第十六話
 
 
 
 
 
 ユリが夭糸と、呪符の束を持ってネルフに戻った数日前。
 イギリスはウェールズにある、大きな屋敷。
 その一室に、美少女の姿があった。
 土御門モミジ。
 現在十四才。
 信濃家と並んで称された、暗殺の名門土御門家の末裔である。  
 ライバル意識の無かった両家の交友は以前からあり、当然シンジの事も、良く知っている。
 と言うよりも、呪符を使っての術をシンジに教えたもう一人だったのだ。
 シンジをどう見ているかは、毎晩シンジを横に置いている事でも分かる。
 無論、本物ではない。
 渡英する時に、無理に貰ってきた髪の毛と人型の呪符が材料だ。
 普段は挨拶だけするのだが、その日は違っていた。
 何となく、口づけしたくなったのである。
 ユリから電話が入り、呪符の送付を依頼されたのは、その数時間後の事であった。
 大きなダブルベッドの上に座り、シンジを眺めているモミジ。
 手にしている札を見ると、にっこりと笑った。
 あどけない笑みだが、目は笑っていない。
「この間の、私の誕生日にご連絡下さいませんでしたわね、シンジ様。これは私からのささやかなお礼ですわ」
 そう言って札に一枚一枚、何やら書き込んでいった。
 だが、その速度たるや常人の比ではなかった。
 百枚からの札に、一分足らずで書き終えると帯封で束ねた。
 発送用の箱に入ったそれが、メイドの手で運ばれていったのは数分後の事であった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 シンジにいきなり、孫の夢でも見たかと訊ねられた冬月。
 思わず、
「ああ、久しぶりにな。あの子に逢え…」
 言いかけてから気付いたらしい。
「なっ、何を言わせる、話を逸らすな。そんな事より」
「判っていますよ、副司令」
 そう言って冬月の顔に視線を送ったシンジ。
「前科があれば、少しは箔が付くという物、だったね?」
 その言葉に、ユリの表情が僅かに動いた。
 シンジが、さっきの事を知っていると分かったのだ。
 だが、ユリの視線をかわすように、
「入るなら、僕が髪を洗ってからだ。自分で行くから場所だけ教えといて」
 呆然としている保安部員達の一人に視線を向けた。
 本人は知らないが、ユリに手を断たれて、妲妃が直した男である。
 のんきな声で
「場所は?」
 と、訊いた。
 呆然としたままの男に場所を告げられると、
「分かった、じゃ」
 出ていこうとしたが、袖を引っ張られた。
「私を…置いて行っちゃうの…」
 叫んだりはしなかったが、目に涙を浮かばせているレイ。
 だがシンジは、
「独房の独は一人って言う意味だよ。雑居房とは違う」
 と、にべもない。
 その様子に思わず、
「連れていってあげればいいのに」
 と、見当違いの事を皆が考えた時、
「リツコ嬢」
「はい?」
「先般リツコ嬢から連絡をちょうだいした時、私の住まいは女性専用マンションのフロアを、そっくり空けたとお聞きした」
「はい、私のミスでドクターのお住まいまで気が回らなかったため、急遽用意しておきました。ドクターのお好みに合うと良いのですが」
「それはアオイの、信濃大佐の家にしていただこう」
「と、言われますと?」
「本来ならシンジ邸に住むはずだが、そうも行くまい」
 そう言って、ちらりとレイに視線を向けたユリ。
 闇の深淵から覗き込まれた様な気がして、一瞬レイが硬直した。
 ユリは、レイにシンジとの同居を促してはいなかったのだ。
 すぐに視線を戻すと、
「確か医務室の周囲に、四部屋ほど空いていたはずだ。私の居場所はそちらにしたいのだが、宜しいかな」
「あそこは空いていますから、構わないと思いますが」
 ユリの意志が読めなかったリツコ。
 いや、シンジにだけは見えているのだが。
「では、そちらに掛かりきりになると、少々忙しくなるな」
「はいはい」
 シンジの何処か呆れたような声に、皆の視線が向いた。
「レイちゃんの面倒見る暇は無いって事だな。くどいよ、全く」
 やっと意味が分かったらしい、周囲からあっという声が上がった。
「仰せの通りだ。では」
「しょうがないな、レイちゃん」
「はい…」
 レイには展開が分からない。沈んだ声で返事したが、
「僕と一緒に監獄入りだ。付き合うか?」
 レイの口が、小さくだがぽかんと開いた。意味が分からなかったらしい。
 考える事二秒。
「うんっ」
 監獄入りになって、こうまで嬉々とした表情になった少女は、有史以来極めて少ないに違いない。
「チルドレンが揃って箱入りになったわけだ。それで、どの位入っていればいいのかな?」
「二週間だな」
「『ほう?』」
「な、何だね」
「暗い所で再考されます?」「余程、冥府行きを希望されると見える」
 シンジとユリから同時に出た言葉がこれだ。
 慌ててリツコが、
「あ、あの、副司令」
「何だね、赤木博士」
「チルドレンが全員独房に入るというのは、作戦上からも良くありませんし、零号機の起動実験も控えています。ここは数日の処分で」
