第四十六話
 
 
 
 
 
「御前様、お茶をお持ち致しました」
「ありがとう」
 分厚い本に目を通していたヤマトが、ふと顔を上げた。
 盆に湯飲みを乗せたヒナギクが、音も立てずに入ってくる。
「今日は花林糖かな」
「急仕上げですので、お口に合うかどうか」
 皿の上から一つ取ると、口に入れてゆっくりと噛んだ。
「上出来じゃ」
「恐れ入ります」
 一礼したヒナギクの顔は、どこか嬉しそうに見える。
 この夫婦には、飽きという事が無いのかも知れない。
「それで?」
 と、不意にヤマトが訊いた。
「アオイより連絡がございました−日本中に総停電をかけると」
「影響を受けぬは、ここと病院だけかの?」
「向こうにはユリが行っておりますから」
「どの病院も、いずれは自己発電できねばならぬ。やはりまだ、大災害の災禍は多く残っておるの」
「はい。何しろ、施設が次々使用不可になる中で、治療を求める患者は増える一方でしたから」
「あの当時は、ずいぶんと杜撰な医療も多かった。が、逆に医療過誤としてのもめ事が減っていったのは、奇妙な現象と言えるな」
「受ける側が、騒ぎすぎた部分も多々あります。それでも、普段着の上に白衣では、 信用できぬと言い出す年輩の方の気持ちも分かりますわ」
「外見で判断するなとも言うが、外見がまず第一とも言う。お前はどうじゃ?」
「私たちにはシンジがおりますから」
 そう言って、ヒナギクはくすっと笑った。
「…そうだな」
 ヤマトが、これも僅かに口を緩める。
 二人の脳裏には、実の孫以上に可愛がっている少年の姿が浮かんでいた。
 外見と装備だけ見れば、物騒の二文字は浮かんでも、とても成績優秀とは思えない少年のことを。
 そして、今離れた地で使徒退治に全力を尽くしているであろう、その少年を。
「無事でおれよ」
 第三新東京へは行かないが、裏では全力のバックアップを決意してる信濃夫妻。
 総理官邸へ連絡を取ったのも、無論その表れの一端である。
 ヤマトの呟きに、ヒナギクが深く頷いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 信濃夫妻が、シンジの姿を脳裏に走らせている頃。
「もう歩けない」
「はあ?」
 廊下に出た途端、ぺたんと座り込んだレイを、シンジは奇妙な物を見るような視線で眺めた。
「なんで?」
「疲れたもの、もう歩けないの」
 確かに完調ではないかもしれないが、かと言ってここまでではあるまい。
 なによりも、駄々をこねる程では。
「置いてくよ」
「あ、やだやだお兄ちゃんが連れてって」
 玩具を買ってと、売り場でじたばたひっくり返る子供、ふとそんな情景がシンジの脳裏に浮かんだ。
「子供じゃあるまいし」
「子供だもの」
「……」
 もはや、手の付けられない状態になっているレイ。
 まさか酔っぱらった訳でもあるまいが、と思ったがここで甲羅干しして置くわけにも行かないと、
「分かった、分かった」
 屈んで背を差し出すと、途端に起きあがってぴょんと背に乗ってきた。
 おまけに、ぎゅっと腕を巻き付けてきた。
「どうした?」
「なんでもないの」
 が、どう見ても尋常ではない。
 躯で聞き出してやろうかとも思ったが、面倒なので止めた。
 しっかりと抱き付かれたまま、シンジは廊下を歩いていく。
 廊下の電光が、その後方に影を落としていた。
 
 
 
 
 
