新婚旅行もバックパック<スペイン編>


 1988年10月22日、大阪空港夕刻。 ブリティシュ・エアウエイズ (BA)006便成田・アンカレッジ経由 ロンドン行きの乗客となった。初めて乗るヨーロッパ系メジャー航空会社である。今回は新婚旅行なので安い南回りはさすがに遠慮した。16日に式を挙げ、一週間家の片づけをして通常通り出勤し、やっと出発。
 新婚旅行・・・普通はパック旅行でスーツ、ドレスで行くのだろうが、ボク達の姿はジージャンにジーンズ、背中にはバックパック。
とても新婚旅行に行く風体ではなかった。おまけに妻は初めての海外旅行。

 旅行予定はスペイン、イングランド。10月22日出発、11月5日帰国。ロンドン経由スペイン往復という航空券だけ。ホテル一つ決めずに出発するのだから、さすがに妻の両親姉妹は心配した。
「大丈夫です」と何が大丈夫なのかわからないまま出発日となった。

 早朝、ロンドンで乗り換えて11時頃マドリードに到着。Gran Via通りのHotel Atlanticoにチェック・イン。空港に到着して決めたのだが「当たり」だったみたいである。とりあえず荷物をおろし市内へ。といっても誰も連れていってはくれないので、barで作戦会議。まず、マドリード在住でフラメンコの勉強をしているS氏(女性)に連絡をとること、アポなしで現地までやってきて連絡取ろうとするのだから、まさに行き当たりばったり!幸い彼女との連絡はうまくいき夜に会うことになった。それまで、店内中スペインの生ハムが固まりでぶら下がっている生ハム屋でワインとハモンセラーノ(生ハム)を食し・・美味美味。スペイン広場で

ドンキホーテの像のところでボーッとして夕方、時差ボケでホテルで一休み。
そして、夜S氏と地下鉄sol駅から裏道を入った所にある、Restaurante ALBAへ、ココは彼女の行きつけの店であり、格式としてはフォーク1つという店だが、生ハムとマッシュルームの炒め物、パエージャどれを食べても美味美味。
マドリード滞在中、夜はここに通い詰めたのだった。
彼女にフラメンコは何処が良しなければならないことなど色々なことを教えてもらった。
彼女の自宅に呼ばれて行ったところ広いマンションで、その一角に畳がひいてあった。そして玄関には彼女の胸部レントゲン写真がンで止めてあった。「ほらココに影があるでしょ」と楽しそうに言った。
オイオイ・・・・後年、彼女が帰国して公演を行ったという新聞記事を見た。とりあえず「影」の問題は無事解決したみたいである。

 プラド美術館・・・ここにはゲルニカが別館にある。「ゲルニカ」という作品のことは知っていたが、恥ずかしいことにこれの制作された経緯は全く知らなかった。経緯を知った時、悲しみの歴史が一つ身体で理解できたような気がした。

 マドリード大学へ行き学生と遊んだり、王宮では社会見学にきた地元の中学生に「折り紙」を教えたりしていた。とても新婚旅行とは思えないことをしていた。





 そして、妻が「体調が悪い」と訴えた。原因は緊張と食生活の変化で身体がまいってきているみたいであった。そこで中華料理店に入りボクはポケットから「醤油」を出して彼女の焼きそばにかけた・・・彼女は生き返った。

 トレド。列車で出かけた。タホ川に挟まれた丘陵地帯である。

旧い街並みを歩いて、エル・グレコの家に行った。でも、名所旧跡より街のたたずまいが気に入った。

普通の店を覗き、地元の人が行くBARでイカリングをつまみにワインを飲む、このようなことが「旅」をしていることを実感させる。

美術学校学生達と挨拶をかわして気持ちよく街を歩いた。

トレドの街を1日歩いて、夕方の列車でマドリードへ戻った。

  イベリア航空 オフィス。バルセロナ行きのチケットの手配に行った。この時カウンターでボクはイスにちゃんと座らず、だらしのない恰好で座った。その時イベリア航空のお姉さん(叔母さん?)に「********」と言われた。言葉は通じなくても彼女が何をいいたいかよく理解できた。妻は横で笑っていた。ボクはすぐに姿勢を正した・・・・(^^;;

バルセロナ。この街には来たのはガウディを見るため。

何年か前、某洋酒会社のウィスキーでガウディをモチーフにしたCMの印象が忘れられず、一度自分の目で見てみたかった。地下鉄の駅を出ると、目の前にはサグラダ・ファミリア(聖家族教会)があった。暫くボクは動けなかった。圧倒的は迫力で「トウモロコシ」がボクに迫ってきた。これほどのものとは・・・奇妙な曲線が組み合わされ存在感を示していた。そして、この時ボクの弱点が妻にばれてしまった。トウモロコシを登り、渡り廊下を渡った時、足下が竦んだ。そう「高所恐怖症」。飛行機は怖くないんだけどね。グエル公園、グエル邸、ホテル・ガウディなど彼の作品を見て回った。




やはり彼は紛れもなく天才であった。

 カタルーニヤ広場近くのバルセロナの宿は最高だった。壁は薄い、日は当たらない、ベッドのクッションはきいていない、シャワーは湯がでない。ホテルのマダムに行っても、いつも「ノープロブレム」。さすがに、今でもこのホテルのことは妻に言われる、よっぽど印象が強かったのでしょう(^^;;;


バルセロナ動物園に白いゴリラを見に行ったがそれより幼稚園児の遠足の方がかわいかった。




ゴチック地区も「危険」だと言われているが、昼間歩いていても特別危険だと感じなかった。

魅力あるバルセロナともこれでお別れそして、英国へ。


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