第四十四話
 
 
 
 
 
「セカンドインパクトに、ある意味感謝しなくてはならないわね」
「と、言われますと…?」
 アオイの言葉ににせリツコは首を傾げたが、その前から実は首を傾げたかったのだ。
 と言うのも、今二人が乗っているのはBMW・750ILだが、なぜか乗った時からアオイは機嫌良く見えたのだ。
「使徒のことよ」
「使徒、ですか?」
「時期はずれたにせよ、いずれ来た筈よ。ただ、単に来ただけではパニックになっていたわ。大災害で慣れた、と言った方がいいかも知れないわね」
「今更使徒が来ても騒がない、と言う事ですね」
「私も、実は少し驚いているのよ」
「信濃大佐が?」
「ユリも私も、世界的な規模でネルフが存在している事は知っていたわ。それと、ゼーレもね。もっとも、エヴァ絡みではなくて稼業絡みだったけれど」
 話すアオイの横顔を見た時、にせリツコは二つの事に気が付いた。
 一つは、その耳に光るシンジとお揃いと一目で分かるピアスであり、もう一つは。
「あ、あの信濃大佐」
「何?」
「ベ、ベルトはしておかれた方が」
 別に交通規則など、にせリツコにも関係ないが、何せこの車一般道にも関わらず、140キロは軽く出ているのだ。
 もっとも、民間人はさっさと避難しているから、関係ないとも言えるが。
「それがね、駄目なのよ」
「は?」
「助手席にも、腰を押さえるタイプしかないでしょ」
「え、ええ」
 妙に安全性の低い車だと、造ったメーカーの常識を疑っていたのだ。
「安全性が低い車、ではないわ」
 内心を読まれて、ぎくりとなったにせリツコに、
「実はこの車、シンジのだったのよ」
「え?」
「私がね、勝手に貰っちゃったの」
 くすっと笑った顔は、なぜか少女のように見えた気がした。
「貰った?」
「元はシンジのなのよ」
「シンジ君の、と言われますと?」
「シンジがね、ここに来る前乗っていた車なのよ。だから、このシートも私用に改造し直したの。助手席のベルトは私のせいよ」
「え?」
「普通のベルトだと、胸がつかえてしまうのよ。だからシンジが、私用にベルトも代えたの。シンジはこの車、隣には私しか乗せなかったから」
 言われてにせリツコは、唖然としてアオイの胸を見た。
 確かに、着痩せも不可能に見える胸なら、ベルトが引っかかる事もありそうだ。
「じゃ、じゃあ今ベルトを…」
「ベルトだけは、細工するのを忘れたから」
 要するに、フルバケットのベルトしかなく、それでは引っかかると言っているのだ。
 はあ、とにせリツコは内心でため息をついた。
 元々ダミーとして造られているが、別に機械人形ではないし、普通の女としての部分も持ち合わせている。
 それだけに、日本人離れしたアオイの肢体を見ると、つい自分の身体に目が行く。
 ただし。
「元が赤木リツコとは言え、私の手になるには遙かに足りん」
 造物主のおかげで、オリジナルと比べ、かなり完熟した肢体になっているのだが。
 とは言え、ない物をねだっても仕方がないと、
「信濃大佐、さっき驚いたと言われましたが、何にですか?」
「日本人の順応性よ」
「え?」
「使徒、と言う未知の物体が現れる、しかもそれが襲ってくるなんて、セカンドインパクト以前は特撮の世界だけの話よ。それが現実になっても、人々はさして驚いてもいない。順応性の高い日本人でも、特筆事項と言えるわね」
「ここの事を、ご覧になったのですね」
「ええ」
 アオイは頷いて、
「伏せている、と思っているのはネルフだけよ。民間人も大抵は、使徒の事を程度の差こそあれ知っているわ。もっとも小父様も、使徒の爪痕を残す戦闘をしながら、誰も全く気づいていないとは思っておられないでしょうけど」
「あの、信濃大佐」
「どうしたの」
「大佐は、そのセカンドインパクトの時は?」
「寝ていたわ」
「え!?」
 思わず声が大きくなったにせリツコに、
「お祖母様は本が好きで、国立図書館に匹敵する位の本を、地下の貯蔵室に持っておられたの。私はその頃、ちょうどSFに興味を持っていて、それも冷凍人間に興味があったのよ」
「冷凍…人間」
「ある映画でね、第二次世界大戦中にコールドスリープの実験台となった兵士が、数十年後に目覚めると言うのがあって、それを見た影響もあったわ」
「ま、まさか…」
「そのまさかよ」
 アオイは婉然と微笑んで、
