第四十二話
                   
 
 
 
 
「困った子ね」
 冷気そのもののようなアオイの声に、誰一人身動きも出来ない。
 アオイにしては珍しく、深紅のドレスに全身を包んでいるが、まず目立つのはその長身であろう。
 それもその筈で、アオイの身長は百八十センチを超えているのだ。
 ユリよりは頭一つ高く、ゲンドウよりもまだ高い。
 が、それだけが目立たないのは、肢体もまた圧巻だからだ。
 特に大きく張り出した胸は、着やせなどという単語が通用しないレベルにあり、シンジと二人して、下着がオーダーメイドになる要因にもなっている。
 そう、一言で言えばサイズが無いのだ。
 日本人離れしたその胸は、大抵の下着店に行ってもまず、申し訳なさそうに首を振られる原因である−覆い切れぬ羨望の色と共に。
 しかし、それだけの胸ながら、腰が大きく曲線を描いているのは、それだけの細さを実体が持っているからであり、シンジが前に訊いた事がある。
「胸、重くないのかい?」
 と。
「シンジに重そうに見えるなら、削ぎ落としてしまうわ」
 うん、とシンジが言えば間違いなくそうしただろう。
 シンジはちょっと考えてから、
「柔らかいからいいや」
 奇妙な答えだったが、アオイはにこりと笑った。
 まるで、天女のような笑みで。
 だが、今のアオイにはその表情は微塵もなく、それどころか羅刹の気を漂わせたままで、
「初号機を回収して」
 と命じた。
「はっ、はいっ」
 すぐにパネルに手が伸びたのは、信濃アオイが作戦部所属の大佐として着任する旨を知っていた事もあるが、それよりはむしろその声にあったろう。
「シンジ、動けるの?」
「ん、大丈夫」
 起きあがった姿にダメージは感じられない。
 とは言え、装甲は結構抉れており、これが直撃だったらと思うと、人々はさすがに背に寒い物が走るのを感じた。
 起きあがって穴に入り込んだ時、幸い第二撃のそれは無かったが、
「アオイ、期待過剰だぞ」
 その視界には、まさに獲物を啄まんとしているペットの姿が映っており、次の瞬間それは、その頭を持ち上げた。
 頭部へそのくちばしを食い込ませる意図は明らかであった。
「そうねえ」
 だが冷ややかにそれを見るアオイには、止めようと言う気はまったく感じられない。
「こら」
 巨鳥の巨躯が止まったのは、くちばしを振り下ろす寸前であった。
 びくっと身体が揺れたそれは、飼い主の声をモニター越しに認識したものか。
「それ以上やると焼き鳥だぞ」
 凍り付いていた人々は、次の瞬間唖然とする事になった。
 焼き鳥だ、と言ったシンジと初号機はそのまま降下体勢に入ったが、大鷲がミサトから離れてアオイの肩に止まったのだ。
 
 この猛禽が震えている!?
 
 人々のそれは、錯覚ではなかった。
 文字通りそれは、アオイにしがみつくようにして身体を震わせていたのだ。
「血が抜けて干涸らびる前に、血止めして置いて」
 シンジの声に、
「承知した」
 入ってきた黒いケープは、どこか不吉な物を思わせるにも関わらず、人々はほっと内心で安堵した。
 殆ど意識を失っているミサトに近づくと、
「重傷だ」
「どのくらいかかるの」
 訊ねたアオイに、
「そう、まず二日」
 呆然と人々が見つめる中、
「キャリアーを」
 振り向かずに言ったときにはもう、ナースが二人担架を運んできており、その内の一人がミサトを軽々と担いで乗せた。
「血液の全データがついさっき届いた。適当に輸血しておくように」
 無論診療契約違反ではなく、命じた相手を知っているからだ。
 そう、長門病院から呼び寄せた精鋭の看護婦だと。
 点滴の時間を間違えたり、或いは中の液体を間違えるなど、論外とも言えるミスなど彼らには起こらない。
 いや、それを許されぬ中で教育を受けてきた、と言った方が正解だろう。
 病院は治療の為の所、もっとも基本的な事だが、全員がそれを徹底して教え込まれてきているのだ。
 ミサトを乗せた担架が出ていこうとした時、
「血の気の多い奴じゃな」
 レイと似た、だがはっきりと妖気を帯びた声に、発令所の面々は再度凍り付く。
 そっちにちらりと視線を向けると、 
「初めまして、姫」
 アオイが優雅に一礼した。
 
