第七十六話
 
   
 
 
 
 
「お嬢様、少し悪のりが過ぎませんか?」
「悪のり?」
 サクラの声に、ユリは書類をめくっていた手を止めた。
「あの二人は、シンジさんに任せて置いてもよろしいでしょう。わざわざ、三つ指などと吹き込むのは良くありません。シンジさんを怒らせる気ですか」
 自分の部下だから当然立場は下なのだが、元々ユリに付けられていた性格面の教師みたいなものだから、この口調で言われるとそっぽは向きづらい。
 ただし、そこはユリである。本来なら深窓の令嬢となっていた娘も、たっぷりと毒の花を付けた妖華へと成長してしまっている。
「唆したのは私だが、真に受けたのはあの二人よ。シンジがデモ隊を組織してこの病院へ、焼き討ちに来ることはあり得ないわ」
「どうしてです」
「アスカとレイは、それが持つ本来の意味を知らずに実行した。それに対してシンジが怒れば、自分達の行為が受け入れられなかったと気付くことになる。それを知って尚、強攻するシンジではないわ」
「……」
 何よりも、とユリは妖しく笑った。
「シンジにはアオイがいるわ。アオイがいる限り、シンジの暴走はあり得ない。アスカにはもう妹の暗示を掛けてある。シンジにあの二人をふりほどくことは出来まい。当分は、シンジが色々と苦悶する姿を見て楽しむつもりよ」
「…お嬢様」
 表情のきつくなった美貌を制するように、ユリはすっと手を上げた。
「私の暗示はシンジが解くことになる」
「え?」
「今回、アスカとの第一接触には、シンジのクラスメートを使用した」
「鈴原トウジとか」
「そう。要するにダミーだが、予想以上にアスカは冷静だった。私の予想では、やや好戦的だと思っていたのだが」
「両親を亡くしたのが堪えましたか」
「それはない」
 ユリは軽く首を振った。
 緑の黒髪が妖しく揺れ、辺りにふわっと艶が散った。
「加持リョウジがアスカを煽ったのは分かっている。だが、元が違いすぎるのだから、煽りきれる訳はない。おそらくアスカには、万が一という僅かな不安があったのだ」
「シンジさんが自分より遙か上、と言う事ですか?」
 訊ねながら、サクラはまたいつものパターンに引き込まれているのを感じていた。ユリがろくでもない事を――難病によって死の淵まで行った娘を引き戻し、そのまま自分の手元まで引き寄せたり――企んだ時、きつく言ってきたのだが、その度にいつの間にか話がずらされ、大いなる目的の元に行われた事になってしまう。
 それに加えて、一度もクレームが付いた事が無いというのが、ユリの暴走に拍車を掛けた。気に入った娘には片っ端から手を付けながら、それでいて洗脳も無しに本人達から意義が唱えられる事はないのだ。
 しかも、柔かで瑞々しい肢体も、飽きればすぐに手放す非道ぶりだが、にもかかわらず両親は愛娘に起きた異変を察知する事が出来ない。
 要するに、完全犯罪なのだ。
 幽冥境を異にした娘の躯を抱くより生きた愛娘の方が良かろう、とこれがユリの口癖であり、またそれをしてのけるだけの力量も持っていた。
 これでこの性癖さえなければ完全なのだが、生憎と人格と力量を兼ね備えた医者など存在しない。
 人格が出来ていれば藪医者の仲間であり、優れた力量があれば人格は歪んでくる。
 内心でため息をついたサクラに、
「私の人格を嘆いていたね?」
 ユリは見透かすような視線を向けた。
 慌てて首を振ったサクラだが、
「私に付けられた唯一の目付役のお陰で、私もだいぶ見抜く力は上達した。サクラのおかげよ」
「お嬢様…」