「ところでユリ」
 シンジ達が出ていった後、アオイがふとユリを呼んだ。
「何?」
「銃の改造、時間に間に合いそう?」
「大丈夫、必ず終わらせるわ」
 なぜか、確信を持って告げたユリに、
(ユリ、魅入ったのね)
 すぐに分かったが、口にはしなかった。
 アオイが読んだ通り、既にシンジが担いできた物体は、エヴァに合わせて改造の真っ最中だったが、作業員はいずれも尋常ではないスピードで作業中であった。
 それも、どこか限界を超えたような作業内容で。
 ふむ、と頷いた時マヤが、
「あの、信濃大佐」
「どうしたの?」
「あの、狙撃地点の最適な場所の算出結果が出ました。この地点が一番いいかと」
 プリントアウトされた用紙には、海岸線のある部分がクローズアップして映し出されている。
 軽く目を通して、
「そうね、これでいいと思うわ。ありがとう」
「はい」
「悪いけれど、これをシンジの所に持っていってくれる」
「わ、私がですか?」
 シンジだけに、アオイが行くと思っていたらしい。
「その方がいいのよ、色々と」
 謎めいた言い方だが、その真意までは分からずマヤは、はあと頷いた。
 
 
 
 
 
 シンジの前で、さっさと制服を脱いだレイだが、畳むのは忘れない。
 丁寧に畳んでから、備え付けのベッドに入ったが、
「お兄ちゃんは休まないの?」
「僕はいい。それにさっき頼んだ地図が来るはずだ。多分…マヤさんかな」
「え?」
「何でもない。それより、君は寝ておいた方がいい」
「う、うん…」
 頷いたが、どこか落ち着かない。
 自分が邪魔かと、
「僕は出ているから」
 椅子から腰を上げた途端、
「ま、待ってっ」
「え?」
 掛け布団の下から、にゅっと真っ白な腕が伸びて、シンジの手を掴んだ。
「こ、ここにいて欲しいの…」
「いいのかい?」
 こくんと頷いたが、その手は離そうとしない。
「何」
「あ、あの…て、手を握っていてくれる?」
 顔の半分まで布団を被って、そこからちらちらとシンジを見ている。
 妙に子供っぽく、と言うより退化したような気もしたが、その目許がなんか赤いのを知って、
「構わないよ」
 再度腰をおろしたが、
「さっきから妙に変だが、どうかした?」
「べ、別にその…だって…でも…」
 日本語体系が崩れているレイ。
 まあいいや、とそれ以上シンジも訊かず、ふっと室内に静寂が訪れた直後。
「あの、シンジ君いるかしら」
 ドアがノックされ、シンジがすっと立ち上がった。
「開いてるよ」
 返事と共に、ドアの前に立つ。
「これ、信濃大佐に渡されたの」
 差し出された用紙を、ありがとうと礼を言ってシンジは受け取った。
 地点の算出をアオイに頼んだシンジだったが、本人が来ないと分かっていたらしい。
 そして、アオイもまた最初から自分が行く気はなかった。
「そうか、ここにしたか」
 一瞥して呟いた後、
「これはMAGIが出したね」
 マヤが驚いたような顔を見せて、
「ど、どうして分かったの?」
「いい地点だけどね。ただ、僕の好みとは違う」
「え?」
「アオイが僕の好みと違う所を出す筈はないからね」
「そ、そう」
 さっきのにせリツコ同様、あてられたような気がしてちょっとひるんだが、
「あ、あのシンジ君」
「え?」
「この間はあの…ありがとう」
「この間?」
「この間街で会ったでしょう?私のこと…助けてくれたじゃない」
「ああ、そう言えば。でも」
「え?」
「今度から夜遊びは駄目だよ」
 めっと、マヤを見たシンジに、
「も、もう分かってるわ…」
