●先日献血をしたので、血液検査の結果が返ってきた。ALT、AST、γ−GTP、コレステロールが標準値を超えていた。特にALTは標準を大きくオーバーしている。ショック。2年前の結果と全然違う。最近はストレスのせいで太ったし、内臓にも負担をかけているかも知れない。節制して、3ヶ月後すぐに再献血してみよう。
●満開の桜にボタ雪という、あいにくの天気。家でず〜っと教務関連の仕事。1年・2年のクラス分け関連資料を作成。何度も大学に電話して、古田氏に指示。きょうは事務局総出で、1日中入学式やオリエンの準備をしていたらしい。雪の中では大変だったろう。夜は実家に帰って食事。自宅に戻ってからたまっていた雑誌を読み、前期の授業スケジュールを確認。きょうもよく仕事した。
●資料を打ち出して、慌ただしく家を出る。11時から日大で50年史編集委員会。全体像はだいぶ見えてきたが、また仕事が増えた。小林義寛先生にわざわざ東大まで資料を取りに行っていただいた上、コピーまで取っていただいた。一同感謝。昼食をはさみ、19時過ぎまで委員会。いつもの蕎麦屋で飲み。近くのバーで2次会。帰りの電車が遅れたため、死ぬほど混んでいた。24時半頃帰宅。疲れた。
●雨の中、川越に行く。いきなり忙しい。新入生の名簿、退学者の名簿、必修科目を落とした学生の名簿をもらう。基礎演習IIの担当者が決定していない学生を各ゼミに振り分け、全教員分の名簿を打ち出し、資料を付けてメールボックスに配布。茅根氏とコンピュータプラザの改造計画について協議。教員コマ数表を某先生に渡したらつかまって1時間ほど話し込む(^^;。英語の時間割の変更について古田氏らと協議。オリエン時のクラス分けについて、高杉先生・富岡先生と協議。50年史関連の文書を整形し、打ち出し。大学を出たのが20時。3月末というのに真冬並みに寒かった。カサを持つ手が冷たくなった。家では引き続き教務関連の仕事。西岡氏より電話。相変わらずプリンタは死んでる。イスで爆睡。
●風邪が悪化した(花粉症ではない)。調子が悪かったが、重い荷物を持って川越に行く。澤田先生と卒業アルバムを見ながら談笑。14時にメディア研究会の学生来訪。研究会の位置づけや今後の方針について話し合う。慶應通信教育のレポートを採点し、自転車で川越西郵便局に持っていく。少しだけ50年史の打ち込み。早く帰る。死ぬほど眠かった。夕食後、古い食材(みりん、醤油、油、酢、片栗粉、強力粉、パン粉)をドカンと捨てる。そもそもこれらの食材は昔、料理する機会が多かった時に買ったものだ。5年ほど前に突然料理しなくなったので(^^;、そのまま放置されていたものだ。大量の油は、フライパンで温めて「固めるテンプル」で固めた。量が多いので3袋も使った(^^;。全部捨てたら、過去を清算した気分になった(^^;。
●PostScriptプリンタ(OKI ML903PS2)の調子がおかしくなった。ネットワークで接続しているのだが、認識されなくなったのだ。最初は印刷できない理由がわからずに往生した。しかし他のプリンタでは印刷できることから、プリンタ本体の問題であることがわかった。問題はプリンタのEthernetカードにあるのかも知れないが、時間がないので本格的な究明は後回しにした。
●何だか眠れなかった。明け方の27時過ぎ、やけに外が騒がしいので見てみると、すぐ近くの住宅が火事になっていた。火を見て興奮したのか、ますます眠れなくなった(原始人か、オレは)。仕方なく起きてメールを書いたり仕事をしたりした。
●朝、注文していた『日経BPデジタル大事典』が届いた。この事典の巻末には主要コンピュータ関連資格試験一覧が掲載されているのだが、そこにもNS協会のWord検定・Excel検定は掲載されていない。要するにNS協会の検定は社会の目線ではないのだ。社会の目線で行くのだったら、やはりMOUSだろう。
●短大に行き、ハンコを取り戻し、最後の卒業アルバムをもらった。もう上福岡に来る機会はあまりないので「赤坂飯店」に行こうとしたが、火曜が定休日なので休みだった。ショック。もう頭が完全に坦々麺になっていたのに(^^;。短大と赤坂飯店の間というかホンダ学園の寮の前の雑木林がごそっと伐採されていた。住宅地にでもなるのだろうか。ちなみに伐採された木は松だ。いや、杉もあったかな。いかにも花粉症が悪くなりそうな風景だった。メディアセンターに寄ってから帰る。一体何をしに来たのか・・・。