「話を戻そう。もしも、加持リョウジの言葉を単純に受けて、サードチルドレンに突っかかるようなら、アスカはその程度と言う事だ。そしてアスカの反応は、それとは異なっていた。つまり、アスカはそこまで間抜けではなく、シンジもアスカを認めたと言うことだ」
「どうしてそうなるんです」
「癪に障る話だが、黒服を百人付けるよりレイと一緒に置いた方が、アスカの安全は保障される」
 癪に障るのはレイではなく、もう一つの人格であろう。
 稀代の妖女だが、こればかりはユリにも手の打ちようがない。ある少年のもう一つの人格を巡って、目下戦っている最中だが、この娘の三角関係など見られるとは思わなかったと、サクラは内心でうっすら笑った。
「実際の所、アオイとシンジがその気になれば、アスカの完全なダミーを創り出す事は難しくない。放置して置いてよからぬ輩に襲われ、身体と精神両方にダメージを受けて寝込んだ娘からならば、命令には絶対服従し、尚かつ元の能力を持ったダミーを創り出す事が出来る。だがシンジはそれをしなかった」
 普通なら、なんたる例えだと赫怒するところだが、そこはユリとその付き人である。
 鬼籍から患者を連れ戻す腕前は、そのまま人格を代償としているし、そのユリに付けられた娘もまた並の感覚ではつとまらない。
「でも、それだけでは」
「十分よ」
 ユリの整った口許に笑みが浮かんだ。
「シンジはレイの面倒を見はしたもの、最初はあそこまで積極的ではなかった。シンジの性格を考えれば、かなりの認知度だ。能力的にはレイを上回っているのに加え、副作用がないのも大きい。それに、二人に任せてさっさと帰るという野望は、未だ残っている。害がなければ、さっさと取り込んで使うはずよ」
「使う?」
「自分の後継者に」
「……」
 それがよく分からない。どう考えたって、アスカとレイを掛け合わせて、シンジ以上の物になるとは思えないのだ。
 子供の陣取りゲームならまだしも、言ってみれば人類の存亡を賭した戦いであって、頼りない小娘二人に任せられる状況ではない筈だ。
 何よりも、二人の敗北は人類の壊滅を意味しているのだ――無論、自分も含めて。
「シンジには無論、自殺願望はないわ。ただ、生への執着という点に於いては、通常の何分の一かに希釈されてるのは間違いない」
「それは、もう一人の影響ですか?」
「違う」
 ユリは首を振った。
「単に、シンジの性格から来ているのだが、根本的な理由は別の所にある」
「別の所?」
「シンジが碇ユイを憎悪している理由だ。そして、それを本人が知らないのが最も大きな原因かもしれない」
 本人、とは普段サクラが見ているシンジであろう。
 既に鬼籍に入ってはいるが、シンジがユイを憎悪しているのは知っている。
 だが、それがシンジの性格に大きな影響を与え、しかも本人がその理由を知らないとは、一体どういう事なのか。
「私の興味はその先にあるのよ」
 とユリは言った。
「その先?」
 聞き返しながら、サクラは何となく嫌な予感がしていた。
「シンジが全てを知った時、コアをどうするかだ。中味の抽出を要請してくる可能性は高いが、完成させるかどうか。礼をするなら、不完全な肉体のまま取り出し――」
 やっぱり予感が当たったと、サクラが口をおさえたのだ。
「お嬢様、もう結構です。ただし、あまり猟奇的なオペはなさらないで下さい。よろしいですね」
「分かっている。せいぜい、怪談レベルにしておくわ」
「……」
 どうやら、分かっているのレベルが根本的に違っているらしい。
 