 ちょっと頬を染めて、マヤが頷く。
 店での事は、多少なりとも覚えているらしい。
「でもシンジ君、強いのね」
「君の方が数倍強い」
「えっ?」
「無防備にあんな店に入れる方が、よっぽど強いよ。それとリツコさん」
「先輩?」
「あの店には行ってないよ」
「ど、どういうこと?」
「店名のブルーダイヤは合っているけれど、リツコさんが行くのは、その先のジュエリーショップだ。先輩が、あんな店に出入りしてると思ったの」
「そ、それはそのっ、だって先輩大人だから…」
 『恋に恋して恋』
 ふと、そんな単語がシンジの脳裏に浮かんだ。
 あれのどこが、と言いかけてシンジは止めた。
 優秀と冷血が同居している、戦自での衆評はそれであった。
 シンジはそれを知らないが。
 総司令の愛人、すなわちシンジの父ゲンドウの。
 MAGIの管理者。
 ただし、基礎を為したのは彼女にあらず。
 だが、そんな事より何より、レイをどう扱っていた?
 何も知らないに違いない。
 あるいは、情報を選択している、としても。
 負の情報を削除すれば、身近にいるマヤに取っては、優秀な先輩でしかない。
 女子高生のようなノリで慕っている、となれば形から入りたくなる事もありえよう。
 名前だけで、先輩と同じ店だと入ろうとする事も。
 そしてそれが、歓楽街の暗黒を抽出したような店であっても。
「一つ訊いていい」
「え?ええ」
「リツコさんの事好きなの?」
 直球、と言えば余りにも直球だが、ぽうっとマヤは頬を染めた。
(本物だ)
 内心で呟いたシンジに、
「だ、だって先輩は素敵だし私の憧れなのよ」
 これはもう、間違いなく彼岸の人になっていると判断し、
「振り向いてくれるといいね」
 皮肉を乗せてみたが、
「先輩から見たら私は子供だから…」
 逆に落ち込みかけた物だから、ここで愚痴など言われては大変だと、
「僕はレイに付いてるからこれで」
「う、うん…」
 足取り重く帰っていく後ろ姿に、
「導火線に点火しちゃったかな」
 呟いたが、こっちを向いた顔には微塵もその色はない。
 ベッドへ戻ってくると、
「あれ?」
 レイが、布団から目だけだしてじっと見ている。
「何?」
 訊いた途端、白い腕がにゅうと伸びてきて、シンジの手を掴んだ。
「つかまえたわ」
 何をするかと思ったら、そのままぐいと引っ張られた。
 片手で布団をめくり、シンジを捕獲したままの手で布団に引き込む手際には、寸分の隙もない。
 そのまま引っ張り込まれて、殆ど顔と顔がくっつく位の距離になってから、
「何をしている?」
 とシンジが訊いた。
「だ、だって…お、お兄ちゃんすぐ行っちゃうから…」
「そんなことは」
 と言った時には、レイはシンジの肩に顔をくっつけていた。
 決して、離すまいとするかのように。
 シンジはそれを振りほどこうとはしなかった。
 ただしその視線はレイを見てはおらず、マヤが持ってきた地図に向けられている。
 レイに引っ張られても離さなかったそれを見ながら、
「この方が寝やすい?」 
 レイに訊いた。
 却下されると思ったのに意外だったか、
「い、いいの?」
「ちょっと待った」
 靴を脱いでから、
「いいよ」
「良かった…」
 心底安堵したように呟いてからレイは、一分も経たない内に寝息を立て始めた。
 静かな寝息を察した、シンジの手がレイの頭に伸びる。
「よく頑張った。だから、今回はおやすみ」
 数度撫でたのはいいとして、その後の奇妙な台詞の意味は?
 
  
 
 
 