  
 
 
 
「ねえ、鈴原」
「何や?」
「彼のこと…どう思う」
「彼?」
 聞き返したが、無論トウジにも分かっている。
 ただ、確認してみたかっただけだ。
「少し…変わった人よね」
「…そやな」
 何となく頷いたトウジ、まだ教師が来ない教室で、二人は前後の机を占領して話し込んでいる最中だ。
 くだんの一件以来、急速に仲が近づいた二人だが、元はシンジの気まぐれが発端であり、シンジの気分次第では、今頃全身を移植用にばらされていても、決しておかしくはないのだが。
「なんで…乗ってるんやろな」
「え?」
「エヴァに乗ってるのは…なんでや?」
 妙な事を言いだしたトウジの顔を、ヒカリは奇妙な顔で眺めた。
「気になるの?」
「理由がな」
「理由?」
「理由がないような気がするんや…碇君には」
「綾波さんだってそうじゃない」
「同じ、か?」
 んー、と二人して首を傾げた。
 シンジとレイはどこか似ているが、根本的に何かが違う。
 読みにくいのは二人とも同じだが、シンジのそれは底の見えぬ深淵があるのだ。
 底知れぬ何かを共に、それぞれシンジを敵に回しかけた二人は感じていた。
 そして彼らは知らなかったが、山岸マユミもまた。
「でも鈴原」
「あ?」
「訳の分からない人に、下僕だって言われてどうして頷いたの?」
「…洞木はどうなんや」
「私?」
 トウジの言うとおり、二人は一号と二号だと言われたのだ。
 どっちが一号かは不明だが。
「つい、頷いちゃって…」
 怖かったか、と言われればそうでも無いような気がする。
 無論、怖さが無かった訳ではない。
 人と物の区別が付かないんですよ、そう言って笑ったシンジの表情は、なんの作りも無かったのだ。
 そう−ごく普通の笑みだったのだ。
 ヒカリが心底から怖い、と思ったのはその時である。
 むしろ凶暴に迫られ、犯される寸前まで行ってもそんな恐怖は無かったろう。
 これが前後も見ずにいきがるような輩なら、精神的にはさしたる事はない。 
 得体の知れぬ、どちらかと言えば強迫観念とは遠い物、それだからこそヒカリには冷たい恐怖を感じさせたのだ。
「ワシもやな…」
 僅かに苦笑したトウジだったが、それを知るには二人の代償は大きく異なっている。
 ヒカリの方は外傷はないが、トウジの方はまだ完治には遠く、体育の後などはあちこちが痛んでいるし、失った歯は四本に達している。
 ただトウジもヒカリも知らない。
 これが、碇シンジを向こうにしてはあまりにも軽い結果であった、ということを。
 そして妖艶な女医がその場にいれば、手が動いた瞬間に全身を細切れにされていた、ということも。
 
 
 
 
 
