第四十五話
 
 
 
 
 
 アオイは令状がこっちで着くと言ったが、誰が持ってくるのかと、にせリツコはぼんやり考えていた。
 そのアオイが、戦自の施設前で車を止めたのだ。
 ふと外を見ると、黒塗りの車が三台止まっている。
 やくざと言うより、VIPの護衛に使うような車だが、一瞬にせリツコは身構えた。
 だが、平然とアオイは車を止めて、さっさと降りた。
 迂闊に降りては、と言おうとした瞬間、アオイの能力を思い出して、彼女は内心で苦笑いした。
 だが、黒服姿の男達六人がずらりと横に並び、真ん中の一人が、
「お嬢様、お久しぶりです」
 サングラスを取って、深々と頭を下げたのには、さすがのにせリツコも仰天した。
 しかも、
「今日は官邸付きじゃなかったの?」
 アオイが言い出したのには、殆ど呆然状態であった。
「それがその、御前様に呼ばれまして」
「お祖父様に?」
「お嬢様にこれを渡したら、首相官邸から一つ石を返せと命じられまして」
「じゃ、総理の命なのね」
「戦自は、唯一総理が動かせる直轄機関ですから。ただ」
「ただ?」
 ちょっと言いにくそうにしてから、
「ネルフの極秘主義、やや反感も上がっております。十分にお気をつけて」
 信濃大佐に余計じゃないの、と思った途端、その視線が自分に向けられているのに気が付いた。
(つまり…私はお荷物って事?)
 事情に気が付き、にせリツコの眉が上がりかけた時、
「彼女はユリの作ったダミーよ」
 さらりと言った物だから、危うく吹き出しそうになった。
 その上、
「ドクターの?それならば」
 頷いてから、
「彼女の事知ってるの?」
「ええ、知っておりますよ」
 と左端の男が、
「優秀と冷血が同居した、総司令の情人だと」
 あっさり言われて、アオイがちらりとにせリツコを見た。
「あんな事言ってるわよ」
「いいんです、本体はそうですから」
 ですって、と男達に視線を戻し、
「彼女は違うそうよ。決めつけは迷惑よ」
「これは失礼いたしました」
 揃って頭を下げた所を見ると、全員がそう思っていたらしい。
「それで書類は?」
 アオイの言葉に、
「ここにお持ちしました」
 大事そうに、懐から封筒を取りだして、恭しく手渡した。
「無くてもいいかしらね」
「お嬢様なら」
 奇妙な言葉に、にせリツコが内心で首を傾げた時、
「では、我々はこれで」
 挙手の礼を取った男達に、
「お祖父様に伝えて置いて−冷たい孫は元気そうにしてますって」
 くすりと笑ったアオイだが、自分のことではなさそうだ。
 その微笑に、男達の表情が一瞬だけ赤くなりかかったのを、にせリツコは見逃さなかった。
 分乗した車が三台、音もなく走り出すのを見送ってから、
「さ、行きましょう」
 にせリツコを促すと、先に立って歩き出した。
 
 
  
 
 
