新婚旅行もバックパック<イギリス編>


 バルセロナ空港からロンドンの知り合いのB&B(BED&BREAKFAST・民宿)に電話すると、「なんで早く連絡してこなかったのよ、今日は満室よ。でもともかく着いたらすぐいらっしゃい」という返事が返ってきた。

 ともかくロンドンに着き、まっすぐPYMS HOTELへ、到着するとママに「実は結婚しまして・・・」と妻を紹介した。「あれあれ、それこそ早く連絡してくれたら部屋とっといたのに。今日は別のホテル手配しておいたから、そちらに泊まりなさい。」と3軒となりのホテルを予約していてくれた。親切に感謝。

 翌日、イングランド北部のバリーという村へ。荷物はPYMS HOTELに預けて、身軽に列車に乗った。今回の旅であらかじめ計画をきちっと組んでいたのは、バリー行きだけだった、ここにはボクのイギリスの両親Marsh夫妻が住んでいる。そして、アン、クリスティーン、ジョン、ビルの兄弟姉妹がいる。そして、マンチェスターの駅に到着。
 Marsh夫妻が車で迎えに来てくれていた。再会を喜び、妻を紹介した。そして妻もMarsh夫妻の日本の娘になった。そして家に着いたときおじいさんの出迎えを受けた残念ながらビルはメキシコへ、アンは結婚してロンドンにいるということで会えなかったが、ジョン、クリスティーンとは再会を喜びあった。部屋はアンの使っていた部屋を使わしてもらうことになり、そしてわざわざ僕たちのためにパジャマまで用意してくれていた。すっかり感激して言葉がなかった。

夕方、ヒースの丘に散歩して、夕食はPARTYとなった、この夕食はいままでイギリスで食べたなかで一番美味しかった。




だれだ、「イギリス料理はまずい」なんて言う人は。翌日も朝早くから散歩をして、村を案内してもらった。「アキ、この家は築100年で1000万で売りに出ている、買わないか?」などと魅力的なことを言ってが、「ほしいけど買えないよ」と答えるしかなかった。老後は住まいはこの村がいいな。そして、Marsh家の人達とも別れることになった。妻とMarsh叔母さんとは抱き合って泣きながら別れを惜しみ、僕等はロンドンへ戻ることになった。

そして、今度は予定通りPYMS HOTELに宿泊することができた。ロンドンの街での楽しみは公園の散歩、新聞紙で包んだFish&Chipsに塩とビネガーを沢山かけて指をべとべとにして食べること、そしてPUBでビターを飲むこと。妻はBIG BEN、トラファルガースクエア、国会議事堂、ロンドン塔、マダムタッソーの館などの名所旧跡を見て「いままで教科書や本で見たモノが目の前にある」といたく感激していた。あと、ボクのロンドンは、やはりベイカーストリート。朝靄のなかこの通りに立つと、馬車の音がして、ホームズがやって来そうな気がする。それと、アビーロードでしょう。あの横断歩道は今も残っています。

 ここで、初めて大きな買い物をした。アクアスキュータムでトレンチコートを買った。海外でこれほど大きな買い物をしたことがなかったが、気に入って今も使っている。 PYMS HOTELでは家にいるのと同じように居座っていた。洗濯機を使わしてもらい、午後は一緒にお茶をして、公園を散歩してロンドン滞在を楽しんでいた。


晩秋のハイドパーク、グリーンパークを散歩するのはホント気持ちが良かった。





 そして帰国する日となった。バックパックにパエージャ鍋をくくりつけて、ハロッズで買ったクリスマスベアー(このぬいぐるみはBAのスチュワーデスに受けた。代わる代わる何処で売っているのかと聞きに来たぐらいである。中には「この子の分のお食事とお飲み物をご用意いたしましょうか」と言ってくれたスチュワーデスもいた。さすがこういうジョークを言えるイギリス人て好きだな)を抱いてヒースロー空港に向かった。


*Marsh叔父さんは1994年年末に喉頭ガンで亡くなった。それを知らせる手紙が来たときボクと妻は声を上げて泣いた・・・

                       1988.10.22〜11.5


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