 
 
 
 
 餅搗きを課題とした次の日の夕方、シンジはサツキの家を訪れた。
「うげ」
 とシンジが洩らしたのは、混ざり合った数種類の甘い匂いと、そこへスパイスとして混ざった焦げた匂いのせいだ。
 どうやら、餅の消費に使用された結果らしい。
 サツキが当直でいないのは分かっている。
 勝手に上がり込み、部屋に入ったシンジは、
「冷凍マグロが二匹?」
 と呟いた。
 その眼前には、少女達が奮戦空しく敗れ去った痕跡が展開しており、生産に加えてその消費まで義務づけられた彼女たちの悲運が漂っていた。
 餡や黄粉のオーソドックスな所に始まり、甘い物は一通り試したらしい。
 甘味による攻略は諦め、汁粉から雑煮へ移行したのだがそこで力つきたようだ。
 ただし、
「……」
 鍋の汁を一口飲んだシンジの眉が、毛虫のように震えたところを見ると、単に量的な物だけではなかったと見える。
 何故か、顔は綺麗だが手が黄粉に彩られた二人を見て、とりあえず起こすべく揺り起こす。
「ほら、こんなところで寝たら風邪ひくからさっさと起きて」
 数回揺すると、アスカがうっすらと目を開けた。
「お疲れさま」
「うん…」
 アスカがぼんやりした表情のまま、身体の下からもぞもぞと何かを取り出した。
「信濃大佐が…」
「分かってる」
 頷いたシンジだが、羽毛の生えた苦虫を噛んだような顔になったのには、気付かなかった。
 幸いだったろう。
「ちゃんと…やったから…」
 お疲れさん、とその頭を撫でたシンジが、アスカの腰に手を当てて、よいしょと転がす。疲労の極みで、ぴくりとも動かない二人が並んだ様は、まさしく魚市場に水揚げされたセリを待つ本マグロそのものである。
「しようがないから、今日は僕が片づけてあげる。でも、明日からは自分達でやるんだからね」
 立ち上がったシンジが、木製の臼へおもむろに手を掛け、持ち上げようとした瞬間その腰で妙な音がした。
 