 ファーストチルドレンが入る必要はない、冬月がそう言っていれば、六十余年に渡る生涯に終止符が打たれたであろう。
 ただ、リツコが全身から告げている危機感に、気付かぬほど鈍感ではなかった。
「分かった。では三日としよう」
「やだ」「長すぎる」
 又しても揃って上がった声で否定された。
 リツコが、
「あのドクター」
「既にシンジの髪は幾分傷み掛かっている。これ以上傷ませて、アオイに目通りさせるつもりかな、リツコ嬢」
「い、いえ。そう言う訳では…」
 冬月の面子もある、此処は三日ならばと宥めるつもりだったのだが。
 すっと、ユリの目が細まった。
 今度はシンジも止める気はない。
 副司令の席が空白になるか、と思われた時、
「入る必要は無い」
 この場で打開策を出しうる、唯一の人物の声がした。
「碇」
「冬月、何を考えている。あの二人をわざわざ怒らせるような事はするな」
 シンジとユリに目を向けて、
「ドクター、失礼しました。私の顔に免じてご容赦を」
「免じる程の価値があるとは思えませんな」
 にべもない言葉だったがシンジの方は、
「価値観の違いはよくある事さ。ところで、今まで何処へ?」
「さっき信濃邸から戻った所だ。戦闘の模様は後ほど見ておく。それよりシンジ」
「ん?」
「ドクターから訊いているかと思うが、もうじきアオイが、大佐の階級で上京してくる。役割は」
 一旦言葉を切ってから、
「使徒殲滅における、作戦の総括だ」
 声にならないざわめきが上がった。
 一斉にミサトに目が向く。
 無論、シンジとユリは当然と言う顔をしているが、レイは関心がないらしく、シンジの袖を握ったままだ。
「そのつもりだったが」
「え?」
「固辞された」
「ん?」
「ちょっと待て。銃に手をかける前に話は最後まで聞け。別に私がおかしな事を言った訳ではないぞ。基本的に葛城一尉の補佐、と言うのが本人の意思だ。但し、お前に関しては全面的に指揮下になる、と言うよりもお前の直属補佐、と言った方が正解だ。自分の指揮など無くとも、シンジならやってのけると、そう言っていた」
 大佐が一尉の補佐になる。
 その意味は、明らかであった。シンジが異を唱えなかったのもそこにある。
「褒められたかな」
 呟いた声は、どこか嬉しそうであった。
「全チルドレンの総指揮も?」
「…そのつもりだ」
 関係者がいるとは言え、はっきりと訊かれては言わざるを得なかった。
「これでかなり楽になるな」
 シンジの言葉に、ミサトの顔色が変わる。
「葛城一尉」
「はい…」
 意味が分かっているミサトは、何処か沈んだ声で返事した。
「本日より、シンジをチルドレンのトップに据える」
「は?」
「信濃大佐の意志だ。現場における咄嗟の判断は、そこにいる者の方が下しやすい筈だと。そしてその役にはシンジが最適だとな。レイ」
 シンジがそっと引っ張ったため、残念そうに袖を離したレイを呼んだ。
「はい」
「シンジの出す指示に、全面的に従えるか?」
「お兄ちゃんの…勿論です」
「ならば決まりだ。シンジにはチルドレンのまとめとなってもらう。シンジいいな」
「良くない」
「…何?」
 チルドレンのトップが独房入りもならんからな、そう言って片づけようとしたゲンドウに取って、シンジの反応は予想外であった。
 詳しい事情は分からないが、シンジは意味もなく命令違反はしない、それぐらいはゲンドウも読んでいた。
 そしてシンジにも、その意志は伝わったと思ったのだが。
「面倒だよ。それに今ドイツにいるとか言う、セカンドさんは納得してるの?」
「納得させられんか?」
「多分無理だね」
 抑揚の無い、シンジの声に周囲が戦慄した瞬間、
「承知した」
 上がったのはユリの声であった。
「何を考えている?」
「髪を洗ってくるといいわ」
 そう言うと、シンジの耳に何やら囁いたのだ。
「ならいいかな」
 ゲンドウに顔を向けると、
「アオイちゃんが来てくれるから、それに免じて受けておく。で、独房のお話はどうなったの」
 わざわざ訊いた。
「お前が入ればレイも入る。チルドレンをまとめて放り込みも出来まい。第一お前を入れては、ドクターに何をされるか判らんからな」
 ゲンドウの言葉を、ユリは無表情なまま聞いていた。
「総司令」
「何か」
「アオイは今、イギリスの筈。何時会われました?」
「いや、信濃のご老公達にお会いしてきた」
「帰ってたの」
 と、これはシンジ。
「数日前に戻られたそうだ」
「それはそれは」
 信濃家では、子供の養育に両親が不可欠であるという思想は、代々の物である。
 その彼らにとって、碇夫妻はろくでもない親に映っている。
 シンジを可愛がってきた信濃夫妻にとって、暗殺業は本人の技量が大きく物を言う部分が大きいし、アオイと組んでいれば危険は大分低いと見ている。
 だが、操縦桿越しなどと言う戦闘は、不確定要素を多分に含んでいる。
 そこにシンジを送り込むのは、只でさえあまり気乗りがしていなかったのだが、孫娘のアオイまでとあっては何を言われたか、大体シンジには想像が付いたのだ。
 そして何よりも。
 初戦の無様な指揮は、ヤマト夫妻の知るところとなっているのだ。 
