第四十八話
 
 
 
 
 
 月明かりが差し込む病室には、僅かな虫の声だけが響いている。
 つい少し前、宙に陣取っていた使徒が倒された事も、そこにはまるで無縁に見える。
 あと僅かで、ジオフロントが貫通されたことも。
 そして、この地球(ほし)の覇権が入れ替わっていたかも知れないことを。
 更に、信じがたいような伎を持って、その使徒が撃退された事などは無論。
 眠っていた者が、その目を開けたのはふと虫の声が止んだ時であった。
「ここは…」
 ゆっくりと辺りを見回してから、その上体を起こした。
「そ、そうだ使徒は…つうっ」
 ベッドから降りようとして、肩先の激痛に倒れ込む。
 妖鷹の一撃に、本来ならあの世へ行っていてもおかしくない重傷だったが、本人にそこまでの自覚はない。
 叩き付けられた時点で、殆ど失神していたのだ。
「私…なにもできなかった…」
 自分が避けてと叫ぶしかない一方で、後ろから飛んだ声は、シンジを直前で救っていたのだ。
 あれがなかったら間違いなく直撃していた、それはミサトにも分かっていた。
「ありがと、アオイ」
 確かにシンジはそう言った。
 それが、どういう訳か、今まで上京してこなかった信濃アオイだと、薄れゆく意識の中で知った。
 アオイが、自分同様おろおろしてくれたら、まだ良かったろう。
 だが、たったの一言でシンジを回避させて見せたのだ。
 アオイと違い、シンジの能力を把握しきっていなかったのだ、と言えば言えない事もあるまい。
 が。
 部下の能力把握など、指揮官なら第一歩であり基礎の基礎である。
 堅く閉じた双眸からは、涙が筋となって流れ落ちた。
 唇の端から落ちた鮮血が、純白のシーツに染みを作っていく。
 肩を震わせて泣き続けるミサトの耳に、ふと僅かな音が聞こえてきた。
 看護婦かと思ったとき、すっとドアが開いた。
「あ、あなたは…」
「血は戻ったかしら?」
 その声を聞いた時、なぜかミサトはブランケットを引き寄せて顔を覆った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「何?碇が?」
 誰もいなくなっちゃって、とシンジは言ったが、その中の一人がここにいた。
 こっちはミサトとは違い、体を起こせるほどに回復してはいない。
 何しろ、運んでいったのは保安部の人間であり、そのまま医療室に担ぎ込まれたのだから。
 第一、自分の容態の原因も分かっておらず、それもなしに手当出来るほど、アオイの魔気は生やさしくない。
 実際、供給電力のセーブで、黒服達は汗ばんでいるというのに、冬月だけは毛布をかぶっているのだ。
 碇の息子とその連れ、に命運を握られる羽目にはなったが、安穏と見てはいられないと、モニターを持って来させて戦況を見ていた所だ。
 てっきり長距離射撃かと思ったら、重ねたフィールドで受け止めて、しかも弾いて見せた。
 初めてのシンクロに数ヶ月を要し、先だっては暴走さえした零号機。
 初号機のそれとは違い、実験上での物は、遙かに不安定である。
 おまけにシンジが脱走などした物だから、再起動実験すらろくにやっていない。
 幾ら綾波レイが使徒もどきだ、とは言えあんな事を出来るのかとなると、かなり疑わしい。
 いったい何の手品を使ったのかと、首をひねっていた所へ、ゲンドウが倒れて運び込まれたと言うのだ。
 それも、アオイの部屋を訪れた直後だという。
「信濃アオイ…いったい何をする気だ」
 言いようもない冷気に襲われながら、毛布をぎゅっと握りしめて冬月は呟いた。
 
 
 
 
 
