第53回

『なぜデザインなのか。』 原研哉・阿部雅世/著 平凡社、2007、¥1800+税

 この本は、原研哉さん(グラフィックデザイナー、著書に『デザインのデザイン』)
阿部雅世さん(ヨーロッパを拠点に活躍している建築家)との対談です。
 この対談で語られているのは、デザインをキーワードにして、私たちがどう生きるのか、世の中に対して何をしていくのか、と問いかけていく哲学です。阿部さんの「あとがき」に出てくる次のような文章が、内容の核心を表しています。
「世界有数の技術大国でありながら、「技術は何もハピネスを生み出していないのではないか」と、対談の中で原さんが、ふと漏らされたような現実は、戦後の日本が、半世紀以上にも渡って教養や哲学に時間を割く余裕のない、即戦力としての優秀な技術者ばかりを育ててきたことに帰するのかもしれない。(中略)美意識過剰の断片が、豊かでおしゃれでハッピーな生活の幻覚を保証する、お手軽な麻薬として、万人に配られている。そういう日本空前のデザインブームを目の当たりにして、「それがデザインなの?」という、私の根本的な問いは、宙に浮いたまま、どこにも着地できないでいる」
 二人は、仕事の周辺から語り始め、話題はデザインの歴史や世界の現状へと広がっていきます。分析は鋭く、冷静です。世界や日本のあちこちで崩れ行く産業や文化が語られる。しかしそんな現実に流されたり絶望してしまうのでなく、デザインの本質を見直すことで、生活を良くしていくことができるのではないか、と提案するのです。「あとがき」の終わりにはこう書かれています。
「酔いを醒まし、同じ危機感を共有する人と手を組み、置き去りにされた思想まで、濁流をさかのぼって戻ること。その思想が完全に埋もれてしまう前に、素手でそれを掘り起こすこと。感覚を研ぎ澄まし、その中に封印された哲学を読みとること。そして、その上に、骨格のある日常生活を構築し直して、次の世代に手渡すこと。(中略)そして、それができた時、私たちの暮らしは、初めて、少し救われる」
 これは原さんの他の著書と同じく、デザイナーだけにとどまらず、広く一般の人たちにまで思いを伝えようとする情熱に満ちた本なのです。ぼくはこの本の中に共感者を見つけ、彼らにさらに遠くへ連れていってもらったような気がします。共感しつつ自分のふがいない現状を恥じたり、いやいや、こんな自分でも今からできることは間違いなくあるはずだ、と思ったり。
 それにしても、この対談を読んでいると、お二人とも言葉を大切にする方であることがわかります。実はそのことがデザインをするための、生きていくための重要な作業であることも、改めて確かめられるのです。

 
                                 11/7/2007

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