「信濃アオイじゃな」
 姐姫がちら、と目を向けたのはアオイの胸元であった。
「なるほど」
 何がなるほどなのか、つかつかと歩み寄った妖姫は、奇妙な行動に出た。
 思い切り、と言う言葉が当てはまるほどに張り出したアオイの胸を、その手の上に載せたのだ。
「お戯れを」
 アオイの長身だと、見下ろすような格好になる。
「これならあやつが」
 言いかけた時、
「そこまでにしておけ」
 どこか危険な声に、一斉に視線がそっちを向くと、肩を少し押さえたシンジが出てくる所であった。
「シンジっ」
 姐姫の行動に眉一つ動かさなかったアオイだが、シンジの様子を見た途端、表情が変わった。
 姐姫の手を振り払うと、一気に地を蹴ったのだ。
「大丈夫っ!?」
 殆ど駆け寄ったような様よりも、むしろ乱れぬ裾の方に皆の視線は奪われていた。
「ちょっと煮えたけどね」
 脇腹を軽く揉んだシンジの口調は、僅かに硬い。
 それを知った瞬間、みるみるアオイの全身から、悽愴なまでの気が立ち上り始めた。
「落ち着けよ」
 むしろシンジの方が冷静である。
「まったく誰もいなくなっちゃって。ところで総司令は?」
 上の方を見上げてシンジが訊いた。
「碇はいま出かけているよ。それにしても、随分といい身分だ…ん!?」
 一瞬奇妙な顔をしたのは、アオイが自分の方に向けている手に気が付いたからだ。
 数秒経ってから、
「信濃大佐、何の…」
 何の真似だ、そう言おうとした途端、バーン、と凄まじい音がして、ゲンドウの机が木っ端微塵になって吹っ飛んだ。
「おじさまの事だから、きっと机の中は空っぽね」
「多分」
 シンジが応じた時、人々は未だ事態を把握していなかった。 
「今のは幽気」
 アオイは冷ややかに言った。
「時間差でかけてみましたの。次は裂気で全身をバラバラにして差し上げますわ」
 アオイが何かを放ったのだ、と言うことは分かったが、それの正体に気づいた物は一人を置いていなかった。 
「くっ…ぐうっ」
 冬月が脇腹を押さえて、蹲ったのは次の瞬間である。
 机を木っ端微塵にしたそれが、僅かに身体をかすめるのと、凄まじい冷気がつま先から一気にこみ上げてくるのが同時であった。
 その部分だけ、まるで石にでもなったような気がして、たまらず冬月が前にのめる。
「副司令っ」
 銃を抱えた保安部員達が走り込んできたが…事情が分からない。
 それもそうだろう。
 なにしろ、机は木っ端微塵になっているが、その原因が掴めないのだ。
「ど、どうなさいましたか」
「…いや…何でもない」
 辛うじて立ち上がった冬月の顔は蒼白になっており、額にはびっしょりと汗をかいている。
 唖然として男達が顔を見合わせる中、
「悪いが、肩を貸してくれんかね」
「は…はっ」
 肩に捕まってようやく出ていく間際、
「私に当たる前に使徒に当たった方がいいと思うがね」
 だがそれを聞いたシンジが、
「後ろから撃っちゃおっかな」
 などと言った物だから、両側から支えている男達の方が、青くなって早足で出ていった。
「気功じゃな、アオイよ」
「お分かり?」
「使い手は数多おるが、時間をずらしてはわらわも初めてじゃ。大したものじゃの」
「ま、僕の家来だし」
 横から口を挟んだシンジだったが、その視線が自分の身体を射抜いているのを、アオイは感じ取っていた。
 
