第八十二話
 
 
 
 
 
「さて、どうしたものか」
 アヌスに小さな筆を差し込まれ、全裸のまま身悶えしているレイを見ているゲンドウの声は、妙に暗いものであった。
 とりあえず、結論は出た。
 すなわち、シンジやアオイに動きはまったく見られない、と。
 だが、二人が既に人類補完計画についてかなりの部分を掴んでいるであろう事も、ゲンドウは分かっていた。
 だてに、悪の秘密組織の総司令を務めているわけではないのだ。
 ただし、手が出せない。
 証拠どころか、兆候すら皆無の現時点で、一体何が出来るというのか。
 洗脳か?
 自分が逆に洗脳される可能性が高い。
 誰か代わりを見つけてくるか?
 今の初号機は、シンジの専用機のような仕様になっており、戦力が大幅に低下することはあっても、同等の戦力を維持する事は不可能だ。
 しかも、帰れと言ったらアオイと共に、即日嬉々として帰る事も分かり切っている。
 アスカとレイなら何とかなる。
 レイは代わりを用意すればいいし、弐号機は量産タイプだから、エヴァを操る事だけに長けた少年少女を作り出すのは、さして難しいことでもない。
 問題は息子なのだ。
 自慢できることではないが、自分が推奨しようとしている事は、シンジが知ればほぼ確実に妨害、乃至は計画を消滅させようとする筈だ。
 にもかかわらず、まったく動く気配はない。
 自分を見ながらその視線は自分を捉えていない――シンジの妹となったレイと同じ事を、三人目のレイも思ったのかも知れない。
 きゅっと筆を抜いたレイが、腕を巻き付けてきた。
「司令…元気がないみたい」
「いや、そんな事はない。レイ、むこうを向いて」
「はい」
 言われるまま、こちらに尻を向けたレイの股間は、既にしっとりと濡れている。レイが抜き出した筆を取ると、潤みを帯びた秘所に当てて数度くすぐった。
「はぁっ…んんっ…」
 丸い尻を震わせながら、懸命に声を押し殺すレイを見る表情に、変化はない。
 レイの方が気付いた。
「碇司令…綾波レイのことですか」
 問う声から、欲情の響きは完全に失せている。
「正確に言えば、私の未来の事と言うべきか」
 言ってから、ゲンドウは内心で苦笑した。
 一応心も持っているし、完全に服従する人形にはしなかったが、この間造られたばかりの娘に心を読まれていれば世話はない。
「なら…殺してしまえば」
 物騒な台詞だが、このレイにはある意味で一番ふさわしかろう。
「それは出来ん」
 ゲンドウは即座に首を振った。
「あのレイは、そう簡単に殺せる存在ではない。何よりも、殺してしまえばお前をエヴァに乗せる事になる。お前を危険な目に遭わせる気はない」
 あっちのレイの方は、もういいらしい。
「碇司令…うれしい」
 微笑んだ顔がぎこちないのは、多分笑うことにまだ慣れていないせいだろう。
 ゲンドウの眼前で、足をMの字に開脚したレイが、
「来て…」
 と囁いた。
 その中心では、柔肉が誘うようにうごめいている。こっちはレイと違って、淫毛はまったくなく、完全に無毛の秘所がそこだけ女の姿をしている様は、一層淫靡に見える。
 レイを抱えるようにして挿入したゲンドウの首に腕を巻き付け、自分から腰を動かし始めたレイだが、その双眸にある色が浮かんでいる事には気付かなかった。
 その意味する所を知っていれば、例え鎖で縛ってでも、自分の身辺から離しはしなかったろう。
 
 
 
 
 
 シンジの一日は、ろくでもない目覚めから始まった。
 耳朶にパンのクリームを付けられ、そこをかぷりと噛まれたのだ。
 びくっとして跳ね起きたが、無論犯人はアオイである。
 普段のシンジなら考えられない事だが、アオイと二人で寝ている場合、基本的にノーマークになる。まして、アオイが下手人なら尚更だ。
「…僕に何の恨みがあるのさ」
「おっぱいとキスマークから、恨みを晴らしてと頼まれたの」
「恨み請負人〜?」
 返答次第では酢漬けにでもしてくれると考えたが、次の瞬間その口が小さく開いた。
 ガウンの前を開いたアオイの胸元で、ある一点だけが異色の存在となっていた。
 白い乳に紫の斑点は、言うまでもなく入れ墨でも紋様でもない。
「あれ?」
 シンジの視線が、アオイの指先に付いていくと、その先にあったのはまったく消える様子のない鬱血の痕であった。