 
「よう、どうだったい?」
 インスタントラーメンと薬缶をぶら下げて入ってきたミサトに、リョウジは軽く手を上げた。
「別に。上出来だって」
 素っ気なく言うと、ミサトはベッドの上にラーメンを放り出した。
「いてっ、おいおい考案者にそれはないだろ。冷たいなあ」
「あんたの頭の中味よりましよ。あんたなんかに付いてたせいで、あたしはもう少しであの世行きだったんだからね」
「あの世〜?」
 物騒な台詞に、さすがにリョウジも身を起こした。
「経済には疎いあんたでも、信濃ヤマトの名前くらい知ってるでしょ」
「一応な」
 一応、どころではない。
 表向きは、日本の政治へ代々影響力を持ってきた家系ながら、その実は優れた暗殺者を生み出してきた一族と知った時は、仰天したものである。
 アオイとシンジについて、完全な調査が出来なかったのもヤマトのせいだ。まるで、厳重なプロテクトの掛かった企業秘密のように、それは厚いベールに包まれており、しかも文字通り触れる者を容赦なく断つベールであった。
「信濃財閥の総帥で、シンジ君の後見役だったと思うが」
「後見役、じゃなく祖父だったのよ。さっき、夫婦揃って本部に来たわ」
「何!?」
 わざわざ乗り込んできたのなら、単に様子見ではあるまい。
 例え超法規機関であるネルフでも、ヤマトがその気になれば自由に口を出せる。あるいは、もう既に自分のことも調べが付いているかも知れないと、思わず枕の下に手を伸ばし掛けたリョウジだが、
「もういないわよ」
「え?」
「なんか、家のレベルがどうとか言って、奥さんの方が殺気立ってたんだけど、シンジ君が追い返しちゃった。総理に呼ばれてるとか言ってたわ」
 呼べるわけはないな、とリョウジは内心で呟いた。
 自分の首の据わりに多大な影響を持つ老翁を、命令して呼べるような総理など存在しない。
 数度の依頼も無視されていたのが、シンジの様子を見に行くついでならばと、ヤマトが重い腰を上げたのだろう。
 ただ、リョウジは気付いていない事がある。
 確かに、ヤマトがその気になれば、ゲンドウの首をすげ替える事も出来るし、解体とまでは行かなくとも、組織全体に手を入れる事も出来る。
 しかし、ヤマトは無論の事、今ネルフにいるアオイやシンジにも、そんな気は全く無いと言うことだ。
 アオイやシンジに取って、権力というのはつゆほどの魅力もなく、要は自分達の足を引っ張るかどうかという点に尽きている。
 第一、そんな物に執着するならさっさとやっているし、何より武器もろくに揃えず前線に送るような組織になど、来させたりするまい。
 出来ると言う事と、それを実行することは別問題なのだ。
「アスカやレイと踊るシンジ君か。一度見に行っておかないとな」
 踊る暗殺者(アサシン)――小説の一節にでも付きそうなネーミングだが、ミサトは首を振った。
「僕におけさ踊りをやれ、と?」
「え?」
「シンジ君がそう言ってたのよ。交渉の余地なんて、全く無かったわ」
「じゃ、どうなったんだ?」
「餅搗きよ」
「も、餅搗き?」
 リョウジは一瞬耳を疑った。空耳かと思ったのだ。
 だが、間違いではなかった。
「も・ち・つ・き」
 ミサトはゆっくりと繰り返した。
「一升の餅米を搗いて餅にして、捏ねて団子にするまで二十分以内ですって」
「餅搗き…か…想像も付かない手段に出てきたな。しかしなんでまた餅なんだ?」
「フィーリングみたいよ。二人が訓練をやるって言ったら、テレビを見て決めてたわ」
「……」
(分からん)
 ミサトの発案でないこと位、シンジ達ならすぐ気付くだろう。自分がスパイである事は、既に知られていると思っていたから、その策を却下してどんな手を打ってくるか、密かに楽しみでもあったのだ。
 それがあっさりと通ったばかりか、餅搗きを選んだという。
 分からないでもない。
 餅搗きなら、イヤでも呼吸を合わせないと上手くいかないし、呼吸の揃い具合で出来上がりなどがらっと変わってくる。
 上手く出来れば気分はいいだろうが、ただし少々強制力が薄いような気もする。
 と思ったら、
「上手くいくまで、食べ物は全部餅で飲み物はお茶ですって」
 それを聞いた時、今度こそリョウジは絶句した。
「し、信じられん…」
 十数秒後、やっと声を絞り出したリョウジを見て、ミサトがうっすらと笑う。
 その顔は、一人の男を見る女の物であった。
 ただ、本人は気付いていなかったが。
 
