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年末の大地震
12/28
スマトラ島沖で発生した地震は、時間を追うごとに、想像を絶する被害の様子が知らされてきています。阪神大震災や中越大震災を遙かに上回る規模です。
1万人だの2万人だのと口では軽く言ってるけれど、その数をリアリティーをもって理解するのはなかなか困難です。
ぼくはつい、年末にどうしてこんなことが、と思ってしまいます。あと数日で新しい年を迎えられるのに、それを目前に命を落としてしまったり生活基盤が破壊されるなんて、あまりに気の毒に思えるからです。もちろん災害はいつだって気の毒なのだから、こういう発想は変なのだろうとは感じます。おかしいと認めつつ、やっぱりそう思ってしまうのです。でも逆に、自然にはお盆も正月もないわけですから、そんな人間の思いは届かないでしょう。
で、次に思うことは、こんなふうに自然災害はわたしたちの予想不可能な時間と場所で起こるわけだけれど、それだったら、せめて人間同士の殺人、強盗、戦争、交通事故、注意を怠って生じる事故などは、少しでも防ぐように日ごろから努力したほうがいいんじゃないか、ということです。それは日々のささやかな努力の積み重ねでできることのような気がします。
そう思っても、なかなかうまくいかないのが人間のやっかいなところですが、それでも少しずつ前に進んでいきましょう。
イブ讃美コンサート 12/24
Merry Christmas!
キリスト教の教会ではたいていどこでもクリスマスイブに何かのイベントを行っています。ぼくの所属する教会でも毎年イブ讃美礼拝を開催していますが、今年はイブ讃美コンサートと題してちょっと違った趣向で開かれました。
例年はクラシックの歌と演奏なのですが、今年はシンガーソングライターの陣内大蔵(じんのうちたいぞう)さんが加わって、ポップスを取り入れたコンサートになりました。これがなかなかすてきだったのです。途中、ソプラノの二見忍さんと陣内さんのセッションもあり、これが実に不思議なハーモニーを作り出していました。へえ、こんな音楽も成り立つのだなあと思いました。
それにしてもプロは声の出し方が違いますね。マイクがなくても会堂中に響きわたります。聞いていて、こちらの体に声がビーンとぶつかってくるのがわかりました。
ジョン・レノンのHappy Christmas も会衆全員で歌ったりして、大いに盛り上がった演奏会でした。それでいて、聖なる雰囲気がどこまでも感じられるのはやはり教会だからでしょう。
街ではクリスマスというと若いカップルのためのものという印象が強いのですが、みなさん、こんな正統クリスマスもたまには経験してみてはいかがでしょうか。来年は是非。
こんなクリスマスを過ごすうちに、今年も残すところあと1週間となりました。一年の良い締めくくりとなりますように。
絶叫系は残念! 12/22
絶叫系はやめてほしいと、この頃すごく思います。テレビがその傾向を作りだし助長しているのでしょう。たとえば今年の流行語大賞ベストテンに入っている二つの言葉。
波田陽区の「〜ってゆうじゃない、残念! 〜斬り!」。あれ、年が明けたらすぐにポシャりますよ。芸じゃないもの。毒舌でもなくて、ただわめいているだけ。でもそれが芸能界をよく表しているということです。それこそ残念!
次にアニマル浜口の「気合いだー!」。メディアの取り上げ方がずーっと一貫してこの親子をヨイショするだけの姿勢なのが、ぼくには理解できません。オリンピックの試合中に観客席で騒いでいて(あれが応援か?)、外国の観客から嫌がられたというニュースが新聞に小さく出ていましたが、メディアから批判の声はありませんでした。そして思考停止のセリフがしっかり流行語ベストテン入り。どうしてあんなのがもてはやされるんだろう。
民放のスポーツ中継も最近は絶叫系ばかりで見る気をなくすんです。選手たちのプレイで味わう感動や興奮は絶叫アナウンスとは別物です。その辺の伝え方が下手なんじゃないか。
こういうことを言うと、オヤジがブツブツ不平を言ってるだけだと疎んじられそうですが、でもぼくは開き直ってオヤジを続けようと思っています。
夏目漱石は社会に対していつも怒っていたと言います。最近、彼の講演集(『私の個人主義』他)を読みましたが、その鋭い批判力は今も新鮮で、傾聴に値します。こういう先達を大いに見習いたいものです。
野鳥 12/20
今朝、息子が学校へ行くとき、ドアから出たとたん「あ、鳥、きれい!」と叫びました。え、何だ?とぼくも出てみました。見ると、ほとんど葉の落ちた銀杏並木の枝から枝へ、数羽のオナガが飛んでいるのでした。青みがかったグレーの羽と長い尾が、遠目からもはっきり見えました。「何でこんなにたくさんいるんだろう」と言いながら、子どもは学校へ行きました。
