ドイツ紀行・その6


【ノイシュタット(2)】(99.09.11)

●さてパーティーの参加者はホテルに13:30頃集合ということでした。私は当初、参加人数は前日のプレパーティ+αで十数人だろうと思っていました。ところがそれはとんでもない間違いで、一族郎党とその関係者で、何と総勢50名程度。ホテルに宿泊していたのもほとんどが参加者のようでした。最初はみんなで、シャンパン(とジュース)で乾杯しながら談笑。私はすっかり度肝を抜かれてもじもじしていたら、姉に「不安がすぐ顔に出るね」と指摘されてしまいました(^^;。

●特筆すべきは、この大パーティーの費用はほとんどホストのシャルバトゥケ夫妻が負担していることでした。主人のヘルマンさんは弁護士、妻のバーバラさんは高校(ギムナジウム)の先生ということでエリートです。住まいも「いくらドイツでもこれは凄い」と思えるような立派な家でした。見たところ、この一族全体も割と裕福そうでした。私はホテル代まで出していただいて、恐縮することしきりでした。

●ドイツの初等教育は4年生までで、その後は上の学校に進むか職業学校みたいなところに進むかなどの進路を決めなければなりません。そして、それによってその先の人生のコースがほぼ決められてしまうわけで、労働者階級の子供はほとんど労働者階級として生きていくことになります。イギリスやフランスなどもほぼ同じ状況で、大学に行けるだけでエリートです。ヨーロッパはおおむね階級というか「階層」がはっきり分かれており、それぞれインテリジェンスも、暮らし向きも、ふだん読む新聞も大きく異なります。そのへんは日本人には理解しづらいかも知れませんね。

●その文脈で言うと日本は平等な社会で、勉強ができれば誰でも東大に入ることができます。どんな階層の家に生まれても、努力次第でエリートになれます。やんごとなき方からブルーカラー労働者まで同じ新聞を読み、所得格差はそれほど大きくなく、多くの人が自分を「中流」だと思っています。それはいいことなのですが、逆に言うと非常に粗野でインテリジェンスのかけらもない、礼儀作法もまったくわきまえない人物でもエリートになれちゃう(金持ちになれる)わけで、そういう人が海外に行ったりすると非常に顰蹙を買うことになります(いわゆる「日本の恥」ですね)。

●欧米の一流レストランで食事をしたり高級ブランド品ショップで買い物をする人たち(要するにエリートというか上流階級の人たちですね)は、それなりの服装と礼儀作法、インテリジェンスを(教育により)身につけています。日本人が海外でブランド品を買いあさったりするのを、現地の人たちはどういう目で見るでしょうか。「あいつら、*****のくせに金にあかせて好き勝手なことをやりやがって。まったく世も末だ」とか思ってるんでしょうね。かつて日本人は「エコノミック・アニマル」と呼ばれていましたが、金があるのにそれに見合った行動をとらない日本人が、欧米の良識ある(?)エリートからは人間扱いされていなかったのだろうと勝手に想像しています。

●だから私も、例えばホテルの廊下を下着で歩いたり、一流レストランにTシャツ・短パンで行くといった恥ずかしい行為はしないように気を付けてました(そんなヤツいないか)。日本人の特徴である、ちょこまか歩いて所構わずバシャバシャ写真を撮るといったこともあまりしないようにしたくらいです(※実際、何人かのドイツ人に「日本人ってせわしなく動いてやたら写真撮るよね」といった意味のことを言われました。ドイツのコメディアンがそうやって日本人のマネをしているのかも知れない(笑))。特にこのパーティーでは周りがみんなエリートばかりだったので、余計に気を遣いました。

●で話を元に戻すと、乾杯・談笑した後、全員で貸し切りバスに乗って、最初の教会を訪問しました。下はその教会の写真です。

●この教会では、バーバラ夫人の同僚である、ギムナジウムの先生がこの教会の来歴や美術について解説をしてくれました(当然私は何もわからなかった)。奥の祭壇は観音開きのようになっていて、下の写真はその扉を開いたところです。3聖人の彫刻がほどこしてあります。


