マイエンフェルト駅前のホテルから午前8時半ころ歩き出してイエニンス村へ。
駅を背にし、ハイジヒュッテを見上げた位置から斜め右方向に伸びたゆるやかな上り道を歩きます。
ときどき車が行き来しますが、歩いている人には一人も出会いませんでした。
歩いて10分もしないうちに周辺はぶどう畑と牧場に変わります。
まず間違いなくこの道が、かつてヨハンナ・シュピリが何度かイエニンスを訪れた際、マイエンフェルト駅から馬車で通った道でしょう。
それはまたハイジ物語の中で何度も登場することになるデルフリへの道です。
なだらかな斜面に伸びる道には他には何もありません。
「イエニンスへ(Jenins)」の標識があるだけ。
30分も歩くとイエニンス村との境を示す石の道標があります。
そこから同じような風景の道をさらに20分も歩くとイエニンスの集落に入ります。
ここがハイジの中では「デルフリ村」という名で紹介されている、言わばハイジ物語の中心地です。
教会を中心に学校、ホテル(レストラン?)、コンビニがそれぞれ一つずつある小さな村です。
まずは有名なシュピリの小道を探します。
最新出版の「ハイジに会いたい!」を開きながら歩いたのですが、うーん、それでもよくわからない・・・
斜面に対して平行に伸びている農道が二つありましたが、たぶん二つともそれだと思うのですが、標識はありません。しかし、実に雰囲気のある道です。
今向こうから長いスカートに日傘を差したシュピリが現れても少しも不思議でない感じです。
マイエンフェルトに来たならば、ハイジファンならば、イエニンスには行かないと。
シュピリの小道をぜひ探して、そして歩いてみて下さい。
この二つの道をうろうろしているうちにお昼近くになりました。
近くから元気のいい子どもの声がします。
すぐ近くの小学校が終わって家に帰る数人の子どもたちに出会いました。
カメラを首から下げた日本人のおじさんが、ここに何をしに来たか子どもたちは先刻ご承知のようで、私はドイツ語の質問ぜめに・・・悲しいかな何も答えられないまま子どもたちを見送りました。
マイエンフェルトがハイジで少しだけ町おこししているのとは対照的に、お隣のイエニンスにはハイジのハの字もありませんでした。
実にそれが自然のままでいいのです。
私はそんな飾らないイエニンス村が好きになりました。
補足(tshp)
たかはしさんに写真を見せてもらい、いろいろお話をうかがって、「本当にイエニンスにはハイジのハの字もないのか」と少々おどろきました。
地に足のついた生活がうかがえます。
これは私たちハイジファンにとって、極めて幸せなことのような気がします。
それが、一番「ハイジ」にふさわしいでしょうから・・。
原色の広告にあふれた私たちの街は、けっして落ち着いてもいなければ、美しくもないでしょう。
日本だって、自然の美しさも住人も、スイスに負けていないはずなのに、です。
何かを考える必要がある。とずっと前から個人的に思っていることを再認識させていただいたような気がします。
それから、これらの写真はデジカメで撮られたそうですが、そのカメラを見せていただきました。
どう、思いますか?
日本のEPSON製のボディに1950年代ドイツのライカ製のレンズをつけています。
そして、デジカメにあるはずのないフィルム巻上げレバー(なつかしい!)が、な・ぜ・か、ついてます。
新しいのだか、古いのだか、よくわからない「ハイブリッド」カメラでした。
「へー、こんなのあるんですかぁ」と私。
聞くところによると、巻き上げレバーはクラッシックなレンズのシャッターを作動させるためのバネに力を蓄えるためのもので、あえて「古くさく(というより、伝統的ライカカメラのデザインを踏襲して)」作られているのです。
見た目は、デジカメとは思えませんし、メーカーのロゴも目立つところになく、デジカメの特徴である液晶画面は折りたたんで外から隠せるようになっていました。
特有の味があり人気の高いライカレンズを使える、世界最初のデジカメだそうで、東西の技術と伝統と、誇り・こだわりが生み出した「逸品」といえるでしょう。
なんだか、東西でやりとりしてきたハイジの物語と、なんとなく共通性があるような気もします・・。
(おことわり 写真の一部は撮影順番が前後しており、必ずしも説明文とは正確に対応しておりません。)
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