●買い物をしてから帰宅し、遅い昼食。少し昼寝してから仕事。50年史の作業を続ける。相変わらずe・Typistが落ちるので、頭に来て掟破りの全部手入力でやることにした。OCRで読み込んだ文章は改行も何もない上に認識ミスもあるので、校正したり整形したりするのが非常に面倒だ。その時間を考えると、いきなり原稿を見ながら手で入力しても時間的には大して変わらない。何も考えなくて良い分、かえって精神的に楽かも知れない。ただし手と肩と目が疲れるので長く作業はできない。教務課よりメール。また英語に時間割の変更が出る。キレかかったが、冷静に対処。
●夜は簡単な料理をしたが、異常に古いサラダオイル(5年以上前に買ったやつ)を使ってしまったため、すべてが台無しになってしまった。あの古いオイルをフライパンに入れてしまったことを死ぬほど後悔した。それより自分の腹が心配になったが、今のところ嘔吐や下痢はない(^^;。しかし何となく気持ちが悪い。このところずっとサラダオイルの代わりにバターかマーガリンを使っていた。きょうはバターもあったのに、魔がさしたとしか言いようがない。頭に来たので、あした「固めるテンプル」か何かを買ってきて、すべて捨ててしまおう。ついでに醤油も古いので、捨てて新しいのを買おう。
●西岡氏から電話。コンピュータプラザの教室等について協議。その後、コンピュータ科目のクラス分け用のプレイスメントテストを作成。大きな事件はなかったが、精神的には変化に富む1日だった(^^;。
●麹町の中華料理店「登竜」で昼食。なかなかおいしかった。新宿西口地下でバーゲンをやっていて、500円のネクタイを2本購入。ヨドバシカメラ時計館とゲーム館を物色したが何も買わず。武蔵浦和の文房具店でいろいろ買い込む。スーパーで買い物して帰る。帰宅すると、米Apple社から株主向けの書類が届いていた(私はAppleの株主だ。1株だけだが(^^;。ちなみに日本のアップル社は株式を公開していないので、一般人は株主にはなれない)。4月に行われる株主総会(Annual Meeting of Shareholders)で提起される案件について投票を促す内容だった。それとともにApple社のAnnual Reportも同封されていた(当然ながらすべて英文)。ざっと目を通す。通常は委任状兼投票用紙(proxy card)に署名の上返送するのだが、ネットで投票もできるようになっているので、そちらの方で投票を済ませた。株主の実感が湧いてきた(^^;。proxy statementによると、Jobsは98年〜00年までCEOとしての給料は1ドルずつ(3年間で3ドル)しかもらっていないが、00年度にボーナスを何と9千万ドルももらっている。凄い。
●夜は50年史関連のOCR作業。e・Typistがよく落ちる。困ったものだ。テキスト編集画面であまり性急に操作すると良くないらしい。メモリの割り当てを増やすのもトラブルを避ける方策になるかも知れない。ゆっくり、慌てずに操作したら落ちなくなった。しかし膨大な時間がかかるなあ(;_;)。
●テレビ東京系「おとバラ」と「シネマ通信」が終わってしまった。ショック。いつも川原亜矢子の隣でたれぱんだのようにくたっとしていた愛犬ソレイユが見られなくなるかと思うと悲しい。これから日曜日の朝に何を観ればいいのだろうか。雑誌でもそうだが、私が「面白い」と思ったものは長続きしない。きょうは私の集中力も長続きしなかった(^^;。仕事はそこそこで切り上げる。お昼に手作りのお菓子を作る。夕方は爆睡(^^;。Webで調べものをする。
●9万字のフォントを使える「今昔文字鏡」の使い方を解説した『パソコン悠悠漢字術2001』(紀伊国屋書店)を読んだ。文字鏡フォントを使うと甲骨文字や梵字、民族固有文字や変体仮名まで表示することができる。大変便利であり興味深いが、よくよく考えると自分にとってそのような文字を表示したり印刷したりする機会はほとんどない。現在は外字フォントで用は足りているし、unicodeが使えるようになればそれで十分であろう(あくまで「自分にとって」の話だが)。
●MacOS Xに収録されているヒラギノ書体や小塚明朝などのフォントはunicode対応で、使える文字数が拡張されている。いわゆる「はしご高」や「崎」のつくりの「大」の部分が「立」になっている字、森オウ外のオウなど、今までありそうでなかった文字が表示/印刷できるようになっている。しかし、それらの文字を扱うソフトもunicodeに対応していなければならない。要するに、フォントとソフトが両方unicodeに対応していなければならないのだ。これらの文字はOS X標準添付のTexEditでは表示できるが、Jedit4では表示できなかったりする。これから出てくるOS X用ソフトは、unicodeを扱えるようにしてほしいものだ。
