第五十八話
 
 
 
 
 
「何故私が運転手を?」
 日本にもまだ水没していない無人島はあり、むしろ以前よりもその数は増えている。
 そう、以前と比べて人口が減ったため、島を捨てて都市部へ行く風潮が強くなった為だ。
 アオイは戦闘ヘリを操縦できるがシンジは出来ない。ユリはジェット機まで操縦できるが、シンジには無理である。
 年を考えれば、生半可な腕ではない車の操縦自体、それがシンジと言う事を考えれば刮目すべき事態だが、今日もまたユリの操縦でセスナに乗り、シンジ達はこの島に来ている。
「僕は操縦桿を触っても壊すだけだし、アオイちゃんはこの間墓石の破壊にアパッチを動かしてもらった。だから今日はユリさんに来てもらったのさ」
「戦車砲を撃ち込んだのは君の筈だが」
「運転手の話だよ。それより、折角来たのに白衣のまま?」
「臨床結果のレポートに、目を通す前に強制連行された。おかげで添削が済んでいない」
 張本人に視線を向けると、パラソルの下で白衣のまま書類に目を通し始めた。
 ただし、その白衣も普段よりは幾分短いが。
「ところでアオイは何処へ」
「着替えてもう来るはずなんだけど…」
 辺りを見回したシンジは綿パン姿だが、さっきからシルバーナイフをせっせと研いでいる所だ。無論研ぐのは真水だが、日光を反射する刃を見て満足そうに頷いた。
「そんなに研いで何を斬る?」
「女千人切り、もしくは刀の千人狩り。でも女の子を斬ると子孫が繁栄しないから、刀狩りにしよう」
 うんと頷いたシンジに、ユリはNASAがひそかに飼育中と噂される謎の生命体でも見るような視線を向けた。
「女を斬る−字が違うようだが」
「似たようなも…」
 言いかけてシンジの言葉が止まり、その口がぽかんと開いた。
「…は?」
 間抜けな声にユリの視線もそちらを向き、何故かひっそりと笑った。
 そこにいたのは火星人でも地底人でもなく信濃アオイだったが、問題はその姿にあった。格好は普通の水着−やや切れ上がったビキニだが、そんな事より水着のブラの方が激しく乳房に食い込んでいたのである。
 無論乳房は収まってなどおらず、小さな布きれとなったそれは乳首まで強烈に圧迫している。サイズが違いすぎるのは明らかであり、SM師の作品のような格好であった。
「良い水着ね、シンジ−少しサイズが違うみたいだけど」
 少し小さい、どころか相当締め付けられている筈なのに、アオイは顔色一つ変えていない。唖然としているシンジの所まで、羽衣を見つけた天女みたいな足取りでやって来ると、
「この柄を選んだのはシンジと私。注文しに行ったのはシンジ。さて、どこでまちがったのでしょう」
「…僕?」
 狐に化かされたみたいな顔で自分を指したシンジに、
「はみ出させる水着がお好みとは、意外な趣味もあったものだ」
 弄うような声は、無論シンジに向けたものだ。
「サイズ、幾つにしたの?」
「確か…72のC」
 ここで言う72とは胸囲、無論アンダーであり、アルファベットはカップを示す。
「正解ね」
 アオイは頷いた。しかし、正解ならどうしてこんなに食い込んでいるのだ。
「ただし、それはモミジよ」
「え゛!?」
「この間上下セットを頼まれた時に聞いたでしょう。それはモミジの数字よ、私とはアンダーも違うし、カップのサイズも幾つか不足よ」
「あー!」
 思いだしたらしいシンジが、
「そう言えば、特注って言ってたのに注文した時はすんなり行ったから、変だと思ったんだ」
「変なのは君の頭脳だ。サイズを間違えて注文するとは、どういう思考内容をしている?」
「うー…ごめんなさい」
 他の女と間違えるとは言語道断、塩をかけられて萎縮しているシンジに、
「ところでシンジ、私の胸がきつそうとは思わないの?外してくれると助かるんだけど」
「外します外します」
 どこで記憶の細胞が入れ替わったかと、内心首を捻りながらシンジが後ろを外すと、抑え付けられていた乳房が重たげにずしりと揺れる。まるで、水を得た魚のようになった自分の半裸を見ながら、
「葉っぱの水着は作る気にならないし、このまま泳いでくるわ」
 そう言うと、水音を殆ど立てずに飛び込んだ。
 そして。
「当たり前じゃ、愚か者が」
 律儀にもサイズが違いすぎる水着を着け、しかも脱いですぐ海に入ったせいで、アオイの胸はあちこち赤くなっていた。
「まあ良いわ、確か薬はあった筈じゃ。しかしアオイ、お前も一目見てわかったであろうに。まして着ければ尚更のこと、それを何故−」
 言いかけて、ヒナギクは孫娘のどこか楽しそうな表情に気付いた。
「もしやお前、最初からそれを見越していたのではあるまいな」
「内緒ですわ、お祖母様」
「愚か者、お前などに薬を塗布する程私は暇ではない。さっさとシンジに手当てしてもらうがよいわ」
「そうします」
 心なしか、嬉々としてアオイが立ち去った後、放り出してある鞄を手にした時何かが落ちた。
「ん?」
 落ちた紙片には注文内容と書いてあり、そこにはアオイの字で数字が記してある。
「これはアオイの字…やはりあの娘自分でし…」
 言いかけた時、部屋の入口に姿を見せた良人の姿に気が付いた。
「御前様、呼んで下さればすぐに参りましたのに」
「今、二人の様子を覗いてきたわ」
 ヤマトは籐椅子に腰を降ろし、
「アオイめ、シンジに薬など塗らせておったが−」
「アオイにも困ったものです。やはり、二人きりで放置して置いたのが…」
「良い」
 ヤマトは軽く首を振った。
「シンジのあの表情も、我らのみでは遂に引き出す事はできなかった。そうであろうが、ヒナギクよ。ふふ、シンジが事はアオイに任せるとしよう。良いな」
「御前様の仰せの通りに」
 例えいかなる事であろうと、この夫婦の間では夫が決めた事が絶対であり、ヒナギクは一度たりともそれに逆らったことは無い。
 そして、これからも無いであろう事を自らもまた、分かっていた。
「ところでヒナギク」
「はい」
「わしには分からぬ事だが、サイズの違う水着など窮屈ではないのか」
「それはもう…相当に窮屈なものです。まして、胸とあってはかなりの痛みも伴う筈ですが」
「そうか」
 ふ、と僅かに笑ったヤマトの脳裏には、先ほど見かけた光景が浮かんでいた。
 すなわち、半ば自作自演が発覚し、シンジにきゅっと絞められていたアオイの姿が。
 きっかけはどうあれ二人の戯れている姿と、そして何よりもシンジの表情とは、文字通り経済界の重鎮と言われ、政界にも大きな影響力を持つヤマトに取っては微笑ましいものであった。
 そう、自らはなしえなかったが、孫娘がしてのけたそれは。
 