 ただ折角アオイが来るなら、ミサトを放り出してアオイを、と言うのがシンジの本音であった。
 やはり、初対面の失点が尾を引いているらしい。
 シンジにも分かっている。
 アオイがミサトの補佐等に回ったのは、ミサトの過去を知るアオイの優しさと、シンジだけに専念したいという、双方の現れだと言うことを。
 ただ、文字通りの阿吽の呼吸の仲であるアオイに、全面的にバックにいて欲しいというのは、シンジの甘えだけでは無い。
 エヴァのパイロットとしても、当然の判断であると言えよう。
「ところで総司令」
 何気ない口調で言ったのはシンジである。
「何だ」
「ユリさんがね、違反は違反だから入ってろってさ」
「何!?」
 驚いたのは周囲も同様である。
 何しろ、ゲンドウが遠慮したかに見えた、ユリ本人が独房入りを告げたと言うのだから。
 周囲の視線がユリに向けられ−直ぐに逸らされた。
「疑似軍隊とも言える、超法規組織−特務機関ネルフ、総司令のご子息と言えども規律を損ねては、報いを受けねばなりますまい」
 当然の、だが奇妙な事を言いだしたユリ。そのユリの言葉の裏には、微かだが笑みがあるのにシンジだけは気付いていた。
「いかがですか、総司令?」
 再度の言葉にゲンドウも、
「ああ、判った…取りあえずシンジ」
「一泊二日で良い?」
 温泉旅行じゃあるまいし、誰もが胸中で呟いたが、
「良かろう。どのみちレイも一緒だ。さっさと出ないとスケジュールに乱れが出る」
「じゃ、そう言う事で」
 他人事のように言ってから、傍にいた保安部員に目を向けた。
「髪を洗ってくる。此処で待っていて」
 他人事みたいに告げた時、その場にいた全員は、ユリとレイを除いて卒倒寸前であった。
 脳が現在の出来事を理解しないのだ。
 いや、理解したくないと抵抗している、と言った方が正解か。
 無論その男も例外ではなかった。
 はあ、と間の抜けた声で返事をしたが、その時には既に、シンジは出口に向かっていた。
 ふと振り返った。
「レイちゃん、一緒に来る?」
 シンジの口調に含まれた物にレイは気付かず、喜色を浮かべて、
「行くっ」
 言いかけたが、その姿勢で硬直したのは、首筋に感じた視線のせいである。
「わ、私は…よ、汚れていないから…」
「それはそれは」
 どこかわざとらしい口調で言った、シンジが出ていった後、
「賢明な判断だ」
 首筋に囁かれた言葉は、レイを崩れ掛けさせるには十分であった。
 別にユリにとって、シンジとレイが何をしようと、さして構わない。
 ユリの想い人とは違うからだ。
 だが、近く上京してくる親友が、二度目以降を黙って看過する可能性は極めて低い事を、美貌の女医は知っていた。
 そのユリは、レイを伴い何処かへ出ていった。
 呆然としている面々を、残して出ていったシンジが戻って来た時、周囲は未だ呆然としたままであった。
 シンジが戻ってきた直後、ユリとレイが戻ってきた。
 手には、何故かシンジのバッグを持っている。
「はい、お兄ちゃん」
「ん?」
「はぶらしと洗顔料と歯磨き粉とそれから…」
「ちょっと待った」
「え?」
「お泊まり会じゃ無いぞ。それにタオルの類は二人分あるけど、歯ブラシが一本しかないのはどう言う事だ?」
「ユリさんがこれで良いって」
「これ?」
「シンジには、歯ブラシなど一本で十分」
「こら、藪医者。何が言いたい」
 シンジの暴言に思わず周囲が凍り付いたが、ユリは平然と、
「男女兼用よ」
 一言で片づけた。
「付き合いはこれきりだ。二度と馴れ馴れしく呼ばないでもらうからな」
「それは残念」
 ユリはそう言うとレイを見た。
「レイちゃん」
「はい」
「お聞きの通りだ。冷たい兄…」
「レイちゃんを煽るな、全くもう」
 ユリの口を塞いでいた手を離すと、
「そろそろ行くか。案内して」
 鬼退治に行く桃太郎のように、偉そうな口調で告げた。
 自分で行くと言っていたのだが、どうやら気が変わったらしい。
 踵を返したシンジを、ユリが呼び止めた。
「何か用?知らないお医者さん」
「弾を10ダース、入れて置いたから、少しゆっくりしてくると良いわ」
 その言葉に、シンジの表情が動いた。
 付き合い云々は、撤回する気になったらしい。
 それに満足したか、懐中から束になった呪符を取り出した。
「これが入り用になるはずよ」
「どうしたの、それ?」
「ウェールズへ行って、土御門の別邸から貰って来た品よ」
「モミジちゃん、元気にしてたかな?」
「つれない知り合いに、激怒していたわ。元気が有り余ってるようよ」
「…危ない?」
「さて」
 そう言って、何故かレイに視線を向けたユリ。
 そのレイは既に出口で待っている。
「アオイちゃんも今向こうでしょ。そろそろ電話しなきゃならないな」
「アオイも、冷たい弟宮が連絡一つしてくれないと嘆いていたわ」
「…忘れてた。と言っても五日間だけなんだけどな…又、敵が増えたかな」
「そうなるわね、では」
 頷くと、出口に向かったシンジ。
 その後ろ姿に、緊張とか悲壮とか言った物はおよそ感じられない。
 どう見ても、鞄一つで小旅行に行く少年である。
 
