第七十五話
 
 
 
 
 
「戦自に妙な動きがある?」
 アオイの膝の上で、シンジは閉じていた目をわずかに開けた。
「この間のJAが決定打になったみたいね。聞いた話では、どうやら関係者が全員脳に異常を来していたらしいのよ」
「脳に異常?そんなの元々じゃ…うぷ」
 タンクトップを大きく持ち上げている胸を、そのまま落として口を塞ぐ。顔を数回振って少しだけ出来た隙間から、はふっと息を吹きかける。
 アオイの形の良い唇が僅かに開き、吐息が漏れた瞬間に抜け出し、にゅっと手を伸ばしてアオイの顔を引き寄せた。
 アオイの舌を口の中に吸い込み、隅々まで舌でなぞる。小指の先でアオイの唇にそっと触れてから、
「妖姫のせいかな」
 と呟いた。
 お前なんか猫だ、と宣言したシンジだが、猫と呼ぶとアオイが気にするからアオイの前では呼ばない。
 同じ綾波レイの身体にある人格だが、正体は幾星霜を生きた稀代の妖女であり、レイなどとは根本的に違う。
 アオイとしては気になるらしい。
「関係者の証言からは事態が掴めず、記憶のスキャンを掛けたら完全に途切れていたらしいの。多分、本能が記憶を拒否したんでしょうね」
「あり得ることだけど、あの二人は?」
「さあ、どうかしらね。でも、あの二人を捕まえようとするほど、大胆ではないでしょう」
 あの二人とはネルフ側の関係者、ミサトとリツコの事だ。
「今、戦自が妙なものに手を出しているのよ」
「妙?」
「人型兵器」
「こんな所に馬鹿発見。そんな物創ってどうする気さ」
「決まってるわ――ネルフの鼻をあかすのよ。それ自体は大した事ではないのよ。それよりも、先だって長距離砲を借りに行った時、天井を剥がしたから初号機を持ち出したでしょう」
「僕が直したやつだな」
「あの時の担当者からお歳暮が来たの」
「中身は?」
「生ハム」
「……」
 数秒経ってから、シンジはむうと唸った。
「で、僕は食べた?」
「食べた」
 くすっと笑ったアオイが真顔になり、
「あの時の関係者が、全員処分された事が分かったのよ。一人残らず異動になって、その後消息を絶っているわ」
 すっとシンジが起きあがった。
「レイは放っておいても問題ない。猫に挑むなら、即自分の死刑執行令状にサインだ。問題はアスカだ――やはり、何としても敵愾心は除去しておかないと。もしも敵の手に陥ちて駒にでもされたら事だ。すぐに来るかな」
「大規模なそれはないと思う。でも、下見程度は来るはずよ」
「うん」
 それから五分後、アオイにがしっと捕縛され、あまつさえ耳朶を甘噛みされたシンジが、
「そこ弱いんだから…何なのさ」
「さっき猫って言ったでしょ」
「…あ」
 
 
 
 
 