 
 
 
 
「はい了解」
 携帯を切ったシンジに、
「どこから?」
「僕から。取りあえず学校の方は順調らしい。ま、僕だからね、へまはしでかさないと思うけど」
 会話だけ聞けば、傍目にはかなり奇妙である。
 その二人は今、地下水槽に来ていた。無論二人の前には巨大なレイの生け簀があり、幾多のレイがふよふよと遊泳中だ。
「これで三人目を作る、そう言ってたね」
「ええ」
「それで、後はどうするのさ。これは僕の想像だが、もうレイちゃんにこの身体を使っての補給は出来ない。自我を持たぬ人間を作って…それをどうする気だ」
「実験の失敗は、時として取り返しがつかない事もあるのよ。でもそれは、した方が失敗と分かっている場合だけだわ。おそらく赤木博士も小父様も−これは失敗ではなかったのよ。本来なら、自ら人間を作りだしたと知った時点で首でも吊っている所よ」
 緩やかに泳ぐレイ達−自我を持たぬ娘達を見ながら、アオイの言葉はLCLに溶け込むように聞こえた。
「ところでシンジ、それはそうと」
「ん?」
「この間ユリがここへ来たとき、この子達から反応があったと言っていたわ」
「この綾波レイの形から?そんな事は−」
 言いかけて、シンジの表情が動いた。
「ん?」
 水槽に軽く手を押し当て、それをゆっくり動かした。レイ達の視線もそのまま付いてくる。
「でもこれでは魚。事象に反応するのは生きるものの本能だから、それだけでは断定出来な…まさか」
 不意にアオイを振り向いた。
「ここの映像に、レイちゃんが入りに来た事が残っていたわ。でもあの子がここへ来るとは思えない。何よりも、歩き方も漂う雰囲気も、到底世間知らずの十四歳の娘の物ではなかった」
「すると猫…でもなぜ」
「ある意味便利かも知れないわ。いえ、楽になったと言うべきかしら。作るしか能のないここでは、この子達を全員処分することは不可能。でも、姫の為に自我に似た物が出来たなら…或いは普通の生活を持たせる事も出来るかも知れない」
「張任の例もあるよ」
「分かっているわ」
 中国の三国時代、当時はまだ流浪の将だった劉備玄徳が蜀を望んだ時、次々投降する諸将唯一、張任だけは名軍師諸葛亮に捕らえられても降伏せず、ついにはその首を刎ねられたという。
 責任だの何だのを考えるのはこちらの問題であり、或いは中の少女達が人の生活を与えられた時、その唇から呪詛がこぼれでないとは限らないのだ。
 ただし、現時点で碇ゲンドウがここからまた一人、引き上げて今いるレイの替わりをと企んでいるのは事実であり、アオイもシンジもそれを止める気はなかった。邪魔するのは簡単だが、そうなった場合この者達を皆滅ぼしかねない、それが二人の一致した見解であり、彼らを皆掬い上げてどうこうできる程にはまだ情報が不足しているのだ。
 何よりも、使徒を倒すと言うのは必然的に最優先事項であり、それにはシンジがアオイを対外的に立たせることを許さなかった。ゲンドウを、そして冬月を廃してアオイが全権を取ることは何ら難しくはない。ただしそれはシンジが認めない−あくまでも、側に置いておく事を望んだのだ。
 かなりお気楽な発想だが、エヴァに乗る事自体危機感からではなく、小娘に任せて敗れられては困ると言う思考の持ち主であり、この辺にもそれは表れていると言えよう。
「ただし人化させてから呪詛を投げられても、もう元に戻すことは出来ないわ−何が最善なのかしら」