 
 
 
 
 男は頭を痛めていた。
 もはや、精神は崩壊寸前まで行っている。
 その原因は、後ろの二人にあった。
 今から監獄入りだと言うのに、そんな雰囲気を微塵も持たない二人。
 それどころか。
(何で近くにいたってだけで、俺がこんな目に遭わなきゃならないんだ?大体独房の独は一人の意味だ、とか言ったのはこいつだぞ。それを何であっさりと宗旨替えしたんだ?まあ、それはいい。だがな)
 大きく息を吸い込んでから、
(手を繋ぎながら歩くな!!それに洗濯の仕方を声高に話すな!しかも何で男が、シルクの下着の洗い方なんか教えてるんだ!!)
 内心では絶叫していたが、無論声には出来ない。
 談笑する二人の前方から、何やら歯軋りするような音が聞こえて来ただけである。
 やっと地獄のような道中が終わって独房の前に着いた時、男は生まれて初めて、天に感謝したと言う。
 だが、そこは独房だ。
 広さは八畳近くあるのだが、ベッドはシングルが一つしかない。
 当然である。
 男はそれを見た瞬間、見張り役は死んでも辞退しようと心に固く誓った。
 発令所に戻った時、見張りは付けない事を聞いた男は、嬉しさの余り落涙し、周りから奇異な目で見られる事になった。
 綾波レイと碇シンジの、一泊二日の箱入りが始まった。
 
 
 
 
 