「お祖母様に頼んで、冬眠用のカプセルを造ってもらったの。しかも、一人では心細かったからって、ユリを引っ張り込んだのよ。だから」
「大災害は直に経験されなかったのですね?」
「勿論お祖母様も、子供の言う事だからとタイマーを一週間に設定しておられたわ。私が文句を言ったら、政府管轄外の冷凍人間の実験はこれが限界だって、言うつもりだったのですって。でも、運良くセカンドインパクトが起きて、時間を大幅に延長されたのよ」
「大幅?」
「六ヶ月よ。起きた時には驚いたわ、何しろフィルムで見た大戦時の東京みたいになっていたのだから。もっとも、あの中に入っていなかったら、今頃ここにいたかどうかは分からないけれど」
「じゃあ、シンジ君にも会えなかったかもしれませんね」
 生意気に、ちょっと鎌を掛けてみたが、
「そうね、その通りよ」
 アオイはあっさりと肯定した。
 しかも、
「とは言っても、私は別にサードインパクトを否定する気はないのよ」
 とんでもない事を言いだしたから、激しくせき込み掛けたのを辛うじて抑え、
「ど、ど、どうしてですかっ?」
 訊ねた声は、かなり裏返っている。
「人類が一つ?僕はかまわないよ、ってシンジが言ったら、私はそれに付き合うわ」
「で、でも…」
「碇司令の目的、赤木博士は知った上で協力しているのでしょう」
 アオイの言葉に、一瞬にせリツコの表情が固まり、
「ごめんだね、もしシンジ君がそう言ったら…」
「世界を敵に回しても叩きつぶすわ」
 平然と言ったアオイだが、いきがりも気負いもない口調は、安っぽい脅しなどではない事を、聞く者に否応なく納得させた。
「そもそも、戦力としてはこの上ないけれど、単に従順な駒として使うには、シンジほど向いてない子もいないのよ」
 リツコの記憶を持っているにせリツコは、内心でうんうんと頷いていた。
「そう言えばあなた、ユリに何か命じられなかった?」
「え?」
「レイちゃんは、もう補完計画には使えなくなった。だからと言って、小父様が諦めるとは思えないわ。何よりも、妄想に取り憑かれたご老体がそばにいる以上は」
「元々、副指令を引き込んだのは碇司令です。司令も、シンジ君をどうするから大分迷っていました。ただ、今では逆転していますが」
 呼称がリツコと違うのは、やはりユリの思考が影響を与えているせいなのか。
「息子より妻(おんな)を取る、それこそ問題かもれないわよ」
 そう言ったアオイの笑みは、なぜかにせリツコには冷たく見えた。
「では信濃大佐は…」
「ユリもそれは分かっているわ。あなたに命じたのは、それの裏付けよ」
「はい…分かっています」
 ちょっと下を向いたにせリツコだが、ユリは彼女に何を命じたのだろうか。
 ふと車内に沈黙が流れた時、アオイの携帯が鳴った。
「はい、ユリ?ええ、ええ…そう、零号機で。分かったわ」
 十秒程で電話を切ると、
「そう言えば、朝食を摂り忘れたわ」
 いきなり言い出した。
「え?」
「ユリがね、陽電子砲を零号機に取りに行かせるから、少し寄り道するようにって」
「起動実験は成功したのですか?」
「ユリが言うなら間違いないわ。放って置いても動くわ」
 あっさり言うと、
「朝食、付き合ってくれる?」
「あ、はい」
 その瞬間、にせリツコは頷いた事を後悔していた。
 アオイが、
「そう、それは良かったわ」
 にこりと笑った答えを、にせリツコはその身で体験する事になった。
 僅かに左へハンドルを切った直後、アオイの足が一気にブレーキを踏んだのだ。
 なお、スピード計は130を指したままである。
 スピンする寸前、ギアを落として今度は逆にハンドルを切る。
 凄まじい悲鳴と白煙を上げて、巨体は僅かにふらつきながら、反対車線へとUターンした。
「し、信濃大佐…」
 シートに凄まじい勢いで押しつけられ、あえぐように言ったにせリツコに、
「あそこのスパイシーチーズバーガー、実は好きなのよ」
 前方のバーガーショップを指差すのを見て、にせリツコは絶句した。
「シンジ仕様から私向きに変えたけれど、まだ試運転してなかったから軽く回して…あら?」
 ことり、と首を折って失神しているにせリツコに、アオイはやれやれとあきれ顔になった。
「シンジに比べれば子供みたいなのに…ユリに言って改造してもらう必要がありそうね」
 とは言え、一トンを越える巨体に乗ったまま振り回されれば、あっさりダウンするのも不思議ではない、かも知れない。
 