 シンジが陽電子砲を担いで、今度は歩いていくのをアオイとにせリツコは、車の中から眺めていた。
 あれを持ってぶら下がるより、自分で持っていくとシンジが押し切ったに違いない。
 ドスドスと地響きを立てつつ、そのくせ建造物だけは器用に避けて歩く初号機を見ながら、先にアオイが口を開いた。
「避難命令、まだ出しっぱなしなの?」
「使徒が工事中ですから、解除するわけには行きません。それとさっき、全国区レベルで停電の通達を出しておきました」
「面倒だ、ユリはそう言ったでしょう」
「え?あ、はい。でもどうしてそれを?」
「医療施設でも、電気が止まった場合に自家発電できるのは、長門病院とその直系の系列しかないのよ。大抵の病院は数時間、あるいはそれさえも出来ない所が多いわ。セカンドインパクト、あれのもたらした傷跡は半端ではなかったのね」
「政府関連はどうでもいいが、医療施設へは供給を残すようにと言われました。たとえ、電力が不足する事になっても」
「医者が患者を後回しにするようになると、社会は危険な様相を帯び出すのよ」
 初号機の姿が向こうに消えてから、
「戻るわよ」
 アクセルを踏み込んだアオイに、
「あ、あの信濃大佐」
「なに?」
「さっきはその…どうして、令状をすぐに出されなかったのですか?」
「どうして」
「わざわざ令状を待たれたのでしょう。でしたら…」
「分かっていないのね。それでは、赤木リツコのままよ」
 奇妙な事を言うと、
「ネルフが超法規でも、政府筋から直の命令書を請求して、あんなすぐに来ると思ったの?」
 そう言えば、いかにネルフと云えども令状が来たのは早すぎる。
「いつも盥回しで、それは遙か昔ちゃんばらの時代から、少しも変わっていないわ」
 確かにアオイの言う通りであり、重要な書類、それも責任を伴うような物はまるで、約束でもあるかのように盥回しにされ、挙げ句の果てには責任がどこかへ霧散したような格好で、へろへろな書類が出てくるのが落ちだ。
 それも、さんざん形式ぶった物にこだわった挙げ句。
 ではどうして?
「お祖父様からちょうど電話があったのよ、シンジは元気にしてるかって。最近、私の名字が碇で、シンジの名字が信濃じゃないかって思う時があるわ」
「大事にされてるんですね」
「それだけならいいけれど、シンジがあまり連絡もしてこないと、私が怒られるの。私はシンジの奥さんじゃないのに」
 内容の割に、別に困ってもいないような口調で言うと、
「電話があったから、総理官邸への連絡をお願いしたのよ。お祖父様のお部屋には、首相邸へのホットラインが繋がってるから」
「そ、そんなのが?」
 さすがに驚いて訊ねたにせリツコへ、
「今の総理は、さして有能でもないのよ」
 とんでもない事を言いだした。
「え?」
「もっとも、秘書をベッドに引っ張り込むしか能のない先代や、野球チームが作れる位愛人を持っていた先々代よりは、幾分ましね。だからお祖父様が手を回したの」
「と言われますと?」
「先代の総理がセクハラで失脚したでしょう」
 その件なら彼女に記憶にもある。
 大抵の首相が、良くも悪くもないと言う評価を受けてきたこの日本だが、先代も例外ではなかった。
 平々凡々と、周囲のブレーンが敷いた線路を歩いていく、と思われたのだが、ある日いきなり女性問題が発覚したのだ。
「でもあれはね、実際には総理が不能だったから、秘書の娘(こ)が欲求不満になっちゃったのよ」
 アオイの口から出た単語に、にせリツコは唖然としてその横顔を見た。
「分からない?」
「い、いえ分かりません」