緑の多いこの団地では、絶えずいろんな野鳥を見かけます。声も聞こえます。普段それほど意識しているわけではないけれど、生活の中にBGMのように野鳥の声が飛び交っている。春にはウグイスも聞こえますし。
カラスもたくさんいます。こちらはちょっと迷惑ですけどね。団地の階段で、手すりに止まっているカラスが不意に現れて、ぎょっとすることがあります。人が近づいても図々しく居座っている。どちらかというと嫌われ者のカラスですが、でも、黄色く色づいた銀杏の葉にカラスの黒は意外に似合っていたりするんですよ。
ぼくが好きなのは、セキレイ。スイスイとすくい上げるような飛び方は軽やかで印象的です。目の前の地面に下りて、尾をピコピコ動かしている姿を見ると話しかけたくなります。
月並みな言い方ですが、生き物の姿や声はわたしたちの心のビタミン剤になっているとぼくは思います。昆虫もすてきですが、鳥を見るのも楽しく心安らぐものです。オナガの集団を見た今朝は、いい体験ができた、という思いで一日を始められました。
暖冬 12/18
今年は暖冬のようです。今朝もぼくはコートやジャンパーを着ずに外出しました。まるで秋のようです。こんな陽気だと何か、一年のしまりがないような気がしちゃうんですけどね。そんな風に思うのは、ぼくは雪国育ちのせいなのかも知れません。
だから寒さには比較的強い方ですが、それでも年齢には勝てず、年々寒がりになっているような気がします。そんなぼくが今でも忘れられないのは、大学時代、11月末のキャンパスをランニング姿で歩いていたアメリカ人学生です。周りの日本人学生はみーんな分厚いコートを着込んでいるというのに、そのアメリカ人はまるで平気な顔をして歩いていたのです。世の中にはすごい人がいるのだと感心しました。
身近なところでは小6の息子。最近は母親にうるさく言われるのでジャンパーを着て外出していますが、本人はTシャツにトレーナー、半ズボンで平気なのです。「若いって素晴らしい〜♪」とつい歌いたくなります(歌がやたら古いところがオヤジ)。
一方、娘は寒がり。東京の女子中高生はみんな素足にスカートだから娘もその格好で登校しますが、帰宅したらすぐにジーパン。
友達に函館出身の人がいて、さぞかし寒さには強いのだろうと思っていたら、あの街では住居の暖房が整っているから、それに慣れているせいでかえって寒がりなのだと言ってました。
人さまざまです。
五重塔の強さの秘密 12/14
12日の朝日新聞朝刊に面白い記事が出ていました。地震や台風が多い日本で五重塔はなぜ倒れないのか――その謎に迫るため、防災科学技術研究所が五重塔の大型模型(5分の1)を使い、実験をするというのです。法隆寺五重塔は1300年間倒れていないのです。これは驚きです。しかし、模型だけではたしてその謎がどの程度解明できるでしょうか。
1年ほど前に『木に学べ』(小学館文庫)という本を読みました。著者の西岡常一さんは数年前に亡くなられましたが、日本最後の宮大工と呼ばれた人です。この本は法隆寺や薬師寺の構造美や当時の建築技術に関する口述筆記の解説。非常に刺激に満ちた本でした。
ぼくが法隆寺を見たのは30数年前、小学6年の修学旅行の時だけ。もちろんそんな子どもの頃に、そのすばらしさを深く理解することはできません。この本を読んだ時、もう一度実物を見たくなりました(と言ったところで、いつ行けるかわからない)。
西岡さんの有名な言葉に「千年生きた木で建てたものは千年もつ」があります。昔の宮大工は自然を知り尽くして建築をしていた、というのです。柱の1本1本が、癖を生かしながら用いられているそうです。これはかなり重要な要素で、こういうところが模型の実験では見えてこないでしょう。
安易なIT礼賛に走りがちな現代人は(それも巧妙なビジネス戦略にうまく乗せられているからだろうけど)、伝統の知恵と力にもっと驚愕し、謙虚になった方がいいかも知れません。
父と暮せば 12/9
昨日、岩波ホールへ『父と暮せば』を見に行きました。ぼくは昨今の映画や本の、ただ泣かせりゃいいという安っぽい感動の押し売りに辟易していますが、この作品は戦争の悲惨と人間の悲しみ、そしてそれを乗り越えようとする気高さをユーモアを織り込みながら見事に伝えている物語で、涙なしに見ることはできませんでした。もともと舞台劇である井上ひさしさんの原作が素晴らしく、言葉の美しさ(特に広島弁)を味わいました。
役者の演技はまさにアカデミー賞ものです。まず宮沢りえ。ぼくは昔から特に心惹かれる女優はいませんが、この作品を見て改めてこの人はすてきな女優だなと思いました。『たそがれ清兵衛』でもいい演技していたし。
原田芳雄の「おとったん(お父さん)」は、今までぼくが抱いていた彼のイメージをうち破るもので、ただただ感嘆。娘と父親の別れを演じる最後のシーンは、今思い出しても平静でいられなくて、涙が出てきてしまう。
それから浅野忠信。出番が少なかったけど、これまたいい雰囲気を出していました。
