夏色のフォリア   [  
 十月、東京都下の各校から、優秀な選手が招集されて作られる選抜チームに、手塚も選ば
れて合宿参加の要請があった。
 しかし手塚は、その話を辞退した。
 元々自分のことを話そうとしない手塚だけに、その件に関しても周囲では、部長職と生徒会
長で多忙な時期を控え、責任感の強さから学校を一時的にでも空けることを良しとしなかった
のだろうという憶測が、まことしやかに噂されただけだった。
 いくら文化祭前で学内も忙しい時期とは言え、他校のライバル達と腕を競い合える機会を、
手塚がみすみす見逃すはずが無い。人一倍負けず嫌いで、誰よりもテニス馬鹿としか言いよ
うのない手塚の本質を、恐らくは唯一人正確に見抜いていた不二は、手塚を問い詰めた。
「僕にも言えない理由があるわけ?」
「不二・・・・違うんだ・・・・」
 いつも二人で練習をしに来ているコートで、ようやく手塚は自分の胸に溜めていた不安を吐
き出した。
「どうやら、肘を傷めたらしい・・・・今はなるべく使わないようにして、様子を見ているんだが・・
・・」
 ベンチに腰を下ろして自分の腕を見つめる手塚は、かつてない程に弱っている様子だった。
「いつから・・・・医者には行ったの?」
「いや、まだ・・・・」
「ダメだよ!ちゃんとした医者に診てもらわないと」
 不二は酷く腹を立てた。肘に違和感を覚えたのは、昨日今日のことではないはずだった。
 それからすぐに、知人に電話をして、評判のいい医師を探してもらった。
 その医師が、大石の叔父だという情報に、不二は大石に相談することを勧めた。他のレギュ
ラーに腕のことを知られたくないと渋る手塚だったが、大きな病院で目当ての医師に診てもら
うには、紹介状などが必要なことが多い。つてを頼って行く方が早いと、説得をした。
 結局手塚は、大石にも肘のことを打ち明け、密かに通院を重ねることとなった。
 治療を受けている間、手塚は満足にラケットを握ることも出来ずにいた。丁度生徒会の業務
が忙しく、なかなか部活に出られない時期でもあったので、他のメンバーに気付かれることは
なかった。
 だが、何よりもテニスが好きな手塚にとって、ボールを打つことが出来ない時間が積み重な
る程、欲求不満を溜め続けているのであろうということは、不二には容易に想像がついた。



 部活が終わってから生徒会室へ寄ると、まだ何名か役員が残っていた。
 手塚にもうじき終わると言われて、不二は隅に置かれた折り畳み椅子を一つ出して座った。
 文化祭が近付き、遅くまで残っている日が続いているので、部であったことの報告も兼ねて、
一緒に下校するようにしているのだ。
 どうやら仕事はもう終わったらしく、他の生徒達は片付けに掛かっていた。
 そして先に片付け終わった者から、手塚に声を掛けて帰宅していき、いつしか手塚と二人き
りになっていた。
 椅子を片付けて、手塚の方へ歩み寄る。机に両肘をついて、組んだ指で額を支えるようにし
て俯いている。
「どうしたの・・・・さすがに疲れた?」
「ああ・・・・きついな・・・・」
 手の中にため息を落とした手塚は、机の横に腰をかける不二の方を見上げた。
「すまない・・・・こんな弱音を吐けるのは、不二だけだな」
「いいよ、僕には何でも言って欲しいし。ラケット持てなくて、辛いんじゃない?」
「ああ、正直・・・・辛いよ」
 椅子の背もたれに身体を預けて、口元に微苦笑を浮かべる。
 痛々しいような表情に、胸の奥が締め付けられるように痛んだ。きっと、同じ痛みを感じてい
る。
「・・・・不二?」
 手塚の横に立って腕を回し、その頭を自分の胸に抱え込むようにして、そっと撫でていた。
 そうしてから初めて、不二は自分の起こした行動に気付く。
 しかし、自分がこうして体温を分け合うことに、胸の高鳴りだけでなく、心の底から落ち着くよ
うな安心感を得ているということが、手塚にも同じように与えられているのではないかと思う。
「あの・・・・迷惑、かな・・・・ごめん、変だよね」
 小さく笑って離れようとした腕を、手塚に掴まれて引き寄せられる。座ったままの彼の膝に座っ
てしまう形になり、その肩にしがみ付いて顔を覗き込んだ。
「いや・・・・いいんだ、別に・・・・」
 流れる沈黙に、もう一度ごめんと呟いて立ち上がろうとした不二を、手塚の腕が制した。その
まま腕の中に抱き込まれて、不二は呆然と目を見開く。
「もう少し・・・・このままで・・・・」
 耳元に囁かれた言葉に、思わず自分からもしがみ付く腕に力を込めた。



 確かに近付いていったのは、自分の方からだった。手塚のようなタイプは、もしかしたらスキ
ンシップに慣れていないかも知れないとも思ったし、そうしたいという欲求が存在したのもまた、
確かなことだった。
「僕は構わないから。君のしたいようにしていい」
 初めて唇を重ねるのも、その先へ進むことも、ためらいや怖れがなかった訳ではない。それ
でも、一度味わってしまった快感は、到底忘れることなど出来ず、またそうした欲求に特に敏感
になっている時期だけに、一度踏み出した足を止めることなど、お互いに出来るものではなかっ
たのだ。
 深い口付けや、互いの昂ぶりを刺激し合うことが、そのまま恋愛に繋がっているものだとは、
不二も思ってはいない。だが、たとえ手塚の欲求不満を晴らすためであっても、構わないのだ。
その相手すら、自分以外の誰かに渡す気がなかっただけで。
 何も約束などを交わしていなくても、大丈夫なはずだった。
 上手く付き合っていけるものだと思っていたのだ――――越前が現れるまでは。






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03.04.28.  波崎とんび

区切り方が難しいと思ったり・・・Tより長くなりました。