第44回

『へたも絵のうち』
            熊谷守一/著
 平凡社ライブラリー、2000、\1100+税

 まず、タイトルがいい。絵のへたなぼくは、これだけで読みたくなります。次に、カバーの絵がいい。単純な線と色で描かれた猫。この絵の味わいが、そのまま本の中身を表しています。
 
著者の熊谷守一(くまがいもりかず)さんは1977年に97歳で亡くなった画家。ぼくは今まで、この人も作品も、まるで知りませんでしたある雑誌でたまたま目にした言葉がぼくの心をとらえました。 「絵でも字でもうまくかこうなんてとんでもないことだ」これで熊谷さんの名前と本を知りました。絵でも字でもうまくなりたいというのは、誰もが願うことじゃないか? なのに、こんなふうに断言するとは、いったいどんな人物なのか?
 書店で実際に本を手に取ってみました。その風貌はまるで民話に出てくる仙人のよう。そして本文を読み始めると、まるで別世界のお話が展開するのです。しかもそこには何の衒いもない。おじいさんの昔話を聞くような気分で、信じられないようなエピソードの一つ一つに、驚いて、笑って、感動します。

 
その生涯はまさに「超俗」。現世の欲望や野心とは無縁の人。例えば91歳の頃の生活はこんな風です。「朝、目を覚ますのは六時ごろ。軽いご飯をすませると、庭に出て植木をいじったり、ゴミを燃したりぶらぶらします。これが終わると、とりあえずしなければならぬことは何もない。……夜は仕事をします。絵を描いたり、時には書も書きます。」
 財力があって悠々自適の生活をしているというのではありません。熊谷さんは長く貧困の生活を続けて、お子さんを何人も病気で失っています。しかし、家庭を顧みず絵をひたすら追求するという生き方でもありません。美術そのものを突き放して見ているところがあるのです。
 解説によれば、実力的には芸大時代の同期だった青木繁以上の天分を持っていたのだけれど、それに固執せず、心の赴くままに生きたようです。そして苦汁をなめたとしても卑下することなく、自分の弱さも破れもいたずらに取り繕おうとはせず、あるが
ままを受け入れています。熊谷さんの語りの中に、世間からどう評価されたという自慢話はひとつもありません。ギラギラしたところが全くない。それはもう、もって生まれた資質なのでしょう。 一般の人たちに見られるこせこせした俗物根性がなく、淡々と楽々と生きているのです。
 
しかし一方で、鳥や虫や花といった自然への愛着、機械の構造に対する興味や好奇心は、どんなに年を取っても失わない。鳥は何羽も飼っているし、草木も育てている。時計の修理をしたり、写真機を作ったりもする。そういうことを楽しそうに話しています。そこがまた魅力的です。
  口絵の作品を見ていると、彼の絵柄は70年の画業の中で大きく変貌を遂げたことがわかります。色も形も、よりシンプルな方向へ収斂しているようです。上に引用した「絵でも字でもうまくかこうなんてとんでもないことだ」という言葉は、美への確かな洞察力と、晩年に到達した境地から来ているのだと思います。
 別の所ではこんなことを言っています。「結局、絵などは自分を出して自分を生かすしかないのだと思います。自分にないものを、無理に何とかしようとしても、ロクなことにはなりません。」あ、この言葉は最近読んだ千住博さんの言葉と同じだ。ずいぶん異なった作風や生き方なのに、この点で二人は見事に一致しているのでした。

 

                               2/7/2005

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