 やっぱり、シンジの目はごまかせないわね。
 でも原因までは分からないわ、きっと。
 
 アオイからすっと視線を外すと、
「さっきの何だ?」
 と姐姫に訊いた。
「穴を穿っている奴か?」 
 姐姫の言葉に、
「そうそうあれ…げ?」
 ディスプレイを見ると、初号機の退却に気をよくしたのか、使徒がドリルを出して本部の上に掘削工事を開始している。
「あれは、どこ狙ってるんだ」
「本部の最深部よ」
 ユリの言葉に、何か知ってるな、と言うような視線をシンジが向ける。
 と、その時日向が顔を上げた。
 一瞬早くアオイが、
「日向君」
 と呼んだ。
「え、お、俺の名前を?」
「そこまでのんびりさんじゃないわ」
 薄く笑ったアオイに、ぽうっと見とれかけてから慌てて、
「は、はいっ」
 立ち上がった挙手した姿に、周りからくすくす笑い声が起きた。
 だが、
「信濃アオイ、本日付けで着任よ。よろしく」
 かーっと赤くなった日向に、挙手を返したものだから、たちまち静まりかえった。
「それで、初号機の修復に要する時間は?」
「たった今、データが届きました」
 失地回復のように胸を張って、
「好判断のお陰でダメージも最小です。一時間で完全に元通りです」
 軽く頷いてから、
「シンジだもの、当然ね」
 シンジに向けた口調は、一転してそれと分かるほどに甘い。
「基本だし」 
 返してから、
「マヤさん」
 伊吹マヤを呼んだ。
「え、な、何?」
「あの工事してるおっさん」
 と画面の使徒を指さして、
「あのドリル、何か伸びてない?」
 シンジが言った時、その五感は僅かな振動を感知していたのだ。
 だが、その割に使徒の位置が変わっていないのにも気が付いていた。
 と言うことは、使徒のドリルが伸びていると言う事である。
「ちょ、ちょっと待って」
 キーボードを弾くと、画面の片隅に本部上面の絵が出てきた。
「こ、これは…」
「下までぶち抜かれるのに、時間どれくらいかかる?」
 重ねて訊いたシンジに、
「い、い、今出しますっ」
 平静を失っているように見えるのは、普段ならばいつもリツコのサブだからだ。
 マヤに直接諮問がある事など、殆ど無いのである。
 十秒ほど経ってから、
「あ、後八時間です…」
 初号機があっさり破れ、その上十時間足らずの余裕しかない…にも関わらず本部内に動揺がないのは、ひとえに彼らのせいだ。
 そう、信濃アオイの表情であり、碇シンジの雰囲気であり、そして長門ユリの妖瞳であった。
 いや、一番はやはりユリかも知れない。
 黒瞳をスクリーンに向けたまま、
「時間は十分だ」
 一言、告げたのだ。
 何を持ってそう言ったのか、誰も知らぬけれども、その一言だけで、事態が何とかなりそうな、そんな奇妙な安堵を人々に与えていた。
 これこそが、
「必ずお返しします」
 最後の頼みと長門病院を訪れ、超難度の手術にユリの腕をすがった両親に一言、たった一言だけ告げて、絶大な安心感を抱かせる長門ユリなのだ。
「で、どうすんのさ」
「出来ぬ物でもあるまい」
 珍しいことに、今度は姐姫が横から口を挟んだ。
「青葉君」
 今度はアオイが、青葉シゲルを呼んだ。
「は、はいっ」
「使徒の行動は、攻撃の意志を読んだ物と見て間違いないわ」
「ど、どうしてですか?」
「避難が完了していないからよ」
「避難?」
「本当なら、全住民は避難が完了しているはずでしょう。現時点で97%、さっきの時点では94%よ」
「は、はあ」
 どうやら、アオイの意図が読めていないらしい。
「動く物を全部対象なら、避難の車にも甚大な被害が出ているはずよ。ここは死の街ではないのだから」
「あ、ああ、そう言えば」
 やっと分かったらしい。
「それで、使徒の攻撃範囲を知りたいの。試す用意は出来る?」
「あ、ちょっと待って下さい」
 三秒後に、
「陸自の自走砲があります。これだと、十分以内に出られます」
「出して」
「はっ」
 アオイの反応は早く、それにつられたかのように、シゲルもまた受話器に手を伸ばした。
 受話器を抑えながら、
「信濃大佐、距離はどうされますか」
「三キロで」
 告げたのはアオイではなく、シンジであった。
「え?」
 一瞬聞き返したシゲルに、
「シンジの意志は私の意志よ、急ぎなさい」
 幾分温度の下がった声で命じた。
「姫、いかが?」
「三枚で何とかなろう」
「『はあ?』」
 レイの肢体、でもレイとは違う女に、これは誰だと一同首を傾げている所へ、いきなり三枚だなどと言い出したのだ、首を捻るのも当然であったろう。
「僕にやれっての?」
「出来ぬのか」
「あれってシンクロかなり上がるから、気分悪いんだよ」
 高シンクロ率、それ自体が何らかの影響をもたらす訳ではない。
 だが、コアにユイがいる事を知っているシンジにとっては、一体感が強くなるシンクロ率の跳ね上がりは、気分の悪化以外の何物でも無かったろう。
「ねえ、ユリ」
「何?」
「三枚重ね、シンクロはどの位いるの」
「370%」
 こともなげにユリが告げ、シンジの眉がうげ、と寄った。
「殆ど一体化じゃないか。で、逸らすのかい」
「跳ね返せ」
 姐姫の言葉に、
「無茶なことを」
「そうでもあるまい。そうであろうが、アオイよ」
「ええ」
「ん?」
 中身が分からないシンジに、
「さっき避けた時、一時的にATフィールドが増加しているのよ。ダメージが抑えられたのは、単に避けたからだけではないわ」
「だから気分が悪いんだな」
 ぼやいてから、
「おい」
「何じゃ」
「跳ね返したらどこ行くんだ」
「知らぬ」
 姐姫は平然と言った。
「鏡面で光を跳ね返せば、設定次第でどこにでも行くであろうが」
「まっすぐしかないわね」
「まっすぐ、ねえ」
 ちらりとユリを見たが、
「別に降りても構わないが」
 三秒考えてから、姐姫の顔を見て、
「いい、やる」
「ほう」
「お前と心中なんてごめんだね」
「安心せい、いずれわらわの下僕にしてつかわす」
「遣わされたくない」
 ぷい、とそっぽを向いてから、
「用意まだ?」
 と訊いた。
「あ、も、もうすぐ出ます」
 完全に呑まれている。
「自走砲、出ますっ」
 声と共に、画面にはゆっくりと戦車の形状をした物が出てきた。
 