 シンジとレイが放り込まれた部屋は、コンクリートの床に水洗のトイレと洗面台、それとスプリングのベッドが一つあるきりであった。
 レイはともかくシンジには、こんな所で一泊する気は毛頭無い。
 さっさと抜け出すべく準備に入ったが、ふと呪符の束の中に手紙を見つけた。
 差出人は書いてないが、紋様は紛れもなく見覚えのある物であった。
 シンジが何やら考え込んだ時、隅々まで点検していたレイが戻ってきた。
「お兄ちゃん」
「何?」
「ここ、寝る所が一つしかないわ」
「そうだね」
 先を越されなかった事で、承諾と見たか、
「お兄ちゃんも私も細いから…だいじょうぶ」
 何を考えているかなど、読む必要も無い程、顔に出しているレイ。
 ただし、相手の選別を誤ったようだ。
「その通りだね」
「え?」
 妙に冷え冷えとしたシンジの声に、一瞬レイが聞き返した次の瞬間、シンジの人差し指が軽くレイの瞼をなぞり、レイは崩れ落ちた。
「悪いが邪魔だ」
 冷たく言い捨てたシンジは、レイをベッドの上に横たえた。
 壁にもたれると、封を切り中身を取り出す。
 こう書かれていた。
「シンジ様 お変わり無くお過ごしでしょうか。私の方は、とても嬉しい事がありましたの」
 そこまで見ただけでシンジは、
「あ、やっぱり」
 と呟いた。
「私の誕生日に、どうでも良い世辞やら物品やらは大量に送りつけられましたが、私が一番願っていた方からは、連絡一つ頂けませんでした。沈んでいる私を見て、メイド達が気を遣ってくれましたが、結局私は涙で蝋燭を消してから、塩辛い涙と共にケーキを飲み込みました。やはり、甘い物を塩分と共に嚥下すると消化が悪いようで、余計な脂肪が付いてしまいました。是非シンジ様にも、その嬉しい気持ちを分けて差し上げたく、ユリ様に特製の呪符をお渡し致しました。ご存分にお使い下さいませ」
 送るように言ってから、自分で取りに行ったらしい。
 何となく、目の前で言われているような気になって、思わず手紙を遠ざけてから、
「しょうがない、電話だ」
 とぼやいたシンジ。
 見る間でもなく、呪符には嬉しい気持ちが込められている。
 基本的に呪符というのは、術の発動に使う物なのだが、術師の魔力が高いと誰かが使った時に、それをうち消す力を込める事も可能なのだ。
 そしてモミジはそれが出来る、五指に数えられる程の魔力を持った少女であった。
 全部の札を確認してはいなかったが、このままでは呪符を使った瞬間に、暴発しかねない。
 だが、妲妃はこれと同じ札を、あっさりと使って見せたではないか。
 やはり、魔力の桁が違うという事なのか。
 ベッドの空いている所に腰を下ろして、電話を取り出したシンジ。
 コレクトコールを呼び出して、番号を伝える。
 だが、
「そのような冷たい方は存じません、こう仰っておられますが」
 予想通りであった。
「埋め合わせはする、そう伝えてくれる?」
 交換手は怪しんだようだが、取りあえず繋いでくれた。
「モミジでございます」
 鋭い針の様な声が応答した。
「久しぶり」
「随分と、お久しぶりでございます、シンジ様」
「……」
「……」
「しつこい娘は嫌い、もう切るよ」
「あ、あのっ」
 明らかに狼狽している声が伝わってきた。
「何か?」
「も、申し訳ありません。つい余計な事を」
「太ったってほんと?」
「可愛い胸が、一段と大きくなったわ」
 電話の向こうで声がした。
「ア、アオイ様っ」
「アオイちゃん?」
「元気かしら?シンジ」
「アオイちゃんもウェールズって訊いてたけど。どうしたの?」
「モミジちゃんの誕生日に、シンジが一報も入れなかったでしょう?そこへユリが呪符を取りに行ったって訊いたから、何か妙な予感がしたの」
「大当たり」
「今、お家から?」
「独房から」
「…良い所ね」
 アオイの声が低くなった。
 瞬時に殺気を纏ったのが、シンジには手に取るように見えた。
「モミジが怯えてるよ。それにこれはユリさんの案だよ」
「ユリが?」
「ワルサーに徹甲弾10ダース以上添えて、僕に寄越した」
 あら、と小さく呟いた後、
「ご免なさいね。シンジ」
「別にいいよ」
 アオイが謝ったのは、信濃邸にシンジが来ても自分が不在である事に対してである。
 シンジが脱走するなど、お見通しらしい。
「直ぐ飛行機の手配するわ。いえ、米空軍に要請して直行で飛ばして」
 物騒な事を言いだしたのを途中で制して、
「いいよ、アオイちゃん。おみやげにテディベアでも買ってきて」
 笑みを含んだシンジの声に、
「そうね…それで、どうするの?」
「確か一週間前に、東京湾アクアラインが再開通したはず。ちょっと房総でも行って来る。紅葉見物だ」
「分かったわ。お祖父様に連絡して、全国の空自基地には一報入れて置くから。何かあったら直ぐに廻すわ」
