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戦争の始まり・超限戦
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 戦争は、はるか前から、はじまりました。
 悪意がある人間は常におり、悪人がいるかぎり、永久に戦時なのです。

 1999年に中国人民解放軍の大佐二人が発表した「超限戦」という本があります。

 戦争の本質は、あらゆる手段を使って、勝利することで、利益の追求が本質である。ということを隠したテーマにしています。
 愚かで汚く、やりきれない戦争の本質をついた著作といえます。

 勝利への道は既成概念の超越であり、人道的見地や過去の悲惨さの回避のため国際的に合意しているルールをいかにして無力化して、利益対立者の戦力をふくめたあらゆる能力を破壊して、弱体化させるかです。

 つまりこれまで機能していた防備を・・・人間の安全を、どうやって悪意をもって破壊するかの方法を徹底的に探り、実践する。を模索するという、究極の悪を表現しています。

 勝利者は、それによって生じたいかなる悲惨に責任はもたない。
 後からせいぜい反省した振りをして、また破るつもりのルールを作ってカモフラージュにすれば充分であるという態度です。
(そうでなければ戦争に新兵器など導入しません。ルールどうりならスポーツです。)

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「超限戦」P183より引用して一部補足

・軍事手段
 核戦争 通常戦 生物化学戦 生態戦 宇宙戦 電子戦 ゲリラ戦 テロ戦
 (ここまでが軍隊の活動範囲 コメント)

・超軍事手段
 外交戦 インターネット戦(ハッカー) 情報戦 心理戦 技術戦 密輸戦 麻薬戦 模擬戦(威嚇戦) (軍の打撃によらないで軍事的効果をあたえる コメント)

・非軍事
 金融戦(ヘッジファンド) 貿易戦 資源戦 経済援助戦 法規戦 制裁戦 メディア戦 イデオロギー戦
 (あらゆる手段で、影響力・抵抗力・実力を低下させる この他にも奇想天外で意表をつき、有効である手段が発見できれば実行する。 コメント)

P256より

全方位度 リアルタイム性 有限の目標(にたいする)無限の手段(の行使)

非均衡 最少の損耗 多次元の協力 全過程のコントロール

(・・つまりこれは、すでに手段・作法としての「戦争」ではない。邪悪な目標に対する邪悪な行為の無原則の肯定にすぎない。 コメント)

P275 結び より
(前略)
 われわれがやろうとしていることは、流血の戦争に代えて、できるだけ流血を伴わない戦争をやろうということにすぎないからだ。

 その結果、狭義の戦場空間は縮小したが、同時に、世界全体が広義の戦場に変わった。この戦場では、人々はかつてと同じように奪い合い、略奪し合い、殺し合う。兵器はさらに先進的になり、手段はさらに巧妙になる。

 血なまぐささは多少減るだけで、残酷さは相変わらずだ。これが現実であり、人類の平和の夢は依然としてはるかな幻のままである。

 たとえ楽観論に立っても、予想できる将来において、流血の戦争であれ、流血を伴わない戦争であれ、戦争が忽然として後を絶つことはありえない。

 当然起きることは結局起きるのだから、われわれが今なさねばならないこと、できることは、いかにして戦争に勝つかである。(後略)

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 私が素直にこれまで受け止めてきたニュースなどを、羅列してみると、

 民主的選挙など絶対に認めず 香港の自治を圧迫し 台湾を軍事的に脅し チベットやウイグルなどの元々独立していた周辺民族をネイティブアメリカンのように侵略・圧殺し 農村と都市の住民を差別し 言論を圧迫し 天安門のように無辜の人々に銃をむけ 暴動抹殺・拷問・死刑を大量に実施し グーグルやフェイスブックなどを遮断し ネットに膨大にでてくるツイッターや都合のわるいニュースをご丁寧に削除してまわり 1970年代に資源がありそうだということで尖閣を領土問題にしたり 南シナ海に人工島を作り上げて珊瑚礁の環境などまったく考慮せずに自然破壊して軍事的拠点を作り、やがて取るに足らない貧弱資源を確保するつもり・・(おつかれさん)