●三崎町の日大に行き、黒川先生に会う。古い『新聞学評論』のコピーをもらい、古い会報の現物を借りる。少し談笑し、お昼過ぎに出発。近くを物色してラーメン屋に入ったが、「ふつう」だった(^^;。秋葉原まで歩き、駅前の献血ルームで久しぶりに献血する。最近血の気が多いので、400mlほど抜いてもらった。少しは丸くなるだろうか(^^;。イケショップモバイルプラザを覗いた後、LAOX Mac館で7ポートのUSBハブと書籍3点を購入。ゆっくり帰る。帰宅してからすぐ散髪に行く。家に戻ると、やっとMacOS Xが届いていた。さっそくインストール。しばらく遊んでから、おもむろに『50年史』関連の仕事にとりかえる。「研究会の記録」をやっと全部入力。最近の研究会は番号がずれている。どうしたものか。一段落ついたので、ネットでいくつかの通販サイトを物色。腕時計で割と気に入ったモノがあったので注文。明日も仕事がんばろう。
●きょうは春眠の日。こんなに寝ているのに、なんでこんなに眠いのか。どうやら自分はイスで爆睡するのが一番よく眠れるようだ。日中は結局洗濯以外に何もできず。夜は50年史関連で2人の先生に電話。コマ数表の直し。時間割の直し。
●久々に川越に行く。きょうは4大の学生登校日で、成績表の配布とアドバイザー面接を行った。お昼に教員全体会。退学と自己評価システムが議題だったが、例の検定についても報告があった。「受験料は学生負担とする」というのが、現時点における「回答」だそうだ。現場としては断じて受け入れられない方針だが、それはさておくとしてもなぜNS協会にそれだけこだわるのかよくわからない。NS協会は本部が新潟にあるローカルな団体で、主に企業向けのパソコン研修(とくに、IT化に乗り遅れたおぢさんたちのための研修)を実施している。検定は随時やっているというせいもあるが、受験者が少ないので一回の合格者が「3人」とか、そういう検定である。NS協会のWord検定は『コンピュータ関連資格ガイドブック』(BNN)にも掲載されていないマイナーなものだ(Excel検定は掲載されている)。その意味では「J検」以下だ。兼高先生がソフトウェア会社のSE15人に取材したところ、NS協会を知っていたのは1人だけだったという。
●NS協会の検定を実施すると、パソコン講習会+インストラクター+テキスト+検定がワンセットとなる。それだけお金がかかるということだ。それを全員に強制するのは、何か特殊な理由があるのではないか、と教員はみんな疑っている。たくさんの教員がNS協会について調べたので、私もすっかりNS協会に詳しくなってしまった。しかし、このような「外圧」が良いことをもたらすこともある。いままでバラバラの個人の集合体でしかなかった総合政策の教員が、今回の検定問題を機に団結し始めている。これからもたくさんの難局が生ずると思うが、ほぼ全員で力を合わせて対処することができそうだ。自分はとりあえず時間割を完成させ、情報のプレイスメントテストを作成することに専念したい。
●引き続き調子が悪く、家でうだうだ。日記やメールを書いて過ごす。午後買い物に行くと、武蔵浦和駅付近の工事がほぼ終了していた。ライブタワーの2階に須原屋(書店)、1階に東武ストア(スーパー)が開店していた。須原屋は売場面積が広く、かなり「使える」印象だった。新築のにおいがプンプンし、シックハウス症候群になりそうだったので早めに下に降りる。東武ストアは全体的に決して安くはないが、品揃えのセンスに好感が持てた。マルエツでこれまで感じていた不満がほぼ解消できた。上福岡の東武ストアとは大違いだ(^^;。マルエツは本当に午前1時まで開店していることが唯一の取り柄になってしまった。大丈夫だろうか。いろいろ買い込んで帰る。スターバックスも開店していたが、荷物が多かったので入らなかった。今度行ってみよう。
●家の中にホコリがたまりまくっていたので、とりあえず(2ヶ月ぶりに)布団を干し、掃除機をかける。10時半頃、冷蔵庫が届く。冷蔵庫自体は快適だが、開ける時に後ろの食器棚が少々邪魔になる。慣れの問題だと思うが。いろいろ雑用する。疲れもあり、本を読んでいるうちに風邪が悪化した。頭がぼうっとして体調が悪い。郵便物を見たり本を読んだりして、無理せずに過ごした。夜は実家に行った。母はトルコ旅行から帰ってきたばかりだった。たまたま姉夫婦も香港旅行に行ってきたばかりで、やたら土産話を聞かされた。自宅に戻っても調子が悪かったが、一本の電話で元気になった。つくづく単純な男だと思う。