 
「なんか…すごく楽になってる」
 起きあがったアスカが、ぐるぐると腕を回すと、確かにさっきまであんなに重かった腕がかなり軽くなっている。
 シンジが触れる前は、殆ど石化している感すらあったのだ。
「楽になった?」
「う、うん…ありがと」
 お節介な上司を持つとこっちまで迷惑する、と一瞬言いかけたのだが止めた。なお、この場合の上司とはミサトの事ではない。
「飛ばしすぎて、明日から使い物にならなくなっても困るからね。さて、後かたづけしておかないと」
 加療中、あらぬ方向から飛んで来たレイの脚がシンジを直撃し、後頭部に痛烈な一撃を与えた。
 どう考えても、脚が曲がる角度ではないにもかかわらずだ。
 レイは軟体動物ではない。となると、答えは一つだ。
「レイはいいの?」
「いい。後で拉致していくから」
 シンジの奇妙な返答に、アスカの表情が動いた。
「ふーん…い、家に泊めるの?」
「二時間で戻るよ。ご休憩だ」
「そう」
 アスカの微妙に安堵した表情と返事に、シンジは外した事を知った。
 ご休憩の意味は通じなかったらしい。
「どうかした?」
「う、ううん、ただサツキさんがあたしの事守れってレイに言ってたからさ」
「で?」
「え?」
「いや、今一瞬ほっとした顔しなかった?」
「き、気のせいよ気のせい。疲れてるんじゃない?」
「君よりは疲れてないと思うけど。ま、君の身はちゃんと守ってくれるよ。五十人までなら絶対に寄せ付けない」
「何の事?」
 アスカが訊いた時、扉が開いてサツキが入ってきた。
「あ、シンジさん今帰りました」
「うん、お帰り。これ、ちょっと借りるからね」
 肩に担いだ“これ”に視線を向けると、サツキは頷いた。
「いいですよ、一晩中でも。アスカ・ラングレーは私が見てますから」
「頼む。そんなに掛からないから。ご休憩だよ」
「え?」
 ちらりとアスカを見たサツキが、にっと笑った。
「シンジさん、外しましたね?」
「…やかましい。アスカ、サツキなら五十人まで大丈夫だ。じゃあね」
 冷やかすような口調に、シンジの眉がきゅっと寄った。
 シンジがレイを担いで出ていった後をじっと見つめていたアスカに、
「アスカ・ラングレー、心配か?」
「い、いえ別に」
「安心しろ、シンジさんはレイになど用はない」
「そ、それはどういう…」
 サツキはそれには答えず、
「いずれ分かる時がくるだろう。それにしても」
 部屋の中を見回して、
「すっかり綺麗になったな。シンジさんに手伝ってもらったか」
「う、うん…」
「だが、まだ甘い匂いは消えておらん。あたしには少々鼻につく」
「すみません」
「別に構わん。アオイ様から、お前達の事は頼まれているからな。ただ、匂いは消しておかんとな。お前もつき合え」
「え?」
 サツキが取り出したのはブランデーの瓶であった。
「ドイツ育ちなら、飲めない事はあるまい?」
 