 
 
 
 
「なんだ」
 少しシンジが拍子抜けしたように言った。
 その眼前には、簡単すぎる程あっさり起動した零号機がある。
「おい」
「なに?」
「僕がいなくても起動したんじゃないか」
「それはない」
 黒衣の女医は断言した。
 腰まで揺れる漆黒の髪と相まって、黒のケープはひどく妖美に見える。
「君が来るまで、実験には到底耐えない状態だった。そうだったね」
 視線を向けられたマヤは、
「は、はいっ!」
 叫ぶように答えていた。
「起動したからいいとして、この間は何で失敗した?」
「さて」
「役立たず」
「いなかった人間に、原因説明を課すつもり?」
「記憶は見なかったの?」
 記録、ではなく記憶とシンジは言ったのだが、その奇妙さに気が付いた者はいなかった。
 ただ一人、ユリを除いては。
「別に眺める趣味もない。それに、見たい物でもないわ」
 ちょっとユリの顔を見てから、
「それもそうだね」
 これもすぐに納得した。
「あ、あの」
 遠慮がちに声が掛かったのはその時である。
「何?レイちゃん」
「あ、あの…き、起動したの…」
「お疲れさん」
「はいっ」
 弾むような声で言ったレイに、
「上がってシャワーを、と言いたい所だが、やってもらう事があるわ」
「はい?」
「陽電子砲を持ってきてほしいの。無理ならシンジに行かせるけれど」
「大丈夫ですっ」
 即答が返ってきた。
「いいのかい?」
「私が行くから、お兄ちゃんは休んでいて」
 もう直ったのに、とシンジが小さく呟いた時、
「あ、あのドクター…」
 申し訳なさそうにマヤが呼んだ。
「何か」
「ぜ、零号機はその…ま、まだ活動にはちょっと…」
「電源がないの?」
 訊ねたシンジに、
「整備にもう少し時間が掛かるの、ご免なさい」
 叱られた子供のように頭を下げたが、
「ん、気にしないで」
「え?」
「僕は完治した。従って僕が行って来るから」
 ね、とうっすら笑って見せたが、マヤの顔がすうっと赤くなりかけ、ユリの視線に気づいて慌てて表情を引き締めた。
 いや、それに加えて零号機のプラグの中から、かなり危険な視線が向けられているのだが、マヤはそれには気づかなかった。
 マヤが慌てて表情を作った後、シンジは誰かが真後ろに立ったのに気づいた。
 何の音も立てずに。
「こら、僕に当たるな」
 何故か、シンジの肩に妖しく伸びてきたユリの指を、シンジはぴんっと弾き返した。
「本人に言っても構わないが」
「あ、それはよせ」
 では、とまた伸びてきたのを、
「それも却下だ」
 再度弾いてから、
「初号機は後何分で?」
 ちょうど内線を置いたばかりの日向に聞いた。
「ああ、今終わったそうだよ。予定より早く済んだ」
「さすが、いい整備だね」
「いや、そうじゃない」
 日向ははっきりと首を振った。
「え?」
「あの避け方でなければ、後数時間は絶対に無理だったよ。それも幾分手薄な修理になっていた」
「シンジの搭乗機の整備に手抜きを、と」
 抑揚のない口調に、瞬時に日向の顔から表情が喪われ、
「ド、ドクター、べ、別にあの、そう言う意味では」
「分かってるよ」
 ひらひらと手を振ってから、
「じゃ、行って来るわ」
 ひょいと立ち上がった所へ、
「お、お兄ちゃんっ」
「ん?」
「あの…ご、ごめんなさい」
 自分のせいだと思っているらしいレイに、
「リニューアルされた初号機で、ちょっと慣らしてくるよ。君の方は、ゆっくりお風呂でも入っておいで」
「はい」
 出ていこうとした時、上方の振動がまた強くなり、
「直すのが大変だな」
 少し迷惑そうにシンジは呟いた。
 