 妖鷲は、今アオイの肩にはいない。
 地下シェルターで出た病人の治療に当たっている、ユリの所にいる。
 もっとも、いずれもさして重くないとの事で、一日寝ていれば直るだろう。
 ついさっき、街の明かりが回復し、また人の生ける所となった第三新東京。
 姐姫は、夜の街へと姿を消した−思い人とともに。
 シンジから吸精しなければ、本来の姿には戻らないと聞いた。
 吸血鬼のそれにならなければ、道行く通行人から血を徴収する事もあるまい。
 それに、今はシンジが一緒なのだ。
 アオイが好まぬ方であったとしても。
「血はもう元の量に戻っているはずよ。気分はどう?」
 すぐに答えはなく、ややあってから、
「し、信濃大佐…」
 押し殺したような声が、覆ったブランケットの中から洩れた。
「何?」
「か、覚悟は出来ています…ど、どんな処分でも…」
 それを聞いても、アオイの表情は変わらない。
 どこか無表情のまま、
「死にたいの?」
 少し冷ややかに訊いた時、ゆっくりとミサトが顔を上げた。
「覚悟は出来ています…でも…」
「でも?」
「せ、せめてひと思いに…」
「いい覚悟ね」
 アオイの手がすっと伸びて、ミサトの顔を持ち上げる。
 しなやかな指が喉に触れた時、ミサトはなぜか悦楽にも似た物を感じた。
 