 
「マヤは、まったく覚えていないそうよ」
 キッと睨んだつもりだが、眼力が落ちているのは自分でも分かっている。
 まして、相手は自分とまったく同じ姿形をした女と来ている。
「自我を保ったまま、急にあれだけ淫らになったら困ると思わない?少なくとも、私はそう思うわ」
「……」
 にせリツコは、まだ書類から顔を上げない。
 もう表舞台に出ないと言った筈のにせリツコが、どうしてここにいるのか。
 無論、自分から来たわけではない。リツコが、つまりオリジナルの方からやって来たのだ。
 その顔が上がった。
「シンジ様は、餅搗きを選択されたそうよ。正月行事の一つね」
「餅…なんですって?」
「餅搗きよ。聞いてなかったの」
「いえ、聞いていたわ。ごめんなさい…」
 歯切れが悪いのは、謝った事への抵抗感ではない。リツコもまた、事態が掌握出来なかったのだ。
 何がどうして餅搗きなのか、さっぱり分からない。
「あの、どうして…」
 言いかけたら、
「アスカとレイに任せられるようね。正月行事はその訓練よ。一升を搗いてこねて二十分以内に仕上げる。完全に出来るまで、食料は餅のみ、飲料はお茶だけだそうよ」
「な…」
 さすがのリツコも絶句した。
 どう考えても無謀すぎる。大体、どんなに好きな物だって、三食そればかりなら、あっという間に飽きが来るではないか。
「ただ、実際には厳密に時間指定ではないわ」
「どういう事?」
「十四歳の小娘二人が、一升を搗いて仕上げるまでに二十分では相当きつい筈よ。それよりはむしろ、二人のコンビネーションでしょう。あの二人、妙に張り合ってたみたいだから。いくら仲が悪いとは言え、三大欲求の一つを取り上げられては、協力せざるを得なくなるわ。それにいざとなれば、二人を下ろしてしまえるし」
「下ろすって…あなたと同じなの?」
 にせリツコはふっと笑った。
「あなた程度だから、私で十分なのよ。シンジ様が、作戦のパートナーにあの二人のダミー如きを使うと思って?」
「そ、それは…」
「あなたは知らなくて良い事よ。知る必要もないわ」
「……」
 見下した言い方、と言うよりはこれが自分だったのだろう。自分もきっと、こんな言い方をしてきたのだ。
 俯いたリツコだが、
「セルフぱい舐め。だったかしらね」
 にせリツコの言葉に、その顔がぴょんと上がった。
「な、何を急に…」
「この程度のデータなら、送信するだけでよかったはずよ。それとも、端末に不具合でも生じたのかしら?」
「し、使徒に関する物だから、私が持ってきた方がいいと思ったのよ」
「それだけ?」
「そ、そうよ」
「それはご苦労様。今コーヒーを淹れるわ。飲んだらさっさと帰るのね」
「い、言われなくても今すぐに…あっ」
 ぐっと唇を噛んだリツコが、踵を返そうとした途端その手がいきなり掴まれた。
 抗う間もなく引き寄せられ、重ねられた唇から舌が入り込んでくる。疼きを伴った甘い感覚が全身へ広がりかけた所で、すっと顔は離れた。
「私はあなた――あなたの考えていることくらい、お見通しよ。あなたに私は読めないけれど。MAGIの管轄下に何も問題は無かったし、別に来る必要もなかった。そうでしょう?」
「そ、そうよ」
「もう一つ訊くわ。正月行事と聞いて何を連想したの?」
「べ、別に何も…あう」
 するりと滑り込んだ指が、乳首をきゅっとつねったのだ。ブラジャーは、最初から着けていない。
「正月早々、ノーブラで来て、しかも触られる前からもうこんなに硬くしてるくせに。もう一度だけ訊いてあげるわ。何を連想したのかしら?」
 にせリツコの指摘した通り、乳首は触られて硬くなったのではない。その前からもう疼いていたのだ。
「ひ、姫始めよ…」
 リツコは蚊の鳴くような声で答えた。
 その肢体がびくっと跳ねたのは、その直後の事であった。にせリツコが、今度はスカートの中に手を入れたのだ。
 あまつさえ、ショーツの中まで侵攻してきた。
 さすがのリツコも、ノーブラとノーパンで出歩くほどに痴女化してはいない。
「それで、ここももうこんなになっちゃったわけね」
 抜き出した指には、ねっとりと液がまとわりついている。
 にせリツコが、紅い舌でぺろりと舐め取った瞬間、もうリツコは抑えが効かなくなった。
「お、お願い…も、もういじめないで…」
 涙さえ浮かべた姿には、もう冷静沈着な科学者の姿など微塵もない。
「少し焦らし過ぎたかしらね。いいわ、疼いた身体で帰すのも可哀相だし、相手してあげる。ただし、お相手はこの子達よ」
 さっとカーテンが引かれ、わらわらと現れた者達に、リツコの口から絹を裂いたような悲鳴が洩れた。
 
