みたび香港へ


90年師走、また香港へ行くことになった。
今回、私にとって初めての団体旅行となった。
それも200名という大規模の社員旅行である。

さすがにこのぐらいの規模となると「みんな一緒に」というわけにはいかず、千歳、成田、伊丹、福岡の各空港から出発し香港で合流とあいなった。
私は大阪組で3度目のJAL123便と乗客となった。
ホテルにチェックインする前に「お約束」のお店めぐりとなった。
最初は革製品の卸売りだった。
店に入ると、わっと売り子さん達が近寄ってきた。
さすがに200人ともなると全員相手できないので、ボクみたいに買う気の無い人間は相手にされないといううれしい結果となった。
それに革製品はかさばるのであまり買う人はいなかったみたいである。
そして次は宝飾の卸売り、さすがにここでは買う人も多くいるみたいで、時間も多くとってあったが、買う気のない私は時間を持て余して、こそっと抜け出した。
近くの店で叉焼飯を食べて、「やっと香港に来た」という実感を得た。

なにごともなかったように店にもどると、10万円単位の宝石を買っている人も多かったみたいである。
買った品物を見せ合う光景を見ていて、疑問を感じた。
ブランド品ならあらかじめ値段を調べて、その基準からいくら安くなるかで判断できるが、宝石のそれも「石のみ」となると値段がわからないという人がほとんどであると思う。相場がわからないのでほとんど言い値の世界である。そんな品物を10分そこらで判断して10万円単位で買うのだから・・・・「買い物香港」の神話はすごい(^^;;

無事香港島側のパークレーンホテルにチェックインして夜はビクトリア湾ディナークルーズ。
そして予想通り船の食事は味気ないものであった。
中華とも洋食ともとれる中途半端な味だった。ボクは食べるモノを控えて軽くお酒を飲むだけにしていた。
夜景はクリスマス・イルミネーションのため美しく輝いていた。
下船後、やっとその日の予定が終わり解散となった。
21:00をまわっていたが、何人かを廟街に案内して、ボクは夜食をとった。
思い返してみると、20人近く連れて歩いたような記憶が・・・・
12:00近くまで廟街で遊んで地下鉄の最終でホテルに戻った。

さて2日目、朝はホテル近くの粥麺専科で粥を食べて、集合時間となった。
この日は団体市内観光である。
できればパスしようと目論だが、幹事の目が厳しく結局バスに乗ることになった。
同室のBは「お腹が痛い」と言ってパスして、さっさと行方不明になった・・・くそぉ〜うまいことやってからに。
後で聞くとそのままホテルを脱出して市内観光していたみたいである。

バスはタイガーバームガーデン(もしかしたらもう無いのかな?)、レパルスベイ、ビクトリアピークとまわっていった。
200人もの団体だから集合するのに時間がかかるのでなかなか進まない。

だんだん私はストレスがたまってきた。香港の観光といっても、そんな大仕掛けのものがあるわけではなく小さな島内をウロウロしているだけである。その上、お約束通りDFSなどにもよる。完全に時間を持て余してしまった。そして昼食後、何人かでバスを降りて行方不明になった・・・(^^;;
(あとで幹事にこっぴどく怒られた・・・(^^;;・・・そりゃそうだ)

しかしこの後の記憶がない、どうせ私のことだからどこかウロウロしていたのには違いないはずである。写真を見てみるとどうやらペニンシュラホテルのロビーで珈琲を飲んで、その後黄大仙に行っている。

そして地下鉄でホテルに戻って夜のパーティに参加したみたいである。
この日の行動で一番印象に残っているのは、夕方ホテルに戻ったときにちょうどバスが戻ってきてみんながロビーにいた。
そのときの買物袋の数、特にOLはなにか紙袋をさげていた、う〜む現地旅行代理店はさぞかしキックバックが入ったことだろう・・・

そして夜のパーティが終わったあと、トラムに乗って上環に行った。プアマンズ・ナイトマーケットは縮小されて「風前の灯火」になっていた。
(その後まもなくしてココは無くなった)
そして3日目。
朝、OL4人連れて、お粥を食べに行った。
口にあった女性もあわなかった女性もいたみたいである。(^^)
そして、やっと自由の身になった・・・(^^)
この2日間、ほとんどツアコン状態だったため、「なんか疲れたなぁ〜」と感じていた。それからやっと開放された。
ホテルを出てそのままトラムに乗り北角に向かった

そこは路面電車の線路をはさんで市場が広がっているエリアで、前から一度行ってみたいと思っていた場所である。

市場の雑踏を歩き、匂いを嗅いでいると、やっと気分が落ち着いてきた。
しばらくフラフラして、さて次はどこに行こうか・・・・と考えた。
離島か国境か
しばし思案の結果、いずれなくなる国境に行こうと決めた。
上水まで行き、落馬州まで行った、ところがバスを乗り過ごしてしまって、終点の元朗まで行ってまた逆戻りするということをしてしまった。
ほんとわかりにくいんだもの・・・(^^;;
バスを降りて田圃の中の一本道を歩いてちょっと坂をあがったところに展望台があった。
松林に囲まれた展望台というか丘は以外に見晴らしは良くなかった。池がひろがり柵がありそこをアヒルが歩いていた。その向こうにはシンセンの街が霞んで見えた。

しばらく眺めていたら、「ひょっとしたら」という気になって展望台の横の国境ゲートに行った。
イミグレーションでパスポートを見せて笑って通り過ぎようとしたら、「◎×△■」と言われて止めらてしまった・・・そりゃ当たり前だ・・・(^^;;
でも客家のおばちゃんはひょうひょうと歩いているじゃないの・・・
中国入国はあきらめてもときた道を引き返した。

バスを待っている時トラックのナンバープレートを見たら、香港ナンバーと広東ナンバーが両方つけられていた。まさしく国境を走るトラックである。

元朗に出て街を歩いて、軽便鉄道(LRT)で全湾に出てそこから船で香港島の戻った。右後ろに夕陽を眺めながら、はるかに見える離島を見ていた。
「次はあそこだ」と思いつつ窓の外を眺めていた。
そして夜みんなと待ち合わせて翡翠楼に北京ダックを食べにいった。

初めてといえる団体旅行で感じたことはいろいろあったが、費用は会社持ちだったので文句は言えない・・・が・・・しかし、こういう旅は一度で充分だ・・・というのが実感である。
今回、発売されて1週間しかたっていないContax T2のみを持っていった。初めてNikon F3を置いてきたのでいつもの重さがなかったので、なんか不安だった。
帰国後、写真をチェックして感じた。
「これなら使える」(^^)

今回は九龍半島をほとんど一周した。結局この後も香港には何度か行っているが逆にほとんど移動しなくなった。

離島にはまだ行けていない・・・

*今にして思えば典型的なバブル時代のお話ですね、今回、読み直してみて・・・(^^;;・・・当時の典型的な団体旅行であったことが端的にでています。
それは、それで懐かしい気がします・・・(^^) 
このコンテンツは最初まったく別の内容でした・・・今回のリニューアル作業でファイルが残っていたので再度アップします・・・(^^;;・・・下記をクリック(2003.1.2 追記)

4年ほどおきざりにしていた関西弁バージョンへ・・・(^^;;

1990.12.6〜12.9


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