 
 
 
 
 いつの時代でも、経営の合理化は永遠の命題と言える。
 そしてそれは、食品に関しても無関係ではなかった。
 ファミリーレストランなどに、既に無人ロボットを配している所はある。
 だがそれでも、やはり人間に敵う物ではなく−ミスは倍近くあるとしても−未だにウェイトレスが働いているのが殆どである。
 それに。
 ウェイトレスの制服見たさに、男性客が訪れる喫茶店は依然として人気は高く、年々色気の増した制服へと、変化していると噂される。
 また、店員の制服を鑑賞するのは男の特権ではないと、最近では美貌の男性ばかりを配した喫茶店も出てきた。
 こちらは、制服ではなくその美貌の鑑賞がメインだが。
 更に言うなら、妙に中年女性が多いのも、たとえそれが余計なチップをばらまくとしても、店側としては一長一短、いやどちらかと言えば迷惑気味である。
 とはいえ、飲食に来てるのかウェイトレスの乳と尻を見に来てるのか、分からない男性客も大して変わらないのかも知れない。
 いずれにせよ、店員がいなくても何とかなる所は、次々と無人化が進んでおり、アオイが車を向けたバーガーショップも例外ではなかった。
 MT車にも関わらず、器用にバーガーを口に入れているアオイに、
「あ、あの信濃大佐…」
 ようやく復帰したにせリツコが声を掛けた。
「何?」
「それ、お好みでしたの?」
「シンジにね」
「はい?」
「美味しいからって、連れて行かれたのよ」
「じゃあ、シンジ君の?」
 そ、と軽くアオイは頷いて、
「シンジと私は、好みは殆ど同じだから」
 当てられたのかしら、とにせリツコが内心で首を傾げた時、再度アオイの携帯が鳴った。
「はい、アオイです」
 さっきと対応が違うのは、相手が分かるからだ。
 (シンジ君かしら?)
 にせリツコがなぜか、ぼんやりとそんな事を思った時、
「あなたが来るの?そう、じゃ向こうで待ってるから、じゃあね」
 さっきと同様短いが、僅かに弾んでいるとにせリツコには感じられた。
「シンジ君ですか?」
「零号機が動けないから、シンジが来るそうよ。でも」
「はい?」
「戦自に人は残っているの?行くのは作戦部ではないのでしょう」
「それならさっき、連絡しておきました」
「いたの?」
「いえ、あの無言電話で十分だとドクターが」
 アオイの視線が飛んでくる前に、にせリツコは自分から窓の外に視線を逃がした。
「さすが、ユリの作品ね」
 別に呆れてもいない口調で言うと、
「まあいいわ。どのみち、徴発令状は向こうで来るから」
「え?」
「実は、さっきの部屋に置いてきたのよ」
 本当ですか?と、聞きかけて寸前で止めた。
 もしかしたら、故意かもしれないと思ったのだ。
 が。
「いくらネルフでも、令状無しに持っていけないでしょう。まして、戦自相手では」
 やっぱりうっかりらしい。
「色々と、敵も多いですから」
 よく分かっているようだ。
「さて、大体直線の伸びは分かったし、そろそろ行かないとね」
 アオイがそう言った時やっと、随分と遠回りなルートだったと、にせリツコは気が付いた。
 
 
 
 
 