 
 
 ところで自走砲と戦車は、形状は似ていても、その存在自体は別物である。
 攻撃と防御、この二点に加えて履帯で走る行動力、これを持っているのが戦車だ。
 なお履帯とは、パワーショベルなんかがタイヤ代わりにしている、あのゴロゴロ動いていくあれである。
 元はイギリス産とされる戦車は、機銃で撃ち合っている中を平然と進軍し、塹壕も踏みつぶして行けるように、とされた物だ。
 それだけならただの装甲車だが、そこに大砲などを据え付けると、戦車にランクアップするのである。
 一方自走砲はと言うと、攻撃の部分はいい。
 それと履帯で動くから、その部分もクリアしている。
 だが、これは防御力が弱い。
 元々大砲をよっこらしょと持つ代わりに、車輌に載せたような物だから、防御が弱いのもある意味当然かも知れないが、防御が弱くては突っ込んでいけない。
 つまり、同じ履帯を持っていても、戦車のそれとは意味合いが違ってくるのだ。
 簡単に言えば、F1でレース車両が履くタイヤを、一般家庭で主婦が乗る軽自動車に履かせたような物だ。
 タイヤである、と言う部分は同じだが、履いている車両に差がありすぎる。
 Kカーでコースに出て、同じ速度でコーナーを回ろうとしたら、スピンして吹っ飛んでいくのは間違いない。
 いや、それ以前にブレーキング時の速度が、まったく追いつけないだろうが。
  
 
 