(これは…断れないね)
 現在日本の『軍隊』は、四つに分類されている。
 陸自と海自、それに空自と『戦略自衛隊』、通称“戦自”。
 それぞれは完全に独立した関係にあり、その中で空自の最高上層部には、ヤマトの息がかかった者達が、幾人かいる。
 無論仕事絡みだが、爆撃まではさすがに難があるものの、最新戦闘機を足代わりに使う事くらいはできる。
 冷たい弟宮の為に、アオイは空自を動員するつもりらしい。
 シンジが考えた通り、これを断れば間違いなく、アオイは米空軍を呼びつけて帰国しかねない。
 既にシンジが独房にいると言うだけで、柳眉は上がっているアオイなのだ。
 それに加えて、一番上のお偉方と縁ありの二人でもある。
「分かった。ただし」
「なに、シンジ?」
「松戸だけにして。確か5年前からあそこは空自基地に変わった筈だよ」
「ええ」
「モミジに代わってくれる」
「待って、シンジ。レイちゃんはどうするの?」
「今、眠らせた」
「やっぱり一緒だったのね。でもいいの?」
「邪魔だ」
 シンジの言葉に何かを感じたか、それ以上は言おうとしなかった。
「…モミジです」
「大きくなったって?」
「そ、そんな事は…あっ、…アオイ様…そ、そんな所…」
「なってないの?」
「す、少しだけ…な、なりました…」
 素直に白状しろと、アオイが後から何やらしているらしい。
 モミジが、恥ずかしそうな声で言った。
「要するに、胸が大きくなったんだな。では、来年もそうした方がいいかな」
「シンジ様っ」
 泣きそうになったモミジに、
「冗談だよ。あ、そうだ」
「はい?」
「帰国したら、こっちにおいで」
「宜しいのですか?」
 一転して、声がうれしそうな物に変わった。 
「また、怪しい札を送られたら困る」
「だ、だってシンジ様…」
 シンジの一言で、直ぐ感情が上下する。
 だが、客観的に見てシンジと恋仲と言うよりは、上下関係に見えるモミジ。
「これ、全部使いづらいやつかな?」
「あ、あの…一応は…」
「直す方法はあるんだね?」
「は、はい…」
「もしかして…口づけでもするの?」
「い、いえっ、あのっ、違いますっ」
「どうするの?」
「あの…」
 アオイが出ていったらしい。ドアの閉まる音が聞こえた。
「どうするの?」
 再度訊ねたシンジに、
「は、はい。あの…使う前に…モ…」
「モーゼル?」
「そ、そうではなくて…」
「モビルスーツ?」
「で、ですから…あの…モ、モミ…」
「揉むしだくとか?」
「え?揉み…ち、違いますっ。モミジですっ」
 つい大きな声になってから、気付いたらしい。
 聞き取れないような声になって、
「わ、私の名前を呼んでから唱えて頂ければ…」
「…分かった、やっておく。じゃ、これで」
 返事も待たずに切ってしまった。
「何でそんな下らない事を…」
 ぼやいてからレイを見た。
「この子さえいなきゃ、堂々と出て行くんだけど」
 何やら浮かんだらしい考えを、頭を振って振り払った。
 渋々と言う感じで、札を手に取った。
 小さな声で、
「モミジ」
 と言ってから、何を考えたのか札を手でなぞったのだ。
 どうせ、一枚にやれば後は全部済むと分かっている。
 シンジの指が触れたその瞬間遠く離れた地で、一人の少女がびくりと身を震わせた。
 呪符に人を投影し、直に触れたのと同じ様な影響を与える。
 シンジが開発したオリジナルである。
 相手のイメージがはっきりしている程、効果は強い。
 人文字の大きな物を書いてから、胸の辺りをきゅっとこすった。
「ふあ、あんっ」
 モミジは豊かな胸を慌てて抑えた。
 間違いなく、シンジの仕業だとは判っている。結界で自分を封じるのと、シンジがちょっかいを出してくるのと、どちらが早いかの勝負だったが、シンジの方が若干早かったのだ。
 しかも胸だけかと思ったら、シンジの手は更に下に伸びてきた。
 つつう。
 太股の裏側を、爪で軽くシンジがかいた途端、モミジの肢体がびくっと揺れた。
「あっ…くっ…シンジさ…ま…そん…はうっ」
 電流の流れるような快感は、まったく触れられていない空間から生じる、まさに奇異な物と言えた。
 だが、そんな現象を分析している暇は、モミジには与えられていない。
 必死に声をおさえて唇を噛んだ途端、いきなり指が入ってきた。
「ああううっ」
 あり得ぬ指を締め付けるかのように、股間が収縮しているのは分かっている。
 それでも何とか抑えようとして…あっさり徒労に終わった。
 ぎゅっと噛んだ唇から、鮮血が一条滴り落ちたが、身体の快感は止まらない。
「シンジさまあ…ま、曲げないで…」
 身体をエビのように折っているモミジだが、その秘所でシンジの指はどんな動きをしているのか。
 