「消えてくれる気配がないんだけど、犯人は誰だったかしら?」
 アオイの言葉を聞いた時、シンジは自分が水着などに付き合わされる羽目になった原因を知った。
「おっかしいなあ、力加減間違えるはずはないんだけど…。あ、そうだ、きっと身体の調子が――はう」
 首がきゅっと絞められ、シンジの首がにゅうと伸びる。
 そのまま、耳朶に吐息が吹きかけられ、
「シンジの耳って美味しいのよね。甘いんだもの」
「クリームが付いてれば誰だって…っ」
 今度は唇が吸い付き、ゆっくりと下へ降りてくる。
「あちこちキスマークだらけにして、女の子二人と水着コーナーへ行ったらどうなるかしらね?」
「僕は行かないぞ」
 微妙な、だがそれでいて神経を呪縛する快感から何とか逃れようと、無駄にあがきながらシンジが宣言した。
「そんな格好で行く位なら、ダミー十体を代わりに行かせてやる」
「あ、それは無理」
 アオイは婉然と笑った。
「ナヌ?」
「昨晩シンジに渡したカプセルね、あれにモミジから貰った物が入っていたの」
「ま、まさか…」
「そう、操傀の成分。つまり、私の言うことを拒否した場合、三大鈍痛と四大激痛が交互に襲ってくるの。痛みの中身を知りたい?」
「…覚えてろ」
「三分間だけ覚えていてあげる。尤も、そんな物を使わなくても強制的に行ってもらうつもりだったけれど」
「はん?」
 顔に?マークの浮かんだシンジを見て、アオイが笑った。
「男物のトランクスと、中年の婦人が付けるようなブラジャーを買って、水着代わりにしようとか思っていなかった?」
「ぎく」
 胸に手を当てたシンジだが、動作のぎこちなさからして捏造された疑惑ではないらしい。
 そう、本当にそんな事を考えていたのだ。
 確かに、アオイの下着をシンジの趣味で決めたりすることはあるが、オーダーメイドであって、店内をウロウロして探し回る事は少ない。
 シンジにとって、水着売り場も下着売り場も同じ枠内に収められており、おまけに言い出したのは自分ではない。
 真面目に付き合う気など、最初から微々たるものでしかなかったのだ。
「やっぱり図星みたいね。でも駄目よ、ちゃんとあの子達の気が済むまで付き合ってあげないと」
「どうしてそこまで肩入れする?」
「肩入れ、とは少し違うわ。あの子達が、頑張っているのは事実だし、それにレイちゃんは扱いが難しいから。むくれたりして、その結果あなたに迫ったりすると困るのよ」
 すっと顔を近づけてきたアオイに、
「さ、左様で」
 シンジは頷いた。
 無論、シンジがレイに甘えられることを問題にしているのではない。
 レイと同じ身体を共有しながら命まで異なる存在――妖姫の事を言っているのだ。
 アオイとは異なり、シンジ本体に興味はないが、完全体を取り戻す為にはシンジの魔力を吸うのが手っ取り早く、そしてその為には手段を選ばない女である事も分かっている。
 レイの意識がはっきりしている間は出て来にくいが、むくれてしまったレイが、自分から明け渡す事も考えられる。
「そう言えば、最近出てきてなかったな。妙に懐かれると思った」
「このまま、静かにしていてもらいたいのよ」
「ふうん」
 アオイの唇が這った後に触れながら、一応納得した風情のシンジだが、アオイの本音はそこにはなかった。
 確かに、妖姫のことも考えてはいる。
 しかし、はっきり言えば餌なのだ。
 レイは、アスカと違って、アオイがシンジを連れて行ってしまう存在だと思っている。それ位は見ていれば分かるし、何かにつけて自分を気にするのがいい証拠だ。
 ただし、シンジにそれを言った日には間違いなく縁を切ると言い出すから、シンジに言うことは出来ない。
 その事さえなければ、シンジが好まないと知っている水着の買い物になど付き合わせたりはしない。
 ただでさえ、祖母のヒナギクからは、アスカとレイがシンジの足手まといになっていると言われているのだ。
「尤も、一番の理由は私だけどね」
「何か頼まれた?」
 否、とアオイは首を振った。
「言い出したのは私なの。で、君が途中で帰ってきたり、中年婦人用の水着を着せたりしたら?私がわざわざ嫌がらせした、と思われてみたい?」
「…行ってきます」
「よろしくね」
 
 
 レイはアスカの影響を受けてはいない。