「僕は超能力者じゃないよ」
「分かってるわ−訊いてみただけよ」
「……」
「もうじき、本体が新しい身体を取りに来るわ、帰りましょう」
 先に立ったアオイにシンジも続いたが、その顔はいつもとは違い厳しい物であった。
 別に、ゲンドウやリツコに義憤を抱いていたわけではない。そんな物は、天か地下にいるどなたかに任せておけばいい。シンジが言った通り、仮にこのレイ達をみな取りだして、この水槽を破壊しても生きられる身体にしたとしよう。その位は、現に綾波レイが普通に生活している以上出来るだろう。
 ただし−何も持たぬ者が不幸せ、とは限らないのだ。いやそれよりも、俗世を捨てた仙人のごとく自らの境遇に満足している事すらあり得る。
 虐待された訳でもないのに、産んでくれと頼んで記憶はない、などと口走る者は望み通りマリアナ海峡にでも捨ててくればいいが、人の生活を送らせてと言った記憶はないわ−もしも、この娘達に口を揃えてそう言われれば、さすがのシンジも取り返しようがないのだ。
 そして何より問題なのは、“なんとなくその感じが強そう”と言うことであり、かと言って人の姿をした少女を、こんな中で飼育していいものかはかなり問題がある。
「アオイならどうする」
 考えながら歩いていたせいで、やや距離が出来ていたアオイにシンジが訊いた。
「シンジを道連れなら、引きこもってもいいわ」
「…やだよ」
 
 
 
 
 
「お、おねがい…もう、止めて…」
「同じ身体のくせにだらしないわね、黙ってされてればいいのよ」
 毎回、殆ど秒と持たず果てたゲンドウのせいで欲求不満になったか、交代に来た筈のにせリツコはいきなりリツコを押し倒した。リツコ本体はまだマヤに手を出した事はなく、従ってレズの体験はない。
 あるのはダミーにいきなり襲われた事だけだが、マヤの時よりも激しく、しかも荒々しい責めにリツコの身体はもうぐったりと弛緩している。
 男にこれだけされれば、秘所など乾ききってしまいそうなものだが、同じ自分だけあってポイントを外さない責めに身体だけは勝手に反応してしまう。
 見つけたら思い切りとっちめてやろうと思ったのに、それどころではない。脚を交差させて秘所を絡み合わせる−俗に言う貝合わせの体位で、力無く倒れ込んだリツコを、にせリツコは冷ややかに見据えた。その視線と言い体躯と言い、第三者が見たら間違いなく間違える。このまま入れ替わっても何ら問題はあるまい。
 濡れた秘所を−リツコの愛液で−引き離すと、ぐにゅっと濁った音がした。
「これからも気が向いたら責めてあげる、と言いたい所だけど今日で解放してあげるわ」
「…え…?」
 かすれた声でリツコが訊くと、
「出来の悪いオリジナルに構っているほど、私は暇ではないのよ。せいぜい、あの早漏の愛人と仲良くしているのね」
「……なっ!?」
 一瞬リツコの顔色が変わったが、その時にはもうにせリツコはさっさと下着を身につけており、元が同一人物とは到底思えぬ程醒めた表情で着替えていく。危険な快感に覆われているリツコに、
「地下の綾波レイはつくりもの−どれも一人のレイを生かすために。あなたも用済みにして私が入れ替わっても良いけれど、この程度の仕事ではつまらないのよ。せいぜい自分が用済みにならないよう祈るのね」
 後に残されたのは気怠く身を横たえた、と言えば聞こえはいいが嬲られて完全にダウンしているリツコだけが残された。
 