 こすっているだけだ。
 
 何もない平面な紙であれば、当然の動きであろう。侵入させる所など、紙の人形が持っている訳はないのだから。
 それなのに。
 乳首がつままれて爪で引っかかれているのも、膣内で折り曲げた指が襞をぐりぐり押すのも、全てモミジは感じ取っていた。
 既に数分が経った時点で、シーツの上には大きなシミが広がっている。
 愛液と汗の混ざり合ったそれが、純白のシーツに染みを作っている様は、使用人達が見たら仰天するに違いない。
「ふああ、あっ、あっ…そ、そこだめ…だ、だめえっ!」
 
 そして数十分後。
 
「お…願い…です…シンジ様…も…う…」
 モミジが遙か離れた場所の少年に、届かぬと知りながら懇願した時、不意に快楽の波は途絶えた。
 その息が、快感に比例して荒いのは、達する事が出来なかったからだ。
 シンジは、ぎりぎりのラインで刺激をセーブしていたのだ。非常に効果的と言える。
 既に床に落ちたモミジは、白い尻を高くからげて、自らアヌスにまで指を出し入れしている最中だ。
 どこか日本人離れした肢体の持ち主に相応しく、まだ発達途上の筈だが、既に成熟の域にあるとさえ思わせる乳房は、不慣れな指使いを示す左手でしきりに揉み立てられ、豊かに育った胸とは対照的に、淫毛も完全に生えそろっていない、年齢に相応しい幼さを残した秘所は、触れたら砕けそうな細い指の紡ぎ出す、外見からは想像も付かない激しい動きの所為で、既に泉と化している。
 右手の指は、溢れだした蜜をたっぷりとまとわりつかせ、目は潤みきって口は半開きと化しているモミジ。
 物足りない何かを埋める為か、その細い指は普段決して見せぬ仕草を見せ、その度に楚々とした容貌からは、想像も付かない、淫靡な声がその小さな口から発せられる。
 興奮の所為か、朱を刷いたように紅くなった小さな唇と、しきりに絡み付けるような動きをしている五指は、誰もがあらん限りの奉仕をさせてみたいと、妄想に走らせるに十分な物だ。
 普段はこの屋敷の主として、凛とした態度を崩さないだけに、はしたない言葉を口にして悶える姿は、凄まじいギャップを伴い、見る者に強烈な性欲を起こさせる。
 一見すると、と言うよりどう見ても、白昼堂々自慰に励む淫乱少女にしか見えないのだが、これが十四才の少女の物で、そして実際には術にかかっている所為だと、しかもその術を掛けているのが、遠い異国の地にいる同い年の少年だと知ったら、人々はどんな反応をするだろうか。
 既に快感を通り越して、苦痛にさえなっているらしいモミジ。
 元々白いのだが、その顔は既に白蝋(びゃくろう)のようにすらなっている。
 簡単に術に掛けられ、その上こうまで悶えるとは、モミジの精神が惰弱だという事なのか。
 答えは否、である。
 優れた術士であるモミジの精神力は、決して弱くはない。
 それどころか、常人の数倍は強靱である。
 そのモミジをさえ快感の高みに押しやり、にも関わらず絶頂までいかせないシンジの奇技であった。
 モミジに伝わってくるのは、当然ながら直のそれとは違う。
 それでも、擦り、摘み、軽く爪を立て−あまつさえ、舌を這わせられている感覚さえも、伝わってくるのだ。
 実際に肌と肌を合わせて受ける愛撫と、変わらぬ感覚のそれが。
 さんざんいじめられたモミジは、もはや声も出ない。
 ぎりぎりの所で冷めさせられるのが、既に十回近くに達している。
 四度目辺りまでは憶えているのだが、その後は与えられる快感に、身体が機械的に反応しただけである。
 したたり落ちる滴が液状になり、半ば洪水のように溢れだした秘所に、灼熱の剛直をねじ込まれるような感触。
 いや、仕掛けているのはあくまで指だ。
 一見してそれと判らぬような、微かな指の動きながら、女体に責めを加えている正体を、はっきりと判らせるシンジの指技であり、今のモミジに感じられるのは、紛れもない舌であった。
