モン・サン・ミッシェルの幻想と現実


  先にも書いたように、まずフライトありきという本末転倒でフランス行きを決めたが、決まると、とある場所が気になってきた。


 「モン・サン・ミッシェル」(Mont St. Michael = 大天使ミカエルの丘)。
もう20年ぐらい前に、著者もタイトルもストーリーも覚えていないが、一編の小説の中に登場したのがモン・サン・ミッシェルであった。
男女の別れの会話で、海の中に浮かぶモン・サン・ミッシェルが夕陽に映えて燃え上がるように見える情景を回顧するシーンだった・・と記憶している。
”海の中に浮かぶ修道院が紅く燃え上がる”たったこのフレーズだけで見たこともないモン・サン・ミッシェルのイメージが私のなかにできあがった。

  8年前、フランスに行った時にも行こうとしたのだが、しかしいざ行こうとなると、かなり辺ぴな場所にあるため日帰りなど不可能で、最低の1泊は見ないと無理であるということから断念したのであった。
今回、偶然とはいえフランス行きとなったので、可能性を探ってみた。

  やはり、パリから350kmもあり、ガイドブックを見ても決して行きやすい場所でないことは8年前と変わっていない。
パリ4泊のうち2泊とられるとパリ市内は実質1日しかない。
さすがに初めてフランスに行く妻と娘がかわいそうじゃ・・・
インターネットでも調べていたら、宿泊を予約したOctopustravelの現地ツアーにパリからのツアー一覧があった。その中に日帰りでモン・サン・ミッシェルのツアーがあった。かなり値段の張るツアーであったが、日帰りだし、日本語ガイドもつくしというので申し込んだ。集合Cityrama Office 7:15出発22:30帰着、実に15時間強、昼食と夕食つきというハードなスケジュールである。
  さて当日7時まえ、早朝Cityrama Officeに行くとすごい人出、日本人も列を作っている。私もカウンターに行き、自分の予約表のプリントアウトを渡したら・・・名簿に名前がない・・・(^^;;
リストを見たら60人ぐらいの名前が載っている。
「なんで、インターネット上のOctopus Travelでこんなに申し込みがあるんや?」と思いリストを見ていたら、名前の後に「ツアー名」が書き込まれていた。
つまり○○ツアーや△△旅行の現地オプショナルーツアーは、すべてCity Ramaに集約されているのである。
こんな例はいままでも経験しているのに、こんな当たり前のことに気がつかなかった私はマヌケである。
ともかく私の家族の名前はなかったが、プリントアウトのおかげで名前を入れてくれた。大型の専用バスも満員になり、出発間際に来た日本人2人は満席で乗れないのでもめている、結局英語のツアーか別ツアーに振り替えで話しがついたみたいである。

  この原因は明らかである。私たち3人が乗ったからはじき出されたのである・・・(^^;;
「集合場所には早めに着くこと」という旅の原理原則は生きている。
60人あまりの団体とは、さすがにバスに乗った時からゲンナリした。
これに英語ツアーもあるから合計120名だろうか、ともかく早朝のパリを出発した。

  途中早めの昼食を取り ( この村が良かった・・・(^^;; )
350kmを走り、モン・サン・ミッシェルが見えてきた。

ひさびさに、ちょっと感動・・・
約2km手前のホテル街から大渋滞・・・

  モン・サン・ミッシェルに繋がる堤防は延々と車の列・・・また多くの人がホテルから徒歩でモン・サン・ミッシェルに向っている。
30分ほどかかって13:30頃にやっと駐車場へ、凄い数のバス、キャンピングカー、車が停まっている。
「なんか違うなぁ〜」

  写真やメディアを通して見るモン・サン・ミッシェルは「荘厳・静寂・ストイック」というイメージだが、実際は「一大観光地」である。

 中に入ると、観光客で溢れかえっている。

ガイドに聞くと、「5月から11月まではこのような状態である」とのこと。

ということは、皆が持つイメージどおりのモン・サン・ミッシェルを見ようと思うなら、観光シーズンをはずすか、近くのホテル街に泊り、朝早くか日が落ちる頃行くのが良いと思う。

観光シーズン真っ盛りで昼過ぎなんて、イメージが壊れるだけである。

そのためか、現在ここで修行をしている僧はほとんどいないとのこと。
ともあれ団体の特権で、修道院内の入場は長蛇の列の個人を横目に団体入り口よりスッと入ることができた。
島の中央の一番高い場所まで行くのだから、かなりの登りである。

あちらの部屋、こちらの場所と「漏れなく」説明してもらうのはガイド付きの特権である。
いつも、このような場所は雰囲気だけを楽しんで帰るので、後で「何々を見ていなかった」ということはよくあることである。

それはそれで良いのだが、説明を受けると理解した「気」になるから不思議だ。
それにしても人の数は半端ではない。

 2時間あまりのツアーの後。お約束の買い物タイムが30分ほど。
これでは、名物のオムレツを食べている時間などない。
そして出発。

実質滞在時間は3時間ほど。

  また一路パリに向けて走り、途中でカーンという街の戦争博物館のレストランで夕食。
そしてパリ着23時前。
ああ、疲れた。

  解散場所からホテルに戻るタクシーでボラれるというオマケがついて、長い長いツアーもやっと終わった。
とても小説のイメージと重ねることはできなかった。
なんかイメージがこわれちゃった。

  京都からバスで富士山に行って5合目まで登り、その日のうちに京都へ帰るようなツアーなので「行った」という証明にはなる程度である。まわりの雰囲気などを楽しむことはできない。
次回に行く機会があったら、近くに前泊して早朝に静寂に包まれたモン・サン・ミッシェルに歩いていきたい。

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