 実に中国共産党のやることはわかりやすい。また人類の行動としてあさましく、隣人として恥ずかしい。

 倫理というものを根本的に欠落させた、まゆをひそめるべき孫子の兵法のなれのはてがこのありさまである。「国力の大小で国境が変わる」の原理である。
 まさに超限戦の実行であり、非道徳的行為です。

 まったく中国の市民の方々には、大変な状況で怒りと屈辱に耐えて暮らしておられると、同じ地球の一市民として気の毒でなりません。戦前の日本のような、ゆがんだ愛国心にとらわれていないかぎり。は、ですが。

 中共のやっていることは、あらゆる限界が明確になり、薄汚れたガラスの箱庭のようになった地球を、何も考えずに自分が先に使ってしまおうと、残り少ない資源と時間をムダにしているのである。(他の大国も責任はまぬがれないとはいえ・・・)

 太平洋の絶海の孤島イースター島にたどりついた住民が、緑豊かな島から樹木を一掃して、飢餓に襲われて殺し合い、やがて環境も社会も崩壊しきったのと同じ道筋をたどっているのである。

 自国の永続的持続可能性計画も、覇権の達成可能後の維持計画もなく、目隠しの状態で、歯止め無く、欲望のおもむくまま漂流しているのである。(将来計画あったらどれもできません)

 どこをみても尊敬に値しないというより、xxxである。
 中華民族は「大人(たいじん)」だったはずである。
 しかし、歴史を重視する民族的伝統を捨てた中共はどこにいくのか。でたとこ勝負のその場限りの悪辣さはもはやアメリカすら凌駕する。

 欧米や日本などの諸国も、やってることは、大同小異の部分が大量にあるが、それでも「あからさま」には中共のようにはしない。オブラートに一応くるんでいる。

 そして、戦争はいつおこるのでしょうか。

 こんなのが隣にあるので・・、すでに日本は戦時と考えていい。そして我々がどう考えようと、彼らはとうにその自覚だ。

 冷戦が終結したのはソ連が「戦意」をなくした時点であるし、第二次大戦も、戦意をもった日本とドイツの政府が消滅したから「なくなった」。

 逆に言えば、戦意と悪意のある政府があれば、ナチドイツとか帝国日本とか中共とかソ連とかがあれば、戦争がなくてもすでに戦時なのである。

 中共は「超限戦」で、あらゆる手段をつかって現実に(アメリカに)勝つと決心しており、すでにルールの無視・放棄・故意の破壊という倫理的歯止めの否定を行っている。

 しかし、これは一方では、オレはバカだと公言する行為に等しく、実にこっけいであるが困った事実であろう。

 このような思想を公然と表明するのはユダヤ人の絶滅を恥ずかしくも公言するチョビヒゲさんと同様ではないか。
 この世界にそんな存在がいれば、すでに平和ではありえない。
 ビン・ラディン程度のテロリストがそれに走るのはまだ理解しやすいが、ISとなったらもはや道化である。
 それを上回る、人類史の変わらぬ主役の一つでありつづける世界の大国・中国が「超限戦」の意図する実際的・精神的・徹底的・他民族の自治否定(抹殺肯定)を採用するなら、人類の暗黒時代である。
 1970-80年代の中共は、二言目には「覇権主義はとらない」と主張して自らを正義としたが、やはり虚偽であった。みえすいた虚言を信じて、大陸中国を援助して友好すべきと考えた人々は、私を含めて愚かだった。

 戦争は、敵がなければおこらない。
 敵がなければ、憲法9条があろうがなかろうが、戦争はおきない。しかしナチドイツや帝国日本があれば、ポーランドや満州に9条があっても戦争はおきることでしょう。
 事実ベルギーは中立だったが無視されました。