 というよりも、その前から自我を取り戻しつつあったし、アスカが来たから急速に目覚めたわけではあるまい。
 第一、アスカが来日して以降、レイに多大な影響を与えうる程の日数はまだ経っていないのだ。
「じゃ、あれは誰の影響だ?」
 アスカと二人、嬉々として水着を物色している二人を見ながら、シンジは首を傾げていた。
 色とりどりだが、今の所はまだおとなしい物を選んでおり、デザイン的にはスクール水着とそう変わらない――値段を別にすれば。
 どこから情報源を仕入れたのかは分からないが、二人がまっすぐに目指したのはオリジナルブランドであり、どれも通常の水着の八倍ほどの値段であった。
 無論、シンジにとって値段など最初から考えていない。それよりはむしろ、やっと一段落したと、少しほっとしているところだ。
 一人が十着ほど――両名合わせると二十着を優に超える水着を、一々試着してはシンジを呼び出すのだ。
 シンジが一度でも頷いていれば、とっくに終わっていた筈だが、適当に選ぶとアオイにどんな目に遭わされるか想像も出来ないため、深読みしていたらいつの間にかずるずると引きずられていたのだ。
 四着目で気づいたが、
「これでいいよ」
 と言ったのが災いした。
「これで?やっぱりお兄ちゃん、あまり来たくなかったのね…」
 失言の結果、今に至る。
 第一陣は、どちらかと言えばシンプルなデザインであった。
 水に入って泳ぐ、と言うことをメインに据えており、身体のラインを浮きだたせる系統の物ではない。
 となると、今度は第二陣だろう。
 アスカの方は競泳用水着だが、普通よりだいぶハイレグになっているし、レイの方はと言うとキャミソールと、
「あれ…キャミ?」
 首を傾げた時、レイが手招きして呼んだ。
「何?」
「お兄ちゃん、これ知ってる?」
 商品を見ながら、シンジの顔も見ていたらしい。
「いや…。キャミソールとボトムの組み合わせ?」
「違うわ、タンキニ系と言って、タンクトップとビキニを組み合わせたものなの」
「何で?」
「え?」
「それはタンクトップとは言わない。キャミソールとビキニの組み合わせで、キャミキニとか言うんじゃないの」
「い、いいの。これで合ってるんだから。それでその、どっちが似合うかなと思って」
 レイが持ってきたビキニは、二枚とも白地に淡い花柄の模様だが、片方は少し切れ込みがきつくなっている。
「で?」
「なに?」
「どっちって言って欲しいの」
「ど、どっちでも…」
 すいっと視線をそらしたレイだが、その頬は僅かに赤くなっている。期待している答えは最初から明白だ。
「んー」
 両方を交互に眺めていたシンジが、レイの耳元に何やら囁いた瞬間、その顔が突然染まった。
「さ、探してくるわっ」
 持っていた水着を放り出し、早足で戻っていったレイに、呆気に取られたアスカが、
「レイはどっちがいいの?って聞いたんじゃなかったの」
「第三の選択肢もある」
「ふうん。ま、いいわ。ちゃんとあたしのも見ててよね」
「アスカのは何でもいいんだ」
「ちょ、ちょっと何よそれ、レイの時と随分反応が違うじゃない。あたしなんて、どうでもいいって訳?」
 ぷうっと口をとがらせて抗議する姿は、レイとは違って小悪魔的なイメージだが、魅力は勝るとも劣らない。
 シンジは少し笑って首を振った。
「そうじゃなくて。アスカはスタイルがいいから、殊に水着となれば選択肢がずっと広いんだ。その代わり、浴衣とか着物系は限定されるけどね」
「そ、そう?」
 コロッと機嫌が直ったようで、シンジの言葉に、頬が緩んだ。着物云々は少し引っかかったが、その分水着に関しては本音だろう。
 ストレートに褒められれば、アスカも悪い気はしない。
「そ、それじゃ、あたしもハイレグのビキニとかしてみよっかな。おっぱいが、すっごく大きく見えるやつとか」
 ちらっと流し目を向けたアスカに、シンジはうんうんと頷いた。
 最高の反応である。
 が、返ってきた答えはまったく異なっていた。
「乳首ぎりぎりでも構わないけど、僕と競泳して、途中で胸がはみ出したりしたら一ヶ月間サラシだからね」
「サ、サラシ?それなに?」
「昔の日本に、ブラジャーは無かったの。だから、乳にサラシを巻いて抑えていた。要するに布だね」
「布なら別にイイじゃない」
「そ。大きくしてあげるから」
(え?)