「大砲は向けないで、そのまま進行させて」
 アオイの指示に、自走砲がゆっくりと動いていく。
「三キロ地点に到着しました」
「使徒に照準を合わせて」
 砲身が使徒の方を向くのと、光線が使徒から放たれるのとが同時であった。
「自走砲、消滅しました」
「どう?シンジ」
「一瞬ぶれた」
「やはり、二つの作業をこなすのはさすがの使徒も無理なようね」
 シンジの目は、光線を発した瞬間使徒の本体が、わずかに揺れたのを見抜いていた。
 掘削作業をしながら怪光線を発するというのは、ドリルでセメントを削りながら、吹き矢を吹くような物かもしれない。
「んー?」
「あら?」
 アオイとシンジの表情が僅かに動く。
 二人は、はるか上方の揺れが少し強くなったのを察知したのだ。
「はいってきたようね」
「あーあ、処女が」
 上を見たまま呟いたシンジを、アオイがちら、と見た。
「何か言った?」
「なんでもない」
「何にせよ」
 ユリが画面を見ながら言った。
「標的の意識を、こちらに向けさせればその分だけ突っ込みやすくなるわね」
「これ以上兵器無駄に使っちゃ駄目だよ」
「分かっているわ、シンジ。でも、そこまで使える物があるかしら」
「ポジトロンライフル、あれが確か使える状態になっている筈よ」
「シンジ、使ったの?」
 うんにゃ、とシンジは首を振った。
「僕は知らないぞ」
「零号機が実験で使っただけよ。シンジが知るはずはないわ」
「空自から、不要になった偵察機でも回してもらおうかしら」
「そんなのあったっけ?」
「無人衛星の開発に成功したけれど、国民がうるさいからと隠匿してあるのよ。もっとも、セカンドインパクト前からの物だけど」
「数は?」
「お祖父様に聞かないと分からないけれど、ダース単位であるはずよ」
 つまり、使徒が気を散らせば散らす程、初号機が突入しやすくなる。
 どうやらこの二人、使徒の攻撃力を見てもなお、近接戦闘に持ち込む気らしい。
「それよりも、もっといい方法がありますわ」
 上からのリツコの声に、皆が一斉にそっちを向く。
 普段と同じ、だがそれでいてどこか違うリツコの声に。
(あれはダミーね)
 アオイはすぐ見抜いたが、口にはしなかった。
 本体ではない、などとこんな所で言ったら大変である。
 降りてきたにせリツコに、
「オリジナルはどうした?」
 シンジが小声で訊いた。
「いかせてあげたわ、たっぷりとね」
 ちらっとその全身に視線を向けたシンジに、
「私は濡れていないわよ」
「はいはい」
 声量を元に戻して、
「で、いい物って何?」
「戦自が陽電子砲を作り上げています。借りてきてはいかがでしょうか」
「戦自のライフルを?」 
「あれなら、電力次第ですが使徒も多分撃ち抜けます。初号機を危険にさらす事はありません」
「シンジが危険で無ければいいのよ」
 奇妙な事を言うと、
「電力はどれくらいいるの」
「マヤ、数字を弾いて」
 マヤのそばによって何やら命じた声は、普段のリツコそのものであった。
 耳のすぐそばに唇を付けられて、マヤの顔がすーっと赤くなったのは、リツコから漂う性の匂いが、無意識のうちに伝染った為かも知れない。
 さすがにシャワーは浴びて来たが、オリジナルをさんざんなぶってきたにせリツコからは、女同士の性の匂いが消えてはいなかったのだから。
「は、はいっ」
 プリントアウトされた紙を、にせリツコがアオイに渡した。
「使徒と撃ち合って、その砲撃範囲を上回る距離からだと、これだけの量が必要になります」
「一億八千万、ね。この分だと…日ノ本総停電かしら」
「一時的ですが」
「ユリ、あなたの病院はどうなってるの」
 ユリに向けた問いに、一瞬周囲が固まる。
「入院患者は現在ゼロ。別に構わないわ」
 長門病院に言及しなかったのは、そこが既に電力の自己供給に成功しているからだ。
 すなわち、魔力の完全な変換のそれへと。
「でも、タイムリミットまでに集まるのはおそらく無理よ。一応の足止め位のつもりでないと」
 にせリツコを見てから、
「それで、誰がこれを撃つの?」
 と訊いた。
「射手がいないぞ」
「それは」
 何か言いかけた時、
「あの、私がやります」
 白い手がすっと上がった時、人々は妖気が消えているのに気が付いた。
「気分は?」
 シンジの問いに、こくんとレイが頷いた。
 
 
 
 
 
(続く)

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