酒と雨と国際列車<後編>


 

右手に海が見えてきて終着駅に到着。これで、おおよそ半分の行程を乗車、この鉄道の終点までは後、最低2回の乗り換えが必要である。

まだまだ先は長い。 

ここからフェリーに乗り換えて、対岸の島に渡った。島に着くと力車がよってきて、口々に好き勝手なことを言って私の荷物を持って行ってしまった。
「まっ、いっか」と言う気分で、その力車に乗り、ホテルの名を告げた。

ホテルは、植民地時代の色を残し、天井が高く、吹き抜けがあり、ファンがゆったりと回っている。外の熱気から隔離されて、建物の中はヒンヤリしており、シャワーを浴び、ホテルの近くの雑貨屋で仕入れたビールを飲んでいると眠ってしまった。

雨・・・夕刻のスコールで目が覚めた。とりあえず、やらなければならないこともないのでロビーの大きなテーブルでビールを飲みながら金子光晴の「マレー蘭印紀行」を読んでいた。著者が経験した時代は50年以上前なのに、なぜか同じ匂いがしてくる。向かいは老夫婦が新聞を読んでおり、横では、私と同じ風体の旅行者がペーパーバックを読んでいる。雨音だけがロビーに響いている、時間の止まった夕刻。

 翌朝、雨が降っていた。南国にしては珍しく、シトシトと降っていた。

バスに乗りビーチまでいってみたが、観光シーズン最中とはいえ、人気もなく、数人の子供が雨の中遊んでいるだけだった。

 ホテルの戻り、買い置きのランプータンを食べようとしたらアリがたかっていた「どこから出没したんだ」と思ったが、アリを取り除いて食べた。このような事にいちいち驚かなくなってくるとアジアになじんできたことがわかる。

 一日降り続いた雨も、夜にはやみ、インド料理店でうまいナンとカレーの夕食しかしビールはおいていなかった。

やはり、イスラムのこの国では、雑貨屋とかにはビールは売っているが、屋台にビールを置いていない店も多い。

また、国産は見かけなく、ライセンス生産のビールばかりを飲んでいた。 島を離れ、また、列車の客になった。次の目的地は首都。2等とはいえ冷房車であり、涼しい車内から車外に広がるジャングルを見ていると、「暑さ」が恋しくなってくる。

 6時間後に首都に到着。中華街に宿をとり、ただ屋台の海の中を歩く。疲れたら、日系デパートに涼みにいって時間をつぶす。

ただ、怠惰に過ごしているだけである。 

最終コースは夜行寝台にした。

 夜、雨の中を駅まで歩く、夜景を撮影していたら、突然、カメラのシャッターがきれなくなってしまった。この旅の間、雨に濡れることが多かったので、「ヤバイかな」と思っていたら、とうとういかれてしまった。

おそらく、シャッターの隙間から水が入ったのだろう。幸いサブカメラがあったので気楽にかまえて、乗客となった。 予測してたとおり、駅の売店にはビールが売っていなかったので、前もって買っていた生ぬるくなったビールを飲んで寝てしまった。

気がついたらもう国境だった。パスポートチェックも簡単に終わり、40分後約2,000 キロの鉄道の最終駅に到着。北緯1度の国の入国審査をすませ、駅の外にでると、雨だった。 屋台で、氷の入ったコップで虎印のビールを飲んで「この飲み方も悪くない」と思いつつ、ぼんやりと雨を見ていた。
                 1995.8.2〜8.12       BIMAN Vol.3掲載 

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