 私は現在の日本の与党は、歴史的経緯をふまえて、個人的に嫌いで支持していない。
 それでも、中共に対するような軽蔑や嫌悪はない。おためごかしの虚偽だらけではあるが、それでもかろうじて民意が政権を左右するし、ゆがんだ視線だとしても日本というわが祖国に対する一片の「偏愛」が彼らにはあると確信できるからである。

 繰り返しますが、私は、中共という敵がいるがゆえに、すでに日本は「あらゆる意味での戦争に突入している」と考えます。

 また、持続可能でない環境と資源の浪費を考えて、リスク回避・・避難ではありません・・避難ですむ場所なんかないのです・・のため、敵を撃退し、脅威を根本的に除去でき、永続的体制を家族が維持できるような、準備・疎開を始めなければなりません。

「本土空襲」が始まってから、リュックかついで燃え盛る駅ターミナルを右往左往するのでは話になりません。から。(金融崩壊で無一文になっても同じです)

 実際にどのような事態になるか、いろいろなケースがありましょう。ひとつひとつ、一人一人が考えてほしいです。

 できることとして、まず、我々のまともな野党をゆっくりとでも育てることが、必要だと思います。

 でも、わたしは別の意味では「こんなの長続きしない。先が見えている」と思って楽観している部分があります。

 無理して必勝を叫んだ帝国日本がどれほど「ヘタレ」で、線香花火であったか知っているからです。中共の天下など過去に一度もなかったし、これからも永久にありません。

 歴史は甘いものではありません。

 中共の努力は砂上の楼閣で「やらなきゃよかった」でしかないのです。

 中共はあわれなことに運命の決定した、自分で自分をおとしいれる破滅者です。
 愚かにも血の涙を流しながら絶叫する日がくることでしょう。
 彼らはすべての我々と同じように罪人です。悲しみをもってその手をしばりあげる日がきます。

 それに、ある時点がきたら、中国の人々も、自ら生み出し、保持してきた、孫子や韓非子といったものとは別の思想から、一時期の王朝に過ぎない中共の罪を糾弾して、歩む道を自ら変える事でしょう。

 つまり「信なくばたたず」であり、「1・民の信頼 2・食糧 3・武力」の順番で統治の優先順位を決めるということになるでしょう。

 みえすいたプロパガンダをくりかえすことは、全世界からの信頼を失い、軽蔑をまねくことを、ソ連の没落から、どうして学べなかったか、私は不思議です。
 いったん失った信頼は、戻らないのです。

 (私は学生時代、ときどきラジオ・モスコーを、落語がわりに聞いていました。あまりにバカバカしくて、よく笑えました。)

 善も悪も、しょせん人間のやることです。
 他者に非道を働くものは、だれがではなく、その人間自身が絶対の責任を負います。
 他者への非道は、自分自身に非道を加えるのと同じです。他者を破滅させるのは、自らを破滅させ毀損する行為でしかありません。

 だから結末はわかっています。諸国との理想による連帯・団結が必要です。
 そして、できれば流血も混乱も最小限におさえこみ、敵を愛しつつ、平和を求め続けましょう。

 またアメリカについてですが、第二次大戦後も冷戦後もアメリカは自分の立場を変えませんでした。
 イラク戦争の場合もそうです。世界で最高に豊かな国であるかぎり、アメリカは単純な他国の略奪はせずに、むしろゆがんだ形で援助してくれます。

 そのやり方は間違いなくおかしい方法ではありますが、少なくとも1960年代の学校給食でアメリカからの脱脂粉乳ミルクで栄養補給した最後の世代として、彼らになにがしかの好意は私はもたねばなりません。感謝。でも、アメリカさんのやってることは、ほんと目をそむけたいことが多すぎるのも事実でありましょう。