 
 
 
 
「ただいま〜…って、誰もいないか」
 先だってシンジが、ミサトの半ダミーと共に片づけた部屋だが、持ち主の精神構造は変わっておらず、当然のようにゴミの猟場と化している。ゴミが獲物であれば、猟師はさぞ喜ぶに違いない。
 彼女自身、古くからのこの街の住人ではなく、ネルフの仕事も楽ではないと言え、レイと住んでいるシンジは部屋が散らかることを許さず、片づけの概念の無かったレイが最初は戸惑った程だ。
 もっとも、レイはレイでミサトとは異なるものの、他人の家を訪れて玄関以外の部屋で風化したゴキブリの死体を踏まされたのは、文字通りシンジにとって初体験でありこれからもおそらくは無いだろう。
 この部屋でその類を踏んづけはしなかったから、同程度と割り切ればミサトの方がまし…かも知れない。
 しかし、そんな事よりもミサトにとっては、目下重要な事があった。
 記憶がないのだ。
 初号機が出撃した所へ、強力な光線が浴びせられたのは憶えている。が、そこで記憶の糸はぷっつりと途切れているのだ。
 気が付いたら病室で寝ており、何故か看護婦から冷ややかな視線で送り出された。飲み過ぎの自分は知っているが、だからと言って夢遊病でもあるまいし、酒断ちしたせいで詰め所をふらふらと襲ったとも思えない。
 妙な看護婦だと思ったが、ぽっかり穴の開いている自分の記憶の方がもっと奇妙である。首を傾げながら着替えようと服を脱いだが、腹部の大きな物以外に傷は見あたらない。
 無論、信濃アオイの名を持つ娘が、獲物に痕など残すような真似はする筈もなく、完璧に溶け込んではいるが、見えぬ聖痕のごとく確かにその首筋へと刻まれているのだ。
 やや浮かぬ顔でタンクトップに腕を通した時、
「いたっ!?」
 足に痛みを感じて見ると、放って置かれたペンギンがくちばしを以て抗議している。
「あら〜、ごめ…ん?」
 数日間、水も食料も無しに放って置いた筈なのに、何故か痩せていないのに気が付いた。普段から大した物は与えてないが、かといって断食のサバイバル訓練もさせてはいない。
 だが玄関は閉まっていたし、何者かが侵入した形跡もない。実質一日足らずでもう散乱の気配を見せている室内だが、ミサトは第三者の手が加わっていない事を見抜いていた。
「ふむ…」
 冷蔵庫の中にはビールとつまみのみだし、このペット用の冷蔵庫は無論空っぽだ。
 奇妙な現象なのだが、
「そっか、自給自足を覚えたのね。偉いぞ、ペンペン」
 エスパーじゃあるまいし、何をどうしたらそんな発想が出てくるのか、ミサトは置いていくなと抗議しているペンギンの頭をよしよしと撫でた。
 
 
 
 
「給餌はどうなってるのさ」
「ご覧の通りの部屋ですから、ろくな物はありません」
「じゃ、何とかして」
「分かりました」
 ふんぞり返って室内を眺めていたシンジの所にペンギンが運ばれて来た時、シンジは室内の惨状に給食状態が気になった。ビールでも飲めば取りあえず太るが、
「まさか、ビールが餌じゃないだろうな」
 冗談で呟いたが、笑えぬ冗談だと気が付いた。
「あのさ、餌用意しといて。保存食料のやつを」
「どうされるのですか?」
「一回会っちゃったし、飢え死にされると夢見が悪そうだ。保存できるのをその辺の戸棚にでも隠しておけば自分で何とかするでしょ。掃除が終わる前に買ってきて」
「分かりました」
 袋に入った猫用の餌を買ってくると、
「…ペンギンに猫の餌やってどうするのさ」
「多分大丈夫なはずです」
 思考はシンジでも身体と記憶はミサトであり、与えるとちゃんと食べている。
「なかなか器用ですから、南極物語の再現はできそうです」
「そ、分かった」
 この経緯があり、このペンギンが飼い主なくとも生活していけてるのだが、シンジはミサトに言わなかったし、当然ミサトもそんな事は知らない。無責任と読むか豪放と読むかは人次第だが、奇妙なロボットを指揮して得体の知れない敵と戦うには、このくらいの性格は必要なのかも知れない。
 ただし、指揮される側が似たような性格ならば、の話だが。
 少なくとも、ゴミが落ちるも鮮血で絨毯が染まるも同じ位嫌がる少年では、不適格なことほぼ間違いないと言えよう。
 