 あたし、この指で殺されるのね。
 でも、あんな鳥の爪に掛かるよりはましだわ…
 細くて、なんてきれいな指。
 これなら…
  
 末期と悟ったとき、逃れるよりもむしろ進んで死を仰ぐ、時折人はそんな胸中になる事があるが、今のミサトはそれに近かったかも知れない。
 これが、自分と大差ないならともかく、はっきりと力の差を見せつけられては、もはやこれまでと、諦めきっていたのだ。
 が。
 いつまで経っても来ない。
「…?」
 おそるおそる目を開けた時、そこには月光に映えているアオイの美貌があった。
 頬に何かが触れ、それが爪だと知るには数秒を要した。
 つう、とアオイが手前に引いた。
 ぞくり、と背中に衝撃が走る−快感にも似たそれが。
「私はシンジにしか興味はないわ」
 ささやくようにアオイは言った。
 ミサトの顔に爪を当てたまま、さらに顔を持ち上げていく。
「特務機関での地位も、人類の敵を殲滅する事も私には興味ないの。それは、あなたがするといいわ。お父さんの敵でも何でも、好きに討ちなさい」
 父の敵、アオイがそう言った刹那、ミサトの肩がびくりと震えた。
「わ、私の事を…」
「知っているわ、少しだけれど」
「す、少し?」
 伏せていた視線を上げた事を、ミサトは痛烈に後悔した。
 いや、吸い寄せられたと言った方が正解かも知れない。
 まるで、待っていたかのようなアオイの妖視は、ミサトから肩の痛みさえ忘れさせ、微動だに出来ぬ物を持っていたのだ。
「例えばそう、ファザコンのあなたが別れた人、とか」
「わ、私は…」
「お父さんのこと、嫌いだったのでしょう。もしかしたら、嫌いなまま死ねたかも知れない」
 アオイの言葉を聞いた時、ミサトは指先から震えがくるのを感じていた。
「それなのに、最期にはあなたを助けて死んでいった。嫌いなのに好き、まるで子供の恋愛ゲームね」
 違う、と言ったとき、不思議と声は出た。
 アオイがすっと離れたのだと、ようやく気がついた。
「加持リョウジ、と言ったわね。ではどうして別れたの?」
 なぜそれを知っているのか、そんな疑問はもう起こらなかった。
 ただ勝手に口が動き、
「あ、あいつは…私に心を見せてくれなかったから…」
「嘘ね」
 冷たい、と言うよりも分析に近い口調でアオイは告げた。
「自分が分裂していたのよ、あなたの場合は。むしろ、自衛本能に近いかも知れないわ」
「じ、自衛本能?」
「一人の男、として彼を愛した部分と、本当はお父さんの面影を見ていた部分、その両方があなたの中に存在していた。だから、近親相姦を非とする部分がそれを断ったのよ。別に良かったのに」
「よ、良かった…?」
 まさかこの女(ひと)は、近親相姦を肯定しているの!?
「していないわ」
 ミサトの表情を読んだようにアオイが言った。
「ただ、それが他人である以上、どんなに家族の面影を浮かべても、近親相姦からくる弊害は絶対にあり得ないわ。それとも、理想を掲げて一人で生きられる程、あなたは強い子なの?」
 子、の単語を聞いた時、ミサトは到底及ばぬ自分を知った。
「いいんです、それでも」
 ぽつりと呟いた時、なぜか痛みは忘れていた。
「もう一人のシンジ君に言われました…父は、南極に物見に行ったのではない、と」
 もう一人のシンジ、とミサトが言った時、僅かながら嫌悪の情がアオイの顔に浮かんだが、それには気づかなかった。
「父が何をしに行ったのか、いえ、本当の目的がなんだったのか、私にはわかりません。もしかしたら、あの人が言ったように、私を実験にして連れて行ったのかもしれない。だけど…だけど、私が知っているのは、最期に私を庇って死んだ父の事、そしてその死因はセカンドインパクトで、それは使徒が原因だと言うことです」
「だから使徒は自分が倒す、否定はしないわ」
 意外な言葉に、ミサトが驚いたような顔を見せる。
「でも」
 アオイは続けた。
「シンジを窮地に落とした事、それは決して許されないわ。シンジが負けたなら、そのまま人類も滅ぶ、それは理由にはならないのよ」
「申し訳…ありません」
 ミサトにはただ、頭を下げるしか出来なかった。
 自分が使徒にこだわる理由、それを知ったアオイが上京しなかった、ミサトにもどこかそれが分かりかけていたのだ。
「女の子に任せて人類が滅んだら困る、シンジはそう言ったわ」
「は…?」
 人類を守るために乗るのではなく、人任せよりは自分でやった方がいい、だからシンジは乗っているのか!?
 命令でもない。
 義務感でも、使命からでもない。
 ただ…ただの気まぐれだと言うのか。
 がしかし。
 アオイの言うとおりなら、シンジの行動も思想も大概は説明が付く。
 と言うより、そうでないと理解不能と言った方が正しいかも知れない。
 とは言え、そこには悲壮感も危機感もまるでなく、むしろゲームの一環にすら似たものがある。
「あなたに使徒殲滅は無理」
 それを聞いても、ミサトはうなだれたままだった。
 が、
「とは言わないわ」
「…え?」
「私の興味はシンジにしかないわ。使徒殲滅に全てを賭す、と言うならそうなさい」
「……」
「ただし、初号機への指示は今後一切無用よ」
 命令口調と言うより、事実の確認に近い口調だとミサトは感じていた。
 だが。
「言われるとおりに」
 頷いたのは自分の意志であった。
 しかし、紡いだ言葉は明らかに自分の意志ではなかった事を、何よりも、何がそうさせたのかに、ミサトは全く気づいていなかった。
 すなわち、研究所の所員と同じ命運をたどった事に、いや、これは解かれる事のない呪縛に落ちた事などには。
 始末した方が簡単、と思うのは縛する術を持たぬ者の場合である。
 それに、アオイにとっては傀儡にしておいた方が、何かと便利なのだ。
 そう、魔女医ユリが、とある少女にしたように。
 ただし、彼女の場合には個人的な嗜好が多分に入っていたのだが。
「これは、あなたが私の獲物(もの)だと言う印」
 アオイの指が首に伸びた瞬間、ミサトはなぜかそこに冷たい物を感じた。
 だが、どこか麻痺にも似たそれは、彼女の肢体から自由を奪い、ふっとそれが離れるまで、硬直状態に陥れた。
「痛みはない、だから消えないわ」
 危険な声で囁くと、そのままミサトの肩を押して、横にならせた。
「それがある間、決して私の命には抗えないわ。行けと行ったなら行き、来いと行ったなら来なければならない。例え、それが冥府でも」
 ゆっくりと首を折っていくミサトを冷ややかに見ながら、
「もっとも、モミジとは違って不死にはならないけれど」
 以前、ユリがその魔技でレイを操った時、シンジは口づけ一つでそれを解いた。
 無論ユリは、シンジが解く事は元より承知であり、生き人形にした訳ではない。
 しかし、今アオイが口にした事、それが事実だとすれば、誰がそれを解き得ると言うのか。
 現に今、ミサトの首筋には、アオイの爪が動いた痕がそのまま、浮かび上がっているではないか。
 十字を描いた、まるで紋章のようなそれは、ミサトに何をもたらす?
 ミサトに一切の抗いを許さず、まるで人形のように操ったアオイ。
 部屋を訪れてから出るまで、ユリにも劣らぬような魔気が、微塵も衰える事はなかった。
 だが。
「失敗すると恥ずかしいから、シンジには内緒ね」
 小さく呟いて部屋を後にした姿、それだけはなぜか、ひどく艶めいて見えた。
  
 
 
 
 