「名前だけとは言っても一応総理だから、その辺の病院の医師(せんせい)では、担当医にならないでしょう」
 そう言われて、にせリツコも気が付いた。
「ま、まさか…」
「驚く事でもないわ」
 さも当然、と言うように、
「代々、でも無いけれど、時々政府要人のかかりつけになる時があるの。先代の総理は、院長が自ら診られたのよ」
「院長?」
「ユリのお父様よ。腕はユリの方がいいけれど、性格はだいぶ違うわね」
 うっすらと笑ってから、
「欲求不満の女は怖い、と言うところかしら」
 はあ、と頷いたが一瞬その表情が硬直したのは、アオイが単に冗談を言ったのではないと気付いたのだ。
 そう、それが誰の事を指しているのかに。
「ともかく先代の総理が失脚した後、後継者争いで揉める所を、お祖父様が今の総理を推されたのよ」
「?」
 分かっていないリツコに、
「シンジがここへ、パイロットとして上京してくる時期には、駒に出来る方がいいでしょう」
 あ、と思わずにせリツコが息を呑んだのは、さすがにそこまでは想像が付かなかったからだ。
 だとしたら、シンジ一人のために内閣にさえ影響を及ぼした、と言うことになる。
(信濃と言えば、国内では五指に入る富豪だけどまさかそこまでとは…)
「さっき、どうして令状を見せなかったのか、訊いたわね」
「え、ええ」
「確かに、お祖父様の力なら令状の即時発行も簡単だけれど、効果は別なのよ」
「効果?」
「さっき入っていって、いきなり令状を振り翳してさあ持っていきます、そう言ったらどうなったと思うの?」
「別に…承諾したかと…」
「それで、どうやって持っていくの?」
「それは零号機で…あ」
「初号機との時間がずれていたら、ただでは済まなかったわよ。あなたも、犯されてみたい訳ではないでしょう」
「そ、それはそうですが、でもそこまでひどく?」
「さっきの子達が言ってた事、忘れたの?」
 さっきの子?そう聞き返そうとして、黒服の事だと気が付いた。
「令状を持って来た彼ら、お知り合いですか?」
「総理付きのSPよ。今の総理が就任した時、お祖父様が庭石を運んでこさせたの」
「に、庭石?」
「お礼に呼ばれた時、気に入った石があったから召し上げたのよ」
 召し上げた、確かにそっちの表現の方が合ってるかもしれない、ふとにせリツコが思った時、
「戦自は総理の直轄指揮下、その総理に付いている彼らが言うのよ。さっきの子達は皆、戦自の内情ならよく知っているわ」
「だから仕上げに令状を」
 言いかけたにせリツコを、
「違うわ」
 途中でアオイは遮った。
「え?」
「彼らには造る仕事は与えられていても、それを部外者に、ましてネルフの連中に貸す権利なんか全くないのよ。勿論、あのまま来ることも出来たけれど、令状もなしでは彼らも無事では済まないわ。あそこは、ああした方が彼らにも良かったでしょう」
「……」
 勿体つけたのではなく、彼らの処遇を考えて、あの場面で出したのだ、とは。
「シンジも、あの場面ならきっとそうするわ」
 その言葉を聞いて何となく、令状はわざと置いていったような気がしてきた。
 最初から見せて強制徴発、のつもりでなければ十分あり得る話なのだ。
 ただ、なぜか訊いてはならないような気がして、
「あ、あの…後で余計に恨みを…」
 一番ろくでもない事を訊いたにせリツコに、
「そうかもしれないわね」
 気にした様子もなくアオイは言ったが、造り主に今の言葉を聞かれたら、間違いなく五体ばらばらにされる事を、このにせものは分かっていない。
 だが、背中になぜか冷たい物が走った時、
「着いたわ」
 車が、大排気量からは想像もできない静かな音で滑り込んだ。
 