●とりあえず帰りの電車の切符をもらい、自由行動ということになった。定平・岡崎・鶴原先生と一緒に太秦に行く。タクシーに乗ったのだが、運転手が「映画村なんてあんなつまらない所はない」みたいな話から始まって、現在の京都の現状に対する嘆き節を聞かせてくれた。曰く、寺院の拝観料は(税金がかからないので)勝手に設定しており、全体的に高すぎる(=金儲けに走っている)。修学旅行の中学生など、寺院の前で写真を撮って中には入らず、その浮いた金で大阪とか神戸に行ってステーキを食べたりしている(それほど拝観料が高い)。映画村は一度行ったら二度と行く気がしない。20分で出てきてしまう人もいる。ユニバーサルスタジオができたら絶対すたれる。等々。要するに、このままでは京都にあまり人が来なくなってしまうという危惧なのだが、確かにそうだと思わせるところもある。広隆寺の弥勒菩薩は何度会っても素晴らしいと思うが、霊宝殿の拝観料が700円というのはいかにも高い。どうにかならないものだろうか。
●東映太秦映画村は、タクシーの運転手が言うようにトホホなテーマパークだった。ヘンに大人も子供も楽しめるようにしようとした結果、節操がなくなっている。江戸時代の町並みを再現した建物群は興味をかきたてられるが、廻船問屋のそばにある池から突然怪獣が浮上してきたりする(ちなみに東映なのでゴジラではない(笑))。こんなので子供が喜ぶとでも思っているのだろうか。この他にも子供だましの施設が多い。修学旅行の中学生がいっぱいいたが、全体的にノリが「修学旅行向け」になってきている。「映画文化館」もいまいちだった。でも、トホホな施設だということがわかったので一応満足。歩いて広隆寺に行き、弥勒菩薩に会ってからタクシーで京都駅へ。買い物をして新幹線に乗り込む。全員爆睡(^^;。
●帰ってからは何もする気になれず。本が2冊届いていたので、ずっと読んで過ごす。
●貸し切りバスで、あらかじめ決められたコースを回った。気温が高くて風が強く、花粉の飛散量も多かったらしく、急に花粉症になった先生が2名、花粉症が悪化した先生も2名(そのうちの1人が私)。かなりきつかった。目がかゆく、くしゃみを連発し、鼻水が出た。あちこちのゴミ箱に丸めたティッシュが数多く捨てられていたので、かなりたくさんの人が花粉症で苦しんでいたらしい。まず最初は仁和寺。ちょっと脱線するが、今回の旅行で「音楽の先生は漢字に弱い」ということが判明した。この寺を「にんなじ」と読めない先生がいたぞ。それから「麩」と書いてあるのを指して「これ何て読むの」とのたまった先生もいた(^^;。
●それはさておき、仁和寺は素晴らしかった。ここは平安時代から明治維新まで代々天皇や皇族が門跡になっていた寺院(旧御室御所)で、そのへんに山ほどある「観光寺院」とは違った品格がある(とガイドのおじさんが言っていた)。ちなみにここも世界遺産。この日に回った寺院はすべて「特別公開」中で、別料金を払うと普段は非公開のモノが見られるようになっていた。仁和寺ではガイドの説明付きで重文の茶室を2つ見せてもらった。これぞワビサビの世界。日本人に生まれて良かった。アングロサクソンには理解できまい。茶室の周囲の苔も素晴らしかった。西芳寺(苔寺)よりも美しいかも知れない。余談であるが、西芳寺は拝観志納を3000円も取る。そのため「京都、苔寺、三千円」と揶揄されているそうだ(^^;。結果的には、今回訪問した中では仁和寺が最も素晴らしかった。
●仁和寺の後は近くの竜安寺。ここも茶室の「蔵六庵」と明兆筆の巨大な掛軸「雲龍図」(元々は天井に描かれていたものを掛軸に作り直したもの)を特別公開していた。会場の案内と雲龍図の説明は、同志社大学の史蹟研究会みたいなサークルがやっていた。これぞインターンシップ(^^;。お茶をいただき、雲龍図の説明を聴いた。有名な石庭(これも「いしてい」って読んだ先生がいたぞ)は人が多すぎてじっくり見る気になれなかった。
●お昼は二条城の南にある「神泉苑」の敷地内にある「神泉苑平八」という店。神泉苑自体は平安京と同時に造営された、平安京最古の史蹟。この庭園を見ながらの食事は格別であった。しかし団体客を受け入れているためか、やたらと混んでいたのでがっかり。いい店なのに、「団体客がバスで乗りつける店」になってしまってはサービス・味・品格ともに落ちるよなあ。その団体客の一人なのであまり大きなことは言えないが。
●午後は教王護国寺(東寺)と清水寺。東寺は仏像に見るべきものがあると思うが、花粉症がつらかった。五重塔の中に入れたのは良かった。清水寺は後ろが山のせいか、さらにつらかった。バスガイドさんも花粉症で、苦しんでいたようだ。特別公開は見なかった。あまりに人が多いので閉口した。もっぱら買い物をする。「八ツ橋ソフトクリーム」と「豆乳ソフトクリーム」があって迷ったが、豆乳ソフトを食す。豆乳の味がした(当たり前や)。今度行った時は八ツ橋ソフトを食べてみたいが、そもそも今後清水寺に行く機会はほとんどないと思う(あんな俗っぽく人が多いところは自発的に行く気にならない)。そう考えると八ツ橋ソフトも食べておけば良かったか(^^;。