「集電の状況は」
「順調です。現在87%を越えました」
 残す所、あと一時間を切ったのだが、その報告にアオイはちらりとユリを見た。
「大丈夫、回避も出来ているわ」
 医療施設への配電は、問題ないらしい。
 だとすると、この予想以上に順調な仕上がりで、ほぼ目標値まで達する事になる。
「信濃大佐」
「何?」
「これなら、当初の目標値まで及びそうです。このまま、狙撃による使徒殲滅に切り替えてもよろしいのでは」
「よろしくない」
「え?」
 ユリの言葉に、にせリツコだけではなく、衆目も集まった。
「間違いなく撃ち抜ける、その計算は完全だとしよう。だが、もし外れたら?あるいは使徒に気付かれたとしたら?今回は、零号機・初号機双方に役割を担ってもらう。初号機を囮にして、零号機が撃ち抜く作戦でも構わないが、街に出る被害は変わらん」
「あ、あの…逆にされては如何でしょう」
 おそるおそる、と言った感じで口を挟んだのはマヤである。
「逆?」
「正確に操れるなら初号機、シンジ君です。だから、両機とも海岸に配備して、零号機を囮にした上で、初号機が狙撃。今の集電料なら可能かと」
「いいのよ」
 不意にアオイが微笑んだ。
「はい?」
「マヤちゃん、あなたの計算は零号機のパイロットを誰にしているの?」
「そ、それは勿論綾波レイで…」
「じゃ、初号機は?」
「シンジ君ですが…」
 何を言うのかと、奇妙な表情になるのも無理はなかったかもしれない。
「その通りね」
 アオイは頷いて、
「確かに、パイロットがその両名ならあなたの言う通りよ。いえ、零号機だけでも」
 ますますもって分からないマヤが、
「あ、あのどういう事でしょうか?」
「俺が出る、と言うことだ」
 妖気を帯びた声は、後方から聞こえた。
 そこにいたのはレイを伴ったシンジ。
 だが、どこかが違う。
 外見は変わらない筈だ。
 それなのに。
 いや、外見さえもどこか異なって見える。
 シンジ本来の、線の細さが感じられないのだ。
 例えるなら、厳しい鍛錬を自らに課し、その結果生まれた鋼の気のようなもの、それが今のシンジからは漂っている。
 第一、アオイのそれを見る目が、はっきりと変わっているではないか。
 だが、それがもう一人の連れから来ていると、気付いた者はその場に二人しかいなかった。
 綾波レイ。
 零号機パイロット。
 他人との接触を殆ど持たず、あるいは自らの世界さえ構築しているのかは不明。
 その双眸の奥に何があるのか、量り知るのは至難の業と言えよう。
 ただし、先日までは。
 ここの所は、殆ど鳥もちのように、シンジにべたべたとくっついており、その変貌には目を見張るばかりである。
 だが、今そこにいる少女は違っていた。
 これは明らかに、胸からして違う。
 代償となったか、腰回りは僅かに膨らんだイメージを持つが、胸ははっきりとその量感を増している。
 プラチナブルーの髪に変わりはないが、その双眸は無機質から血の色へと変化しているではないか。
 それに何よりも。
「わらわまで起こしおって」
 変化した呼称より、一語一語が周囲を呪縛しそうな妖気を孕んでいるのだ。
 古の大将軍と妖姫が対を為すと、ここまで変貌するのか。
「アオイよ」
「何か?」
「最初から、そのつもりであったな」
「恐れ入ります」
 アオイは静かに微笑った。
 では、シンクロ率を無視して射手を選んだのも、起動さえやっと済んだばかりのレイに、囮になった上光線の回避を命じたのも、すべてはこれを読んだ上だったのか。
 そのとおり。
