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モンテレオーネ・ドルヴィエート(イタリア)
僕らのヨーロッパの旅はホテルを予約せずに車で走り回るのがほとんどで、成り行きまかせの旅となる。この時のイタリアの旅もそうだった。オルヴィエートを出てSS71号線を北へ走り、ホテルを探していた。夜8時になろうとしていた。いくらサマータイムのヨーロッパでもこの時間には日が沈んで暗くなりかけていた。次第に焦りの気分が強くなる。

小さな街にたどり着いたので車を置いて旧市街に入ってみたが、人気もなくとてもホテルなどがある気配はない。散歩の老人に聞いたがこの街にはホテルはないと言う。次の街までは遠い。絶望的な気分になった。旧市街の外に人だかりがしていたバールがあった。外で立ち話をしていた赤ら顔の男と女性にこのあたりにホテルはないかとたずねた。そこへワインを片手にした青年も加わった。「ホテル」というキーワードがかろうじて彼らに通じたようだ。全員が必死になって僕らに説明する。僕らも必死になって彼らのイタリア語を理解しようとする。ここで泊まれなければ、見通しは暗い。

彼らはバールの2階を指さす。ホテルの看板もなにもない。そこがホテル? 電話をしろと言っているようだ。電話? どこへ? なぜ? もう、彼らも僕らもな
んとかしようと必死だ。

赤ら顔の男が携帯を取り出して電話をした。しばらくするとひとりの老人が現れた。ついて来いと身振りで示す。赤ら顔の男はついて行けと身振りで示す。付いて行くと、少し離れた住宅地の一軒の家があってその中の部屋を使えということらしい。

老人の奥さんも現れた。殺風景な部屋だが暖房・シャワー・ベッドがそろっていた。先ほどのバールの2階に住んでいるこの老夫婦がこの部屋を貸してくれるのだということがやっと理解できた。さて、今度は鍵を預かったがその鍵を明日はどこへ返せばいいのか、全く通じない。この時Mが覚えていた「ドマーニ」というイタリア語の単語が役に立った。鍵を見せて「ドマーニ?」とたずね、鍵を差したまま出ていけばいいと理解するまでまたかなり時間がかかったのだった。

バールの向かいにあるレストランでの遅いディナーはほっと一安心の気分も手伝ってビフテッカもカップレーゼもとても美味しかった。いつもたくさんの人たちに助けてもらって僕らのヨーロッパの旅は続く。思い出に残る街が増えていく。

      
       この2階に泊めてもらった。

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