「利き腕?」
 初詣に行く途中、腕を組んでもいい?と訊いたら頷いたから、シンジの右腕をきゅっと取ったアスカだが、左腕方面に送還された。
「そっちを組まれると色々不都合なんだ。やるなら左腕で」
 はあ、と頷いたアスカが、
「右腕に怪我でもあるの?」
 と訊いたら、
「利き腕だから右は困る」
 と返ってきた。よく分からない。
 ただ、ユリやレイが言っていた、シンジの右側を歩けないとはこの事かと、何となく気付いたのだがどうして断られたのか迄は、分からなかった。
 一方、その頃レイは後方にいた。
 ちょっとご機嫌斜めなのだが、一番の原因はアスカがこれ見よがしに腕を組んでいるからで、シンジがどうでも良さそうなのがまだ幾分救いであった。
 ただし、原因はそれだけではない。
「ちょっと裾を直すから先に行って」
 と言ったら、シンジがそのまま行ってしまったのだ。シンジとしては、レイは一人でも大丈夫とある意味で信頼しているからなのだが、レイとしては待つまでは行かずとも一人でも大丈夫かと言って欲しかったのだ。
 もっとも、実際は待ってもらっては困るのだが。
 レイの歩みを止めたのは裾でも下駄の鼻緒でもなく、妲姫だったのだ。
(レイ、歩みを止めよ)
(姫様!?)
(何でも良い、シンジを先に行かせよ)
(は、はい)
 言われるままシンジ達を先行させたレイが、
(あの、何かあったんですか)
(分からぬか、付けられておる)
 ハッと立ち止まろうとしたレイに、
(止まるな、歩き続けよ。それにしてもあ奴、わらわを利用するとはいい度胸じゃ)
(お兄ちゃんが?)
(あの小娘は、何の力もないから側に置いておる。お前なら、もし襲われてもわらわがおると、そう踏んでおるのじゃ――気に入らぬようじゃな)
(そ、そうではないけど…わ、私の事も心配してほしいです)
(愚か者)
 妖姫の一喝に、レイはびくっと肩を震わせた。
(ごめんなさい)
(まあよい。シンジはあの小娘を気に入っておるのではない。それ位は、見て分かるであろうが。お前も手放されぬとあれば、それは単に荷物扱いされておるのじゃ)
「荷物…」
 小さく呟いたレイが、首を振った。
 それにはなりたくないらしい。
 とは言え、それを分かっているのは自分と妲姫だけで、レイちゃんなら大丈夫とシンジが言ってくれた訳ではない。
 何よりも、いざとなればわらわがいると妲姫は言ったのだ――つまり、レイが完全に独り立ち出来ると見られてはいないのである。
 おまけに、実際問題としてシンジと腕を組んでいるのは、自分ではなくてアスカなのだ。これでシンジが嬉々としていた日には、この人混みの中でATフィールドでも使っていたかもしれない。
 と、不意にレイの足が止まった。
(ほう)
 妲姫の声がしたのである。
(姫様?)
(なるほど、あんな荷物とお前を連れて、のんびり歩くほど愚かでは無いという事か)
(はい?)
(付けていた気配がすべて消えたわ。どうやらシンジめ、予め自分のダミーを配しておったと見える。レイよ、もう良いぞ)
「はいっ」
 嬉々として走り出したレイだが、何せ履いているのは下駄である。
 アスカとシンジに追いつこうとした寸前、バランスを崩してよろめいた。
「あうっ」
 顔が地面にディープキスをかます寸前、その身体がすっと引っ張られた。
「お、お兄ちゃん」
 引っ張り上げたレイに、
「もういいのかい?」
 と訊いた。
「あの、姫様が…」
「そうかい」
 薄く笑って頷いたシンジが、じゃ行くよとレイの手を取った。
(お兄ちゃん…)
 ちゃんと分かっていてくれたのだと胸が熱くなり、こくんと頷いたレイだが、面白くないのはアスカである。
「ちょ、ちょっと何で後から来たレイと手なんて繋いでるのよ。先にアタシと腕組んでたじゃない」
「諸般の事情が出来た。ぼんやり後ろを歩いていたら、置いていこうと思ったんだけどね」
「何の事よ?」
「もう少し経ったら教える」
(むう)
 何か知らないが癪に障る。一番癪に障るのは、レイが取って代わった事よりも、何やら二人だけの間で合意しているらしい事情がある事だ。
「ちょっとレイ、行きはいいけど帰りはアタシだからね!」
「お兄ちゃん、あんな事言ってる」
「ん?」
「私よりもっと右が遠いのに、帰りはアスカだって」
「いいんじゃない」
「え?」
「僕は邪魔さえされなければ、どっちでもいいし」
「お、お兄ちゃん…」
 萎んだレイに、
「ほーらね、帰りはアタシに決まりだからね」
「だ、駄目。アスカより私の方が役に立つもの」
「はあ?何言ってんのよ、アタシの方があんたよりシンクロ率高いじゃない。正月早々寝ぼけてるんじゃないわよ」
「シンクロ率なんて言ってない。所詮アスカの発想ではその程度でしょう。だから私の方がいいの、どいて」
「あ、あんたこそどきなさいよっ」
 さすがに大声こそ出さないが、ぐりぐりと肘で押し合っている二人を見て、シンジがくすっと笑った。
「な、何」
「アスカってドイツにいた頃、誰かと喧嘩したり、ライバルがいた事はなかったんだよね」
「無いわよそんなの」
「レイちゃんも、クラスの中では誰かと付き合いとかなかったから、特に友達とかいなかったでしょ」
「う、うん」
「アスカが知ってるか知らないか知らないけど、日本には喧嘩するほど仲が良いってことわざがあるんだ。二人って案外気が合うかもね」
「『!?』」
 一瞬お互いを見た二人だが、すぐにそっぽを向いた。
「『だ、誰がこんなのとっ!』」
 シンジの笑みが一層深くなり、
「早いところ願掛けして、さっさと帰りますよ。暗くなると怖いからね」
 先に歩き出したシンジの後を慌てて追ったのだが、二人とも何となくシンジの言葉を意識したのか、牽制し合いながらも、シンジと手を繋いだりしようとはしなかった。
 なお、飛び交う五円玉の意味を聞いた二人が、先を争うようにして二十個ほども五円玉を投げ込み、延々と何やら祈っていたのだが、無論シンジは内容など訊かなかった。
 明らかに、訊いて欲しいという青白い光線を出していた二人であり、こんな時はうっかり訊くとろくな目に遭わないのだと、太古の昔から相場は決まっているものなのだ。
 