 
 
 
 
「学校が終わったら、レイを送ってさっさと帰ってこい」
 これがシンジの、ダミーに告げた命令であった。
 失敗するとは思っていないが、車がないとシンジが動けない。と言うよりも、アオイの車に乗ってもいいが、ダミーの車とすれ違ったりしては大変である。世間はまだ、ダミーと言う存在を認知してはいないのだ。
 双子或いは三つ子と言う手もあるが、シンジがそれを好まない。
 従って、授業が終わり次第早々に学校を出た。
「一緒に帰る?」
 レイに訊くと、顔をふにゃっと崩して頷いた。どうやら、放って置かれると思ったらしい。
 サツキのマンションに着いて、
「着いたよ」
 が、降りない。
 どうした、と訊くと袖を引っ張る。
「縮んでないから引っ張って伸ばす必要はない、伸ばすな」
 本人とは若干思考の元が違うから、どうしても普段とは幾分異なる。
「ごめんなさない」
 すぐに手を離したが、
「す、少しだけ上がっていって…」
「何故」
「ひ、一人は寂しいの…お願い…」
 下らんことを、と放り出そうかと思ったが、オリジナルはたまに奇妙な行動を取るから、携帯を取ってボタンを押した。
 すぐに出た。
「寄ってと言ってますが、どうしますか」
「……」
 数秒考えてから、
「寄り道して来て。ただし、僕は今から遊びに出るから、連絡するまで帰ってくるんじゃないぞ」
「分かりました」
 電話を切ったシンジに、
「…信濃大佐に訊いていたの?」
 さすがに、ダミーがオリジナルに確認していたなどとは、想像しなかったらしい。
「さて」
「信濃大佐、なのね」
 アオイが気になるのか、重ねて訊いてくるレイに、
「用がないなら帰るぞ」
「ま、待って、帰らないで」
 慌ててレイが降りてから、
「あるいは−マスターの方が危険だったかも知れないな」
 ダミーのシンジが呟いた事を、無論レイは知らない。
 
 
 
 
 
 結局その日、ダミーは夕方になって戻ってきた。聞けば、レイは膝枕でぎゅっとシンジの袖を掴みながら眠ってしまったという。
「マスター、少し甘すぎましたか」
「んー」
 少し間があったが、
「そんな事はないよ。あの子の育成はあれで良かったのさ、お疲れさん」
 シンジの手が軽く動くと、ダミーは元の姿に戻った。
 
 
 そして数日後、第二東京へ向かう三人の姿があった。
 運転はユリで、アオイとシンジは後部座席にいる。
「あのさ、葛城一尉と赤木博士が呼ばれたのにどうして僕達が行くのさ」
「招かれざる客ではない、昨日電話があって招待された。黙って乗っていたまえ」
「あっそ、じゃあそうする。アオイ、おやつ頂戴」
「何が良いかしら」
「マロンケーキが確かあった筈だ、それにする」
「これね、はい」
「うんそれ…って、何をしている」
「食べるんでしょ?」
「何で膝枕で、その上自分で食べなきゃならないんだ。僕はやらないぞ」
 手を出そうとしないシンジだが、アオイはいつもの通り怒りもせず、
「じゃ、マロンは私がもら−」
「僕のだ」
 はいはい、とプラスチックのフォークでマロンを採り、シンジの口へ運んだ瞬間大きく車が揺れた。ブレーキング――それもフルブレーキだ――とステアリング操作により、車は140キロの速度でドリフトしたのである。無論、ユリの仕業なのは言う迄もない。
 しかし、きゃっとか、あっとか言う声が上がることもなく、特大のマロンはシンジの口に入り、
「メスの使い方ならともかく、ドリフトで私を揺らすのはまだ無理よ、ユリ」
 ユリの動きを完全に読んでいたアオイは、シンジの髪に軽く触れながらうっすらと笑った。
 
 
 
 
 
(続く)

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