 
「ちょっとふらつくんだけど」
「愚か者、お前如きがわらわを担ぐからじゃ。最初から分かっておったであろうが」
「まあ、それはそうなんだけど」
 マンションを出た所で、ぐいと引っ張られたシンジだが、担いでいるのがレイでない事は最初から分かっている。
 あの脚の曲げ方は、どうやってもレイには無理だ。肩から降りた妲姫だが、ただで降りるわけはなく、半分位の量は吸われたのである。
「で、わらわに何の用じゃ」
「レイはおまえを見えないけど、おまえからは見えてるんだろ。あれはどうだった」
「あれ、とは何じゃ」
「使徒のコアだよ。僕の読みで合ってたのかい」
「間違いじゃ」
「あ、やっぱり。でも、コアが二つあるのなら最初から分かれて来た方がいいと思うんだけど」
「それは二つではない。潰さねばならぬ所が、ずれておっただけじゃ」
「合ってるじゃないか」
「その後が間違っておるわ。あんなもの、わらわなら一人で片づけてみせる」
 普通に考えれば、零号機単体と言う事なのだが、この女の場合は生身でと言い出しかねないから怖い。
 シンジがどうあがいても、使徒を生身で倒すなど不可能である。
「後学の為に訊いておくんだけど、どうやるの?」
「教えぬ」
「は?」
「なぜ、わらわがお前に教えねばならんのじゃ」
 つん、と取り澄ました美貌に、
「けち」
 と言ったら、じろりと睨まれた。
 殺気よりもむしろ艶が強く、こんな視線で睨まれた日には、死んだばかりの死人なら股間をおさえて起きあがりかねない。本人の意志と言うよりは、容貌に対してレイの肢体のままなのに加えて、まだ十分な量を吸っていないせいだろう。
「言い過ぎました。教えて下さい」
 下手に出てみたら、
「吸わせよ」
 要求は単純であった。
「わらわはお前に足りぬ知識を与え、お前はわらわに精を与える。これ以上に公平な話はないであろうが」
「断る」
「何じゃと?」
「普段ならともかく、猫に暴れられたらレイちゃんが迷惑だ。そこまでして聞き出そうとは思わない」
「ほう、では好きにするがよい」
 珍しく物わかりがいいと思ったが、そんな筈はなかったのだ。
「わらわがその気にならねば、レイは戻れぬ。この身体で我慢すれば良いだけのことじゃ。気が済むまでこの姿で居るとしよう」
 今度は、微妙な脅迫に出てきた。
「これだから猫は嫌なんだ。性格がねじ曲がってるから」
「そのわらわの身体に居るのは綾波レイで、そのレイを溺愛しているのはお前じゃ」
「誰が溺愛だ。溺死と溺愛の区別も付かないくせに」
 不毛な議論の結果、シンジは一人で帰ってきた。
 玄関で蹌踉めいたシンジを慌てて支えたアスカだが、
「あ、大丈夫。ちょっと吸われただけだから」
「す、吸われたってレイは?」
「夜の街を闊歩中。ただし、本人じゃないけどね」
「え?」
 サツキを見たアスカに、言った通りだろう?とサツキは頷いた。
 ふらふらとアオイの家へたどり着き、そのまま泊まったシンジだが、朝一番でサツキに電話を入れると、まだ帰っていないとの答えであった。
「あんな奴を信用した僕が馬鹿だった」
 と、ぶつくさぼやきながら家に戻ったシンジが見たのは、玄関へ逆さまに脱ぎ散らかされた靴と服であり、寝室へ入ったシンジの目に飛び込んできたのは、全裸のまますやすやと寝息を立てているレイの姿であった。
 ある程度予想していたのか、別段驚いた様子は見せなかったシンジだが、裸の肩に触れてすっかり冷え切ったのを知った時、初めて表情がきつくなった。
 裸のまま、放置したのは許せなかったらしい。
 肩口まで毛布を掛けてやると、レイがうっすらと目を開けた。
「お兄…ちゃん?」
「おはよう」
 小さく頷いたレイが自分の姿に気付き、小さくきゃっと叫んで中へ潜り込んでから数秒後、リスのようにそっと顔を出した。
「身体がだいぶ冷えてる。お風呂入って」
「うん」
 頷いたレイが、
「あの…起こして?」
 シンジが手を差し伸べると、その手を取って頬に押し当てた。
「お兄ちゃんの手、とても暖かい…」
「……」
 シンジの手を取ったまま、三十秒ほどレイは動かず、シンジも急かそうとはしない。
 やがて起きあがったレイだが、裸のまますたすたと歩き出したから、
「こら、下着は」
 と言ったら、
「私の裸きれい?」
 くるりと振り返った。
「……」
 シンジの視線に慌てて、
「い、行ってきます」
 ぱたぱたと駆けていったレイの白いお尻を見ながら、
「やっぱり、あいつだけは剥離して処分だ。まったく、ろくな事教えないんだから」
 シンジは呟いた。
 レイにこんな影響を与えるのは、一人しかあり得ないのだから。
 
 
 
 
 
(続く)

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