 
 翌朝、アスカとレイは非常にご機嫌であった。
 昨晩は、シンジの家に泊まる事こそ出来なかったが、外食は嫌だと言ったらシンジが食事を作ってくれたし、何よりも振り袖は突っ立ったままでシンジが脱がせてくれたのだ。
 ただし理由はあくまでも、アオイにもらった物が折れ曲がるからであって、ショーツは穿いているがブラは着けなかった二人を見ても――アスカが羞恥よりもレイに対抗する方を優先したのだ――シンジからはまったく反応が返って来なかった。アオイを見ているから、自分達ではまず無理らしいと諦めがついているのだが、これでアオイやユリがいなかったら、シンジには妙な性癖があると噂が立ったかもしれない。
「で、お前ら今日はどうするんだ?三が日はシンクロのテストもないだろう」
 サツキに訊かれ、
「多分、この間の使徒の事があるから、呼ばれると思います」
「この間?ああ、お前達がシンジさんの足を引っ張った奴だな」
「べ、別に足を引っ張ろうと思った訳じゃ…」
「アスカ・ラングレー、お前に言ったはずだ。向こうではどうだったか知らんが、こっちに来た以上結果だけが語るとな。どれだけ努力して、どんなにいい作戦を立てて善戦しようが、倒せなければ意味がない。お前達は最良の結果を出し、その為にアオイ様やシンジさんは出来る限りの物を用意される。そうだろうが」
「そ、それは…」
「私もちらっと聞いた限りだが、どうやら相互で補うタイプらしいな。お前がもし自分の担当を始末出来ていても、結局は同じ事だったはずだ。対策はどうする?」
「え?」
「対策だよ。考えれば分かることだが、相手の二体に対してお前達も二機で戦った。その時、奴らの動きは似ていたのだろう?」
 頷いた二人に、
「だったら、こっちも真似して対応すればいいだけの事だ」
「どういう事ですか?」
「二機の機体が、完全に動きを合わせるって事だ。多分、アオイ様も似たような事を考えておられるだろう。シンジさんが出れば簡単だが、お前達でやってみてはどうだ」
「あ、あたし達で?」
 こんな言い方をされてもアスカが突っかからないのは、サツキが根っからの極道だからだ。
 常人にはない凄みは、無論付け焼き刃では身に付かず、そしてサツキの場合は意識して抑えない限り自然とそれが出てくるのだ。
 アオイやユリとはまた違ったそれだが、アスカは完全に圧倒されていたのである。
「お前達、と言っただろう。いいか、もし今回お前達のどちらかがシンジさんと組むなら、作戦は成功するだろう。だが、お前達はいつまでもここで飼われているだけだぞ。それでいいのか?」
「で、でもお兄ちゃんがそうしなさいって…」
「馬鹿、それはお前が役に立たないからだろ。ネルフの黒服は役に立たんが、外した以上特にアスカ・ラングレー、お前は無防備だ。本来なら、半要塞化されているシンジさんの家が一番いいんだ。それを置かれていないのは――」
 じろりと二人を一瞥し、
「お前達が役に立たないと思われているからだ。些少な事だが、このままでシンジさんの右を歩くなど、夢のまた夢だぞ」
「『……』」
 二人共押し黙ったまま、ちらちらとお互いを窺っている。
 忌み嫌い合っているわけでない事は分かっている。ただ、アスカの来た時期が悪かったのだ。