●宿に戻ってから鶴原先生と近くの錦市場を散策。何と「七味ソフトクリーム」を発見するが、さっき豆乳ソフトを食べたばかりだったので買わなかった。これも後から考えればもったいないことをした。6月に学会で京都に来るので、その時食べようと思う(^^;。帰ってから風呂に入り、食事。また外に出て、木屋町のバーで飲み。前日よりは早めに帰る。やはり爆睡。
●待ち合わせに遅れないよう、慌ただしく用意して出かけた。東京駅の「銀の鈴待ち合わせ場所」は、以前の「銀の鈴」とはまったく別の場所にあり、探すのに苦労した。きょうから短大最後の「教員懇親会」旅行だ。この懇親会費は、教員の慶弔時にお金を渡すため毎月の給料から天引きされていた。短大が終了したのに伴い、この懇親会も解散する。それで全教員に剰余分を返却したのだが、現金で返すか旅行をするかのオプションを選択できた。それで私は旅行を選択したのだ。今回の参加者は全部で10人だったが、情コミ学科からの参加は私1人であった。新幹線で京都に向かう。
●京都に着いてから、永江先生・鶴原先生と一緒に上賀茂神社に向かった(他のメンバーは旅館に直行)。7世紀に社殿が建設されたという、京都最古の社である。現在の社殿は江戸時代に再建されたものだが重文、本殿は国宝、全体は世界遺産に指定されている。なかなか良かった。このへんに永江先生が浪人時代に住んでいた寮があって、この界隈の地理は詳しいようだった。永江先生に地元の小さな神社に案内されている途中、雨が降り出した。小さな神社を見た後、たまらずタクシーで宿に帰る。今回の宿は千切屋というところで、旅館としてはまったく平均的な「ふつう」の宿だが、歴史自体は古く由緒がある。2日目の夜に女将の話をうかがう機会があったが、固定客も多いようだった。
●風呂に入ってから夕食兼宴会、そして先斗町(ぽんとちょう)のますだで二次会。ここで大村先生合流。大村先生は熱狂的な浦和レッズファンで、何と駒場スタジアムで試合を観てから京都に駆けつけたという。そこまでするか普通(^^;。その後みんなで祇園を散策し、ちょっと怪しい飲み屋街を通り抜け、木屋町の某店で三次会。一次会から三次会まで、どういう飲みだったかはあまり詳しく説明できない(^^;。深夜に帰ってきてそのまま爆睡。
●早起きして、最後の卒業式に向かう。川越駅から川越市民会館までは25分くらいで行けることが判明した。式ではクラスの名簿を読み上げ。ノーミスでクリアした。その後、若手の先生方と一緒に「いちのや」で食事。謝恩会(於川越プリンス)の開式前後に会場にいるのがうざったかったので、さらに喫茶店で談笑。遅れて謝恩会に参加。最後の花束はもらわず、卒業証書渡しの準備。今回は学生証を持ってくるよううるさく言ったので、ほとんどの学生がちゃんと学生証を持ってきた。つつがなく終了。これで学科も短大もなくなってしまったのだが、相変わらず感慨がない。川越プリンスの1階の喫茶店で新井先生らと談笑。その後、兼高・高田先生と結局飲みに行ってしまった。その席上、某教授と幹部が情報表現と総合政策に対して「二枚舌」を使っていた(しかも、複数の局面で)ことが判明。兼高先生激しく憤慨す。ネット教育とか資格を取らせるとか、そんなことをやってる場合じゃないのだ。
●この時期になっても入学式やオリエンテーションの予定が教員には一切知らされていない(こんな大学は日本中探してもどこにもない)。有能な職員がボコボコやめる。それに加え、会議では幹部が二枚舌を使う。尚美学園は開学以来最大の危機に陥った。経営の危機ではなく、モラルの崩壊の危機だ(言ってみれば、現在の自民党と同じ状態だ。いや、もっとひどいかも知れない)。幹部・職員のモラルが荒廃すれば全員のモラール(士気)が低下する。こんな状態でもまだ頑張って良い方向に持っていこうとしている少数の教職員がやる気をなくし、ボランティア的職務を放棄したり退職したりすれば、組織全体の腐敗を早めることになる。大学はたとえ腐敗しても薬害エイズのように「人が死ぬ」ということはない。しかし社会や組織の構成員に惨禍をもたらすという点では、雪印やそごう、KSDと何ら変わるところがない。私は旅に出て、いやなことをしばらく忘れることにした。