「もう、信濃大佐も人使い荒いんだから…」
 ぼやきながら、次々と書類をさばいていくにせリツコだが、内容とは裏腹に、嫌がっている口調でもない。
「後はお願いね」
 と、さっさと部屋を出てしまったアオイだが、残った書類の量はかなりの物である。
 何しろ、責任者の類が全部いないのだ。
 司令と副司令からして、すでにダウン中と来ている。
 もっとも、オリジナル色が強い彼女に取って、ゲンドウへの欲情の色はない。
 むしろ、これは逆に道具と見ている感があるのは、すなわち造物主の影響だ。
 押しつけられた量は多いが、与えられた能力からすれば、さほどの物でもない。
 これをミサトが、あるいはリツコであっても、彼女の数倍は掛かっていただろう。
 加えて、ほぼ成功裏に作戦が終了したのも幸いした。
 結集した電力を使わなかったせいで、一部のケーブルへ逆流してしまい、道路がちょっと陥没した位は、遙かに安い物と言える。
 あえて難を上げるならば、山頂の発電所から海岸線まで、あちこち工作して延ばした分だけコストが嵩んだ事だろうか。
 それと、サンプルとしてはやっぱり使えない事と。
 構造のある程度は分かる、と技研からは回答があった。
 だが、分かるのと分析出来るのとは別問題であり、ましてあれだけのエネルギーを補う機関は、使徒にしかない物なのだ。
 現在まで、使徒へ外部からの供給は認められていない。
 つまり、内燃機関で全部を補っている事になる。
 ユリと使徒に付いて話した時、動力形態の移植が出来るか、と言う話になり、二人の結論は可、であった。
 移植できなくとも、殆ど同じ物をコピーできれば、似たような事は可能になる。
 機体(ボディ)剛性はどうか。
「その程度、やってもらわなくてはならん」
 当然のようにユリは言った。
 実際の所、拒否反応の有無はにせリツコにも分からないが、移し得る可能性は低くない、とは思っている。
 その意味では、シンジの初戦から今まで、確たるサンプルが得られないのは、惜しまれる所である。
 もっとも、原形を残して倒す、或いは捕獲できるほど。
「そんな備えはしていないものね」
 彼女が造られた時、初戦、第二戦とすでに終わっていた。
 無論その記憶はにせリツコには残っている。
 すなわち、殆ど無策で初号機を送り出した事も、シンジの能力を殆ど把握していなかったことも。
 倒し得ただけでも、ある意味奇跡に近いかも知れない。
 もっとも、有効な手段を用意出来たかと言えば、それも怪しいのだ。
 あくまで、これは使えるはず、の範疇にとどまる物が精一杯であり、
「結局、行き当たりばったりなのね」
 はっきり言えば、敗色濃厚な戦と言って間違いあるまい。
 それを勝利へ持っていったのは、ひとえにシンジのおかげなのだ。
 ただ、シンジの敗北は人類の破滅を意味しているのだが、それへの恐怖感はこのにせリツコには薄い。
 やはり写しではなく、ダミーとして造られた事が、思考にも影響を与えているのだろうか。
「レイから碇ユイは消えた。だとすると、レイの数字は向上するはず。両機に使徒の動力を搭載出来れば、間違いなく世界征服できるわね」
 最後の書類を片づけると、なぜかにせリツコは、にっと笑った。
 危険な部分は、本体より高くなっているらしい。
 
 
 
 
 