 なぜか、アスカは嫌な予感がした。理由は自分でも分からない。
「あ、あのっ」
 アスカはすっと手を挙げた。
「何か」
「や、やっぱり競泳水着くらいにしとくわ。それならいいでしょ」
「選ぶのはアスカだから」
 シンジがそう言った時、瞳の中に刹那だが、過ぎったある種の色をアスカは見逃さなかった。
(あたしって、やっぱりすごいわよね)
 自画自賛したのは、危機回避能力の事を指す。シンジが何かたくらんでいたと、本能が囁いたのである。
 そして、アスカの本能は間違っていなかった。きつく巻き付けて、乳房がサラシから溢れる位にしておいて、一ヶ月でどれ位変化するか観察しようと悪巧みしていたのだ。
「じゃ、選んでくるわね」
 歩き出してから、また戻ってきた。
「ぴったり型でパッドもなし、おしりの割れ目とかきゅうっと食い込んでくるやつね」
 早口で囁いた途端、シンジの拳がその腹に吸い込まれ、アスカは声も立てずに昏倒した。
 瞬時に表情の変わったシンジの元へ、これも厳しい表情のレイが馳せ戻ってきた。
「お兄ちゃん、囲まれてるわ」
 レイの言葉に、シンジの表情が少し緩んだ。
「よく分かったね、大したもんだ」
 褒められたレイが、小さく頷いたが、唇を噛んでいた事にシンジは気付かなかった。
 こんな形で褒めてもらうのは、久しぶりだったのだが、それよりもむしろ、自分は役に立てるのだという想いがこみ上げてきたのだ。
 何せ、アスカが来日してからこっちは、完全にその他のチルドレンの一人にランクダウンしてしまっており、内なる人格に希代の妖姫がおり、そして自らもATフィールドを使えるレイとしては、大いにプライドが傷ついていたのである。
「脅迫か、或いは殺されたのかは分からないけれど、店員達も一味よ」
「店員さんも?」
 危機感のない声で訊いたシンジに、頷いたレイが自分のいた所を指差した。
「眼が血走っていたから、とりあえず首と胴をばらしたの。で、調べてみたら拳銃と手榴弾を持っていたわ。デパートの水着売り場では、店員にそんな物を持たせないでしょう」
「ごもっともで」
 頷いたが、レイはこう言ったのだ――先に、首と胴をばらした、と。
 悪くはないが、やはり妲姫の影響を受けてきている事に間違いはあるまい。
「ここは五階建て…さて、上から出るか下から出るか」
 今いるのが五階だから、単純に考えれば上だ。とりあえず切り抜けて、後は屋根伝いでも逃げればいい。
 が、アスカがいる。
 アスカを気絶させたのは、レイのATフィールドはまだ見せぬ方がいいだろうと言う判断だが、最大の理由はやはり足手まといになるからだ。
 ドイツにいた時、護身術と格闘技の訓練は一応受けているだろうが、この場に於いては無用の長物だ。今問われるのは、銃を向けてくる相手を躊躇わず殺せるか、と言う一点なのだから。
「とりあえず天下統一」
 妙な事を呟いたシンジの手には、ワルサーがある。
 弾倉は五本持っているから、ここを切り抜けるには足りるはずだ。一発目を機関部に送り込んだ時、
「お兄ちゃん待って」
 レイがシンジの袖を引いた。
「ん?」
「出かける時、いつも付いてきてもらうわけには行かないもの。ここは私が」
「レイちゃんが?」
「そう。それに、お兄ちゃんにも見せておきたいの」
 見せたい、と言った時、レイの赤瞳が妖しい光を帯びた。
「分かった」
 シンジがあっさり頷くと、レイは満足そうに笑った。
 目下の所はエヴァと同等、乃至はそれを超える兵器が開発されたという話は聞いていない。世界各地のネルフ支部で、エヴァを造りだしたとしても、まだ完成はしていない筈だ。
「と言うことは――」
「戦自ね」
 レイが勝手に引き取った。
「お兄ちゃんを単体で狙っても効果は薄い。それよりはむしろ、私やアスカと一緒にいる時を狙って、足を引っ張らせた方が得策だわ。でも、私達を狙ってどうするつもりかしら」
「JA企画は、妲姫の手によって完膚無きまでに粉砕された。あの続きが戦自に行ったとなれば理由は分かる、拉致だ。殺せばエヴァのパイロットがいなくなるし、いかにネルフが気に入らないとはいえ、現時点でエヴァが動かなければどうなるか位、連中だって分かってるはずさ」
「じゃ、全員片づけても問題ないのね、お兄ちゃん?」
「構わない」
 ゴーサインを出したシンジに対し、軽く頷いたレイだったが、その取った行動は奇妙な物であった。
 屈んで床に掌を押しつけてから、立ち上がった。
 そしてシンジの首に腕を回し、顔を寄せると、
「IT’S SHOWTIME」
 その耳元に囁いた声は、かつての無機質なものであった。この声で、こんな事を囁かれた日には、健康な者でも即座に患いつきかねまい。
(?)