●久しぶりに指圧(正確にはテルミー療法)の治療に行った。施術院が移転してから2回目だが、道を把握した。家から自転車で約20分位で行けることがわかった。久しく行っていなかったので肩も首もガチガチにこっており、そのコリが胃に悪影響を及ぼしていた。初めて治療を受ける前の状態に戻っていたような感じだ。しかしこの半年の間に太ってしまった(=皮下脂肪がたまった)せいか、全体的にそれほど痛くはなかった。先生は手加減してくれたのかも知れない。でもこの状態が続くとやばいので、せめて2ヶ月に1度くらいは通えるようにしたい。自転車で、駅から歩く場合の道を確認しながら帰る。
●そのまま家には戻らず、武蔵浦和のケーズデンキに行く。うちの冷蔵庫は小さくて使いづらさは限界に近づいている。それに加えて4月から家電リサイクル法が施行され、不要の家電品を引き取ってもらうのが有料になってしまう。そこで冷蔵庫を物色したのだが、新製品で割と条件(サイズ、電力消費量、そして値段)に合う製品があったので、意を決して買ってしまった。20日に届くことになった。現在私のような駆け込み需要が高まっており、家電業界は特需に沸いているらしい。ただ、4月になったら逆に売れ行きが落ちそうだ(消費税が5%にアップした時のように)。郵便局にも寄って、ようやく帰る。
●午前中に注文していた本2冊が届いていたので、それを読む。明日は卒業式なので、ワイシャツにアイロンをかけた。何とまめまめしい(^^;。きょうはよく働いた気分(^^;。
●稲垣先生のお父様が亡くなられたので、葬儀に出席した。行ってみて驚いた。故人は元東大教授→明治大教授で、建築史の分野では高名な学者だったらしい。葬儀委員長がいるような壮大な式で、参列者は300〜500人ほどいただろう。受付でかなり待たされ、お焼香でまた待たされた。不謹慎ではあるが、イライラした。若手の先生方も何人かいらしていたが、それぞれまっすぐ帰る。木村先生と一緒に京浜東北線で帰った。昼食をとらずに出発していたので、喪服のままで食事をし、買い物をして帰った。さて仕事をしようかとパソコンの前に座ったのだが、疲れたのか激しい睡魔に襲われ、何と17時から21時まで4時間もイスで爆睡してしまった。50年史関連の仕事をする。なかなか眠れなかった(^^;。
●午前中に確定申告書を提出しに行った。すると、浦和税務署は大変なことになっていた。ディズニーランドも真っ青。通常、提出だけなら並ばずにすぐ出せるのだが、きょうは提出だけの人もドカンと並んでいた。締切まぎわというのは恐ろしい。自分の申告書に記入漏れや間違いはないので、「記入済申告書提出用ボックス」にポンと入れて帰ってきた。提出するだけなのに、みんな何で係員に提出したがるのだろう。それにしても風が強かった。
●家では、昨日コピーした『50年史』関連資料をOCR化したり、直接入力したりした。これは大変な作業だ。途中、昼寝をはさんでず〜っと作業。現在の進捗状況もまとめてみた。3月末までに、どうやら間に合いそうもないことが判明。もっと早く始めれば良かった。
●Visorの新製品「Visor Edge」が発表されていた。かっこ良すぎ。私はなぜVisor PrismとかVisor Platinumを買わなかったかというと、そのうちVisorの新型が出ることを見込んで、当面は旧機種を使い込んで買い換えの時に新機種を買おうと思ったからだ。しかし、こんなに早く新製品が出るとは思わなかった。悩ましいが金はない。Visor Edgeのカラーが出たら考えよう(^^;。
●午後に川越に行く。TA&SAの問題について西岡氏と協議。15時から教務委員会。必修科目の再履修問題、進級について話し合った。17時頃終了。学会50年史のため、学会誌の一部(約15年分)を延々とコピー。すっかり遅くなった。帰宅後はいろいろ雑用。
●日曜日は某テレビ東京の番組をよく観るようになった。朝8時半からは「おとバラ(おとなの、音楽の、バラエティ)」、9時から「シネマ通信」、12時から「週刊経済王」、13時から「開運!なんでも鑑定団」(再放送)。「おとバラ」は司会の川原亜矢子も良いが、愛犬のソレイユもいい味出してる(^^;。番組Webページがないのはかわいそう。次の「シネマ通信」とともに周囲の人に勧めているのだが、みんな「その時間はぜったい寝ている」と答えてくれる。けしからん。「週刊経済王」は「のど自慢なんか見ている場合じゃない」と思わせてくれる。やけに面白い。しかし政治家を出すのはやめて欲しいなあ。11日の放送で亀井静香が出てきた時は、テレビをぶち壊しそうになったぞ(^^;。
