アジア側へ


テラスで朝食を食べた後、荷造り。
今日の宿泊部屋は「I Saw My Hand」。
昨日から何度もカタール航空のオフィスにリコンファームの電話をかけるが繋がらない。日曜でもあるしオフィスは休みなんだろう。
でも、明日だと72時間切るけど・・・まっ大丈夫かな。
もう10年以上リコンファームを必要とする航空会社使っていないから、リコンファームという行為もひさしぶり。

さて今日はアジア側に渡ってみるか。
イスタンブールは、位置でいうとヨーロッパ側になる、ボスポラス海峡挟んだ対岸がアジア側となる。
ガラタ橋たもとの桟橋からユシュクダル行きに乗船。
日本だとウシュクダルという呼び名のほうが馴染みがあるかもしれない。
ボスポラス大橋の近くのユシュクダルまで約15分の航海。
デッキで風に吹かれていると隣の年配のかたが声をかけてきた。

「どちらからですか」
「日本からです」
「日本からですか・・・私はエンジニアで、昔、日本人の技術者と一緒に英国で仕事をしていました。」
「どんなお仕事ですか?」
「船のジェットフォイルの設計です。ヨーロッパ各国からも多くに技術者がきて一緒に仕事をしていました。仕事の関係でいろんな国にいきましたよ。」
「日本へも?」
「いや、日本は遠くて行くことができませんでした。一緒に仕事をした日本の技術者は優秀でしたよ。」
「それは残念でした。極東というぐらい遠いですものね。」
「そうですね遠いですね。第二ボスポラス大橋は日本の会社が設計・施工したことをご存知ですか? そんな技術力を持つ日本へ行ってみたかったです。」
お世辞でなく日本の技術を尊敬しているのが感じられた。

こんどは左隣の夫婦が声をかけてきた。
「日本人なの。今回ワールド・カップ残念だったね。」
など、15分なんてアッという間である。
もっと話をしたかったがサヨナラである。

ユスキュダル、ユスキュクダル♪というトルコ民謡で聞いたことがある地名程度の知識しかなかったので船を下りても何処へ向かっていいのかわからない。

人の流れについていくことにした。

ジャーミィの横を歩き、公園をとおり市場を抜けると住宅地だった。
公園でちょっと休憩。













観光地でもなんでもないけど、歩いていて気分の良い場所である。

白内障が治り、左目でピントを合わせることができる。
やっぱり写真を撮るリズムが良い。







構図を決める、ピントを合わせる、シャッターを切る。
この一連の流れがスムーズである。







左目で見て、見えないから、右目で見直してピントを合わせるなんてリズムが悪い。

2時間も歩いただろうか、最後はちょっと疲れたので港の近くのジャーミィで休憩。

クズ島などを見ながらイスタンブールへ戻る。







サバサンドを買って食べながら、今度はカドゥキョイ行きの桟橋へ。

船は、アジア側のハイダルパシャ駅を見ながら港へ。

港を出ると何か変だ。

道路には車が一台もなく、人が車道を歩いている。

「何だ?」

そうこうするうちに、港に向かって歩いてくるデモの行列が見えてきた。

左の道、右の道、東の道からなど多方面からやってくる。
すごい人の数。

幕やプラカードはトルコ語なので何が書いてるのかわからない。
拡声器からは「イスラエル」や「レバノン」などの国名が聞こえてくる。
ということは、レバノンのヒスボラに端を発した、イスラエルのレバノン攻撃への抗議のデモということになる。
一枚チラシをもらった。そこにはイスラエル以外にアメリカも槍玉にあがっていた。
イスラム国家なので、レバノンやイラクの支持になるのは当然である。
といってデモを何時までも見ていても仕方が無いので、中心部に向かって歩き始めた。

途中、居酒屋で休憩。ハッピーアワーは幸せな気分になった。













中心部に着くとトラムは運行されておらず、また装甲車などが停めてあり、通行規制がひかれているので、車が通れる道路は大渋滞である。

だが、公園でくつろぐ人たちは日曜日の午後という感じで屈託が無い。



















ユスキュダルより、賑やかである。













港に戻ると、デモ隊が集結して演説やレバノンの爆撃後の写真の展示など、どことなく緊迫した空気とデモの終結で弛緩した空気がないまぜになった雰囲気である。













まだ日没までには時間がある。

いったんホテルに戻ろう。

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