは誤算だったろう。
 シンジが目を閉じたのを確認してから、更に仕上げとしてコーヒーカップに乗り、徹夜明けの妙なハイテンションでもカバー出来ぬほど疲れてから戻ってきた。
 無論、最大限に足音は殺したのだが、五メートル手前でシンジは起きあがった。
「お帰り」
(あ…)
 おやつをつまみ食いしようと侵入し、テーブルまで10センチの距離で見つかった子供みたいな表情になった二人に、シンジは突っ込みを入れる事はせず、
「楽しかった?」
 と訊いた。
「『う、うん』」
 同時に頷いたが、計画があっさり頓挫し、少し引きつった笑顔なのは仕方のないところだ。
「じゃ、お昼にしよう。そろそろいい時間だ」
 言われて時計を見ると、もう昼前に近い。遊んでいる内に、勝手に時間が経過したらしい。
 シンジが作ってきたのは、サンドイッチと野菜スープであった。野菜になったのはレイに配慮したのではなく、単に時間がなかったからだ。
 時間がない時は、勝手に味を出してくれる野菜を放り込むに限る。
 シンジは一つ食べただけだったが、かご一杯にあったサンドイッチはあっという間に無くなった。
「また行ってくる?」
 シンジの問いに、二人揃って首を振った。
「その、少し…」「ひ、昼寝しようかなって思って」
「昼寝を?いいんじゃない、睡眠時間は絶対不足してる筈だし…って何をしている?」
 つうっと左右から二人がすり寄って来たかと思うと、耳元に口を寄せた。
「『膝枕して』」
(……)
 シンジの脳裏に先日の事が甦った。一時的とはいえ、二人の頭を脚に載せた為に身動き不能になったのだ。
(ま、いいか)
 やや簡単に頷いたのは、この場にレイがいるからだ。勿論、妖姫任せにしようと言う思考があるのは言うまでもない。
「いいよ」
 あっさりOKするとは思っていなかったのか、少しほっとしたような表情で、二人が頭を載せてきた。
 やはり重い。
 ただ、ばらまいてある呪符は異常を伝えていないし、変わった気配はない。アスカとレイがたちまち寝息を立てた数分後、軽く髪を撫でたシンジもまた横になった。
 
 
 
「起きぬか愚か者」
 声と同時に、シンジは瞬間的に跳ね起きていた。
 レイの肢体をしたレイに在らざる者――妲姫の声だと気付いたのだ。それでも、アスカの事は忘れていないから、立ち上がったりはしない。
 が、身体が妙に軽い。
(あれ?)
 見ると、アスカは横に転がされている。
「アスカは?」
「眠らせてあるだけじゃ。その方が良かろうが」
 はあ、と頷いてから、
「囲まれてる?」
「五十匹はおる」
「そう」
 指を鳴らそうとしたシンジを妲姫が止めた。
「余計じゃ。それとも、わらわの鬱憤を溜まったままにせよと申すか?」
「僕が関係なければね。吸ったりしないか?」
「この娘は、この間我が物にはしないでおいた。どのみちお前は吸われる運命じゃ」
 傍迷惑な、とぼやいてからふと気付いた。
「どうして囲まれてる?」
「これじゃ」
 妲姫が投げて寄越したのは、小さな機械であった。
「発信器とやらじゃな。レイが撃退したおかげで、方針が変わったらしいの」
(?)
 首を傾げたが、すぐに気付いた。
 おそらく、霧島マナが失神させられた時に最後の力を振り絞って、靴か何かに付けたのだろう。或いは、地に落ちたそれをレイが踏んでくっついたのかもしれない。
 マナがいきなり撃退されたのを見て、何を勘違いしたのか、強行策に出てきたのだ。
「なるほどね」
 時計は既に四時を回っている。二人につられてぐっすり眠り込んでしまったらしい。
 視線だけ動かして周囲を見ると、客の姿は全くない。そして四方から、殺気がひしひしと迫ってくる。
「お前はその小娘の番をしておれ。ここはわらわの遊び場じゃ」
 そう言った妲姫が、くいとシンジの顔を持ち上げた。
 柔らかく、熱を帯びた唇が喉元に貼り付く。
 血を吸われていないのは分かっているが、モミジを抱いた時と違って体中の力が抜けていくような感じがある。
 顔を離した妲姫が、妖しい手つきで唇を拭った直後、不意にその雰囲気が変わった。
 シンジを吸って、完全体に戻ったのだ。
 妲姫が軽く地を蹴り、その身体が宙に舞い上がるのと同時に銃声が鳴り響いた。
「相変わらず、芸が無いのう。わらわをこの程度の物で討てると思うたか?」
 ふわりと舞い降りた妲姫の両手から落ちた物がかたい音を立てる――容易く受け止められた銃弾であった。
「麻酔用か。捕獲に来たかな…って、あれで捕まるなら苦労しないぞ」
 シンジが呟いた直後、親玉とおぼしき男の怒号が響き渡った。
「化け物め、構わん射殺しろ!」
 
 
 
 
 
(続く)

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