「それにしても」
 と、シンジは目を閉じたまま呟いた。
 日向が言った通り、外装は完全に元通りにされており、乗った感じも違和感はない。
 あっさりと起動した初号機に乗ったシンジは、現在空の人となっている。
「こんな感じなんだ」
 考えて見れば、今までの出動はすべてカタパルトからの打ち出しであり、こんな風にぶら下げられての移動はない。
 エヴァ専用の長距離輸送機を使っているが、まだプラグを別にして持っていく技術はないと言う。
 つまり、現地に着いてからプラグを押し込んで起動、と言うのは出来ないらしい。
 乗り物に弱いシンジではないが、ぶら下がっているのは、想像すると何となく格好悪いし、それに何よりも。
「変な感じで揺れるんだけど」
 聞く者もない空間に呟いた通り、何とも言えない微妙な震動が伝わってくるのだ。
「まったくユリのやつ」
 シンジがぼやいた通り、今なら民間人は避難しているし、エヴァだから走った方が早い、とシンジが言ったのを、
「足を滑らせて転ばれては迷惑だ」
 と、半ば強引にこれに載せたのだ。
 かくしてシンジは、生涯で初のちょっと微妙な空中飛行を体験する事になったのだ。
 積んですぐに発つ、と言う訳にも行かずぶら下がった姿勢は結構長い。
 ただし、実はこれが徴発令状の到着に合わせての時間だったとは、シンジも気づく由はなかった。
 まだかな、と内心で呟いた時、
「後五分で到着します」
 妙に機械的な女の声が、到着を告げた。
 
 
 
 
 