 
 
 
 
「別にして持って行かれないのかい?」
 初号機は先に帰っており、既に陽電子砲はフル改造に取りかかっている。
 指示を出したのはユリだが、それを見物に行ったシンジを伴って戻ってきた所へ、ちょうどアオイがにせリツコと帰ってきた。
「別に、とは何の事です?」
「エントリープラグ」
 そう言ったシンジは、私服のままだ。
 プラグスーツをアオイが治療の時に裂いたので、そのまま行ったらしい。
「向こうで挿れるようにしないと、空中で妙に揺れるんだよ」
「揺れる?」
 そんな事は無い筈だと、内心で首を傾げたにせリツコに、
「今回はぶら下がってもらった」
 横からユリが口を挟んだ。
 それを聞いたシンジが、
「こら待て」
「何か」
「お前今、今回はって言わなかったか?」
「それで?」
「揺れないで済む方法あったんじゃないか、まったく」
「その方法を採ると、どこかに降りる事になるが。戦自の基地の真ん中に降りてみるかね?」
「だから、僕は歩いていくと言ったんだ」
「まあまあ、二人とも」
 とりあえず抑えてから、
「起動実験はどうだったの?」
 と、これはレイに訊いた。
「できました」
 少し素っ気ないレイに、僅かにシンジの表情が動く。
 どこか、危険な物さえ孕んでいるかに見えたそれだが、すっと寸前で止めて、
「で、令状は使ったの?」
 なぜか、にせリツコに訊いた。
「え、ええ使われました」
 歯切れの悪いのを見て、
「偽物が行った?」
「あ、いえそうではなくてただ、最後に出されたから」
「最後?」
 聞き返したがすぐに、
「最初に出したらそっちが問題だよ。知らなかった?」
 さも当然のように言ってのけてから、
「教育不足だ」
 ちらりと傍らの女医を見た。
「そうね」
 とこれも冷たく肯定した物だから、早くも改造されてハイパーリツコになるのかと、生きた心地もしないにせリツコだったが、
「あ、あの使徒退治は…」
 おそるおそる口を挟んだレイに、ほっと安堵の息をついた。
 なおレイは、これがダミーだとは知らない。
 いや、地下室で会ってはいるのだが、本物と偽物の区別は付かないのだ。
「その事だけど、結局完全なアウトレンジにはならないわ」
「防ぎようはないって事だな」
「そう、かと言って撃ち合いは絶対に出来ないわ。根本的なエネルギーの量が違うから」
 にせリツコを見て、
「日の本のエネルギーを全部集めたとして、一発撃ってから次の射撃までに要する時間は?」
「早くても三分です、それ以上は」
「その位でしょうね」
 それ以上は要求せず、何か言いかけたアオイを抑えて、
「今回、零号機は初号機の囮になってもらう」
 シンジはあっさりとレイに告げたのだが、アオイの代わりに言ったのだとは、ユリだけが気付いていた。
「私がお兄ちゃんの?勿論です」
 どこか、嬉々としてさえ見えたが、
「結構だ」
 何となく、シンジの反応は冷たい。
(お、お兄ちゃん…)
 ちょっと内心でレイが俯いたのを、アオイが察して、
「レイちゃんの零号機は、海岸に配備します」
「海岸?」
「さっきの実験で、使徒は攻撃意図を持った者だけを攻撃する事が分かったの。だから零号機には、まず使徒を射撃してもらいます。それも、直前まで絶対に気配を殺してね。そして、倒せなかった場合には初号機が使徒を直接攻撃。ただし、もう一撃は零号機が引きつけて」
 つまり、自分が使徒の注意を引きつけている間に、シンジの初号機が使徒を近接戦闘で倒す、そこまでは分かった。
「あの…し、信濃大佐」
「なに?」
「ど、どうして海岸なのですか?設置も手間取ると思いますが」
「被害を避けたいのよ」
「被害?」
 レイは聞き返し、周囲もどういう意味かと?マークを顔に付けている。
 ただし、シンジとユリ以外は。
「発電所の距離を考えると、山頂辺りから撃つのが一番簡単よ。でもね、完全な使徒の射程外でない以上、万が一にも先に撃たれたりした場合、街に甚大な被害が出るわ。これ以上、この街を壊したくないの」
 それを聞いて、周囲もあっと驚いたが、
「それにね」
 アオイはさらに続けた。
「今朝の初号機の出撃も、射出位置を変えていれば、他のビル群にあそこまで被害は無かったわ。もっとも、いなかった私も悪いのだけれど」
