相撲の新発見  2/27
 仕事で大相撲の小物を描くことになり、図書館で資料を借りてきました。イラストの資料を探すときは子ども向けの本棚に行きます。ビジュアル的に優れたものがたくさんあるのです。最近ではインターネットでも結構写真など見つかることもありますが、本の重要性は決して下がりません。
 借りてきたのは、舞の海さんが監修をしている写真いっぱいの本。
 どういう分野でもそうですが、絵を描き始めると、普段何気なく見ているものを正確に知るようになります。軍配の形、帽子。横綱も雲竜型と不知火型では、ねじる方向や結び方が違っていることがわかりました。
 立行司は腰に脇差しを携えていますが、これは差し違えたときに切腹する覚悟をしているという意味だと知って、思わず、へえーっ。
 いろいろ驚くことがあったのですが、Q&Aコーナーで衝撃の事実を発見! なんとお相撲さんたちのまわしは洗わない! 日に干して汗を乾かすだけだそうです。知ってました?理由は書いてありませんでしたが、これはきっと神道の考えから来ているのではないかと、ぼくは推測します。そう言えば昔、金田一春彦さんの本で、茶道で使う布巾は洗わない、というのを読んだ記憶があります。文化の営みの中には、科学的論理というものでは片づかないものがあるということですね。それを間違っていると決めつけることはナンセンスです。
 とはいえ、衝撃の事実だなあ……。

ホリエモンはどうなる?  2/23
 このところマスメディアでホリエモンこと堀江貴文さんの顔を見ない日はありません。フジテレビ対ライブドアの対決はどうなるのか、株に詳しくない僕も関心を持っています。
 ホリエモンのやり方で物事が成功してしまうようでは日本社会はおしまいだな、とぼくは思っています。ルール違反でないとは言っても、どう見たってマネーゲームでしかなく、人間が抜け落ちている。今頃になってとってつけたように業務提携のヴィジョンを語るというのもしらじらしい。フジ側に十分に嫌われてしまっているから、乗っ取りが成功してもあとが大変なのでは?
 かと言って、ぼくは別にフジテレビのファンでもありません。放送業界は時代の先端を走っているように見えながら、体制そのものはかなり保守的みたいだから、もしかするとホリエモンはああいう奇襲戦法でも打たなかったら、経営参入なんてできないと読んでいた
のかも知れませんね。それにしても、やり方はまずい。

オヤジ、息子につきあう  2/20
 きのう、息子が日本橋のポケモンセンターに行きたいというので、つきあうことになりました。ゲームボーイの「しんぴのチケット」を無料で手に入れられるというのです。ぼくにはよくわからないが、一人で行かせるわけにもいかない。
 地下鉄の駅を出るとすぐに高島屋があって、ポケモンセンターの店員さんが誘導をしていました。「ここじゃないの?」と子どもに聞いたけれど、ポケモンセンターの方に行きたいというので、行ってみました。大丈夫かな? すると、店の前に家族連れの列が。
 あ、やだな、と思いながら列の最後尾を探すと、ぐるりと回って結局さっき通り過ぎた角まで戻りました。入口まで15分待ち。ところが今度は係員が、「しんぴのチケット」は店ではなく、近くの高島屋で渡していると言ってる。何だやっぱりそっちじゃないか。
 デパートへ行くと、そこにも何人もの係員が立っていて、案内していました。受け取りは9階屋上。そして列の最後尾は、階段の1階と2階の間! ああ、みんなどうしてこんなに列を作るのが好きなのだろう。
 個人的にはこういうのは耐えられないのだけれど、子どものためだ、しゃあないということで、ぼくは鞄から山本周五郎の『樅ノ木は残った』を取り出して、読み始めたのでした。ゲームボーイで遊んでいる子どもたちと、周五郎の文庫本を読んでいるぼく。そのギャップが我ながらすごくおかしかったのでした。

便利・快適という窮屈  2/17
 合意から8年を経て、京都議定書が昨日ようやく発効したよう
です。日本は今後CO2を14%削減しなければならず、これはかなり困難な課題だとニュースで言ってました。難しいことはぼくにはわかりませんが、この目標がどこまで実行できるかは、環境税のようなシステムだけではなく、月並みな言い方だけど、一人一人の意識にかかってくるのだと思うのですが、いかがでしょう。
 例えば便利、快適。テレビや新聞の広告を見ていると、便利・快適であることが無条件で人間に幸福をもたらすようなことを今でも言っているけれど、
そうだろうか。便利・快適って意外に窮屈なんじゃないかって思うのです。
 あらゆるものが自分の意のままに動くことを基準にして生きていると、イライラが募るだけでしょう。周りのもの(=環境)は自分の欲望のために奉仕する存在に過ぎなくなり、自分の目的にそぐわない命は排除してもかまわないという身勝手さにつながっていく。ここ数年頻発している凶悪事件だって、その連鎖の一環だとぼくは思うのです。便利さ快適さはいいことなのだけれど、今は過剰な便利・快適が追求、喧伝されている時代です。
 1分でも早く目的地に着くために造られる道路や、よけいな機能ばかりを加えている携帯電話が、果たしてわたしたちの生活を豊かにしてくれるのだろうかと疑うこと、そして時には不便こそがゆとりなんじゃないか、と受け入れること。そんな心の持ち方が、環境と、ひいては自分たちを守るのではないでしょうか。