上映後、思いがけないことに監督の黒木和雄さんが登場して挨拶をされました。サイン会が急遽行われたので、著書の『私の戦争』(岩波ジュニア新書)を買ってサインをもらいました。この本、実は夏から気にかけていたものだったのです。ラッキー。
上映は17日まで。まだの方は是非ご覧ください。こまつ座によるオリジナルの舞台もいつか見たいものです。
真実は単純ではない 12/6
中年になって歴史に興味を持つようになる人は多いようです。ぼくもその一人。もっとも、だからといってNHK
の大河ドラマを見ようとは思いませんが。なぜ中年になると歴史を学びたくなるのか、考えてみました。
ぼくが発見した理由の一つは、「世の中も人生もかなりやっかいなもので、漠然と考えていたほど単純なものではないのだ」と繰り返し思わされるようになるからです。生活というものは、考えずに生きていけるほど気楽なものではない、ということがわかってくる。たとえば、日本の中高年はなぜこんなに自殺率が高いんだろうとか、どうしてアメリカはイラク戦争をこれほどまでに強行しているんだろう?とか、最近日本の治安が悪くなってきているのはどうしてなんだろう?といったような疑問。
人間のやっていることに関してもっとちゃんとわかりたい、と考えていくと、歴史を学ぶ必要性やおもしろさがわかってくるようになるのですね(自然に対する好奇心はまたちょっと違います)。
つい先日、『もしも憲法9条が変えられてしまったら』(岩波書店『世界』別冊) を買ったんだけど、これは面白い本です。こういう問題に目を向けてみようという姿勢も、ぼくたちの周りからどんどんなくなってきていますから。
最近のぼくのお気に入りの言葉。The truth is rarely pure and never simple. (真実が純粋であることはめったになく、決して単純でもない)――オスカー・ワイルド
ヨン様の写真集 12/3
ヨン様フィーバーは今のところ全く衰える気配がありません。我が家にも若干1名、はまっている人がいます。
そのヨン様の写真集が発売になったそうですが、値段を聞いてびっくり、1冊14700円。何ぃ? でもお金と時間のあるおば様たちにとってこの金額はちっとも高くないのでしょう。
驚いたのは値段だけではありません。テレビや新聞で写真の一部が紹介されていましたが、その筋骨隆々ぶりにまたまたびっくり。体脂肪率が3.3%だって?サッカーの中田だって5%ですよ(ちなみにぼくは14.6%。これでも少ない方なんだけど)。あの体を作り上げるのに、ずいぶん苦労したみたいですね。そのプロ意識は見上げたものです。
しかし、ぼくには「微笑みの貴公子」と呼ばれるあの顔と筋骨隆々の体とが、どうしても不釣り合いに見えてしょうがないのです。で、ふと思ったのは、この写真集、もし日本をマーケットとして制作したのだとすると、失敗に終わるのではないか(つまり制作者の予想ほどには売れないのではないか)ということです。
日本女性はマッチョな男って好きじゃないでしょう。どちらかというと中性的なやさ男を好むはず。ヨン様が絶大な支持を得てるのはまさにその点じゃありませんか。ところがその顔とイメージを裏切るあの筋肉ムキムキは、どうなんだろう。客観的に見てちょっと疑問です。
……という予想を立てながら、売れ行きを見ていこうと思っております。
コンピュータと枯葉 12/1
団地の前の銀杏は半分近く、葉を落としてしまいました。今年は紅葉がそれほど美しくありませんでしたね。猛暑だから期待していたけど、秋の冷え込みが足りなかった。木々はためらいながら、足並みそろわず紅葉していったようです。
そんなこともあって、今年はあまり落葉を熱心に探しはしなかったけれど、それでも今文字を打っているコンピュータのキーボードの前には、自然のものがいくつか並べられています。
椚(くぬぎ)の葉、ドングリ、榎木の実、石神井公園でもらってきたクルミの実、夏に東大農場から持ち帰ったニオイヒバの葉っぱ(これはすっかり枯れている)。一年前に近所で拾った栃の実もあります。
飾りにしてあるわけでもなく、何かに使おうというのでもなく、ただ置いてあるのです。枯れてたりしぼんだりしていても、そこにあるだけで心が安まります。木の実にさわったり、葉っぱの匂いをかいだりもします。椚の葉や榎木の実は、先日息子と一緒に蝶の幼虫を探しに行ったときに拾ったものですが、あの時、公園を歩いていて、いろんな樹木にさわっていたときもとても心が安らぎました。少しずつ異なる木肌の感触が心地よくて、木と会話をしているような感じがしました。
テクノロジーの象徴のようなコンピュータの前から葉や実を取り去りたくないのは、いつも自然とつながっていたいからなのだと、ある時ぼくは気づいたのでした。
11月の「ごあいさつごあいさつ」
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