 内心で首を傾げた途端、その表情が変わった。その耳に届いたのは、銃声と、そしてその直前の苦悶の呻きであった。
 明らかに、自分達を狙ったものではなく、銃声の直後、フロア内から自分達以外の気配は完全に途絶えた。
「まずは、この階から」
 当然のように口にしてから、レイは振り向いた。
「さて、私は何をしたでしょう」
 一転して、悪戯っぽい笑みを浮かべたレイに、シンジはあっさり首を振った。
 ATフィールドの応用だろう、と言うことは分かるが、それ以上はさっぱり分からない。
「お手上げ?」
「お手上げ」
 口元の笑みは消えぬまま、レイは頷いた。理想通りの展開に、満足したらしい。
「ATフィールドで網を張ったの。あれは本来、人間が誰でも持っている心の壁でしょう。でもそれは、使徒を見ているからそう思うだけ。本当は、自由自在に操れるのよ」
「何となく分かった。で、さっきのIT’S SHOWTIMEってのは?」
「文字通りの意味よ。それとお兄ちゃん、一つ違っていたわ。ATフィールドを思念波にして飛ばしたんだけど、私達の内、一人を連行できれば後は殺しても構わなかったのよ。その心に侵入して、負の部分を何倍にも増殖して脳裏に展開させたらどうなると思う?自己嫌悪の終着点は、自殺よ。本当はもっと、精神を破壊して苦しませるつもりだったけど、植え付けられた部分がそれを邪魔したの――捕まる前に自殺するように、と言う命令が」
 妖姫が直接教えた可能性は低い。
 とはいえ、短期間の間にレイが急成長したことは間違いない。ATフィールドが本来は思念である事は、既に妖姫から言われているが、それを読心術のように使う手があるとは知らなかった。
「大したもんだ」
 口にした途端、きゅっと抱き付かれた。
「はん?」
 見ると、レイの瞳が潤んでいる。
「お兄ちゃん…」
「どしたの」
「今…嫌だと思わないでくれたでしょう」
「ん?」
 聞き返してから、すぐに気付いた。
「こら、僕の心覗いてたな」
「少し違うの。色を合わせていただけ。お兄ちゃんの心を読んだりはしないわ」
 似たようなものだと思ったが、口にはしなかった。それは、レイなりのボーダーラインなのだろう。
「ATフィールドを使えるだけでも普通じゃないのに、まして心を読めると知ったら普通の人は絶対に近寄らないわ。でも…でもお兄ちゃんにだけは、そう思われたくなかったの」
 他愛もない話だが、レイは真剣である。強烈な武器は手に入れたが、シンジにどう思われるか迄は、考えていなかったのだろう。
 よしよしと、レイの頭を撫でてから、
「想像範疇外ではあったけど、別にこれでレイちゃんを遠ざけたりはしないよ。じゃ、あそこに転がってる二人も心を読んだの?」
 いいえ、とレイは首を振った。
「あれは表情が危険だったから、とりあえず殺しておいたの。そうしないと、姫様に怒られるから。もっとも、水着売り場で目を血走らせて、殺気を隠しきれない店員なんて存在しないでしょう」
「あいつに?」
 幾星霜の時を超え、力もだいぶ衰えたとはいえ、復活した時の力は健在である。その妖姫をあいつ呼ばわり出来るのは、やはり吸われる力を持つ身の強みといえよう。
「その程度の区別も出来ぬから、いつまで経っても足手まといのままなのじゃ、って」
「そんな区別は、普通は付かないけどね。まあいいや、後は下の階を制圧して終わりだね。後は僕がやるから、レイちゃんはアスカの番をしてて」
「その必要はないわ。銃声を聞きつけて上がってくる残党を待っているのは、具現化されたATフィールドよ。足の長さが2メートル以上あって、またいで入ってくるか、それとも地上数ミリの位置まで伏せて来なければ、踏み込んだ瞬間にプレスされるわ」
「…そんな使い方まで?」
「そんな使い方まで」