 避ける、ただそれだけの作業であっても、シンジは寸前と言うことも手伝ったがぎりぎりだった。
 それを、やっとこさ起動実験を成功したばかりの零号機−レイに命じると言うのは、はっきり言って無謀に近い。
 そう、アオイがレイを殺したいのなら別だが。
 アオイにそんな意図が無いとなると、可能性は必然に変わる。
 ただ、そこまで考え得た者は、この場には一人もいなかった。
 だからこそ、電力の供給量を見て、にせリツコもマヤも射手の入れ替えや、長距離狙撃による殲滅の続行を申し出たのだ。
 とは言え、この二人を使うにせよ、なおアオイの策に変化はない。
 すなわち、稀代の妖女に人類の命運を任せる作戦の一端を担わせる、と言うある種異様とも言える方策に。
 そして、幾多の生を経た武人に、その相方を任せると言うことにも。
 その上でなお、射撃の一点に絞らないのは、シンジがレイに言った通り、
「未知の使徒相手に、ほぼ絶対のセオリーはない」
 これを忘れず、万全の策を取っているからだ。
 無論、常に万全が取れる訳ではないが、最善が取れる時には取っておく、それがアオイの基礎思考であり、またシンジも同様である。
 ただシンジの場合、若干無茶が入る時はあるが。
 それに今回は、アオイの初指揮と言う事にもなる。
 シンジとは絶対の信頼関係にあると、はっきり分かるようなアオイだが、彼女がどう使徒を片づけるのかは、周囲の注目の的でもあったろう。
「姫、よろしい?」
「よろしくない、とは言わせぬであろうが」
 これもよく分からない口調で言ったが、別に嫌そうでもない。
 何よりも、アオイに取って姐姫は忌むべき存在ではないのだ。
 むしろ、姐姫の思い人こそ、アオイにとっては嫌悪の対象となっている。
 例えそれが−外見は全く同じであったとしても。
 なお付け加えるならば、シンジの変貌はアオイの計算には入っていない。
 むしろ、アオイの想いからすれば自分の親友のまま、その方が好ましいのは当然であろう。
 レイから妖姫へのそれとは違い、十分に役割はこなせるのだから。
 と言うよりも、両面を見てはいたものの、本当ならそのままレイだけが変わればそれで良かったのだ。
 ただし、それを出すほどアオイは不器用ではない。
「姫に任せますわ」
 それを聞いた時姐姫は、ふふと笑った−ように見えた。
「別にここが滅びようと、わらわの知ったことではない。ゆえに」
 ちらりと横を見て、
「無報酬で動くような真似はせぬ」
「それはそれは」
 と言った時、なぜかアオイの口調は冷ややかに感じられた。
 同じ碇シンジでも、自分には関係ないと言った口調である。
 シンジの表情は変わらない。
「ドクター、もう出た方が良かろう」
 ユリに視線を向けた時、ユリはマヤと打ち合わせの最中であった。
 現場より、ケーブル系統の全異常なしに加えて、改造された大ライフルが設置されたと、連絡が入った所だったのだ。
「では、二人ともよろしく」
 アオイに代わって告げたのは、アオイの感情を知っているからだ。
「行くか、辺境の騎馬民族より楽な相手だ」
 おかしな台詞に、一瞬辺りは静まりかえる。
 ここに至ってはさすがの彼等も、目の前の二人が明らかに違う者達だと気づいていたのだ−そう、その本能が。
 外見はほとんど変わらない。
 だが、中身が違えばそれは別人と言える。
 威圧の雰囲気はなく、むしろそこには妖然とした物しか存在していないが、自分たちの到底届かぬ場所にいるのだと、全員が本能で悟っていた。
 二人が出ていった後、
「あなたで良かったのに」
 アオイが呟いた声は、にせリツコの耳にだけ届いた。
 