カラスは憎めない奴だ  2/13
 日がだいぶ長くなり、立春も過ぎたとはいえ、ほんとうの春はまだまだ先。スケッチをしようと外に出ても、手がかじかんで描けません。先日、公園に出かけて、カラスを描こうと思いました。そこらじゅうにいるのだけど、なかなか近くには来てくれない。
 うろうろ歩き回っていたら、子犬の散歩で通りかかった50代と思われる男性がベンチに座りました。するとなぜかカラスが一羽、隣のベンチにやってきました。どうやら、おじさんが食べ始めたお菓子がほしそうなのです。
 ぼくは近づいてカラスを観察することにしました。おじさんはスティック状のお菓子を見せながら、カラスにほらほら、こっち来い」と言いますが、カラスは 距離を縮めることなく横で様子を見ている。でも、おじさんが「ほい」とカラスの目の前にお菓子を差し出すとパクッとくわえて食べるのです。
 カラスはちょっと嫌われ者だったりするけれど、したたかでちゃっかりしていて
憎めない奴だと思います。生きてるんだなあ、と。カラスを見ているとなぜかイマジネーションが刺激され、あれこれ創作したくなります。ふだんあまりやらない俳句さえ浮かんでくるのです(でも結局、絵は描かなかったのが情けない)。
 去年の春作ったものと、ベンチでの光景を見て作ったものをご紹介します。

 春野球 カラスも外野 守りおり
 目の前の カラスひと鳴き 息白く

北朝鮮の報道  2/10
 サッカーW杯最終予選
北朝鮮戦のTV中継が47.2%の視聴率(関東で)だったと言うから、みなさん関心があるんですね。ぼくももちろん見てましたけど。でもぼくは民放の実況が嫌いなので、NHK衛星第2で
 最近ジーコジャパンの試合は、もうだめかなと思っていると、土壇場で踏ん張ることが多いので、しょうがないなあ、と半ばあきれています。でも、面白いと言えば面白い。変な負け方をすると、時間の無駄遣いをしたような気分になるのですが、昨日は最後の最後で溜飲が下がりました。でも何であんなに苦労したの?って思っちゃうけど。
 不思議なのは、北朝鮮では試合中継もその後の報道もしなかったということです。国の代表がアウェイで一所懸命がんばっているというのに、冷たいじゃありませんか。在日の人たちは熱く応援してたし、サッカーはかの国では国技なんでしょう。それなのにどうして? ああいうところを見ても、あの国はやっぱり変なんだなあと思いますよ。
 ゆうべの試合ではサポーターたちの大きなトラブルは起きなかったようですから、警備の面でも応援の面でも成功だったと思います。できればそのことも北朝鮮の国民には知ってもらいたかったし、今度あちらで試合をするときも、それに十分に答えるような誠意ある対応を見せてもらいたいものです。誰よりも北朝鮮の選手たちが、関係者に自分たちの体験したことを話してあげるのが
、最も効果的なやり方でしょう。次の北朝鮮戦も無事に行われますように。

絵を見る眼  2/8
 年末だったか、
抽象画入門の本を図書館で借りてきて読みました(正確なタイトルを覚えていません)。鑑賞ではなく、実際に描くための手引きです。なかなか興味深かったのですが、その中で印象に残る言葉がありました。
 絵の価値は何かということについて、具象画の場合、見る人はどうしても「うまい、きれい、そっくり」という観点で評価してしまう、というのです。だから色や形の純粋な美しさを味わうためにはむしろ抽象画の方がいい、と。確かにそうですね。
 先月末、小中学校の書き初め展が開かれたので、小6の息子と一緒に区立美術館に行って来ました(なぜか息子の書き初めが選ばれていたのです)。ひと通り見たあと、ぼくたちは館内の常設展にも足を延ばしました。
 そこには現代の日本人画家の具象画、抽象画が数十点展示されていました。鑑賞者の数は書き初め展よりずっと少なかったのですが、ある家族連れで、小学生の男の子が「わー、これ、そっくり。あ、これもうまい」と言っては、一つ一つの絵の前に2、3秒たたずむだけで通り過ぎているのを目にしました。その時、ぼくはあの本に書かれていたことを思い出したのです。
 絵の良さを味わうのは、意外に難しいことなのです。知識も必要かも知れないけど、それよりも大事なのは感覚。それを養うには、やはり数をこなすしかないのでしょう。よく言われますよね、たくさんの本物に接しなさいと。