「あー、疲れた」
 ふわあ、と両手を上に伸ばしてシンジは呟いた。
 すでに物騒な妖姫は隣にはいない。
 
 
「ここでよい」
 姐姫が選んだのは、一軒の花屋であった。
 碇ユイを片づけた時、壮絶な肉弾戦を展開した二人の女だったが、ダメージは癒えきってはいない筈だ。
 ただ、シンジに取って少し気になるのは、途中でレイに入れ替わった事である。
 稀代の妖女ならともかく、レイの肉体に残ると厄介だ。
「ま、何とかなるか」
 のんびりと呟いたが、レイは姐姫と違ってシンジを吸えない。
 シンジの魔力は、レイには関係なのだ。
 とは言え、レイを見た限りそんな様子は見えなかったし、多分大丈夫だろうと安心していたのだ。
「家に帰ればいいのに」
 そう言ったシンジに、
「ここで埋もれておる方が、わらわにはよい。それよりシンジよ、人を近づけてはならぬぞ」
 人の店なのに、そう思ったが通じぬ事を口にするのは止めた。
 覇王の理論は、一般より遙か高見にあるのだ。
 それに、今回は使徒を片づけた功労もある。
 無下には出来ないと、急遽黒服を呼んで店の周りに配備してきた所だ。
 シンジを見て、一瞬顔色を変えた者もいたが、到底及ばぬ相手とすでに分かり切っている。
 何よりも、チルドレン相手に害意を見せる者はいなかった。
 一切の事情は知らされず、
「この店の周囲を番していて。絶対に誰も近づけるな。それと、死にたくなかったら中に入るなよ」
 まるで、不発弾の警備のような口調に、男達の表情も一瞬強ばったが、すぐに敬礼の姿勢を取った。
 どこかから、シンジへの絶対服従の通達が出ているのに違いない。
 そう、男達のために。
 腕時計を見たシンジが、
「あ、丑三つ」
 ふと呟いた時、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。
「ん?」
 避難命令の解除から、二時間位は経っているし、事故とか火事があってもおかしくはない。
 だが、シンジの耳が捉えたのはパトカーのそれであった。
 それも複数の。
 どう聞いても、事故のそれには感じられない。
 (捕り物かな?)
 内心で首を傾げた途端、
「げ!?」
 その耳に、あっと言うような声が飛び込んできたのだ−上空から。
 鳥人は、この時代においてはまだいない。
 せいぜいSFの中の生き物だ。
 だとすると。
 落下物を夜空に確認した瞬間、シンジは予想地点へと飛んでいた。
 わずかな誤差で、落ちてきた物体を腕の中に受け止める−漆黒に身を包んだ女体を。
 上で聞こえた悲鳴は、おそらく足を滑らせての物であったろう。
 その原因をシンジは、彼女の右脚に見ていた。
 すなわち、そこにある擦過傷に。
 直撃のそれではなく、おそらく兆弾がかすった感じだが、それとて結構衝撃はある。
 まして、シンジと同じ年齢の娘であれば。
 顔も覆面をしているが、シンジにはその中身は想像が付いていた。
「じゃ、剥がします」
 痴漢みたいな台詞を口にした時、その前方に一斉にライトが見えた。そしてサイレンも同時に。
「十台以上だな」
 音を捉えたシンジだが、先頭の車両が張り切っており、後続を引っ張る形になっている。
 と言うよりも、少し引き離された格好になっているのは、その改造された車両のせいだろう。
 そう、ポルシェをベースに改造されたそいつに。
 ポルシェに乗る知り合いがいるおかげで、エンジンの見分けは付く。
 エキゾーストを聞きつけながらも、シンジは動かない。
 その距離、約百メートル。
 ハイビームの中に人影を確認したか、パトカーのサイレンがひときわ甲高くなる。
 うるさい、と言うのと、大型拳銃を引き抜くのとが同時であった。
 ドンッ。
 初弾は右前輪のタイヤを射抜き、防弾にしてなかったのかそのままスピンする。
 ドンッ。
 二発目は、後部右タイヤをぶちぬいて、その場で車体を停止させた。
 端から見れば、後続の車止めに見えたろう。
 だが、この少年の恐ろしい所はそれだけではなかった。
 立て続けに三発を、エンジンルームに撃ち込んだのだ。
 車を止めたのは、どうやら動かぬ標的にするためだったらしい。
 わずかにシンジの腕があがり、薬莢を吐き出していく。
 三発をほぼ同時に撃ち込むのと、凄まじい音がして車体が紅蓮の炎を吹き出すのとが同時であった。
 停止だけならともかく、炎に対して瞬間的に人間の判断力は鈍る。
 先頭車両が炎上した所へ、後続が止まらぬまま次々と突っ込んでいき、辺りは一瞬にして地獄絵図と化した。
 突っ込む寸前まで、乗っていた警官達は想像を絶する恐怖に襲われたに違いない。
「ま、警察の連中にはちょうどいいさ」
 紅蓮の炎を眺める表情には、感情は微塵も感じられない。
 それが動いたのは、腕の中に視線を転じた時である。
 ん…、と少女の口から小さな声が洩れたのだ。
「傷の手当てしなきゃね。さ、行こうかマユミ嬢」
 銃を腰のホルスターに戻すと、マユミを抱いたまま、シンジは悠然と歩き出した。
 
  
 
 
 
(続く)

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