 
 
 
 
「徴収電力は、予定を大幅に上回っているわね」
 現場で、グラフを見ながらアオイが言った時、にせリツコは徴収と言う単語がぴったりだと思った。
 すでにこの日本全国、ここ第三新東京を除いては殆ど停電である。
 総理官邸すら、今はろうそくで過ごしている筈だ。
 ただ、避難シェルターにも最低限の電力が流れているから、中で蒸されてはいない筈だ。
 すでにシンジは初号機に搭乗しており、ここには姐姫しかいない。
「アオイよ」
「はい?」
「見せ場は多い方が良かろう」
「何のことやら」
 アオイが言った後、なぜか姐姫の口元にわずかな笑みが浮かんだ。
「一晩好きにして良いと、大将軍からは言われて」
「いないのね」
 アオイの言葉に、姐姫の眉がわずかに上がる。
「余計な事を口走るでない。必ず、そうさせてくれるわ」
「では姫」
「何じゃ」
「別体への移植、して差し上げましょうか?」
「余計じゃ」
 あっさりと姐姫は首を振った。
「ほかの肢体でも、わらわの姿を常時保つことはできぬ。もっとも、お前の思い人を携帯食にすればできるがの」
 姐姫にしては珍しく、からかうような口調があったが、
「中毒りますわよ、姫」
 返すまでに、一瞬間があったように思えたのは気のせいだろうか。
「ほほ、私のだから困ると素直に言えぬか。まあよい、して、このおもちゃをどうするのじゃ」
 国自体を思うがままにしてきた妖女に取って、日本中の電力を使う武器も、おもちゃにしか見えないのかもしれない。
「照準は自動的に使徒を捉えます、その時に引き金を。ただし」
「ただし?」
「使徒の位置は街の中心部です。撃ち落とされると街への被害は避けられません。ダメージ程度にしておいて下さいな。共同作業の方がよろしいでしょう?」
「さすが思い人のおる女は違うの、おもしろい事を申す」
 とは言いながらも、姐姫も満更でもない。
「なれどアオイよ」
「はい?」
「わらわが落とさぬにせよ、大将軍が落とさぬとは限るまい。良いのか?」
「その程度の事は、やってのけるでしょう」
 明らかに冷ややかな口調にあったアオイに、
「お前、わらわの邪魔にはならぬようじゃな。よかろう、あの抉っている部分を撃ってやるゆえ、見ておくがよい」
 フル回転して、ジオフロントを掘削しているドリルの部分を撃ち抜く、確かに姐姫はそう言った。
 本体を撃てば、弾みで大きく抉られる可能性もあるし、撃つならその場所がいいのかも知れない。
「あれを?」
 ドリルを眺めたアオイに、
「お前、気づいていなかったの」
「実は」
 と、アオイはあっさり認めた。
「飛び道具を扱うなどしばらくぶりじゃが、どれ一つ遊んでくるか」
 歩き出した姐姫の後ろ姿を、アオイは黙って見送った。
「よろしいのですか?」
「いいのよ」
 訊ねたにせリツコに、アオイはそっちを見ないで答えた。
「もっとも、初号機のパイロットが変わったのは余計だったけれど」
 既に、初号機はその姿を使徒に向けているが、これはアオイも認めざるを得ないほどに、その気配を完全に消していた。
 ただの無機物、そう言っても通じる程に。
「さ、私達は見物してましょう」
 先に立って歩き出したアオイに、にせリツコも続く。
 ワゴン車の中には、青葉と日向が乗り込んでおり、電力の微調整に入っている。
 どうして、とアオイも首を傾げるほど、予想外に集電は進んだのだ。
 銃身の冷却や、再充電を別にすれば、二発まで連射できる。
 無論、陽電子自体が普通の弾丸のように飛ばないから、都度調整しなくてはならず、簡単には打ち出す訳には行かないが、エネルギーと言う点だけ見れば大したものと言えよう。
「日本もまだ、便利な物ね」
 内心で呟いた時、零号機の起動を告げるパネルが灯った。
 ふと、
「シンクロ率は?」
 訊ねたが返事がない。
 青葉を見ると、
「あ…あ…」
 呆然としている。
「何パーセントなの」
 再度聞いたが、殆ど茫然自失の態である。
「何してんだよ、お前」
 日向が押しのけるようにグラフを見たが、これも一瞬絶句した。
 それでも、
「さ、三百二十…です…」
 震える声で告げたのは、機械が寸分も狂っていないと分かっているからだ。
「さすが、ね」
 さして驚いた様子も見せず、軽く頷いた。
 シンジの初号機は湖畔に伏兵とするが、零号機は海岸からの射撃となる。
 既に銃は設置されており、後は射手を待つのみだ。
 丁度二十六分が経った時、
「零号機、現場に到着しました。これより射撃準備に入ります」
 にせリツコが報告した次の瞬間、車内に警報が鳴り響いた。
「どうしたのっ」
 叩き付けるように訊ねたにせリツコに、
「目標に高エネルギー反応ですっ!」
 無線から、マヤの悲鳴にも似た声が飛び込んできた。
  
  
 
 
 
(続く)

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