古本の中のメッセージ  2/4
 年が明けてから高田馬場へ週1、2回
出かけているのですが、ビッグボックスで毎月開かれている古書市が楽しみのひとつです。
 先日もここでいい本を数冊買いました。その中に "The Art of Native North America" という洋書があります。
ネイティヴ・アメリカンの文化が、たくさんの美術品の写真入りで紹介されているのです。プリミティブ・アート、エスニック・アートは創作にいつもインスピレーションを与えてくれます
 さて、帰宅してから本を開いたら、二つ折りのカードが中から出てきました。買う前には気づきませんでした。見ると、手書きで次のような内容の英文が書かれていました(名前は変えてあります)。
 「親愛なるお父さん(Dearest Otosan)、またわたしたちを訪ねてくれてありがとう。シドニーでユキと一緒に遊んでくれて、たくさんのおいしい料理を作ってくれるのをとても嬉しく思います。もしストレスがたまったりしたようだったらごめんなさい。でもわたしたちがどれほどあなたを愛しているか、覚えていてください。どうぞいつでも来てくださいね。ジェシカとユキちゃん(Yuki-chan)
より、愛を込めて×××」
 この本を持っていた人が、うっかり残したままにしちゃったんですね。住所などはありませんでした。大丈夫かな。あとでこのお父さん、「あれっ、あのカードどこにおいたんだろう」って、あわてて探してるんじゃないだろうか。

 
それとも……? いろんなドラマが想像される手紙でした。

宮沢りえ輝いている  2/3
 映画『父と暮せば』のことは以前にもこの欄12/9で触れましたが、女優の宮沢りえがこの作品でブルー・リボン賞の主演女優賞を取ったそうです。十分納得できます。
 このごろ映画をほとんど見なくなったので他の映画との比較はできませんが、いいものはそれだけで良さが伝わります。ラストで「おとったん、ありがとありました」のセリフを言うときの笑顔は、『ローマの休日』でオードリー・ヘプバーンが最後に見せた笑顔に伍するものではないかと、ぼくは高く評価するのです(入れ込みすぎかなあ)。
 そう言えば先日、新作『トニー滝谷』の新聞広告に出ている宮沢りえの写真を見たとき、オードリーに似ていると思いました。普段はそんな風に思ったことはないけれど。
 父親役の原田芳雄との掛け合いは共演であると同時に競演でもありました
。それくらい二人の演技の質が高く、そこからああいう稀有な作品が生まれたのでしょうね。その意味で原田芳雄の存在も大きい。あの父親像には(と思い出すだけで、今でもウルウル……)見事なリアリティーがありました。
が主演あるいは助演男優賞をとれなかったことがむしろ不思議です。
 先日、
旭山動物園のことを話題にしましたが、あの『夢の扉』(TBS)、宮沢りえがナレーションをしているのですね。伊右衛門のCMも人気があるみたいだし、近年、間違いなく第二の黄金期に入ったと言えるでしょう。貴乃花と結婚しなくてかえって花開いたみたい?
 注:『父と暮せば』はいろんな賞を取っていることがわかりました。原田さんは報知映画賞助専断優賞を取っているし、監督(黒木和雄氏)も複数受賞しています。岩波ホールでは3月5日からアンコールロードショーを開始するようです。2月10日記

ノロウィルスの恐怖  2/1
 ノロウィルスなんて遠いところの話だと思っていたら、ぼくたち夫婦がやられました。先週金曜日に妻が、昨日はぼくが。妻が近くのお医者さんに見てもらったら、ノロウィルスだろうと。これは人から人へ移るのでご家族も気をつけてください、と言われたらしいのですが、まさかとぼくたちは高をくくっていたのです。生ガキなんて食べていないし、原因が思い当たりませんから。
 ところが、日曜日の夜からぼくの体調が急変。熱はないけれど、頭痛と下痢。体がふらふらで、昨日一日ほとんど寝込んでいました。子どもたちは、親が静かなのは嬉しいと喜んでいましたが。そしたら、昨日たまたま夕刊にノロウィルスの記事が出ていました。「おなかに来る風邪」の一部はこのウィルスが原因だというのです。
これか。
 事件でも災害でも病気でも、自分には関係ないという思いこみはまるで根拠がないことがよくわかります。地震だって、自分は助かると思っている人が多い。振り込め詐欺だって、これだけ有名になっているのに、信じられないほどの被害が後を絶ちません。とはいえ、今回のノロウィルス、用心のしようがなかったんですよねえ。こういうのって、どうしたらいいんでしょう?
 でも幸い、ぼくたちは一日休んで快復しました。今日からはまたいつもどおりの生活に戻れそうです。健康のありがたみを確かめられただけでも、いい経験だったと喜んでいましょう。

1月の「ごあいさつごあいさつ」