●午後、歩いて買い物に行く。書店でまたも雑誌と本を買い込む。スーパーで食料も買い込む。荷物が重くなり、帰る時は難渋した。帰宅してからひたすら読む。早くも出版された『シティマップル 1/10,000 さいたま市道路地図』(昭文社)を、なぜか読みふけった。1万分の1のスケールは、比較的細い道までわかるので大変便利だ。子供の頃に住んでいた場所を、確認しながら読んだ。大昔の女の自宅があったところまで確認していたりして、「バカだな、オレ何やってんだろう」と思った。余計なことまで思い出した。ちなみに、この地図には川越付近も辛うじて掲載されているが、尚美学園大学はまだ存在していなかった(^^;。
●6月のマス・コミュニケーション学会の宿泊先をすでに予約した。京都なので早めに予約しないと埋まってしまうから。あとは夜中まで雑誌の整理をした。
●いろいろ雑用をしているうちに、あっという間に時間が過ぎてしまう。洗濯をしてから外出する。秋葉原のイケショップモバイルプラザに行ってみたら混雑していた。いまやPalm / Visor系のユーザーはかなり大きな勢力になっていることを感じた。そこから水道橋まで歩き、16時から学会の編集委員会。投稿論文の査読担当者を決定した。続いて学会誌の特集企画について協議。終了は19時過ぎとなった。ちかくの蕎麦屋で食事&飲み。大井先生と一緒に帰る。家では何も出来ずに爆睡。
●ATOK14が届いた。早速インストールしてみた。午後は確定申告書の作成。今回は雑収入が少ないので、割とすぐに終わった。あとは提出するだけだ。夜は新宿マイシティで武蔵美・生活デザイン科の収束会。情コミといい生デといい、短期大学の良き文化が失われてしまうのは悲しむべきことだ。最後に思いもかけず記念品をいただいた。恐縮し感謝す。終了後、新宿の街をしばし徘徊。次の予定はポシャった。悲しい私。今後の身の振り方を、そろそろ真剣に考えよう。
●午前中はまだ調子が悪かったが、頑張って川越に行く。昼食後、澤田先生の車に乗せてもらい、一緒にロヂャースに行く。560ml入りペットボトルの輸入品のサイダーが15円だったのには度肝を抜かれた。ここは28円とか38円は当たり前だが、15円というのは初めて見た。感動し、とりあえず1本買う(^^;。38円のコーヒーやらジュースやらも買い込む。500ml入りペットボトルのジュースが56円だったりすると、「高い」と思ってしまう(^^;。ついでにお菓子や「アロエリーナ」やレトルトカレーも買い込む。なんかすっきりした(をいをい)。帰ってから澤田研究室でしばし談笑。
●きょう事務局長と話をして、これまで再三にわたってお願いしてきた「TAに対するC言語の研修」が今に至ってもまったく実施されていないことが判明した。また、専門学校から「C言語が教えられるTA」を採用する話も全然進んでいないことがわかった。もうここまで来ると怒りを通り越して「なごむ」ね。ああ〜。
●研究費の報告書はきょう提出した。続いて古田氏から「コンピュータリテラシー演習」の全成績をもらい、2年次の「コンピュータ初級演習」のクラス分けを実施した。それにしてもリテラシーの単位を落とした学生がこんなに多いとは。それでも英語よりはマシなのだが(4分の3が単位を落としているクラスがある)。中国語圏文化論も凄いことになっている。この学年の退学者は最終的に100名以上になるかも知れない。でも、きょうは「なごみ」モードなので何とも思わない(^^;。
●日中は暖かかったが、夜になって冷たい雨が降り出した。私が大学を出る時にはみぞれになっていた。電車がなかなか着かず、埼京線のホームでかなり待たされた。待っている間にみぞれは吹雪になった。ホームの中央まで横殴りの雪がたびたび吹き込んだ。隣の列のおぢさんは寒そうだったなあ。後ろの方の人まで雪をかぶっていたよ。武蔵浦和に着いてから回転寿司を食べ、買い物をして帰る。帰る頃には小降りになっていた。ところで武蔵浦和駅周辺は新しい高層マンションの建設に伴い、大工事を行っている。その一環として、マルエツの前にスターバックスができる予定になっている。ちょっと楽しみだ。
●朝は二日酔い。なんか調子悪い。シャワーを浴びてから作業していたら湯冷めしたらしく、なお調子悪くなった。大学に行く予定だったがとりやめた。胃の調子が悪く、身体的には空腹ではないのだが、ストレスのため精神的には食欲がある。ちょっとやばい。熱があるわけでもないし、ノドも痛くない。鼻水も少ししか出ない。しかし体がだるく、頭がぼうっとして、何もする気になれない。当然仕事は何もできず。ほぼ1日、ずっと寝ていた。不毛な1日だった。