 レイがもう少しシンジに認められていれば、もっと余裕もあっただろうし、アスカとそんなに張り合う事はなかっただろう。
 しかし、丁度レイはシンジの家を出された直後であり、一番不安定な時期であった。
 その時にやって来たアスカが、シンジに懐いてしまったのを見ては、レイに平静でいろと言う方に無理がある。
 サツキもそんな事は知っている。ただ、目下ウェールズではモミジが呼ばれるのを待っている状態であり、このまま二人が進歩しなければ、文字通りエヴァを下ろされる可能性があるのだ。
 実際、シンジと魂で繋がっているモミジは、エヴァを操れる可能性が高くシンジとのコンビネーションも申し分ない。
 適応性も非常に高いと考えられ、今の二人と比べると雲泥の差がある。
 相変わらず荒っぽいが、サツキなりに二人の事を考えてはいるのだ。
「それとレイ」
「はい?」
「お前がどう思っているのか知らないが、シンジさんがお前を外して、アスカ・ラングレーを代わりにする事はあり得ん。あるとすれば、“妹”なんて要らないと言われる事だ。そしてその可能性は高い。アスカ・ラングレー、お前もそれを忘れるな」
「……」
「じゃ、私は仕事に出かける。レイ、ガードは怠るなよ」
「はい」
 サツキが出ていった後、
「ガードって何のガード?この家に何かあるの?」
「それは…」
 ちょっと言い辛そうに、
「アスカの事よ」
「あたし?すると…あたしはあんたに守られるわけ?なんでそうなるのよ」
 ぴくっとアスカの眉が上がった。
「詳しい事は話せないけど…アスカを葛城一尉の家に置いたりしなかったのは、私に護衛させる為でもあったの。勿論エヴァを操る能力はアスカの方が上だけど、アスカは普通の女の子だから」
「…あんたは普通じゃないっての?」
 レイは小さく頷いた。
「……」
 アスカに取ってはプライドの傷付く話だが、レイを見る限り馬鹿にされている感じはない。
 何とか自分を抑えて、
「分かったわよ、あんたにも言えない事はあるんでしょ。でも、いずれちゃんと話してもらうからね」
「話すわ。お兄ちゃんがいいって言ったら」
「あんただけの問題じゃないの?」
「違うわ。私が妹って言ってるのも…それに関係ある事だから」
「ふーん。ま、色々と面倒そうね。それで、さっきの話だけどどうする?」
「さっきの話?」
「あんた、サツキさんに言われた事聞いてなかったの?上手く行けば、あんたが大好きなお兄ちゃんの家に戻れるって言われたじゃない」
「言われたわ」
「だったら…って何よその顔は」
「もしも私達が上手く行って使徒を倒して、じゃあレイちゃん帰っておいでって言われた時、アスカは誘われても絶対に行かないのね」
 ぴくっとアスカの表情が動いた。
「そ、それはまあ…さ、誘ってもらったのに断るのは悪いし…」
「じゃあ仕方なく行くのね」
 レイの赤瞳がじっとアスカを見つめる。
 こんな時、レイの瞳は通常より威力がある。血の色をした赤は、普通より怖いのだ。
「い、行くわよっ、あたしだって一緒がいいんだからっ。こう言えばいいんでしょっ」
「ほら」
「何がほらよ」
「あなただって一緒がいいんでしょう。私をダシにするのは良くないと思うわ」
「まったくもう…あんたのその瞳(め)って、普通より迫力あるんだから」
 ぶつくさぼやいてから、
「で、ダシって何?」
「……」
 