うーん。小規模ながら素晴らしい。

●下の写真は同じ教会の後方を写したものです。小さな教会ですが、ちゃんとパイプオルガンがありますね。

●そして、その後は高齢の方だけバスに乗り、他の参加者はハイキング。広大な田園を、1時間ほど歩きます。私がドイツに行っている間はまったく雨がなく、この日も暑かったです。炎天下の中を、歩いて歩いて歩きました。合間に木の実を摘んで食べながら歩きました(^^;。姉によればドイツ人は歩くのが好きで、お年寄りでも1時間は平気で歩くそうです。私は歩くこと自体は平気なのですが、足に靴擦れができていて、痛みをこらえながらの行軍となりました。


こんな風景が延々と続きます。中央付近に尖塔が見えますが、そこまで歩きました。


通信会社に勤めているというおぢさんと、姉のツーショット(^^;。


まだまだ歩きます。私はこのへんで転びそうになりました(^^;。

●さて歩いた末にたどり着いたところは、また教会。その脇の広場にテーブルとイスを並べ、野外でお茶会です。手作りのパイとコーヒーを用意し、やはりみんなで談笑します。なんと優雅な1日! ひとしきり休んだ後、隣の教会を見学。やはりギムナジウムの先生による説明がありましたが、よくわかりませんでした(^^;。

●そして、再び全員バスに乗って移動。このバスは冷房を全然入れていないので、暑くてつらかったどす。着いたところは、また別の教会。ドイツ南部特有のタマネギ型の塔です。

●この教会では、何とコンサートをやりました。フルートとクラシックギターのデュオ(プロ)が出てきて、クラシックの名曲を演奏しました。私はクラシックは専門外ですが、曲が始まるやいなや「こいつら、とんでもなく巧い」ということがすぐにわかりました。演奏中は写真を撮りませんでした。いや、あまりに演奏が凄かったので、撮る余裕がなかったと言った方が良いかも知れません。


この祭壇の前で演奏。

●コンサートが終わると、バスでホテルに戻りました。一服した後、ホテルでディナー。着席のバイキング形式です。ディナーなので全員着替えてきていて、みんなキマってます。背広を持って来ておいてよかった。フランケン地方の民族衣装を身にまとった女性も何人かおられました。料理もワインも素晴らしかった。ただし私は日本古来の「無言の行」を自ら実践することになりました(^^;。

●そしてディナーの後は、近くの酒場(午前中に写真を撮った所)に行き、そこでフランケン地方の民謡大会。2つのバンド(アコーディオンが主たる楽器。コーラスや歌が演奏の主体)が交互に歌い、演奏し、みんなで一緒に歌ったり踊ったりして、12時過ぎまでワイワイ楽しみました。これらの歌と演奏は本当に素晴らしいものでしたが、とても言葉で表現することはできませんし、記録するのも野暮なことです。だから詳しくは説明しませんが、一生の想い出となったことは確かです。この時の様子は、たぶん死ぬときに走馬燈のように思い出すでしょう(^^;。

●そうそう、この民謡大会で唯一知っている曲がありました。「蛍の光」(原題はわからーず。確かアイルランド民謡のはずだが?)です。みんなで合唱したのですが、よっぽど私だけ日本語で歌おうかと思いました(^^;。

●毎年参加している大多数の人にとって、私は「招かれざる珍客」でした。言葉が話せなくて、いっぱい恥もかきました。それにもかかわらず歓待してくれ、いろいろ声をかけてくれた皆さんに感謝しなければいけません。もちろん招待してくれた夫妻にも。この1日で、1年分くらいの経験をしたように思います。疲れと感謝の入り交じった複雑な気分で、ホテルに戻りました。


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