●短大は学生登校日。最後なので各教員が一言ずつスピーチした。成績優秀者を表彰し、成績表を配布した。軽く学科会。学科長室で先生方と雑談。兼高・恩田先生と一緒に馬喰横山の「鳥元」に向かう。きょうは情コミ学科の歴代専任教員による「学科解散会」。懐かしい面々が集結した。大山先生とは久しぶりにお会いして話をした。新井先生には幹事をしてもらい、何から何までやっていただいて恐縮した。本来これは**先生がやるべき仕事であるが、仕事はやらないし使えないヤツなので仕方がない。終了後、岡野先生も合流。新宿で2次会。0時半頃帰る。何だか学科がなくなるという実感がわかない。本当は泣きたいほど悲しいことであるはずなのに。やるだけのことはやった、ということだろうか。
●大学に電話し、研究費報告書の費目について質問する。その後はひたすらインストール&セッティング。LAN経由でアップデータをコピーし、各種ソフトをアップデートする。新しいランチャーも試してみた。次にPHSでのモバイル通信を試みたが、なぜか通信ができない。新しいCCLファイルをダウンロードし、LAN経由でコピーし、また試す。何度か設定を変えてやっているうちに、なぜか突然つながった。原因不明。恐らく、64Kでつながる確率が低いのだろう。それが18時過ぎのことだった。さすがにやばいので研究費の報告書を作成する。
●研究費の報告書作成は難航した。研究費に算入できる機材・ソフトは、絶対100万円以上(ひょっとすると150万円くらい)買っている。しかし最近はネットでクレジットカード決済することが多く、「納品書」はよくもらうが「領収書」をもらうことは少なくなっている。今回のPowerBookはそれ1台だけで研究費がほぼなくなってしまうほどのお値段なのだが、AppleStoreで買ったため、注文確認書があるだけで領収書はない。FinalCut Proも同様だ。昨年まではそれでも何とかなったのだが、今年度は改めて調べてみて、領収書の少なさに愕然とした。ネット通販でも有料で領収書を発行してくれるところはあるが、領収書は足りていると思い、あえてもらわなかった。来年度からは気を付けたい。結局、Visorは「研究費」で買ったことになってしまった。何だかなあ。
●朝からVisorに電話や名簿関連の入力。15時頃、ようやくPowerBook G4が届いた。その後は、ただひたすらセッティング、ソフトのインストール。今のところまともに動いている。よかった。
●昨日のネットワーク協議会で**長が爆発し、「Word検定・Excel検定を学生全員に強制的に受験させよ」ということになったそうだ。私はその話を聞いて、かつてないほど憤った。このままではストレスで憤死してしまいそうだ。おかげで、1日仕事にならなかった。午後は怒り疲れて爆睡した(^^;。夜、ようやく担任費・研究費の報告書作成に入ったが、遅々として進まず。
●私が注文したPowerBook G4は、2月28日に出荷されたそうだ。しかし、まだ来ない。AppleStoreで買うと、台湾の工場から直接出荷される。そのため、届くのが3〜4日かかるのだ。明日は日曜日なのだが、届くだろうか。
●短大最後の成績会議・教員全体会。**長は終始ごきげんだった。早めに終わる。学科長室で、引越の手伝い。また書籍や古いソフト等を大量に捨てる。多くの機材を高田研究室に運ぶ手伝いをする。澤田先生・高田先生と談笑。珍しく明るいうちに帰る。きょうは実家に帰って食事。戻ってからVisor用の名簿の更新とPalmware(Visor用ソフト)のインストール(^^;。
●FD研修会(先々週の欠席者向け)のため川越に行ったが、時間割改訂の仕事が入ったので会議には出ずじまいだった。「音楽と社会」の担当者から、この科目を上福岡開講にして欲しいという強い要請を受けた。受諾したが、大変不愉快な思いをした。時間割を編成してつくづく感じたことだが、教員がわがままを通せば通すほど、学生が損をすることになる。学生の皆さんは「この科目が履修できない」とか言ってクレームをつけないで欲しい。それは私個人のせいではない。時間割の不便度は、教員全体のわがまま度に比例するのである。もちろん私の責任も少しはあるわけだが、少なくとも私は「1限はいやだ」だの「2限はイヤだから3限にしろ」だの「川越には資料がないから授業できない」とかゴネたりはしない。
●研究室でVisorに情報を入力。少し爆睡。恩田先生来訪。Visorの話で盛り上がる。澤田先生・寶多先生来訪。「学園長・学長・運営本部長面接」について意見を交換。午前中に不愉快な思いをし、冷たい雨も降っていたので何もする気になれず。早めに帰る。帰宅すると「コマンド・アイPalm」が届いていた。夕食後、住所録のデータをコンバートしてVisorに転送。あとは雑誌を読む。暖かいメールもあり、少し気が晴れた。