 
「とりあえず、自分の車くらいちゃんと乗りこなしたら?」
 シガーレットケースから一本取り出したシンジは、口にくわえてぽりぽりと囓った。
「シンジ君それ…」
「チョコレートだよ。煙の有害成分の殆どを他人に撒き散らすのが喫煙。そんな人畜有害な人種になる気はないよ。それで、何の用?」
 シンジの家に行ったらおらず、携帯も出ない。アオイに連絡したら、湖畔道路だから行ってみるように言われ、来たのはいいがシンジのランサーに完膚無きまでに千切られたのである。
 シンジが休憩所で車を止めなかったら、そのまま見失っていた可能性が高い。
「あのね、今度の使徒の件なんだけど――」
 話を聞いたシンジは、二本目のチョコを囓りながら何も言わなかった。
「あの…駄目かしら」
「いいんじゃない。僕は何となく、コアがずれてたんじゃないかって気がしてるんだけどね」
「それ、どういう事?」
「二体に同じ動きをさせて、追い込んで一つになった所を叩くって言うんでしょ」
「ええ」
「それはいいんだけど、最初に視認した時、コアが二つあるようには見えなかった。つまりその時点でアスカが叩き斬っていたから、本当はもう終わっている筈なんだ。でも終わってない。つまり、コアの中の基本的な部分が、左右のどちらかにずれていたんじゃないかと思ったの。そうでないと、二つに見えない上に斬っても死ななかった理由が分からない」
「なるほどね」
 そんな見方もあるのかと思ったが、取りあえず今は使徒を片づける方が先決である。些細な事は、終わってからゆっくり観察すればいい。
「それで、シンジ君協力してくれる?」
「僕に佐渡おけさでも踊れと?」
「そ、そんなんじゃないわよ。ちゃんと考えてあるわ。それに、どうしても駄目だったらやっぱりシンジ君にどっちかと組んでもらわないとならないから」
「その必要はありませんよ」
「え?」
「使徒の侵攻まであと六日ある。四日でクリア出来なければ、二人ともエヴァから下ろします」
「シ、シンジ君!?」
「代わりがいれば済む話です。ウェールズから、初号機のパイロットを呼び寄せます」
 愕然とした表情のミサトに、
「まあ、あの二人で用が済むならそれで結構。取りあえず意思確認しておきましょう。最初から嫌がるなら、今日にでも呼んでおきます」
 さっさと車に乗り込んでから、
「それと、踊りは却下ですからね」
 にゅっと顔だけ出して言うと、そのまま走り出した。
 