 そう、決して押し入っては来ずに、あくまで周辺を意地悪く責めるだけの舌である。
 まだ色素の集まらない薄紅を保ってはいるが、これ以上無い程に固く尖った上、熱く火照った小さな乳首。
 それも周辺だけにとどまり、熱く疼く躯には泣けるほど物足りない。
 あまりに物足りない。
 そして十分過ぎるほどの愛撫でもある。 
 相反する二つの感情は、何れも正解でありいずれも不正解であった。
 直にではないにせよ、シンジからのと言うだけで、心は充ちてくる。
 だが、もう一つの心は言う。
「シンジさま…わたくしのあそこ…もう…こんなに…もっと…」
 と。
 理性で抑えられるほど、人の身体は簡単ではないのだ。
 過剰と不足が同居する責め。
 これが本人を目の前にしてなら、哀願もできよう。あるいは札一枚で呪縛した後、性交奴隷と−仕えさせるだけの者だが−化す事も出来よう。
 それが何れも叶わぬ故に、モミジの狂態は加速してゆくのだ。
 だが、これはいずれも一枚の呪符に描かれた、人の形をした絵図越しに行われた事である。
 本来こんな術は無く、呪符を通しての遠隔操作を試している時、偶然出来たシンジのオリジナルであり、他に模倣できる者はいない。
 シンジは無論のこと、その道の大家である土御門家にも、術の原理を解明出来る者はいない。要するに正体不明の術なのだが、シンジには相応しいかも知れない。
 シンジがその気になれば、指にまとわりつく透明な蜜の感触から、乳房に這わせた舌触りまで、実物のように味わう事が出来る。
 だが、今のシンジはそれを絶っており、シンジには単に呪符の上で、細かく指を動かしている感触しかない。
 紙越しながら、余りにも凄まじい秘技。
 ところで、モミジに与えられたのが単なる快楽だけでないのは、虚ろなモミジの目にどこか、苦痛が感じられる事でも分かる。
 普通に抱かれていれば、次の行動は読めるし、歯を立てられたとしても普通は、甘く噛んだりするだけだ。
 だが、シンジの術は違う。
 快感には常に痛みが伴うのだ。
 何もない平面な紙の上で、シンジの幾分長い爪が何かを挟む仕草をしただけで、モミジのそこは直に摘まれた感じになる。
 ただし−先の尖った金属のピンセットで。
 殆どの女性にとって、乳腺に炎症でもない限り、乳首は性感帯である。
 事実感じやすい所は、乳首を基点として多々分布しているのだ。
 それを指で摘まれるのは単に愛撫だが、そこを鋭利なピンセットで、きゅっと挟まれたとしたら。
 激痛が走ってもおかしくないのに、快感の占める割合が高いのは、シンジ次第。
 だから、痛みとそれを上回る快感が、間断なく押し寄せてくるのだ。
 とはいえ、かなりの精神力の持ち主でなければ、狂う事さえある危険な術であり、源にモミジも、後数分続けば保ったかどうか。
 一方張本人のシンジはベッドに座ったまま、そんな異国の地の狂態など知らず、いや知ろうともせぬまま、紙に手を滑らせていたが、漸く飽きたように、
「仕置き完了」
 何の関心もないように言うと、違う札を手に取った。
 それと一緒に筆も取り出す。
 なにやら書き込むと、鉄格子に貼った。
 次の瞬間、札を中心にして縦は二メートル、横は一メートル余りの部分が木製のドアに姿を変えた。
 ワルサーを取り出すと、弾倉を確認しチェンバーに弾を送り込む。
 右手にワルサー、左手に鞄を持つと当然のようにドアを蹴り飛ばした。
 重い樫の木のように見えたが、何の音も立てずにドアは開いた。
 レイには一瞥も向けずに出ようとした時、
「少年」
 レイの口から出る、そしてレイの物とは全く異質の声が、シンジを呼び止めた。
 
 
 
 
                   
(続く)

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