 そして、こんな文章など書きたくはないのですが、・・私個人は今、自分の責任ではない原因で、死の淵におります。やがて、私は消滅します。

 わずかな時をへて、やがてやってくる恐怖を正面から見つめるに当たって、だれもがそうなるでありましょうが、すでに私個人、あるいはなんらかの組織・祖国のためだけの私利私欲はどうでもよいです。

 事実上の死者にとって、気にかかるのは家族と、家族が暮らしていくこの世界の健やかな未来のみです。

 その未来を・・だれからでも、そして私の家族からでも、やがて略奪するために努力する「悪意」を許容できるわけがありません。

 戦争を悪意をもって「勝つ」つもりの「人間」にたいして、私は活ける死者として、闘わねばなりません。

 誰もが死にます。最後の瞬間に、自分は生涯をかけてなにをしたかを問われるなら、不義の勝利のために死んでいく人間ほど哀れなものはないでしょう。徹底した敗北者です。

 超限戦の提唱者・実行者は、そのような哀れな敵です。
 彼らに徹底的に抵抗し、打ち勝って、彼らをも惨めさから救ってあげるのが、人間として有意義な生き方・死に方のような気がします。

 戦争の危険度計算 参照

2016/05/19 T.Sakurai 体重37キロ 心臓が苦しい。



戦争の危険度計算



 戦争は、人を殺傷し、社会のインフラや富を破壊し、社会そのものの精神的システムさえ毀損する。
 その結果、飢餓や凶作の原因となり、人間の幸福な生涯にとって、重大な脅威である。

 それを抑止するための自衛・防衛努力をおこたるわけにいかない。

 しかし、日本やイギリスなどの島国は、戦争にまきこまれる地政学的リスクは元々低い。

 他国からの侵略がなければ、その分、防衛費が安くすみ、実際上の被害も少なくなる。

 一方、陸上の交通の要衝・街道の交差点で大きな戦争が発生しやすい。大陸同士の接点などのような地域は防衛にかかる費用リスクは高くみつもらねばならない。資源保有地帯、穀倉地帯もそうであろう。

 アジアとエジプトの陸橋であるパレスチナなどは、典型的な紛争危険地域であり、同様なリスクをかかえた地域は、必然的に存在し、これからも多くの紛争が発生するのだろう。

 この点、同じように交通の要衝が集中するスイスが永世中立を選択して、結果として数百年の平和を実現できていることは、大きな希望である。

 基本的に、戦争は日常生活に対する人為的破壊的混乱であり、それが物理的暴力によって非倫理的になされるものとする。

 経済的な圧迫や金融混乱、資源不足による社会システムの衰退なども日常生活を破壊するが、暴力による略奪破壊の屈辱は感情を刺激して、連鎖反応を生み、事態を複雑化長期化するので同列に扱うべきではない。

 攻撃を受けた側は兵士の損失も相手に対する大きな怒りになるのだから当然だ。

 基本的な防御は、おそらく

 ・ 必要以上の富をもたないこと。
 ・ 知的水準や技術水準で、圧倒的格差を作らないこと。
 ・ 抵抗手段の確保と、あらゆる危機を想定した、継続性・耐久性をもつ資産・資材・装備を、確保すること。

 そのうえで、敵意・悪意をもった、存在を察知したら、多くの価値観を共有する地域と連合して、「敵」を武力で圧倒されない状況下で、あらゆる人道的手段でこうじて無力化・消滅させる努力をすること。そして、敵とはいえ、愛さねばならないのです。
 そのためには、我々は、徹底的に賢く、また素直でなければなりません。

 おそらく・・
 「千年のうち」の人口150人の小さな村でも、成人は銃器があつかえ、年に数回の猟をかねた演習をふくむ訓練をし、村を防衛する機能をもつべきだと思う。

 現代のスイスの市民を基盤とした軍の動員・国民皆兵体制は望ましい一つの姿だろうと考えています。


2016/05/16 T.Sakurai 超限戦参照