 ご丁寧に復唱してから、レイはにっこりと笑った。
「銃弾を避けられる人間はいても、自分の心の刃に勝てる人間はいないわ。そうでしょう、お兄ちゃん?」
 その通りだ。
 頷いてから、
「でもそうなると、僕は暇になる。レイ、あっち向いて」
「は、はい」
 言われるまま、背を向けたレイの肩に手を伸ばすと、あっという間に服を脱がせてしまった。
 下着姿になった時、一瞬だけ身体が反応したが、抗おうとはしなかった。レイの反応は最初から考慮外だったようで、二本指でブラのホックが外され、これも床に落ちた。
 肩がびくっと震えたのは、シンジの手が胸に伸びた時だ。
 何を考えたのか、レイの胸を両手でむにむにと揉んだのだ。
 胸に手を当てたまま、
「前に、下着を買いに行ったでしょ。あの時より、少し大きくなってる」
「お、お兄ちゃん…」
 首筋まで赤く染めて小さく頷いた姿には、迫る来る殺人者達を、顔色一つ変えずに始末した面影など微塵もない。
「ま、今回は暇な見物人に徹した事だし、後は着せ替え役に徹することにしよう」
 上半身裸のレイを置いて行ったシンジが戻ってきた時、その手には大量の水着が抱えられていた。
「ボトムは買ってから試すとして、とりあえず上からね。さ。手を挙げて」
 素直に手を挙げたレイは、胸に水着が当てられた時、シンジの意図を知った。
(来て良かった…)
 万感の思いを込めて呟いたレイに取って、それからの一時間は、まさしく至福の時であった。
 シンジと二人きりの時間、のみならず、着せるのも脱がせるのも、全てシンジがやってくれるのだ。
 どんな柄が似合うか、ではなく、いつまでもこの時間が過ぎないで欲しいと、既に目的の入れ替わったレイに取って、立ったままの足もまったく気にならなかった。
 おまけに、試着した水着は全て、持ち帰る事になった。
 店に来た時、確かに他の客も従業員もいた。
 だが、全員片づいた後、二人が下へ降りるとそこには誰もいなかったのだ。他の客の死体も見あたらない。
 どんなカラクリがあったのかは知らないが、この店の経営者サイドに関係者がいた事は間違いない。
 そうと分かれば、後はヤマトへの連絡一本で足りる。
 建物ごと爆破しても構わない、との許可も出たが、こんな場所など爆破しても面白くも何ともない。
 返り討ちにあった者は、男女含めて四十五名、その内銃で自らを射殺した者は十六名であった。
 残りの残骸を見た時、シンジは首を捻った。
 プレス、とレイは言ったのだが、別段圧縮されている様子もなく、ただ壮絶な苦悶の表情を浮かべて死んでいるだけであった。
「プレス?」
「正確に言えば、自分の心に押しつぶされたの。数十人の心を一つにして、そこから負の部分だけを取り出して流し込むとどうなるか。銃で自分を撃った者達は、簡単に死なせてしまったから、少し変えたわ。気が狂うとか、そんな次元じゃなくて、精神を根本から破壊したの」
「わかりやすく言うと?」
「そうね…」
 ちょっと首を傾げてから、
「一人では居られない者が、数億年の時間をたった一人きりで過ごした時の気持ちを、一瞬で味わったような感じ。その状態で、人間は保って数分ね。その間、心に押しつぶされたまま、ただ時を過ごすだけ。苦しむ時間は長いけれど、銃に手を伸ばす余裕はないわ」
 具現化するのみならず、そのままでも恐ろしい武器になる文字通り諸刃の剣だが、或いは、人の心を操るという事に凝縮されるのかもしれない、とふとシンジはそんな気がした。
「これは、普通の人間にも出来ない事じゃないわ。ただ、ATフィールドを理解してそれを具現化させる事が必要だけれど。どんなに肉体を鍛え上げた者であっても、心までは鍛えられない。心――感情は、人間が人間足る最大の理由だけど、逆に言えば決して隠すことの出来ない弱点なのね」