「そ、そんな事はないですっ」
 なぜか首を振ったレイだが、この反応はアオイも予想していなかったらしい、
「どうして?」
 と訊いた。
「あ、あのそれはその…お兄ちゃんと…」
 もごもご言ってる所を見ると、シンジ絡みらしい。
(そう言うことね)
 ぴんと来たアオイが、
「シンジ、浚っていっていいかしら?」
 レイの耳に囁いた途端、その顔色が変わった。
 みるみる血の気が引き、
「だ、だめですっ」
 周りが一斉に見るような声で叫んだのだ。
「何が駄目だって?」
 訊ねたのはシンジだが、これもだいたい経緯は分かっているから、たちが悪い。
「そ、その何でもないの…」
 す、とシンジを視線で制し、
「大丈夫よ、置いておくから」
 もう一度囁いた途端、レイの表情がさっと変わって、
「ほ、本当ですか?」
「本当よ」
「ほ、本当の本当に?」
「禅問答してる場合じゃないっての」
 横から口を挟んだシンジが、レイの顔を見た。
「ご、ごめんなさい」
「まったくもう」
 とぼやいてから、
「レイちゃんは射手とそれに囮、出来る?」
 改めて訊ねた。
「やります」
 こくんと頷いたが、
「で、でもお兄ちゃんに当たったら…」
「当たらない−多分」
 と、これもあまり当てにならない。
「で、でもそれじゃ」
「野原でウサギ追うとか、鹿を追っかけるなら別だけどね。未知の使徒相手に、ほぼ絶対のセオリーはないよ。それに」
「それに?」
「あの光線を、二撃までかわせば勝機はある。いや、必ず退治してみせる」
「お兄ちゃん…」
 それをどう取ったのか、うっすらと頬を染めたレイだが、
「さっきから気分が悪い」
 全然関係ないことを言い出した。
「え?」
「揺れが少し強くなってるの、分からない?」
「あ、そう言えば」
 とレイも上を見上げた。
 まだ肉眼では見えないが、その遙か上空には間違いなく使徒が掘削工事に励んでいる筈だし、なによりも大型ディスプレイにはその奮闘ぶりが映っているのだから。
「あの、お兄ちゃん」
「何?」
「電力を集めれば、使徒は撃ち抜けるのではないの?」
「停電します、はいどうぞって訳には行かないからね。計算上の電力が、そうすぐに集まる訳じゃない。それに、避難勧告はまだ解いていないのさ」
「どういうこと?」
 ちょこんと首を傾げたレイに、
「今日は湿気は高くないからいいけど、シェルターの中に第三新東京の住民が、現在も缶詰ってこと。空気調整で一応快適な筈だけど、それが途絶えればその時間だけ、密室の中で苦しむ事になる」
「はい…」
 一応頷いたが、納得しきってはいない。
 シンジの理論は分かるが、使徒退治が最優先ではないかとの思いが、レイの思考の中にはある。
 つまり極端な話、停電によってある程度の犠牲が出ても、使徒を確実に倒せればいいのにと思っているのだ。
 無論そこには、近接戦闘を選択した初号機の、いやシンジへの思いがあるのは間違いない。
 ただ、その辺りはアオイやシンジ、そしてユリとの考えのずれがある。
 街の破壊を最小限にと、わざわざ射撃地点をずらしたアオイ、そして面倒と分かりながら、各医療施設への配電は断たせなかったユリ、何よりも二人のそれを踏まえて、自らが近接戦闘で片づけると決めたシンジ。
 相談などなかったが、彼らの思考はほぼ繋がっていたと言えるかもしれない。
 アオイもユリも、にせリツコが出した電力量なら、ほぼ使徒は一撃で仕留められると分かっていたのだ。
 にもかかわらず、他の存在を看過しなかった所に、彼らの思考は垣間見えるかもしれない。
 ただし。
 使徒に肉迫させるのがシンジである、と言うのが絶対条件であり、これがもし修復が間に合わず、シンジが射手しか出来ずレイがその役目、と言う事になれば間違いなくアオイもユリも、この作戦は採っていなかったろう。
 シンジの戦闘能力、と言う大前提がそこには存在しているのだ。
 シンジがにせリツコを見て、
「停電と、電力集結の準備は?」
「既に広報用のヘリは飛ばしてあるわ。二十分後には可能よ」
 マヤが後八時間と算出したのは、午前十時三十分。
