智頭町議会議員・安住仁志のホームページ

耳順(じじゅん)の手習い

 

耳順は論語(為政第二)の「六十にして耳順(みみしたが)う」からくる六十歳の異称。町会議員になったのは六十六の時。もともと政治向きの性格ではないと自認している。学生時代は三派全学連をよそ目に「点取り虫のガリ勉派」。六十年の安保闘争とも全く無縁のまま商社の営業マンとなる。以後日本経済荒波のなかで企業戦士として四十年を過ごした。

 

ここが終の栖(ついのすみか)と定めた智頭町に平成の大合併の嵐が吹き荒れた。住民投票で民意は合併を選択するが、町長と議会はこれを無視した。四十年たくわえた商売人としての合理精神が、政治音痴の私を民意(合併)の為に立ち上がらせた。結局、合併は成らなかったが、この四年の学習で得たことがある。今ごろ悟るとは遅くで幼稚だとの謗りを覚悟して言えば、「民は税の負担時には主権者としてまつりあげられるが、その税の使用時には脇役以下の路傍の石となる」ということである。

 

即ち、国、県、町どこでも、税は民からキビシク収奪された後は、民の力の及ばぬ所で納税者の心に関わりなく費やされることが余りに多いことを晩生ながら耳順にして理解した訳である。「古今東西、そんなもんだ」と言うなかれ。そうでない時や所も有ったのではないか、もし無かったのならば、これから実現しようではないか。これが耳順を過ぎ、今年古希の私の覚悟です。どうぞ老年の客気と笑わないで下さい。私の耳に聞こえる声に順って今少し頑張って青年時の怠慢の埋め合わせをしたい。

 

 

【議会報告】 年に4回の定例会ごとに、町長との質疑を中心とした「安住仁志の議会報告」を作成し、

新聞折り込みで町内エリアに配布しています。

 

2009年12月定例会百人委員会の位置づけなど質問と答弁(PDF)」 NEW

 

議会報告バックナンバー】

2009年9月定例会福祉事務所設置提案に町長「条件検討」繰り返す(PDF)」

2009年6月定例会「生徒の安全は放置。裁判取り下げに町長は「議会の議決」繰り返す(PDF)」

2009年5月公開質問「智頭町民殿 町民のみなさんに質問します(PDF)」

2009年4月公開質問「寺谷町長殿 町民に説明して下さい(PDF)」

2009年3月定例会続報「町民の損害1億、町政責任うやむやに 賠償訴訟取り下げを許せますか(PDF)」

2009年3月定例会「『疎開』より 町民の『日常の安心』(PDF)」

 

2008年12月定例会「これからの行政 文化行政にももっと光を(PDF)」

2008年9月定例会「町づくり、人づくりの主人公は智頭町民」(PDF)

2008年3月定例会「人口流出に歯止めかからず−織田町政4年間の総決算(PDF)」

          続報「6日〜21日の議会トピックス 智頭病院の経営改善方策発表など(PDF)」

 

2007年12月定例会「智頭町の将来ビジョンを問う−町の元気は、携帯・テレビ・ネット整備から」(PDF)

2007年9月定例会「智頭病院に看護師副院長の登用を−医師とともに医療の担い手」(PDF)

2007年6月定例会「智頭町土地開発公社の借金問題と学校耐震化の解決を」(PDF)

2007年3月定例会「行政に緊張感を!なぜやらない。厳正処分、損害回収、外部監査導入」(PDF)

 

2006年12月定例会「自治の原点は住民の生命を守ること」(PDF)
2006年9月定例会「議会だより『織田町長の回答、記録なし』の怪」(PDF)
2006年6月定例会「小中学校の耐震化について」(PDF)
2006年3月定例会「智頭中学の建て替え早急に」(PDF)
2006年2月臨時議会「虚偽報告に関する損害賠償請求の提訴を可決」(PDF)

 

2005年12月定例会虚偽報告問題の解決は司法にゆだねるべき!」(PDF)

 

プロフィール

1937(昭和12)年 鳥取県気高郡日置村(現・鳥取市青谷町)にて原田武祥の五男として生まれる

1956(昭和31)年 鳥取県立鳥取西高等学校卒業

1960(昭和35)年 神戸大学経済学部卒業、ニチメン株式会社(現・双日)入社

1962(昭和37)年 智頭町で製材業「南因木材」を営む安住重明の長女と結婚。後に養子となる

2004(平成16)年 町議補選で初当選

2005(平成17)年 町議選で再選

2009(平成21)年 町議選で3選

 

座右の銘

・忘己利他(もうこりた) 自治医科大学の建学精神

・弱い人を守れない行政は行政の名に値しない 岩手県藤沢町長

・私ども議員が受ける報酬は、町民が汗を流して稼いだ税金であることを忘れてはならない。福島県矢祭町議会議長