 
 四割の確率で、嫌がるだろうと思っていた。
 少なくとも、相手にシンジを指定してまたぞろ揉めると見ていたのだが、
「え、やる?」
「やります」「やるわ」
 二人からは予想外の言葉が返ってきた。
「どちらかがお兄ちゃんと組めば早いけど、そうしたらいつまでもお兄ちゃんの足を引っ張るでしょう。だから頑張ります」
「分かった。二人がそう言ってくれるなら、何も言う事はない」
 そう言って、シンジはちらりとアオイを見た。
 何か手を回したのかと訊いたのだが、返って来た答えは否であった。
 それにしては大した変化だと思った時、
「あの、お兄ちゃん」
「はい?」
 呼ばれてそっちを見たシンジは、唖然とする事になった。
「『ふつつか者ですが、よろしくお願いいたします』」
 アスカとレイが、揃って三つ指突いていたのである。
「ア、アスカ?レイ!?」
 これまた呆然としているミサトを余所に、
「可愛い娘二人に三つ指突かれちゃって。頑張ってね、シンジ」
 アオイに肩を叩かれ、シンジが我に返った。
「…君ら、それ誰に教わった?」
「『ドクターに』」
 返ってきた答えに、シンジの眉がぴっと上がった。
「あの藪医者もう許せん、天に代わって成敗してくれる」
 怪気炎をあげているシンジにアオイが、
「焼き討ちはいつでも出来るでしょう。それより二人にちゃんと説明してあげないと。折角二人がやる気になったのに、ほったらかしでは可哀相よ」
「それもそうだ」
 焼き討ちと打ち壊しは後回しと決めたシンジが、ふとテレビを見ると正月番組を映している最中であった。
「あれにしよう」
 ぽん、と手を打ったシンジが、
「餅つきね」
「『え?』」
 呆気に取られたのは、アスカとレイばかりではなかった。
「お、お餅…?」「つくの?」
「つかないでどうするのさ。やる事は単純だから。一升の餅米をついて餅にして、それを全部団子にする。これを二十分以内に終わらせる。今晩、僕とアオイがやってみせるから、その通りにやってみて」
「ちょ、ちょっと待って」
「アスカ何?」
「餅って食べ物でしょ?あたし、そんなのやった事無いわよ」
「それは知ってる。でも難しい調理がいる訳じゃないし、木製の杵が中途半端に重いだけだから。それともう一つ、ちゃんと出来るまでご飯とおやつ、その他の食べ物は全部餅だからね。飲み物もお茶限定」
「『え!?』」
 さすがにレイからも声があがったが、
「追いつめるには食生活が一番良いんだ。餅米はつけすぎると美味しくなくなるし、当然一人じゃ出来ないから、必然的に時間は合う事になる。それに、二人で交代でつく上に食べ物はそれしかないから、喧嘩なんてしてる暇はない。何よりも、餅しか食べられない生活は嫌でしょ?」
 揃って頷いた二人に、
「ただし、あまり時間はない。四日以内に成果が出ないようなら、今回の作戦は二人とも外すからね」
「は、外すってそれどういう事?一人でやるの?」
 シンジは首を振った。
「違う。初号機には僕の代理を乗せる。誰を乗せるかは極秘、君らは知らない相手だ」
「『……』」
 それを聞いて二人の表情が変わった。
 食べ続けや重労働よりも、下ろされるという方が余程答えるらしい。
「お兄ちゃん、やるわ。必ず成功させてみせる」
「あたしだって。ここまで来て、挽回しない内に下ろされるなんて絶対にイヤよ」
 結構だ、とシンジは頷いた。
「そこまでの気合いなら、僕が心配する事も無さそうだね。それと、終わるまで外には出られない。一日一回見物に来るから、要る物があったらその時に言って。僕の方で用意するから」
「じゃあ、お兄ちゃん」
「何?」
 シンジに近づいたレイが何やら囁いた直後、その頭に雷が落ちた。
「あう」
「この状況下で、そんな事が言えれば十分だ。アオイ、さっさと帰るよ」
 シンジ達が帰った後、
「あんた何言ったの?」
「生のお兄ちゃん…きゅっ」
 アスカがレイの首を締め上げ、
「やっぱりあんた要らない。あたしが組んでやるからさっさと成仏しなさいっ」
「そ、それはあなたでしょ」
 すぐにレイが絞め返す。
 無論、二人とも力は入れていない。
 二人してきゅっと首を絞め合っていたが、やがてどちらからともなく放した。
「やめよう。今からこれじゃ、先が思いやられるわ」
「そうね」
「取りあえず、作戦の間は仲良くしましょ。人類の為じゃなくて…あたし達の為にね」
 アスカが差し出した手をレイはしっかりと握り返した。
 
 
 そうは言ったものの、課題は餅つきである。
 その日の晩、アオイとシンジが寸分の狂いもなく、ぴったり十五分で一升を搗き上げ残りの五分できれいに団子にして見せた。
 まるで、同一人物が二人居るような錯覚さえ起こさせる連係プレイではあったが、実際にアスカとレイがやってみると、餅ではなくて指を搗いてみたり、重たい杵で尻餅をついてみたりと、非常に前途多難な事は明らかであった。
 完全にダウンした二人を残して、アオイとシンジは家を出た。
「シンジ、さすがにあれは無謀じゃない?いくら何でも難しいと思うけど」
「どっちでもいいんだ。もし、出来れば二人の底力が証明されたわけだし、無理ならさっさとモミジを呼び寄せる。上手く行けば僕は高みの見物、失敗したってモミジと組んで二日あれば、完全に乗りこなすさ」
 シンジはやや邪悪に笑った。
 
 
 
 
 
(続く)

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