 となると、六時半には終わらないと、巨大なドリルがここを貫通する事になる。
 現在時刻が十一時三十分だから、ちょうど一時間が経過した事になる。
「最終リミットは」
 言いかけたシンジの後を、
「午後六時二十五分ね」
 五分の余裕を持って、アオイが引き取った。
「実質集電時間は五時間余り。これだと、どの位集まるの」
「今出します」
 マヤがキーを叩いて、
「三分の二は何とか可能です」
「となると、そのまま集電を続行していると、第二撃までは何とか可能ね。シンジ、後はよろしく」
「僕かい」
 切り札、と言う感じのアオイの言葉だが、二人とも実際は分かっていた。
 アオイが、すべてをシンジに託す気だと言うことを。
 そして、実際は零号機には、一発撃ったら後はさっさと退いてくれればいい、そう思っていることも。
 “シンジ、任せたわ”
 “分かってる”
 わずかに見交わした視線は、言葉不要で意志を伝える。
 “その前に、ちょっと行って子守してくるわ”
 “そうね”
 視線で頷き合うと、
「レイ」
 とこれはアオイが呼んだ。
 いきなり呼ばれて、
「は、はい」
 一瞬肩がびくっと動いたのは、シンジからもあまり聞けぬような口調だったからだ。
 もっとも。
 ここの本来の目的を考えれば、さっさとアオイが上京して、ミサトを放り出して全指揮を執り、それをユリが補佐する形になっているべきなのだが。
 初戦、さらには二戦目を分析しても、シンジの力や判断力、そのいずれかがずれたり劣っていれば、間違いなく敗戦していた。
 特に二戦目で、シンジが異物をプラグに入れた段階で撤退していれば、間違いなく触手の猛追撃を受けたであろう。
 殿となりそれを防ぐべき街の戦闘能力は、使徒には通用しないのだから。
 さらに、異物を入れたままシンジが、それをうち消す方法を持たなければ、これまた玉砕的な戦法しか持たなかったろう。
 黒衣の女医が指摘した通り、指揮系統の乱れや戦力の準備不足、いずれもパイロットの能力で補ってきた、と言って過言ではあるまい。
 そして三戦目、ミサトでは無理だとシンジは言ったが、熱線が直撃する寸前、アオイの到着でシンジは僅かに避けた。
 だがそれとて、完全に無傷では済まなかったのだが。
 シンジがミサトに言った通り、現時点までは作戦上の町中への被害が大きすぎる。
 それを極力抑え、シンジの能力でカバーする戦術をアオイは採った。
 が、そこにはシンジがレイに告げた、零号機を囮にする事が含まれており、レイの精神状態の調整もしなくてはならない。
 紅の女神と呼ばれる片鱗さえ、どこか見せたような雰囲気に、レイの背筋は瞬時に硬直したが、
「ちょっと来なさい」
 隅へ引っ張っていくと、
「シンジの手術(オペ)、まだ疲れは取れていないでしょう」
 一転して優しい声で訊いた。
 何を言われるのかと緊張していたが、
「す、少しだけ…」
 拍子抜けしたように小さな声で答えた。
「では決まりね」
「はい?」
 それには答えず、
「シンジ」
「ん?」
「時間が来たら起こすわ。パイロット両名は、別室で休養を取っておくように。時間までの指示は以上よ」
「了解」
「信濃大佐…」
 思わぬ指示に、レイが嬉しそうにシンジを見た。
 が、シンジの方は、
「海岸の地図出して」
 マヤに指示すると、映し出された地図をじっと見た。
「アオイ、狙撃場所と潜伏地点が決まったら持ってきて」
「分かっているわ」
「頼んだよ」
 最終打ち合わせの姿にも見えるが、そのシンジに向けたユリの視線は、別の物を含んでいた。
「行こうか?」
「うんっ」
 シンジに続いて、レイも嬉々として出ていった。
 だが、
「シンジも人が悪い」
 ユリが洩らした声は、アオイの耳にだけかすかに届き、
「そうゆう事言わないの」
 アオイに、ちらりとにらまれ、
「それはそれは」
 かすかに口元へ色を乗せたかに見えたユリだが、アオイの口調はユリの言葉の意味を知っていると、ユリには分かっていた。
 そしてそれは、アオイもまたシンジの意図を読んでいたのだということも。
 
 
 
 
 
(続く)

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