「レイちゃんも?」
「うん」
 レイは即座に頷いた。
「お兄ちゃんと会ってから、私は随分弱くなってしまったわ。以前の私には、心なんて必要なかったのに」
「一級の傭兵とかが、家族を持ったり人を愛する事を知った途端、弱くなったりするのは映画のセオリーだ。でも逆に、それ故に強くなる人間も沢山いる」
「そうね…私のここは暖かいもの」
 レイがシンジの手を押し当てたのは、自分の胸元であった――下着は着けていない。
「それはない」
 シンジは即座に否定した。
「こんなに冷たくなってる」
 クーラーの効いた店内で、着せ替えされる間ずっと上半身裸だったのだから、当然と言えば当然だが、レイはすうっと赤くなった。
「そ、そこじゃなくて…こ、心の方…」
 うっすらと笑ったシンジが、
「分かってる」
 胸から手を離し、その手でレイを引き寄せた。
(お兄ちゃん…)
 レイがそっと頭をもたせかけると、二人は暫く動かなかった。
 彫像が出来上がったかと思われた頃、先に動いたのはシンジであった。
「水着は何を持って行ってもいいそうだ。僕はアスカを担いでいくから、君は水着を」
「はい」
 
 
「おはよう」
 アスカが目を覚ました時、そこはシンジの膝の上であった。
「あ、あれ…?」
「デパートで、一時的に空調がおかしくなったんだ。気を失ったから運んできた」
「そ、そう…」
 起きあがってから、漸く自分のいる場所に気が付いた。折りたたまれた水着が置いてあり、顔を横に向けると、真っ白な水着に身を包んだレイが泳いでいる。
「これは?」
「君に似合いそうなのを適当に選んでみました」
 見ると、赤無地ビキニだが、そんなに濃い色ではない。トップとボトムにはそれぞれフリルが付いている。
「ふうん、まあ悪くはな…け、結構これハイレグじゃない」
「それはあちらの方が」
「え?」
 そこへ、水から上がってきたレイが、
「アスカにはその方が似合うかと思ったの」
「レ、レイあんた…」
 アスカが絶句したのは、レイの水着姿にあった。
 着ているのは普通の白い競泳用だが、水の抵抗を極限まで減らした――要は身体のラインが完全に分かるほどフィットした代物で、おまけにレイは胸にパッドを入れていなかったのだ。
 尖ってはいないが、乳首はくっきりと浮き上がっており、透けてこそいないものの秘所の形もはっきりと見て取れる。
「似合う?」
 くるりと一回転してから、濡れた身体のままシンジの首に艶めかしく腕を巻き付けた姿は、どう見ても買い物に行く前とは雲泥の差がある。
「あ、な…な、なにやってんのよっ!!」
 やっと出た第一声がこれであった。
「何って、愛情表現よ。妹としては当然でしょう」
 至極当たり前のように言うと、
「それよりアスカ、その水着を着せてもらったら?」
「え!?」
 あからさまに狼狽えたアスカが、
「そ、そ、そこまでは悪いわよっ。じゃ、じゃあ、あたし着替えてくるからっ」
 水着を掴み、小走りに走っていく後ろ姿を見送ったレイが、くすっと笑った。
「で?」
 腕が巻き付いたのみならず、水着越しに肢体が押しつけられている。
「泳いで身体が冷えてしまったの。だからお兄ちゃんの熱い口づけを」
「ふーん」
 更衣室に入ったアスカが服を脱ぎ終えた時、派手な水音が上がった。
「派手な音ねえ。腹でも打ったんじゃないの」
 数分後、着替え終わって出て行ったアスカが見たのは、俯せのまま、ぷかぷかと浮いているレイであり、
「あの〜、これは?」
 おそるおそるシンジに訊くと、
「ぷかぷかレイ」
 面白くもなさそうに言ったシンジが、くいとコーヒーの缶を傾けた。
 
 
 
 
 
(続く)

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