「使徒退治に、ご協力をお願いしたいの」
 ネルフの信濃アオイです、と名乗った目も覚めるような長身の美女に、甘い声で囁かれた責任者の男は、既に脳髄まで犯されていた。
 使徒が来るから、ちょうどこれを移動しようかと、部下達と話し合っていた所だ。
 ネルフの連中が倒す、それは仕方ないにしても特撮もどきではなく、自分たちの大和魂を見せてやるぞと、その第一歩がこの陽電子砲だったのだ。
 何時までも、ネルフごときにでかい顔はさせるなと、既にある筋からも命が下っているという。
 それがどこかは分からなかったが、上からの命令が絶対なのが軍隊である。
 無論戦自も例外ではなく、ほぼ突貫工事で仕上げたのに、よりによってネルフの連中が貸せと言って来た。
 ふざけるなと啖呵を切って、説教代わりに何人かに輪姦させて…戦自としてはそれがあるべき姿である。
 なにしろ、令状も無しにこんな所までのこのこと来たのだから。
 これがもしにせリツコが先頭だったら、間違いなく今頃素っ裸に剥かれている筈だ。
 ところが。
 スーツ姿のこの女が入って来ただけで、どうやってネルフの者があっさり入れたのかという疑問も、ましてとっ捕まえて一発かましてやろう、と言う事も完全に脳裏から吹っ飛んでしまった。
 そしてそれは、その場に居合わせた部下達も同様である。
 変な金髪女が後ろにいたが、その存在より何より、ただアオイの放っている気に、完全なまでに中毒っていたのだ。
「な、何に使うんで?」
 アオイに見取れていたせいか、言葉遣いが地に戻っている事に気が付いていない。
「めくらまし」
 アオイは婉然と微笑んでみせた。
「め、めくらまし?」
「ジオフロントに穴を穿ってる使徒がいるのよ。近づくと撃ってくるから、注意逸らしたいんだけど、その辺の武器では無理」
 一旦言葉を切ってから、
「そう、戦自の最新鋭の武器でもないと、ね?」
 機密をあっさりと漏らしながら、その双眸は男の顔を捉えて離していない。
 たちまち魅入られた顔が紅潮し、
「お、お役に立てるなら、よ、喜んでっ」
 なあっ、と周囲を見回すと、そこにいた十数名が一斉におうっ、と手を突き上げた。
「そう、有り難う」
 一層危険な声で、アオイが妖しく礼を言うと、男達が慌てて視線を逸らした。
 (な、何なのこれは…)
 呆然としているのは、無論にせリツコである。
 徴発令状を示し、さっさと持っていくと思っていたのだ。
 軍事機関でもないのに、圧倒的過ぎる戦力を持っているネルフ。
 零号機と初号機を擁し、その気になれば日本などあっさり征服出来るだろう。
 それだけに、周囲からの反発もまた大きい事は、にせリツコも十分に分かっている。
 もっとも、リツコ本人の意識を写した範疇ではあるが。
 そのネルフから来て、いきなり最新鋭の武器を貸せなどと、本来ならば噴飯物の台詞であり、アオイが令状を出さなかった時は、柄にもなく懐中の小型拳銃に手を伸ばしかけたにせリツコだったのだ。
 なのに…それなのに。
 アオイは至極あっさりと、茶飲み話でも切り出すかのように、貸してと切り出したのだ。
 そしてまた、猛然と反発すべき男達が、まるで蛇に魅入られた蛙にでもなったかのように、素直に受け入れたのだ。
 いや。
 アオイは威嚇などしていない。
 ただ、じっと見つめただけだ。
 にもかかわらず、男達の表情は完全に溶けきっていた。
 傾国の美女、ふとそんな言葉がにせリツコの脳を過ぎった。
 幽王は、玄宗皇帝は、後鳥羽上皇は、そして項羽は、皆女の中に同じ物を見ていたのではないだろうか。
 そう、ここの者達がその片鱗を垣間見たようなそれを。
 自分を作った主、ユリとはまた異なった妖美だが、にせリツコはどこかで見たような気がしていた。
 (確かどこかで…)
 一瞬考え込んでから、はたと彼女は思いだした。
 (そうだ、あの時の…)
 初めてシンジに会った時のことを、にせリツコは思い出していた。
「よろしく、未来のお義母さん」
 シンジがそう言って微笑って見せた時、確かに今のアオイと同じような視線だった気がする。
 (赤木リツコは、そのまま受けたのでしょう…間抜けな話ね)
 元は赤木リツコでも、その知識や能力は大分違う。
 今なら、今の彼女なら、碇シンジが赤木リツコをどう見ているのかが、はっきりと分かる。
 そう…人形として綾波レイを創った赤木リツコを、そして碇ゲンドウを。
 秘やかに、にせリツコが内心で呟いた時、
「もう二つ、お願いがあるの。お願いしてよろしいかしら?」
 アオイの言葉に、男達が取り憑かれように頷いた所であった。
「一つ」
 シルバーリングを嵌めた指が一本、すっと上がった時、何人かが生唾を飲んだ音が、にせリツコには聞こえた。
「運んでいただくのは悪いから、エヴァに運ばせます。敷地内で、多少の施設の損壊があるかもしれないけれど」
 研究所の職員は、陽電子砲に関しても実際の権限は持ち合わせていない筈だ。
 彼らは、上から造れと言われて造っただけの話なのだから。
 にも関わらず、自由に持って行けと所長は言った。
 そして、
「いいんですよ、んなもんは。壊れたらまた造ればいいんですから」
 なかなか良い事を、だが越権の台詞を吐くと、大きく胸を張った。
「ありがとう。そしてもう一つ」
「え?」
「屋根、ちょっと剥がしてもいいかしら?」
「や、屋根?」
 さすがに所員が怪訝そうな顔を見せた時、アオイは耳のピアスにそっと触れた。
 覆っている髪をかき上げる、それだけでも一挙一動に視線が集まる。
 そして、
「シンジ聞こえる?」
「感度良好」
 片方は通信機の役目も果たすアオイのピアス。
 無論、シンジのも同様である事は言うまでもない。
「協力して頂いたから、屋根を開けてもいいわよ。ただし最大限、傷はつけないようにしてね」
「はーい」
 ガリガリと音がして四方の螺旋が外され、屋根がよいしょと動いて直射日光が差し込むのを、男達は呆然と見つめていた。
 いや、にせリツコも実は驚いていた。
 多分外まで運んで、そこから持っていくと思っていたのだ。
 片手で陽電子砲を持ち上げると、またゆっくりと屋根を下ろす。
 かなり強引な工事に、一同が目を点にして眺める中、
「以上です」
「あ、ああ…」
 まだ呆然と屋根を見上げている所長に、すっとアオイが歩み寄った。
「ありがとう」
 さっきとは違いどこか冷ややかな、だが一番危険な声でアオイが囁く。
 冷たさは大幅に増したにもかかわらず、効果は一番あったらしい、完全に魅入られた状態の男を見て、
「そうそう、これを渡すのを忘れていたわ」
 今思い出した、と言うように封筒に入ったままの令状を渡した。
「さ、帰るわよ」
 屋根を見上げているにせリツコに声を掛けると、さっさと歩き出した。
 慌ててにせリツコが後を追ったが、どこか取り憑かれたような所員たちがようやく我に返ったのは、アオイのBMWが敷地内を出てから数分後の事であった。
 
  
 
 
 
(続く)

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